迷子の子供


鬼が出ると報告のあった山へ鳴柱と共に向かい、手分けして鬼の気配を追っていると、一人の子供を見つけた。
華奢な小さな体に水流を模したような柄の羽織を纏い、青みを帯びた刀を持つ手負いの子供。歳不相応な眼差しをした、恐らく十歳程の小さな子供だった。何故だか鬼の存在を知っているようで、見覚えのある剣術の型を駆使して鬼を屠り、そして鬼の攻撃から身を呈して私を庇った。
鬼を斬り、その場に鬼の気配がないことを素早く確認してから腕の中にいる子供へ視線を落とすと、固く目を閉じ、ぐったりと体を預けていた。顔色も悪い。抱える小さな体から赤い雫が絶え間なく零れ落ち、温もりが消えようとしている。止血をしなければと、血の溢れる脇腹を手で押さえると、子供が緩慢な動きで宙に腕を伸ばした。咄嗟にその手を掴むと、腕の中の子供がか細い吐息を零した。

「うろこ、だきさん」

子供は掠れた声で人の名前を呼んだ。幼い子供が親に甘えるような声色で。抱える小さな体から命が零れ落ちようとしている。鬼の手にかかって、一人の子供の命が消えようとしている。守りたかった家族と同じように。そう思った時には、その場から駆け出していた。途中、共に来ていた鳴柱に制止の声を掛けられたが、足を止められなかった。一刻の猶予もない。この腕の中の子供を助けなければ。走りながら腕の中にいる子供に声をかけてみたが、反応がなかった。透き通る視界を使って子供の体を見ると、鼓動が弱まっていた。あの山で一体何をしていたのか、体のあちこちに打撲痕があり、全身の筋肉は疲弊し、肋の骨にはひびが入っている。そして鬼から食らった一撃で脇腹からはとめどなく血が零れ落ちている。
まさか、こんな小さな子供がたった一人であの山に巣食う鬼と戦ってきたというのか。頑なに山を降りたがらない意志を伝えてきた子供の意図は何一つ分からなかったが、鬼狩りである私の腕を引き、「この山は危ないから」と歩き出したあの後ろ姿は、まさしく鬼から人を守ろうとする鬼狩りと同じ信念を持つ者の背だった。
死なせたくない、とただその思いだけで駆けた。近くの人里に駆け込み、近くの家の住人に事情を話して入れてもらい、医者を呼んでもらった。医者が手当をしている間、子供は何度か人の名前を夢現に呼んだ。うろこだきさん。さびと。ぎゆう。まこも。子供の家族だろうか。人の名前を呼んで子供の指先が震える度に、その手を握った。治療を終える頃には、ずっと握っているようになっていた。治療を終え、家の住人から善意で分けてもらった寝衣を子供に着せ終えた医者から「後七日程は安静にさせてください」と言われ、家に上げてくれた住人の善意でそのまま居座って夜を明かした。適切な治療を受けて穏やかに寝息を立てる子供の寝顔を見つめながら、ただ手を握っていた。
後を追いかけてきた鳴柱に肩を叩かれるまで、ずっとそうしていた。

「縁壱、殿ッ、お願いしますからッ呼びかけたらッ止まってッ頂きたいッ貴方の足の速さはッ俺でもッ到底追いつけッませんッゴホゴホッ!」

息を切らせて肩を上下させる鳴柱にそう言われて、「あぁ、そう言えば呼び止められていたような」と思い至ったが、子供の容態の方が気掛かりでそちらに顔を向けられず「申し訳ありません」とだけ言葉を発した。

「縁壱殿の並外れた体力と足の速さは鬼狩りの中でも飛び抜けているのはよく知ってますから今度は声をかけたらすぐに止まって……その子供は?」

息を整えてから話し出した鳴柱は、そこで漸く子供の存在に気付いたようだった。

「あの山で鬼から私を庇って負傷したのです。一刻を争う容態でした故」

そう言って鳴柱を置いていったことを謝罪すると、彼は慌てたように首を横に振った。

「いやそんな!謝らないでください!縁壱殿がそのような状況とは露知らず俺の方こそ申し訳ないことを……!」

そう言って、鳴柱は隣に座って心配そうに子供を見つめた。雷の呼吸を自由自在に操り、鬼狩りの中でも柱という地位に立つこの青年が心根の優しい青年であることはよく知っている。恐らく、子供の容態が気になっているのだろう。チラリとこちらに視線を寄越したその意図を察して口を開いた。

