兄弟のかたち


巌勝さんが来て二日が経過した。
巌勝さんは元々、侍だったらしい。それも、人を率いて戦をするような、そんな家柄の当主だったのだとか。縁壱さんの屋敷に訪れた鬼狩りの人達がそう噂しているのをたまたま聞いてしまった。任務で縁壱さんが鬼を追っていたところ、偶然にも出会い、鬼に襲われていた所を助けられて、弟の縁壱さんの力になりたいと鬼狩りに加わったのだとか。あくまで噂なので本当かどうかは分からないが。ただ、鬼狩りに加わったというのは嘘ではないらしい。縁壱さんの手解きの下、鬼と戦う術を身につけようとしている。巌勝さんを観察していると、侍だったという話もあながち嘘では無いようだった。これまで出会った人の中でも群を抜いて立ち居振る舞いが美しく、言葉遣いからは教養の高さが滲み出ていたし、箸使いなどのちょっとした所作も洗練されていた。縁壱さんと手合わせしている時の木刀の振るい方は明らかに何らかの剣術を嗜んでいたのだろうと分かるほど無駄のない動きをしていた。侍の中でも相当身分の高い人だったのではないだろうか。弟である縁壱さんも立ち居振る舞いは綺麗なほうだが、巌勝さん程ではなかった。当主の跡継ぎとしてよっぽど厳しく育てられたのだろうか。
今生でもそういう立派な家柄の子供は厳しく躾られるんだなぁと物思いに耽りながら朝ご飯の米を炊いている炎をぼんやりと眺めていると、「律殿、」と声を掛けられた。縁壱さんの声に似ているが、縁壱さんより少し低い声。この屋敷で私を律殿と呼ぶ人は一人しかいない。顔だけ振り返ると、予想した通りの人物がそこに立っていた。早朝だと言うのに眠そうな様子はなく、凛とした面持ちで身嗜みをしっかり整えた巌勝さんがこちらを見ている。縁壱さんが貸したと思われる赤を基調とした着物をきっちりと着こなしているのだが、その姿は不思議なくらいに縁壱さんとは別人に見えた。同じ顔立ちと背格好をした兄弟とはいえ、纏う雰囲気が正反対のように違うからだろうか。縁壱さんはどこかぼんやりとしているが、巌勝さんは見ている人が居住まいを正してしまうような鋭さがある。隙がない、と言えばいいのだろうか。おかげで二人を間違えたことは無い。

「おはようございます、巌勝さん。朝ご飯はあと少しで出来ますので、少々お待ちください」

会釈してそう告げると、巌勝さんは「手伝いまする」と言って襷がけをし始めたので驚いた。巌勝さん、料理出来るのか。てっきり身分の高い人は料理ができないイメージがあったのだが。いや、こういう偏見は良くない。料理ができるのであれば手伝って貰えると有難い。そろそろ味噌汁作りにも取り掛かりたいと思っていたので、巌勝さんにはご飯の方を任せよう。そう判断して「では、ご飯がそろそろ炊きあがるので飯櫃の準備をお願いしてもよろしいでしょうか」と告げたのだが、巌勝さんが不思議そうな面持ちで「いいびつ、」と呟いたので真顔で察した。縁壱さんが初めておにぎりを握ろうとした時のデジャヴを感じた。巌勝さんも料理できない人だな。縁壱さんとどっこいどっこいのレベルだろうか。いや、まぁ、それでも手伝いを申し出てくれるのはとても有難いし、その申し出を無碍にするのも頂けない気がして、巌勝さんの今後の為にもなるだろうと一から説明していく覚悟を決め、近くにあった飯櫃を手に取った。

「飯櫃というのは、炊きたてのご飯を移す入れ物です。これの事ですね。使う時はそこの水瓶で中を軽く濯いで洗ってから、ここにご飯を移します。ご飯を飯櫃へ移す時はしゃもじも濡らしてください。ご飯は炊きたてなので、火傷をしないように気を付けてください」
「承知した」

