夢か現か妖か
花柱さんが夜の見回り当番の改善案を進言してくれたおかげで、縁壱さんの当番は三日に一回のペースになり、次の日は必ず半日以上体を休めるよう産屋敷さんから正式に命令が下された。縁壱さんは「他の鬼狩りの者達に負担を掛けてしまった」と申し訳なさそうだったが、命令と言われてしまえばそれに従うしか無いので、大人しく布団に横になっている時間が増えた。
その日の朝は縁壱さんが夜の見回り当番から帰ってくる日で、朝ご飯の準備を終える頃にタイミング良く帰ってきた。縁壱さんと朝ご飯を食べた後、産屋敷さんから下された命令に従って用意していた布団に横になってもらったのだが、朝方に眠るという昼夜逆転した生活に体が慣れていない為か、縁壱さんは暫く目を開いたままぼんやりとしていた。眠れなくても横になっているだけで体力は回復すると花柱さんにも言われている為、縁壱さんは大人しく布団に横になっていたが、体調も悪くないし眠れないのに布団の中で大人しくしているというのは見ていても退屈そうで、何だか可哀想だなぁと少し同情した。
このままでは寝ることはおろか、逆にストレスが溜まりそうではある。せめて眠れることが出来ればいいのだが。同じように思っていたらしい縁壱さんと二人で頭を突き合わせて悩んだ挙句、苦肉の策として提案したのは、子守唄を聞いてみてはどうかという事だった。誰が歌うのか。残念なことに私である。それ以外何も浮かばなかったとはいえ、却下される前提で提案してみたのだが、縁壱さんは感情の読めない顔で「試してみよう」と言った。まさかやるとは思わなくて「まじかァ」と前世の口癖が飛び出した。そんな私を気に留める様子もなく、晴天の空から降り注ぐ日差しを遮るために障子を締め切り、更に手前に衝立を設置し、少し薄暗くなった部屋の真ん中で姿勢よく布団に横になった縁壱さんは至極残念なことに本気だった。そこまで準備されてしまうと提案した手前、もはや断ることも出来なかった。色々迷った挙句、縁壱さんの傍に座り、前世の記憶にあったうろ覚えの子守唄を必死に思い出しながら、子守唄を震える声で口ずさんだ。
「ゆりかごの歌を、金糸雀が歌うよ」
始め、縁壱さんは不思議そうに子守唄を聞いていた。全然眠くなさそうで歌ってるこちらとしてはもう申し訳ないやら恥ずかしいやらで今すぐにでも子守唄作戦を取りやめにしたかったが、子守唄を止めようとすると縁壱さんから「続けて欲しい」と催促されてしまって途中でやけくそになった。こうなったら徹底的にやろうと恥を捨て去り、子供を寝かしつけるように添い寝して縁壱さんのお腹付近をポン、ポンとゆっくり撫でながら子守唄を小声で歌った。突然添い寝された縁壱さんは驚いたように目を見開いたが、やりすぎたかと体を起こそうとすると「そのまま続けてくれ。眠れそうだ」と言われた。そう言われてしまうとやらざるを得ない。仕方なく添い寝したまま、ゆっくりと縁壱さんのお腹付近を撫でながら子守唄を続けると、縁壱さんは目を細めた。相変わらずの無に近い表情で何を考えているのかさっぱり分からなかったが、猫のように細められた目がトロリと微睡んでいるように見えて、どうやらこの恥を捨て去った添い寝子守唄作戦は意外にも効果があったらしいと内心驚いた。これで効果が無かったらとんでもない恥を晒しただけだ。効果があるのならばと、とにかく縁壱さんが眠れますようにとただそれだけを思ってゆっくりと子守唄を口ずさんでいると、やがて縁壱さんの目がそっと閉じられた。暫くすると、静かな寝息が聞こえてきた。
え。嘘。本当に寝た。
衝撃のあまり子守唄を止めてしまったが、縁壱さんの目が開くことは無かった。どうやら本当に寝たようだ。子守唄効果すげぇなと感心しつつ、音を立てないように細心の注意を払いながら体を起こして、縁壱さんの穏やかな寝顔を信じられない気持ちで見下ろした。縁壱さんの寝顔初めて見た。普段の何を考えているか読めない大人びた表情はそこになくて、小さな子供のように無防備であどけない顔をしていた。可愛い、と思わず思ってしまった自分に驚きのあまり真顔になった。自分より五つ以上も歳上であろう人に可愛いとは何事か。失礼だろう。戒めるようにそう内心で叱咤して、縁壱さんを起こさないようにそっと部屋を退出した。抜き足差し足忍び足で部屋から離れ、ここまで来たら足音も聞こえないだろうというところまで離れてから、自然と詰めていた息を吐き出した。何だか物凄く疲れた。運動も何もしていないのに、ただ子守唄を歌っただけなのに何だか頭が重く感じた。