「後七日は安静にと医者からは言われています。意識もまだ戻りませんので、暫くはこのままかと」
「そう、でしたか……こんなに小さな子供が……怖かったろうに……」

鳴柱はそう言うなり慈しみのこもった指先で、乱れた子供の前髪を整え、露になった子供の顔を見て何やら一瞬妙な顔をした。

「わっよく見たらなかなか整った顔してるなこの子。でも髪短いしなぁ……男子か?うわ勿体ない……」

鳴柱の発した言葉を理解できない事は多々ある。今もよく分からなかった。
起き出した家の住人に改めて突然家を訪れた謝罪と受け入れてくれた感謝の意を述べると、彼らは「気にするな」と笑ってくれて朝餉の用意をしようとすら言ってくれた。流石に申し訳ないと思ったので辞退したら、隣の鳴柱が遠い場所を見るような眼差しになった。それから何を思ったか、住人へこう聞いた。

「この子を見かけた事はありませんか?近くの山にいたのですが」

住人達はそれぞれ子供の顔を見つめたが、皆一様に首を横に振った。この村の子ではない、見た事がないと。子供の持ち物であった狐の面や刀、羽織についても同じことを述べた。

「捨て子なのか……困ったな、連れていく家がないとは」

鳴柱のその言葉に漸く意図を察した。鳴柱はこの子供を家へ送ろうとしていたらしい。そこまで気が回らなかった己を恥じた。子供の容態ばかりが気になっていて後のことを考えられなかった。

「縁壱殿、どうしましょう……?」

困惑した様子の鳴柱にそう言われて、咄嗟に言葉に詰まった。突然押しかけた上、子供の世話を頼んで置いていくのは流石にこの家の住人に申し訳ないという思いと、身を呈して鬼から庇ってくれた命の恩人とも言える子供をこのまま置きざりにする事は出来ないという使命感にも似た思いが胸の内で渦を巻いている。鬼狩りの拠点へ連れていくという手もあるが、子供が言っていた「この山から離れる訳にはいかない」という言葉が頭の中にこびりついていた。このまま子供の意志を無視して連れて行ってもいいものだろうか。既に山を降りてしまったが、これ以上山から離れた場所へこの子供を連れていくべきだろうか。しかし置いていくには、と堂々巡りの思考に陥っていると、鳴柱がそっと肩に触れてきた。

「とりあえず、この子供を連れて鬼狩りの拠点へ戻りましょうか。子供が目を覚ますまで目の届くところにいた方が、縁壱殿も安心でしょうから」
「鳴柱殿」
「縁壱殿から心配と気掛かりな"音"がしましたから。送る家がないからと、この子をこのまま置いていくことは俺にも出来ません」

眉尻を下げて笑う鳴柱の言葉には、私の迷いを察した上でその迷いを慮る労りが滲んでいた。鳴柱は時々人の感情が分かっているような不思議な事を口にしたが、その言葉にはいつも相手を慮る心が詰められている。その労りが心に染み渡るようで、自然と頭を下げていた。

「かたじけない」
「何の。いつも縁壱殿には世話になっていますからね。さ、そうと決まったらここを発ちましょうか。報告を待つ水柱殿が首を長くして待っていますよ」

そう朗らかに言って立ち上がった鳴柱の言葉に、呼吸が一瞬だけ止まった。水柱。鬼狩りでそう呼ばれる男の顔が脳裏に浮かぶ。穏やかな性格でいつも微笑みの絶えない男。流れる水のように美しい剣技を披露する姿も浮かんだ。その姿に、子供があの山で見せた幾つかの剣技が重なる。ピタリと重なるその型は明らかに同じものだった。