丁寧に説明すると、巌勝さんはコクリと頷いて飯櫃を受け取った。飯櫃を受け取る巌勝さんがあまりにも真面目な顔をしていたので、「そんなに気張らないでいいんですよ」と言いそうになって堪えた。流石に失礼だろう。水に濡らしたしゃもじも渡し、巌勝さんの作業はご飯を移すだけなのでそう見守らなくても大丈夫だろうと判断して、さっさと味噌汁作りを終わらせることにした。もうそろそろ夜の見回り当番から縁壱さんが帰ってくる頃だろうし、だし巻き玉子も作ってしまおう。そう思って手早く味噌汁を作り、だし巻き玉子も焼いていると、巌勝さんから「手馴れていますな」と声を掛けられた。そちらへ顔を向けると、巌勝さんが感心したような面持ちでこちらの手元を見ていた。飯櫃にご飯を移し終えたらしく、巌勝さんの手にはご飯の入った飯櫃があった。手馴れている、とは、卵の巻き方について言われたのだろうか。そう思い、「縁壱さん、だし巻き玉子が気に入ったみたいで。時々作って欲しいと言われるのでそれにお応えしていたら、こんな感じで作れるようになりました」と伝えると、巌勝さんが信じられないものを見るような眼差しでこちらを見つめた。

「……縁壱が?」
「……?はい。卵料理がお好きみたいで。巌勝さんのお口にも合えばいいんですけど。卵、人によって好き嫌い別れるので。お口に合わないようでしたら教えてください。違う副食をご用意しますので。もし食べたい物がありましたら、事前にお伝えしてもらえればこしらえますよ」
「あ、いえ、好き嫌いはありませぬが……律殿、お心遣いは忝のうございまするが、新参者の私めにそこまで気遣う必要はありませぬ。律殿は先達故、」

どうか気になさいますな、と言う巌勝さんの言葉に思わず唖然とした。え。せんだつって何。せんだつって、もしかして、先輩って意味の先達だろうか。えっ。いや確かにこの屋敷に住み始めたのは私が先だが、巌勝さんとの差はたった数ヶ月だ。というか、住居人に対して先輩後輩あるの初めて聞いたんだが?もしかして巌勝さんクソ真面目な人なのか。あ、いや、クソ真面目とか失礼すぎる。きっと上下関係に厳しい人なのだろう。しかし、自分が先輩扱いされるのを受け入れるかとなると話は別だ。たった数ヶ月の差で自分より明らかに年配の人から先輩と言われるのは恥ずかしいというか、申し訳ないというか、居た堪れなくなるので止めていただきたいのだが。だし巻き玉子を皿へ移し、恐る恐る巌勝さんへ話し掛けた。

「あの、巌勝さん。先達、と言っても、私がこの屋敷に住み始めたのはほんの……えーと……数ヶ月前とかなので。あまりお気になさらずと言いますか……それに、私は巌勝さんよりだいぶ年下なのでむしろ私が弁えないといけない立場ですので」

遠回しに「先輩扱いするのやめて欲しい」と意味を込めてそう言うと、巌勝さんは真面目な顔で「しかし、」と反論してきた。

「数ヶ月の差なれど、先達は先達。歳の差はあれど、律殿が新参者の私にとって鬼狩りの剣士の先達であることに違いはありませぬ」
「…………ん?」

巌勝さんの言葉に思考が一瞬停止した。あれ。何か、巌勝さんと私の中で何か齟齬が生じている気がする。何だろう。何かが引っかかる。巌勝さんの言葉を脳内で繰り返して、鬼狩りの剣士というワードがやけに気になった。あれ、もしかして私、鬼狩りの剣士だと勘違いされているのでは。いやいや、鬼狩りの剣士どころか最終選別すら突破出来ずに鬼殺隊に入れてないんだが?自分の状況を改めてそう整理すると、気持ちがどんどん暗く沈んでいくのが分かった。どうやら、最終選別を突破出来なかったという心残りはトラウマのように自分の中で根付いてるらしい。今更そう自覚して溜息を零しそうになった。きっとこの心残りは、再び最終選別に臨んで突破する事でしか晴らせないのだろう。ここまでくるとコンプレックスだな、と思わず苦笑いした。

