優しい手


前世の記憶を持って生まれた人はどうやら気味悪がられるらしい。

そう理解したのは、実の親に山へ置き去りにされてからだった。自分に前世の記憶があると気付いたのは五歳の冬の頃だ。
両親に前世の記憶の事を初めて話した時は「子供の空想か」と笑われていたが、前世の記憶を元に物事の判断を下したり行動するようになると大層気味悪がられた。
次第に他の兄弟達と愛情の差をつけられて育てられるようになり、気がついた時には家族とは名ばかりの、他所の家庭にお邪魔している近所の子のような扱いを受けるようになっていた。余程気味が悪かったらしい。そうなってしまうと今更他の兄弟達のように振舞っても無駄でしかなく、親から愛されることは早々に諦めをつけた。大人になるまでこの家に置かせてもらうしかないと息を潜めるようにして生きてきたが、どうやらその努力すら認めて貰えなかったらしい。
冬の山の冷気は体を芯から冷やしてしまうほど寒さが厳しく、そんな冷気と共に雪が吹き付ける山奥に薄い着物一枚のみを纏っただけの格好で置き去りにされたのは流石に泣きそうになった。
いくら持つもの少ない貧しい家庭だったとはいえ、こんな寒さの厳しい冬の山に連れてきた両親ですら雪除けの蓑を纏っていた。そうしないとあっという間に体が冷えて動けなくなってしまいそうな程の寒さが体を蝕んでいる。このまま何もしないでいたら凍え死んでしまうだろう。両親はそれを願って置いていったのだろうか。貧しい家だったから家族みんな毎日一食を食べるのも苦労していたし、きっと口減らしの意味も兼ねていたのだろう。
親に気味悪がられていると分かった時から自分が愛されていないことは薄々気付いていたが、まさか冬の山奥に置き去りにされるまでとは思わなかった。よっぽど生きて帰ってこないで欲しいと願われていたのか。
寒さのあまり冷え切った手足を摩りながら、両親と別れた木の下に小さなかまくらのようなものを作って吹き付ける雪と風を凌ぎながら一日過ごしてしまうくらいには「迎えに来てくれるのでは」という淡い希望を抱いた時間もあったが、二日目の朝にはすっかりその希望も萎んでしまった。
飢えと寒さで冷えきった体に鞭を打って歩き出したのは三時間ほど前になるだろうか。死にたくない。そんな思いだけで歩き続けた。前世の記憶で生きる大変さは人並み以上に学んできたつもりだったが、それと同時に生きて感じる幸せというものも覚えていたので生きることを諦めきれない気持ちが強かった。
例え今が苦しくても後で笑い話のひとつになるだろうとそう自分を励ましながら雪景色の山道を進んだ。歩いていればどこかには辿り着くはず。そんな薄っぺらい希望と、「前世の自分はこんなひもじい思いをしてなかったな」と前世の記憶を妬む仄暗い思いだけが足を動かす原動力だった。
前世の自分はひもじい思いどころか、このような劣悪な環境にいなかった。ハイカラな物に囲まれて、暖かい場所で存分にご飯を食べて、両親に愛されていた。記憶は二十年分しかなかったけど、前世の自分が恵まれた環境にいたことはその記憶だけでも充分分かった。今の自分とは何もかもが正反対過ぎて嫌気が差した。落差が激しすぎる。前世の自分は人でも殺めたのか。そんな記憶ないけど。
せめて人里に辿り着きたいと歩いていたが、しんしんと降り積もる真っ白な雪に辺り一面覆われて、自分が歩いている場所が道なのかすら分からなくなっていた。両親の足跡などとっくに消えている。それでも諦めまいと歩き続けたが、防ぐ術のない寒さで手足の感覚は麻痺し、飢えで体を動かす体力も底を突き、足が思うように動かなくなってきてとうとう心が折れてしまい、真っ白な世界に倒れ伏した。このまま前世の自分を妬みながら寒さと餓えで死ぬのだろうか。今生の人生は恵まれなかったな、とぼんやりと自分を憐れんだ。なんて理不尽な世界なんだろう。まだ七年くらいしか生きていないのに。しかし、これが現実なのだと諦めの境地で死の気配を呆然と感じていた──視界いっぱいに人外のものと思しき顔が見えるまで。
寒さと飢えで気でも狂ったかと思ったが、頭に積もっていたらしい雪を暖かな掌で丁寧に払ってもらえて、伝わってきた温もりでこれが幻覚ではないと分かった。白い雪景色の中にぽつりと現れた赤ら顔のそれは天狗に似ていたが、雪除けの蓑を纏う背に翼は無く、よく見れば、顔だと思ったものは赤く塗られた面だった。天狗の面をつけた人なんて初めて見た。前世でも祭以外見た記憶はない。変わった人だな、と朦朧とする意識の中でぼんやりと思った。