「縁壱殿、どうしました?」

出立の準備をしようと、鳴柱が子供の近くにあった狐の面と水流の流れを模したような柄の羽織、そして一振の刀を手に持ってこちらを不思議そうに見つめている。その顔から目を逸らして、目の覚める気配のない子供を横抱きに抱えて立ち上がった。あの剣技を見せた体だとは到底信じられないほど軽い体だった。肌寒そうだと思い、纏っていた羽織を脱いで子供を包むように巻き付けた。

「──いえ、何も」

子供が目を覚ましてから、本人に聞けばいい。ざわりと騒いだ胸の内に気付かぬふりをして、子供の頭をそっと撫でた。


鬼狩りの拠点にしている里へ辿り着くと、里の入口で水柱が待っていた。報告を待っていたのだろう。しかし、先に腕の中の子供を休ませる場所へ立ち寄りたかった。申し訳ないとは思いつつも、水柱の隣をすり抜けながら「失礼する」と言葉を掛けて足を進めた。一拍遅れて、水柱と鳴柱が慌てて追いかけてくる気配がした。

「縁壱殿、その子供は?」
「鬼との交戦中に私を庇って負傷した子供です」
「……貴殿を庇って?」
「あー、水柱殿。後で任務の報告に参りますから、今はどうか見逃してもらえませんか?その子、身寄りがないみたいで。送る家も分からないし、医者からは七日程安静にするようにとも言われてて……って、ちょっ縁壱殿、どこにいくんです?そっちに花柱殿の屋敷はありませんよ!?」

鳴柱の言葉に思わず足を止めかけた。足を進めていた方角には、御館様から宛てがわれた私の屋敷がある。子供の体を休ませたいという思いばかりが先走り、無意識のうちに足は自宅へと向かっていたようだった。鳴柱の言う通り、人の治療に長けた者達が集まる花柱の屋敷へ行く方が遥かに子供の為にもなるというのに。頭でそう理解していても、心が追いついてこない。己の思考と体が相反して動いていたことに戸惑い、咄嗟に腕の中の子供を見下ろすと、子供が苦しそうに微かに呻いた。気がつくと言葉が口から滑り落ちていた。

「私の屋敷で休ませます」

目の届く場所で。子供の目が覚めるまで。早く休ませねば。
その思いに駆られて歩みを早めた。背後で水柱と鳴柱が追ってくる気配を感じながら、迷うこと無く屋敷への帰路に着いた。屋敷の門を潜っても水柱と鳴柱は追いかけてきた。それどころか、私の前を先回りするように駆け出して屋敷に入った。何を、と問いかける間も与えずに彼らは屋敷の中を忙しなく駆け回った。

「水柱殿、お湯は如何程沸かしましょうか!?」
「手桶一杯分あれば充分かと……!縁壱殿、布団は客間に敷いて宜しいか?というより布団はこの屋敷にございますか!?あっ鳴柱殿お湯の手配を終えたら花柱殿に事情を話して呼んできてくれませぬかあの縁壱殿が泣きそうと言えば飛んできますから絶対……!」
「えっ縁壱殿が!?あの縁壱殿が泣きそう!?泣きそうなの嘘でしょ!!?すぐに花柱呼んでき」

脇を駆け抜けた鳴柱は驚くほど早かった。これまで見てきた中でずば抜けて早かった。残像すら見える程に。何やら言葉を放ちながら外へ駆けて行ったようだが、最後の言葉も聞こえぬうちに姿は見えなくなった。水柱にはどさくさに紛れて失礼なことを言われた気もしたが、「何を突っ立っているのですさぁ布団は敷きましたからその子をそこへ……!」と水柱に背を押されて屋敷の中へ足を踏み入れる始末だった。ここは私に与えられた屋敷か?と疑念を抱いて首を捻ってしまう程度には水柱と鳴柱の手によって全てが整えられていた。
水柱の用意した布団に子供を横たえ、体を冷やさぬよう肩まで布団を掛けた。恐らく、脇腹の痛みを感知する程度にまで意識が浮上しかけているのだろう。目を覚ますだろうかと、苦しそうな子供の寝顔を見つめていると、水柱に肩を叩かれた。