「そう言えば、事情を説明してませんでしたね。実は私、鬼狩りの者では無いんです。勘違いさせてしまってすみません」

そう謝罪すると、巌勝さんは驚いたように目を瞬かせた。

「では、律殿は縁壱の子飼で?」
「こがい……?」

こがいって何。思わず巌勝さんを見上げて首を傾げると、巌勝さんは話が通じてないことを悟ったらしい。困惑した面持ちでこちらを見返した。巌勝さん、縁壱さんより表情が豊かで何を思っているのか比較的分かりやすい人なのだが、過ごしてきた環境の差なのか、どうにも話が噛み合わない。まぁ、共に住む以上、これも慣れていくしかないのだろう。とりあえず、話を戻そうと口を開いた。

「すみません、こがい、というものがどういうものなのか、よく分からないんですが……私は諸事情があって縁壱さんの屋敷でお世話になっているだけの居候なので、巌勝さんに敬語使ってもらったり、敬称をつけて呼んで貰えるような身分ではないと言いますか……世話係みたいなものだと思って、縁壱さんのように自然体で接してもらえれば……」

そう言うと、巌勝さんは状況を呑み込めていないという言葉をありありと顔に浮かべたような顔で「承知し……分かった」と言葉遣いを直して頷いてくれた。ほんと縁壱さんより表情に出るなこの人。後で私の現在に至るまでの状況を説明して、私が鬼狩りと同じ志を持つ組織の鬼殺隊を目指している立場であることを伝えた方がいいのだろうか。年齢も立場も巌勝さんの後輩である事を伝えないと巌勝さんは納得しなさそうだ。そう考えていると、「律、」と聞き慣れた声に呼ばれた。縁壱さんの声だ、と弾かれるようにして厨の入口に顔を向けると、ちょうど縁壱さんが厨に入ってくるところだった。厨に足を踏み入れるなり、縁壱さんは僅かに目を見張った。視線の先には巌勝さんがいる。どうやら巌勝さんが厨にいると知らずに足を運んだようで、驚いているようだった。

「只今戻りました、兄上」

直ぐに礼儀正しく頭を下げる縁壱さんに対し、巌勝さんは浅く頷いて「怪我はないか」と縁壱さんを気遣う言葉を返した。おぉ、巌勝さん、お兄さんみたいだ、と失礼ながら思わず心の中で感心した。いや失礼にも程がある。縁壱さんはその言葉に対して、目元を微かに、本当にごく微かに、弛めたように見えた。