「口減らしか」

声色から察するに男のようで、独り言のように呟かれた男の言葉には微かな憐れみの響きがあった。他人の目から見ても今の自分は不遇なものに見えるらしい。それが何だか可笑しくて笑おうとしたが、口から漏れたのはか細く情けない声だった。

「……同情、するなら……食べ物をくれ……」

前世の記憶の中に似たような言葉があった。あれは食べ物ではなく金を要求していたが。
何にせよ、出てきた言葉は折れた心とは真反対に生を望んでいて自分でも驚いた。こんなに辛いのに無意識下でもまだ生きたいと思っているとは。
応答があるとは思ってもみなかったのか、男がピクリと身体を震わせた。驚いたようだ。まさか死んでいると思われていたのだろうか。まぁ、確かに棺桶に片足を突っ込んでいるようなものではあるし、ピクリとも動かず雪に伏せっていればそう思われても仕方の無いことだろう。実際死にかけている。
このまま雪の中に埋もれていれば間違いなく死ねる。咄嗟に食べ物を要求してしまったけど、死に近づくにつれて無意識下でも生を諦めるに違いない。苦しい思いはだんだん薄らいでいくだろう。そう思うと死ぬのも悪いことじゃない気がして、生への未練は死へと焦がれ始めている。生きて感じることの出来る幸せというのは素晴らしいものだが、今生はどうやらそれと縁遠かったようだ、来世に期待しよう。そう思い始めてすらいた。
潔く生を諦めようとした思考を見抜いたかのように、男がまた触れてきた。雪に埋もれかけていた私の体を起こし、横抱きに抱えてどこかへ向かって歩き出した。どこに連れて行くのだろう。問いかけられる程の気力は底を尽きていて、ただ男の腕と胸に体を預けることしか出来なかった。
どこへ連れていかれるのか皆目見当もつかないが、栄養失調で痩せこけた体だし、両親ですら人攫いへ売ることを諦めたほどの、例え売ったとしても端金にもならないような体付きをしているので、自分のような子供を連れていっても益になることは無いはずだが。
そこまでぼんやりと考えて、ふと、あることに気付いた。痩せこけ、見窄らしく薄汚い自分の体を、男はしっかりと抱え込んでいる。これ以上雪に触れないように。落とさないように。丁寧に、優しく、しっかりと。雪に埋まってすっかり冷えきっているであろう自分の体へ体温を分け与えるように、包み込むように温めながら運んでくれていた。男の暖かな体温が冷えた体にじわりと染み込んで、吐く息が震えた。暖かい。自分を山へ置き去りにした両親は手すら握ってくれなかった。視線も合わせず、後で迎えに来るとだけ告げてさっさと消えていったのに。すごく寒かった。置いていかないでと縋りたかった。親にすら見放された自分を、この人は。どうして。色んな言葉が脳裏に浮かんでは消えていく。視界がぼんやりと滲んで、目から零れ落ちた雫が頬を伝い、冷えた気温で凍りついて頬がヒリヒリした。
捨てられたと分かった時でも涙なんて出てこなかったのに、と内心戸惑っていると、男が抱え方を変えた。両腕から片腕のみで赤子のように抱えられ、男の空いた掌がポン、と頭に置かれた。労わる様なその優しい手つき。その手は暫く私の頭を撫で、頬に凍りついた雫を親指でそっと拭ってくれた。優しい手だった。今までそんな風に撫でられたことなかったな、と思ったら涙が止まらなくて、生まれてきてよかった、と今生で初めて思った。


これが、鱗滝さんとの出会いだった。
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