「縁壱殿。子供の様子が気にかかるのはお察ししますが、貴殿も休まねば。夜通しで鬼を斬ってお疲れでしょう。子供は私が見ております故」
「私は、疲れておりません。心配ご無用です」
「縁壱殿……」

水柱から困惑した気配を感じて申し訳なく思ったが、それよりも子供が目を覚ますまで傍にいたいという思いの方が強かった。さぞ苦しかろう。こんなに小さな体で鬼の攻撃から身を呈してまで私を庇ってくれたばかりに。子供への申し訳なさで胸が締め付けられた。微かに呻き声をあげた子供の頬をそっと撫でた時、子供の目がゆるゆると開かれた。うたと同じ、澄んだ黒曜石のような瞳だった。驚きのあまり声を掛けることも動く事も出来なかった。子供はぼんやりと天井を見上げ、何かを探すように視線が宙を彷徨う。水柱が隣に座り、子供の顔を覗き込んだ。

「目が覚めたか。気分は如何か?」

水柱の問いかけに子供は目を瞬かせた。どうやらまだ意識が覚醒している訳では無いらしい。ぼんやりとした面持ちのまま、水柱を見つめ、口を開いた。

「ここ、は?」
「ここは……鬼狩りの里だ。縁壱殿がそなたを連れて参ったのだ」
「おにがりの、さと……?」

子供が舌足らずな口調で反芻する。鬼を屠った子供と同一人物だとは到底思えないほど、あまりにも弱り果てた無防備な姿だった。その様子が気掛かりで、子供の顔を覗き込んだ。子供の黒曜石のような瞳がゆるりとこちらを見る。ぼう、とこちらを眺める子供に声を掛けようと口を開いた所で、子供が目を見開いた。その目は完全に覚醒していた。手負いとは到底思えない程の素早さで体を起こし、ビクリと体を震わせて布団に倒れ込んだ。

「いッ……!?」

無理に体を動かして傷口が開いたのか、血の臭いが鼻をかすめた。咄嗟に子供の身体を布団に横たえさせようと押さえつけたが、子供は抵抗するようにもがいた。血の臭いが鼻をつき、子供の脇腹付近の寝衣がじわりと赤く染まる。水柱が険しい表情で「縁壱殿、そのまま押さえこんでください」と告げて腰元の刀に手をかける。水柱の考えが手に取るように分かって、思わず子供を庇うように、暴れる子供の体を抱き締めるようにして布団に倒れ込んだ。

「縁壱殿!?」
「この子供は鬼の血を被っておりません。陽の光も浴びた。鬼ではありません」
「しかし……!」
「この子供が暴れる理由は他にあります。手出しは無用です」

そう水柱を牽制して、腕の中の子供へ意識を向ける。少し力を込めただけで暴れる子供の体は容易に抑え込めた。それでも尚抵抗しようとする子供は必死の形相で、やはりあの山から連れて帰るべきではなかったのかと一抹の後悔が胸を過り、咄嗟に心の中で否定した。違う。あのまま山へ捨ておけば、この子供は死んでいたと。私が守れなかった大切な者達と同じように。そう思うと子供を抱きしめる腕に力がこもった。

「山へ、あの山、藤襲山へ帰してください!最終選別が!選別を終えないと私は、鱗滝さんが、証明しないと、私が……!」
「落ち着け。その手負いの体であの山に戻っても死ぬだけだ」
「うるさい巫山戯んな黙れ死んでたまるかァ!放っておいてって言ったじゃん!何で連れてくるかな私このままじゃ鬼殺隊入れないんだけどアンタのせいで!?あぁもう!離せ!早く、早く戻らないと……鱗滝さんが……!」

激しい口調で怒鳴り始めたかと思うと、子供の声は途中で潤んだ。大粒の涙を零しながら、子供は小さな拳で私の腕や肩を叩いて抵抗した。鬼を屠ったとは到底思えないほど、弱い拳だった。