「ありません。昨夜は、鬼と相見える事はありませんでした故。お気遣い頂き、ありがとうございます」

変化が薄すぎて非常に分かりづらかったが、縁壱さんの纏う雰囲気が少し柔らかいように感じた。好物の卵焼きを食べている時と同じ雰囲気だ。もしかして、巌勝さんに心配してもらえて嬉しいのだろうか。何となくそう思い、少し心がほっこりした。いや、お兄さんに心配されて喜ぶレベルが好物の卵焼きと同じなのは如何なものだろうとはちょっと思ったが。
まぁ、それはさておき。縁壱さんが感情を顕にすることは極稀だったのに、兄である巌勝さんが屋敷に来てから、縁壱さんの纏う雰囲気が少し変わってきたように思う。巌勝さんが話しかけると水柱さん達と会話するよりも長く話しているし、巌勝さんが屋敷での生活に不便を感じぬよう、本人のいない所で細やかな所に気遣う姿も見かけている。その姿を見ているだけで「あぁ、縁壱さんは巌勝さんのことが好きなんだなぁ」とじんわり心が温まる。縁壱さんのその姿を見ていると鱗滝さん達を思い出してしまって少し切なくなる事もあるが、縁壱さんの人間らしい所を見れた事を嬉しいなぁと思える自分も確かにいた。
縁壱さんの言葉に対し、巌勝さんは素っ気なく「そうか」と頷いただけだった。前世の自分には兄弟がいなかったし、今生の兄弟には家族らしく接してもらった記憶が無いので、巌勝さんのこの素っ気なさが男兄弟ならではのものなのか判断しかねて少々気にはなったが、他人である自分がそこに首を突っ込むべきではないだろうと内心で己を諌めた。巌勝さんに先程伝えた通り、私はただの居候のようなものだからそこには足を踏み入れてはいけない。少し切なくなった心に気付かないふりをして、縁壱さんに向けて「おかえりなさい。ご飯もう少しで出来るので少々お待ち下さいね」と声を掛けると、縁壱さんは頷きかけて、ふと動きを止めた。どうしたのだろう、と見守っていると、縁壱さんは懐から笹の葉に包まれた小さな包みを取り出し、こちらに差し出してきた。差し出されるままに受け取ったものの、笹の葉に包まれたそれが何なのか判断しかねて、困惑して縁壱さんを見上げた。

「縁壱さん、これは……?」
「帰り道の途中で鳴柱殿より頂いた。律に渡して欲しいと」
「鳴柱さんから?」

何だろう、と包みを開いてみると、中身は餡子に包まれたお団子が六つ入っていた。驚きのあまり目を見開いて「お団子」と呟くと、縁壱さんに「甘いものは嫌いか?」と尋ねられたので慌てて首を横に振った。おやつ、それもお団子なんて今生では初めて見るものだった。鱗滝さんの家にいた時ですら食べたことの無いもので、前世では好んで食べていたお菓子の一つだ。込み上げてくる懐かしさに、思わず笑みが溢れていた。

「お団子なんて久しぶりです……!六つありますから、皆さんでデザート……じゃなくて……皆さんで食後に頂きましょうか」

ほくほくした気持ちのまま二人を見上げると、二人は驚いたように僅かに目を見張った。巌勝さんは眉を八の字にし、困惑の面持ちで口を開いた。

「いや、私は……それは律に送られたものだろう。一人で食すといい」

巌勝さんの言葉に同意するように、縁壱さんもコクリと頷いた。

「兄上の仰る通りだ。私達は大丈夫だから、律が食べろ」
「えっいや、でも……私こんなに食べられませんので……六つありますから、三人で分ければちょうど割り切れますよ?それにお団子って時間経つと固くなっちゃいますから……」

美味しいうちに皆さんで食べませんか?と食い下がると、縁壱さんは無に等しい表情で目を瞬かせて押し黙った。あれ、もしかして、縁壱さん甘い物苦手なのだろうか。だから遠慮しているのだろうか。何も言わない縁壱さんに戸惑い、咄嗟に巌勝さんを見上げると、巌勝さんは目を僅かに見張らせてこちらを見ていた。え、なんでそんな驚いたような顔してるんだ巌勝さん。もしかして巌勝さんも甘い物苦手なのか。だから遠慮しているのか。

「あ、あの……お二人共甘い物苦手ですか……?」

二人の顔色を伺うように恐る恐る聞くと、二人は同時に「いや、苦手ではないが」と答えた。驚くほどシンクロしていたので思わず「おぉ」と小さく歓声を上げてしまった。二人は驚いたように互いに顔を見合わせ、巌勝さんは複雑そうな顔して視線を逸らし、縁壱さんはそんな巌勝さんの顔を無に等しい顔で、じ、と見ていた。よく分からないが、甘い物が苦手ではないという二人の言葉を鵜呑みにするとして、どうして二人は断ろうとしていたのだろう。不思議に思って首を傾げていると、縁壱さんに頭を撫でられた。