「子守唄ってもしかして歌ってる人の体力を削るわけ……?」
自分でも馬鹿げていると思うようなことを口にしても誰も突っ込む人はいない。この屋敷の唯一の住人である縁壱さんは子守唄を聞いて寝てしまったのだから当然といえば当然だが。思わず溜め息が零れた。子守唄を歌った程度で疲れているのなら、相当な体力と筋力が衰えていることになる。脇腹の傷が治るまで激しい運動は控えるようにと花柱さんに言われて暫くの間は動くことが出来なかったし、運動してもいいと許可が出た最近では落ちた足腰の筋力が戻るように近くの山へ散策に行く程度だった。傷が完全に治って運動してもいいのなら、そろそろ刀を振るう訓練を始めるべきだ。こうしている間も産屋敷さんは藤襲山と鱗滝さんの家を探してくれている。家に帰れるようになるまでに弛みきった全身の筋力を鍛え直しておかなければ。家に戻れたら、産屋敷さんが望んでくれたように、鬼殺隊の最終戦別へまた臨みたいから。今度は鱗滝さんに心から見送って貰えるように強くなって、最終戦別を突破したいから。そうして初めて、鱗滝さんの不名誉な噂を撤回出来るだろうから。
その為に、強くなりたい。その思いに駆り立てられるように、間借りしている部屋へと向かった。部屋の片隅に立て掛けられている刀を手に取り、少し迷って、作りかけの真っ白な厄除の面を懐に納め、鱗滝さんとお揃いの羽織も手に取って袖に手を通した。そうする事で自分はあの山へ、鱗滝さんの元へ戻るのだという思いを錆兎や義勇、真菰や兄貴分達に見守って貰えているような気がして、重かった頭が少し軽くなったように感じた。そういえば、兄貴分達から水の呼吸や剣術を習い始めた時、兄貴分達は嬉しそうに笑いながら「素振りから始めるぞ、律」と声を掛けてくれていた。錆兎達に剣術を教える時も素振りから始めていた。そんな思い出が脳裏に過ぎって、口元が緩く綻んだ。身に纏う羽織から「素振りから始めよう」と語りかけられている気がして、袂をそっと握り締めた。
「そうだね、素振りからだ」
素振りをしているだけでも体力と筋力はつく。兄貴分達や錆兎達としていた素振りは木刀だったが、木刀は手元にない。しかし、木刀よりも重い刀で素振りをすれば筋力もつくだろうと一人頷いて部屋を出て、草鞋を履いて庭に出た。縁壱さんの屋敷は庭が広い為、素振りをするスペースが充分にある。庭の隅に移動して体を解すために入念に柔軟体操をしてから、鞘から刀を抜き、青い刀身に刃毀れがないか確認をした。藤襲山ではだいぶ鬼を斬ったので刃を摩耗したつもりでいたが、刃毀れは無く、まだ鬼を斬れそうだった。しかし、そう見えていたとしても己の武器であり鬼を狩る為の刃の手入れを怠ってはいけないのだと兄貴分達の教えが頭に過ぎる。刀の手入れの方法も教わっていた。後で縁壱さんに刀の手入れ道具を借りてもいいか確認しておこう。そう心に決めて、刀を構える。久しぶりに持つ刀はやけに重く感じた。鱗滝さんの家から飛び出した時は特に何も感じなかった重み。相当筋力が落ちているな、と思わず溜息を零しそうになって、堪えた。嘆いている暇があったら鍛えるべきだ。そう自分を奮い立たせて、素振りを始めた。兄貴分達から教わったことを一から脳裏に広げながら。錆兎達にはどう教えていたのだったか、と思い出しながら刃をひたすら振るった。素振りを開始してから三十分もしないうちに息が上がってしまう自分の不甲斐なさに打ちのめされながらも、ひたすら刀を振るった。晴天の空の下で行う素振りは酷く暑苦しかったが、全身が汗まみれになっても振るい続けた。以前はこのくらいでこんなに汗をかくことは無かったのに、と心が折れそうになりながら、手足が棒のようになるまで、ひたすら素振りをした。