「あの山で七日経たないと、駄目なんだ、七日経つまで、あ、あの山で、生き延びてないと、いっ家に帰らないと、鱗滝さん悲しむから、錆兎と義勇に、真菰に謝らないと、わっ私、生きてるのに、死んだと思われちゃうから、鬼殺隊に入らないと、鱗滝さんはすごい育手だって、私が、私が証明しないと、う、鱗滝さんが……!」

子供の言葉は支離滅裂で、内容の半分も理解できなかった。それでも見ている者の胸を締め付けるようなその慟哭に、刀の柄に手を掛けていた水柱も腕を下ろして目を揺らがせた。

「その傷が治ってからあの山へ連れていこう。その体で動くのは、」
「それじゃあ遅いんだって言ってんだろうが、ぁっ……!?」

ビクリ、子供の体が不自然に震え出す。ハッとして子供の脇腹に触れると、ぬるりと暖かな血の感触がした。完全に傷が開いている。
抵抗していた子供の体からどんどん力が抜けていく。抑え込まなくてもいいほどに弱っていく。そんな状態にあっても子供は私の腕を叩いてこの腕から逃れようとしている。しかし、先程よりも明らかにその力は弱い。このままでは、と過った思考に腹の底が冷え、子供を抱く腕を離せなかった。弱っていく子供を抱きしめながら、赤く滲む子供の脇腹を必死に手で押さえた。

「水柱殿、近くの部屋から布を持ってきてくれ。何でもいい。止血できるものを」
「承知」

直ぐに動いた水柱から布を受け取り、子供の脇腹に押し当てる。抵抗する体力も尽きたのか、子供は私の腕や肩を叩くことはなくなった。ぐったりと目を閉じているが、まだ意識を保てているらしく、激痛で乱れる呼吸を整えようとしていた。普通の子供なら既に気を失っていてもおかしくはない。この子供はいったい何者なのか。思わず口にしかけた言葉を代わりに紡いだのは、大人しく抑え込まれる子供を見下ろす水柱だった。

「縁壱殿、この子供はいったい何者なのですか?」

その問いに答えられるほど、この子供を知らない。水柱と同じ呼吸の型を使って鬼を屠り、鬼の事を知っていた奇妙な子供。鬼殺隊という組織に入ろうとしていると言った時のあの強い眼差し。他人の為に命を投げ捨てることも厭わないその気高き志。鬼狩りよりも鬼狩りらしいその姿勢。何故かあの山に戻ろうとする異様な執着。気になることは山ほどある。しかし、それよりも子供の先程の慟哭が頭から離れない。家に帰らないと。生きてるのに、死んだと思われてしまう。子供には帰るべき家があるのだ。子供が夢現に呼んだ家族と思しき名前達。この子供の帰りを待つ家族が、この子供にはいる。そう思うと、腕から力が抜けた。子供の体をゆっくりと離し、もう起き上がる力も残っていないその小さな体を静かに布団へ寝かしつけた。手に着いた血を丁寧に拭い、子供の頬に触れると、子供がゆるゆると目を開く。黒曜石のような瞳に宿る強い意志が、子供の心情を雄弁に語るようだった。うたと同じようで、全く違う輝きを宿した黒曜石の瞳。涙で濡れるその瞳を見つめながら、口を開いた。

「お前の意思に反して山から連れ帰ったこと、申し訳ないと思っている。罪滅ぼしという訳では無いが、お前の家を教えてくれ。お前の代わりに家族へ文を出そう。お前は生きていると」

そう告げると、子供の目が見開いた。目が零れ落ちてしまうのではないかと心配になるほど目を見開き、子供はポツリと言葉を零した。

「ふみ……?」

その表情はあどけない子供そのものだった。あの強い眼差しはどこにもない。しかし、それが子供の素のように思えた。出会って初めて子供の内面に触れられたような気がして、静かに吐息を零した。

「事情は分からぬが、何も連絡がないと死んだと思われるのであれば、先に無事を知らせればいい。お前の望むあと三日とやらに間に合うかは保証できないが、あと三日以内に体の傷を癒して山に戻るよりは確実だと思う」