「……体が小さいと体力が持たない。律は少しでも食べた方がいい」

小さな子供へ向けられるようなその言葉に咄嗟に縁壱さんの顔を見上げると、縁壱さんはいつも通り無に等しい顔だったが、目がいつもと違っていた。小さな子供を見守るような、慈しみを滲ませた穏やかな眼差しだ。この屋敷に来てから、縁壱さんはたまにそんな眼差しでこちらを見詰めている。最初は怪我の心配でもしているのだろうと思って気にも留めなかったが、体が動けるようになってもその眼差しを向けられるので困惑した。怪我が治った今でも向けられるので今となっては、またか、とうんざりすらしている。恐らく、今の縁壱さんはこの間の鍛錬での様子を心配しているのだろう。反抗期真っ盛りの子供のような気持ちが込み上げてくる虚無感に思わず溜息を吐きそうになった。落ち着け私。子供を見るような眼差しで見られる事以上に屈辱な思いをしたことが他にもあっただろう、と虚無感を宥めて何とか溜め息を零すのを堪えた。
縁壱さんの言う通り、確かに体力は持たない方だが、それは子供だから仕方ない上、体も訛っていたからだ。これから呼吸の鍛錬を繰り返し行っていれば体力は持続するようになるだろうし、栄養のあるご飯を摂取していれば体も成長期を迎えて成長するだろう。そうすれば水の呼吸を幾ら連発しても直ぐにバテないようになる。バテないようになれば、幾らでも鍛錬を続けていられるようになる。そのうち水柱さんと手合わせしても吹き飛ばされないようになるつもりだ。というかそうなりたい。いやそもそも、縁壱さん達と比べれば殆どの人が小さいに決まっている。縁壱さんを始め、水柱さん達もなかなか上背がある。高身長の人達からすれば子供である自分が小さく見えるのは当たり前だろうが、例え小さくともこちとら縁壱さんと五歳程しか変わらない思春期真っ只中のお年頃だ。それなりの距離感を持って接して欲しいお年頃故にあまり子供扱いしないで欲しいのだが。体が小さいと体力持たないから少しでも食べた方がいいって何だ、確かに持たないけど。五、六歳ほどの子供に向かって「たんとお食べ」みたいな言い方をされると流石に物申したくなる。
手の中にある団子を厨の作業台の上に置き、縁壱さんの手を取った。縁壱さんは抵抗もせず、私の行動を見守っていた。その目は完全に子供を見守る親のような眼差しだった。いや、確かに私は子供だが。これでも中身は前世の記憶を合わせて三十ウン歳になるのだ。舐められてもらっては困ると、幾ら小さく見えてもそこら辺の子供より力はあるつもりだと伝えるつもりで、その大きな手を力を込めて握りしめると、縁壱さんは驚いたように目を瞬かせた。それを見て少しスッキリした。

「縁壱さんのお気持ちは有難いですが、この通り、私はそんじょそこらの子供より力もあります。私は自分に合ったご飯の量を食べれているので大丈夫です。身長もそのうち伸びますし、心配ご無用ですよ。だからこの団子も皆さんで頂きましょう。さ、ご飯も冷めてしまいますから、朝ご飯にしますよ」

握り締めた手を引き、飯櫃を持たせて、縁壱さんの背を押して厨から追い出す。縁壱さんは何か言いたそうだったが、されるがままに大人しく厨から出て行った。振り返ると、たまたま視線のあった巌勝さんがビクリと体を震わせた。奇妙なものを見るような目で見られていると気付いて「あの、何か?」と問いかけると、巌勝さんが複雑そうな表情で口を開いた。