素振りの回数が千を超える頃、少し休憩を挟んでから水の呼吸の型も一通り振るってみた。千回も超える素振りの後で振るう型は疲労感が段違いで、参ノ型の時には息が切れて刀を落としそうになった。失ったのは筋力や体力だけではなかった。型を振るうと刀に纏っていた水の気が以前より薄れて見えた。明らかに水の呼吸の威力も落ちている。目に見えてそれを実感してしまい、心にヒビが入る音を聞いた気がした。いや、まぁ、筋力も体力も落ちているしな、そりゃ威力も落ちるわなと心の中で自分を慰め、心に入ったヒビに気付かないふりをして無我夢中で水の呼吸の型を振るった。しかし、振るえば振るうほど心に負ったヒビは広がっていくような気がした。息も絶え絶えで、型をなぞって体を動かす事すら危うい自分の現状に吐きそうだった。どうにか気合いと意地で漆ノ型まで振るえたが、全身の筋肉を急に酷使した事で体は限界を迎えていた。滝のような汗を流し、今にも地面へ横たわりそうになる体たらくに絶望すらしていた。たった一回、それも水の呼吸を壱から漆の型まで振るっただけでこの様とは。まるで水の呼吸の型を兄貴分達から教わりたての頃に戻ったような退化っぷりに泣きそうだった。まさか、こんなに弛んでいたとは。こうなるともう一回素振りを一から千まで、いや、一万回まで行って少しでも筋力と体力をつけないと前のように刀を振るえないのでは。過ぎった思考に気が遠くなり、思わず奥歯を噛み締めた。このままでは鬼殺隊の最終戦別どころか、岩も斬れない。不甲斐なさすぎる。弛んだ体を追い込まねばならない。少しでも体の感覚を取り戻せるように。失った体力や筋力を鍛えられるように。
地面に突き立てた刀を杖代わりに倒れそうになる体を支え、額から流れ落ちる汗を手の甲で拭った。呼吸を整えてからまた素振りを開始しようと考えて息を吸い込んだところで、背後から視線を感じた。縁壱さんだろうか。もしや、素振りの音で目が覚めたのだろうかとギョッとして振り返ると、少し離れた庭先に呆然とした面持ちの水柱さんと、申し訳なさそうな表情の鳴柱さんが立っていた。いつからそこにいたのだろう。咄嗟にぎこちない動きで会釈をすると、鳴柱さんが「勝手に入ってごめん」と声を掛けてきた。
「玄関で声掛けたんだけど……留守かと思ったんだけど人の気配するし、素振りの音もするから縁壱殿が庭にいるのかなと思って……あの、声掛けようと思ったんだけど、律、集中してたから邪魔しちゃ悪いかなと思ってあの、なんか、ごめん……」
目を逸らしながらそう言葉を続けた鳴柱さんは気まずそうだった。いつから見ていたのだろう。もしかして、あの酷い水の呼吸の型も見られていたのだろうか。あのとんでもなく無様な、辛うじて水の気を纏っただけのなんちゃって水の呼吸の型を。そう思ったら心に大きなヒビが走った音を聞いた気がして、その場にペタリと座り込んだ。今まで感じたことの無い羞恥に全身が熱くなり、体が震えた。あの気合と意地だけで振るった無様な型を人に見られていただなんて。もしかして素振り千回から見られていたのだろうか。あのヒョロヒョロの剣筋を。無様過ぎる。生き恥だ、と思わず呟くと鳴柱さんが驚くような速さで駆け寄ってきて背中を摩ってくれた。
「えっ!?いや何で生き恥!?凄い気迫で武士みたいで凄かったよ!?ねぇ水柱殿!?」
話題を振られた水柱さんは石のように固まっていた。先程の呆然とした面持ちのままだ。私の剣術の酷さに驚いているのだろうか。そう捉えてまた絶望すると心がとうとう折れた。あまりにも自分が不甲斐ないやら情けないやら恥ずかしいやらで、涙がボロボロと溢れた。
「さっきの剣術……見なかったことにしてください……あの、最近体を動かせるようになったから……あの、それで……こんな筈じゃ……ほんと、さっき見たの忘れてください、いつもなら、前は、ちゃんと刀振るえてたし、型だって拾ノ型まで振るえ、て、う、うぅっ」
「えっ律……?ちょっ嘘泣いて……?え待って泣い、え嘘でしょ泣かないで律……?男でしょ泣かないで……!?大丈夫だよ体ちょっと訛ってただけだもんね……?本当ならもっと出来るんでしょ、久しぶりの運動で体がちょっと吃驚して出来なかっただけだもんね分かるよ分かる俺分かってるよ、だから泣かないで……!?水柱殿もいい加減正気に戻ってくださいよいつまで呆けてんですか同じ呼吸を使う者として律を慰めてくださいよ本当なら俺より貴方が慰めるべきでしょう!?」