どうする、と問いかけると、子供は暫し黙り込んでいた。しかし、沈黙は長く続かなかった。あの大人びた眼差しで、どこか諦めたような面持ちで、子供は静かに言葉を紡いだ。

「……鱗滝左近次という人に、律は無事ですと、お伝えください。勝手に最終選別へ向かって、ごめんなさいと」
「分かった。水柱殿、すまないが文の手配をお願いしてもいいだろうか」
「あ、あぁ……任されよ」

水柱は慌てた様子でその場から退出した。先程から水柱に色々と世話になっているな、と申し訳なく思っていると、子供が「あの、」と声を発した。明らかにこちらへ声をかけていると分かるその言葉に子供へ視線を向ければ、子供は申し訳なさそうな顔をしていた。

「色々、ご迷惑をおかけして、すみません。助けてくださったのに、我儘言ってしまって、手紙の用意まで……あの、さっき暴言吐いてしまって本当に、ごめんなさい」
「構わない。お前には恩がある。その礼だと思って受け取って欲しい」
「えっ私何かしました……?」

突然真顔でそう問いかけてきた子供は本当に分かっていないようだった。鬼から身を呈して人を庇ったというのに、それを鼻にかけるどころか、礼を貰うことに疑問を抱くその様子が浮世離れした不思議な生き物のように思えて、ますます不思議な子供だと思った。脇腹に襲いかかる痛みに耐えているのか、僅かに顔を歪ませる子供の苦痛を少しでも和らげたくて、子供の頬をそっと撫でた。鳴柱が花柱を呼びに行っているので、もう暫くしたら脇腹の傷の手当も出来るだろう。それまでの辛抱だと思いを込めて撫でていると、手紙の手配を終えたらしい水柱が戻ってきた。

「童よ、文を送る家の場所は分かるか?」
「はい」

子供ははっきりと返事をして、ゆっくりと家の場所を告げる。告げられた場所に聞き覚えがなく、咄嗟に水柱を見上げると彼も困惑した表情を浮かべていた。その様子を見ていたらしい子供は何かを察したのか、焦った様子で口を開いた。

「あの、藤襲山の近くなんです。近くと言うほどでは無いですけど、少し離れたところにあって、」
「ふじ、かさねやま……?」
「えっ……あの、貴方と出会った山です。あの山、藤襲山ですよね?」

子供の言葉に咄嗟に水柱と顔を見合せた。視線で問いかけると、水柱は小さく首を振って意志を表明した。私と鳴柱が任務で訪れたあの山は藤襲山という山ではない。

「あの山は藤襲山という名では無い」
「そう、なんですか?……あぁ、藤がいっぱいあるから別名でついたのかな……?すみません、藤襲山だとしかあの山の名前教わってなくて……とにかく、あの山から少し離れたところで、」
「あの山に、藤の木は生えていない」
「えっ」

子供が呆然とした表情でこちらを見つめる。その眼差しを真っ向から見つめ返して、口を開いた。

「藤の木があればあの山に鬼は寄り付かない。故に私達鬼狩りが派遣されたのだ」
「……そんな。だってあそこは、麓から中腹にかけて藤の花で覆われてて、鬼殺隊の最終選別のために鬼が放たれていて、」

そこまで言葉を紡いで、子供は口を閉ざした。水柱と私の顔を縋るようなその眼差しで見つめ、じわりと目いっぱいに涙を湛える。言葉が出てこない。子供を落ち着かせる言葉が何も浮かばなかった。痛々しい子供の眼差しを受けて口を開いたのは、水柱だった。

「……必ず、文は届ける。そなたは体を癒すことに専念するように」

水柱の言葉に子供はしばし無言だったが、やがてか細い声で「はい」と応えて、何も言わなくなった。やがて花柱と鳴柱が屋敷に訪れ、花柱による脇腹の治療を受けても、鳴柱に話しかけられても、子供は何も言わなかった。ただ、鳴柱が手渡した水流を模した柄の羽織を頭から被り、一振の刀と狐の面を決して離さぬようしっかりと抱きしめて、周りを拒絶するように身を縮ませて眠りについた。

その日以来、子供は笑わなくなった。

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