「律は、縁壱に対して常にあのように接しているのか」
「え」

あのように、とはどういう意味だろうか。手を力一杯握りしめたことか。それとも縁壱さんに言い返したあたりか。いったいどれのことを言っているのだろう。思わず真顔で巌勝さんの顔を見返すと、巌勝さんは「いや、何でもない」と言って視線を逸らした。え、そこで切られると余計に気になるんだが。必死に先程の自分の言動を思い返すが、巌勝さんの言う「あのように接している」が何を指しているのかさっぱり検討がつかない。どこの部分のことだろう。気になるが、巌勝さんに「何でもない」と誤魔化されている手前、「どの言動ですか?」と聞くのも憚られる。いやそれでも、本当は気になるのだが。もしかして、自分では気付かないだけで縁壱さんに対して失礼なことをしてしまっているのを教えようとしてくれていたのでは。充分有り得る。鱗滝さんの家でも前世の記憶に引き摺られてつい周りの人がやらないような事をしてしまい、鱗滝さんに注意された事もある。おかげで少しずつではあるが、今生での生活に馴染めるようになった。うわ、そう考えると本当に教えて欲しいのだが。とうとう堪えきれずに口を開いてしまった。

「巌勝さん、私、変な事をしてしまっていたでしょうか……?」

そう声をかけると、巌勝さんが弾かれたようにこちらを見た。その顔が「自覚してないのか」と問い掛けているように思えてしまって身を竦ませた。

「私、育ちがちょっと変わってるもので、周りの人から見るとおかしいと思われる事やってしまいがちでして……もし変だと思われるような事をしていたのなら、治したいので教えて欲しいんです」

巌勝さんにお手数を掛けてしまいますが、と恐縮して身を縮めると、巌勝さんは狼狽えたように視線を彷徨わせた。

「あ、いや、おかしいという程では……ただ、」

宙を彷徨っていた視線が少し間を置いて、遠慮がちにこちらへと向けられ、思慮深そうな黒い瞳に見つめられる。その真っ直ぐな眼差しに縁壱さんの面影を見た気がした。兄弟故か、眼差しがどことなく似ているな、とぼんやり思った。

「あの縁壱に臆せず物言いをする者を、初めて見た故。まるで、本当の兄弟のような、」

そこまで口にして、巌勝さんは唐突に口を閉ざして、視線を逸らすように小さく俯いた。本当の兄弟のよう、とは、どういう事だろう。私のどの言動を見て聞いて、そう思ったのだろう。本当の兄弟のようも何も、巌勝さんと縁壱さんの方が正しく血の繋がった本当の兄弟ではないか。何言ってるんだこの人。不思議に思うあまり、つい話しかけてしまった。

「えと、本当の兄弟の方へ兄弟らしいと言うのもおかしい話ですけど、巌勝さんの方が兄弟らしいなぁと思いましたよ……?」

そう言うと、巌勝さんがこちらを見て目を瞬かせた。驚いているようだ。

「私が……?」
「え、えぇ。縁壱さんが厨に入ってきた時、怪我はないかと聞かれていたので。他の鬼狩りの方は縁壱さんが帰ってきても怪我の有無を聞く人はいなくて。どんな鬼と戦ったのかとか、仕事の話から聞かれるんです。縁壱さんが怪我をするはずないという信頼の現れでもあるんでしょうし、悪いことではないとは思うんですけど。縁壱さん、怪我をしてたり体の具合が悪くても自ら言い出さないので、こちらが気付かないと黙って隠し通してしまうみたいで。なので、面と向かって縁壱さんを気にかける巌勝さんがその縁壱さんの癖みたいなものを見抜いてらっしゃるように見えて、お兄さんらしいなぁ、と……思いまして……その、何か、生意気な事を言ってしまってすみません……ほんと、それだけなんですけど……」

そう言うと、巌勝さんは呆然とした面持ちでこちらを見下ろし、何かを言おうとして口を開き、唇を噛み締めるように閉じた。微かに視線を揺らめかせ、自嘲めいた静かな笑みを口元に浮かべた巌勝さんは、ポツリと呟いた。