鳴柱さんの絶叫に涙が止まった。同じ呼吸を使う者として。それは水柱さんにむけられた言葉で、驚きのあまり咄嗟に水柱さんを見詰めた。水柱さんも、水の呼吸を使うのか。自分と同じ。鬼狩りにも水の呼吸の使い手がいたなんて、と感動にも似た思いに心を震わせたその時だった。水柱さんが我に返ったらしく、はっ、と息を吸い込むと、素早く駆け寄ってきて、こちらに視線を合わせるように片膝を着いた。
「律、お前のその剣は誰から……誰からその技を教わった?」
「えっ水柱殿?俺の話聞いてました?慰めてって俺言ったんですけど?聞いてます水柱殿?」
見ているこちらの息が詰まるような真剣な眼差しに見つめられ、咄嗟に「き、鬼殺隊を目指していた兄貴分達です」と素直に答えると、「その兄貴分達は誰から教わった?」と更に距離を詰められた。水柱さんの鬼気迫るような迫力に圧されて「う、鱗滝さん、です」と白状すると、水柱さんは俯いて何事かを考え始めるようにブツブツと独り言を呟き始めた。
「鱗滝……?鬼狩りにそのような名の者はいなかった筈だが」
水柱さんの呟いた言葉を耳にして違和感を覚えた。水柱さんの言葉はまるで、鱗滝さんが水柱さん達と同じ鬼狩りの組織にいた前提で呟かれていると遅れて理解して、違和感の正体を知った。鱗滝さんは水柱さん達のいる鬼狩りではなく、別の組織の鬼殺隊にいたのだから水柱さんが知らなくて当然だ。そう思い、咄嗟に口を開いた。
「あの、鱗滝さんは鬼狩りではなく、鬼殺隊に所属されていましたので……今は歳を召されて現役から退いていますが、水の呼吸の使い手の隊士達を育てる育手をされています」
「鬼殺隊……?あぁ、例の別の鬼狩りの組織か……その鱗滝殿は一体誰から水の呼吸を教わったのだ?」
「え……?流石にそれはちょっと……」
更に詰めよろうとしてくる水柱さんに引いて思わず吃ってしまった。鱗滝さんが誰から水の呼吸を教わったのかは流石に知らない。知っているのは、鱗滝さんが現役の鬼殺隊隊士だった頃、柱と呼ばれる鬼殺隊の中でも最高戦力の一人として活躍していたということくらいだ。五体満足で引退できる柱はそうそうおらず、鱗滝さんは凄いのだと兄貴分達は憧れの籠った眼差しでそう教えてくれた。そんな凄い人達に水の呼吸を教えて貰えて鬼殺隊を目指せる俺達は幸運なのだと兄貴分達は喜び、鱗滝さんの教えを忠実に守って鍛錬に励み、強くなっていった。ちょっとした興味から兄貴分達へ水の呼吸を教えて欲しいと言った時には、鱗滝さんから教わった通りに教えてくれた。丁寧に型を教わりながら、現役時代、鬼殺隊最高戦力の柱として数えられていた鱗滝さんの活躍に思いを馳せた事はあったが、その呼吸を誰から教わったのか等、気になったこともなかった。
「す、すみません、それは聞いたこと無かったです……でも、鱗滝さんが兄貴分達に水の呼吸を教えていたように、鱗滝さんもきっと若い頃に育手の方から教わっていたのかと思います」
そう告げると、水柱さんは奇妙な物を見る眼差しでこちらを見て、「それは有り得ない」と言い切った。あまりにも力強いその言葉に思わず息を呑んだ。
「律、先程そなたは拾ノ型まで振るえたと言っていたな?それも鱗滝殿……兄貴分達に教わったのか?」
「うっ……はい……あの、今は筋力も体力も落ちてしまって振るえないんですけど、最終戦別の時は確かに振るえていたんです……さっきの無様な剣筋からは到底信じられないとは思いますが……」
「疲弊しているところすまないが、拾ノ型を見せてくれ」
「は……?」
