髪を上げてみた。いつもあったのになくなった前髪。視界がひらけて空気も変わった気がした。
「あいつ気づくかな」
今まで自分を隠すようにあった前髪がなくなった意図に。髪の毛が目にかかっていても見ることができるけど周りから俺の目は見えない。ずっとそれでよかった。でも最近その存在がすごく煩わしくて、視界に居座っていた自分を守る髪はただのいらないものになっていた。だって邪魔なんだ。話をする時に相手の顔が見にくいし、相手に思ってることが伝わらない。
じゃあどうしようってなって最初に考えたのは切ってしまうことだった。だけどそれは俺にはハードルが高くって無理だということがわかった。髪を切ろうとハサミを前髪に当ててみても、閉じれなくって諦めた。だから洗面所にあった誰かが忘れていったゴムで前髪を結んだ。鏡を見ながらやったけど変じゃないかな?出会い頭に笑われたら、いやだなぁ。なんて思いながら結ぶのは少し楽しかった。
「だいじょうぶ」
戸を前にして久しぶりに緊張していた。落ち着かせようと自分の手を握っても、両方が冷たくてなんの意味もなかった。逆に余計な緊張を増やして終わった。やっぱり今日はやめようかな。また明日にしようかな。あと一歩進めばそこにいるのになかなかできない。逆に後退していたかも。こんな時はどうしたらいいんだろ。誰かに聞きたくても聞ける人もいないし、恥ずかしくて聞きたくないし。
やっぱり、今日はやめよう。
戸に背を向けた瞬間それが開かれる音が静かに響いた。
「翼?どうしたのそんなところに突っ立って」
「え、あ……」
「僕に用?」
「………用ってほどのことじゃないんだ」
「そうなの?じゃあ何、」
あ、と話すのを途中でやめて梓は俺の頭を指差した。わ、わ、気づかれた。気づいてくれた。咄嗟に隠してしまいたくなったのをなんとか押さえて堪える。はやく何か言ってほしい。似合うとか似合わないとかどっちでもいいから、何がリアクションがほしかった。けど自分からどう?と聞くことはできないから俺もまた手を押さえたまんま梓を見つめた。
梓をというよりは梓の口を見てどんな言葉が発せられるのかばっか気にしてたからどんな表情をしているのかわからなかった。俺がどこを見ているのか気づいた梓が姿勢を下げて俺の視線に合わせるまで。
「うん、いいんじゃない」
目が合った梓はすごくやさしい顔をしていた。マイナスな考えなんて全部吹っ飛んじゃうくらい威力があって上げた前髪がいとしくなるくらい。まだこんなに広い世界には慣れないけどもう前にはもどりたくないなって思えた。
110322