「あれは……挨拶のようなものだ。あやつの癖など、分からぬ。縁壱とは幼少の砌に別れて以来、会っておらぬ故」
「えっ」

想像もしていなかった言葉に心臓が跳ねた。巌勝さんの言葉が頭の中で木霊し、じわりと腹の底を冷えさせる。どういう事だろう。幼少の砌に別れたとは。驚きのあまり思考が鈍る頭にぼんやりと浮かんだのは、そう言えば、縁壱さんが鬼狩りをしている理由を聞いたことがなかった、という事だった。噂では、巌勝さんは立派な家柄の当主だったと聞いた。もしそれが本当だったとしたら。ならば何故、同じ一族である縁壱さんは一族から離れて鬼狩りをしているのだろう。何となく、そこに答えはあるのだという気がした。それと同時に、そこに他人である私が触れてはいけないような気もした。恐らく、私なんかが触れてはいけないような話が、そこにはある。
だけど、と鈍くなった思考でぼんやりと考えた。脳裏に、巌勝さんに怪我はないかと問われた時の縁壱さんの姿を思い浮かべる。柔らかい雰囲気を纏った縁壱さんを。怪我はないか、と問うた時の巌勝さんの顔を。真っ直ぐに縁壱さんを見つめて、体を気遣う言葉を紡いだ巌勝さんの横顔は、挨拶を告げる言葉を紡ぐ顔だと思うにはあまりにも真っ直ぐで。そこには確かに、兄弟を想う心があったのでは、と思ったのだ。それを伝えようと口を開く前に、巌勝さんが言葉を発する方が早かった。

「私より、縁壱に物怖じせず言葉をかけられる律の方がよっぽど兄弟らしい」

そう言った巌勝さんは辛うじて口元に笑みを浮かべているものの、複雑な表情をしていた。眉間に微かに皺を寄せ、視線が俯く。自嘲とも、悔しそうとも、呆れともとれるその表情を浮かべる巌勝さんの考えていることはさっぱり分からなかったが、巌勝さんの言葉を受けて心が「否」と告げていた。私の方が縁壱さんと兄弟らしいなんてそんな馬鹿な、と呆れすら湧いてきた。巌勝さんは勘違いしているのだ。物怖じせずに縁壱さんに話しかけられる方が兄弟らしいだなんて。私の縁壱さんに対する言動は兄弟に対するというものではない。思わず真顔で口を開いた。

「巌勝さん、違いますよ。私が物怖じせずに縁壱さんに話しかけられているのは、そうでもしないと縁壱さんが私を赤ん坊か幼児のように扱うからです」
「…………何だと?」

巌勝さんの顔から表情が抜けた。ポカン、と呆気に囚われたその顔は驚いた時の縁壱さんにそっくりだった。ほら、やっぱり巌勝さんの方が兄弟らしいじゃないか。そう思いながら溜息を吐いてしまうくらいには、二人はとても似ていた。

「何故かはいまいち分かっていないんですが、縁壱さんは私の体付きが小さい事を気にされているみたいでして。縁壱さんと比べれば確かに私は小さくて貧相な体付きですが、これでも十四歳くらいなんですよ。小さい頃に親に捨てられたので自分の正確な年齢は分かりませんけど。まぁそれはさておき。確かに、縁壱さんからすれば私は年齢的にも体つき的にも子供です。子供ですけど、この歳になると自分の事はある程度できます。それなのに、縁壱さんは時々私の世話を焼こうとするんです。言い返したり、大丈夫ですよって断らないと赤ん坊のように世話を焼かれるんですよ。買い物なんて未だに何を言っても一人で行かせて貰えないんです。信じられます?荷物持ちという意味で付き添って頂けるならまだ分かるんですけど『危ないから』って理由で買い物に縁壱さんに付き添われてるんです。正直言って屈辱です。そりゃあ物怖じせずにあれこれ言うようになります。屋敷に世話になって着物を買ってもらった次の日になんて『袴の着付け方は分かるか?』と着替えの最中で部屋に入られました。そりゃあもうこれ以上ない程の屈辱でした。確かに袴の着方は分かりませんでしたけど。こちとら思春期の子供ですよ?第二時成長期真っ只中の子供ですよ?せめて着替え始める前に説明して欲しかったですし、何より部屋に入る前に一言断って貰いたかったです。あまりにも堂々と入ってこられるので怒鳴りつける気力も湧きませんでした。最初はお世話になっているからと我慢して堪えていましたが、あまりにも子供扱い、いえ、四、五歳に対するような対応をされるので堪えきれず言い返すようになってどうにかここまで漕ぎ着けたんです。巌勝さんも先程見たでしょう?お団子を頂けたのは確かに嬉しかったですが、全部一人で食べなさいって渡される理由が『体が小さいからいっぱい食べなさい』ですよ?縁壱さん、私が五歳児くらいに見えてるんでしょうか。今は小さくとも成長期真っ只中なのでご心配頂かなくとも身長はそのうち伸びます。それに私はあまり物が食べられないのでいっぺんにお団子を六つも食べると動けなくなります。朝ご飯食べ終わったあとは鍛錬するのにお腹いっぱいで動けないだなんて情けないにも程があります。あぁしてゴリ押ししてでも断らないと、私がお団子を食べ終わるまで見てるんですよ。あの無に等しい顔で見つめられてみて下さい。気まずいです。食べられるものも食べられません。こちらは何も悪いことしてないはずなのに、何故か心が痛んで食べなくちゃと思うようになります。でも食べたら動けなくなって鍛錬どころの話ではなくなるので物怖じせず断ったんです。なので、巌勝さんが感じられている物怖じせずに話しかけられているという兄弟っぽさはあくまでそう見えるだけであって、実は全然違うんです。この物怖じしない物言いは私を子供扱いする縁壱さんに抵抗して漸く見出した縁壱さんへの対抗手段なんです。分かって頂けましたか?」

これまでの縁壱さんに対する文句も混じえた「物怖じせず縁壱さんに物申す私の方が兄弟っぽく見える」という巌勝さんの意見に物申し終える頃には、巌勝さんは薄く口を開いて呆然としていた。間抜け面とも言えるその顔をしっかと目にして漸く、自分がいかに巌勝さんが呆けてしまうほどベラベラと話し続けていたかを自覚して頭から血の気が引いた。しまった。喋りすぎた。喋りすぎたどころか、所々縁壱さんに対する愚痴すら飛び出していた。やりすぎた。巌勝さんこれ完璧に引いてるな。慌てて「喋りすぎましたすみませんどうか私の言ったことはお気になさらず」と早口で捲し立て、巌勝さんにお盆を持たせ、その上に味噌汁を注いだ汁椀三つと箸三膳を載せて背中を押し出すようにして厨から送り出した。巌勝さんはさして抵抗もせず、ヨタヨタと歩いて厨から出て行った。明らかに私の話に圧倒されたままと物語るその様子に心の底から反省した。やってしまった。いくら縁壱さんに対する鬱憤が溜まっていたとはいえ、縁壱さんの兄である巌勝さんに言うことではなかった。後でお詫びしなければ、と反省しながら三人分のおかずをお盆に乗せ、トボトボと居間代わりの部屋に向かうと、何故か部屋の中で縁壱さんが正座していて、その前に巌勝さんが仁王立ちしていた。何してるんだろう、と疑問を抱くと同時に、巌勝さんが縁壱さんへこう告げた。

「縁壱、お前は暫く律から離れろ」
「!?」

そう告げられた時の縁壱さんの顔は暫く忘れられなかった。

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