突然のお願いに思わず水柱さんをまじまじと見詰めた。隣で背中を摩ってくれていた鳴柱さんに至っては「水柱殿、律の額から流れるこの汗見えてます?もしかして寝てます?」と真顔で罵ってすらいた。酷使した体は疲労が溜まりすぎていて、鳴柱さんの言う通り、こうして座り込んでいるだけでも額から汗が絶え間なく流れている。この状態で水の呼吸を使おうものなら、きっと間違いなくぶっ倒れるだろうと謎の自信があった。それでも、水柱さんは真剣な眼差しでこちらを見詰めている。前言撤回をする気は無いようだった。水柱さんの考えていることはよく分からないが、水柱さんのその眼差しに気圧されるように頷いていた。心配する鳴柱さんに「下がっていてください」と告げて、地面に突き立てていた刀を握り直して立ち上がり、刀を構えた。鳴柱さんと水柱さんが充分距離をとって離れたのを確認して、深呼吸をした。先程は見られていると分からず無様な型を我武者羅に乱発したが、今回はそうもいかない。人に見せるのであれば、相応の完成度を持って型を披露したい。それも、望まれているのであれば尚更。心を落ち着けて、今にも倒れそうな体に鞭を振るって刀の柄を握り締めた。呼吸で疲弊する体に酸素を取り込み、全身に力を込めて刀を振るった。
「──拾ノ型、生生流転」
うねる龍のように、回転しながら斬撃を振るう。相変わらず刀と斬撃に纏う水の気は薄かったが、先程乱発した型よりも丁寧な動きを意識して刀を振るったので動きは悪くなかったはずだ。水の気は薄いが。四撃目の斬撃を振るい終えた途端、体から力が抜けて視界が歪んだ。体が限界を迎えたのだと直ぐに理解して歯を食いしばった。刀を地面に突き刺すようにして支えにしていないと、とてもじゃないが立っていられなかった。いや、もはや刀を支えにすら出来ていない。汗が全身から吹き出して体が小刻みに震える。もはや痙攣と言っていい。足の感覚も手の感覚も無い。グラりと揺らいだ体に鳴柱さんが駆け寄ってきて抱きとめてくれなかったら、間違いなく地面に倒れ込んでいた。水柱さんはこれで満足しただろうかとそちらへ視線を向けると、目を見開いてこちらを食い入るように見つめる水柱さんがいた。恐ろしさすら感じるその強い眼差しに身体を震わせると、水柱さんはゆっくりと口を開いた。
「律。本当にその型は、兄貴分達から教わったのだな?」
「……は、い。あの、兄貴分達は、鱗滝さんから、教わったと」
息も絶え絶えにそう答えると、水柱さんは俯いて黙り込んでしまった。明らかに様子がおかしかった。何か、変な点でもあったのだろうか。兄貴分達にはしっかり型を見てもらっていたので、鱗滝さんが教える型と遜色は無いはずだが。それとも、水柱さんが使う水の呼吸とは何か違うのだろうか。もし何かが違うのなら教えて欲しいと、教えを乞うつもりで「あの、」と声をかけると、水柱さんが顔を上げた。その顔は幽霊でも見たかのように青ざめていた。
「──拾ノ型生生流転が完成したのはここ数日の事だ。型はまだ他の者に伝えておらぬ」
水柱さんの発した言葉を理解できなかった。一体何を言っているのだろうと呆然と青白い顔を見つめ返し、鳴柱さんなら理解出来ているのだろうかと隣の鳴柱さんを見上げるも、彼も水柱さんを困惑した眼差しで見つめていた。
「水柱殿、それはどういう、」
鳴柱さんの問いかけに水柱さんは応えなかった。ただ、食い入るようにこちらを見つめ続けている。その目にはあらゆる感情が揺れて動いているように見えた。困惑。驚き。恐れ。あまりにも複雑に感情が入り乱れすぎてそれ以上の感情は読み取れなかった。その複雑な眼差しから目を反らすことは出来なくて、ただ呆然と見つめ返した。水柱さんの言葉がぐるぐると頭の中で回っている。意味を理解出来ぬまま、無意味な言葉の渦となって頭の中を駆け回っている。水柱さんは同じ呼吸の使い手で。でも先程披露した拾ノ型はここ最近水柱さんが編み出したものだという。でも私はそれを兄貴分達から二年ほど前に教わっていて。それを伝えた鱗滝さんはきっと現役の鬼殺隊の時からその型を使っていて。何だ。何かがおかしい。何かが歪んでいる。得体の知れないものが私と水柱さんの間に横たわっている。この不気味な得体の知れぬこれは何なのだ。
「み、水柱殿も冗談を申されるのだな。そんなに真剣な顔で冗談を申されると心臓が縮みま」
「冗談ではない鳴柱殿。律の振るった今の型は、私が数日前に縁壱殿と共に編み出した型だ。そもそも、水の呼吸は縁壱殿から呼吸を教わり、我が道場に伝わる剣の型を掛け合わせて私が編み出した呼吸法だ。教えを乞われて型を教えたのも顔見知りの鬼狩りの者だけだ。だというのに、律、そなたは、」
水柱さんの強い疑念を宿した眼差しが、私の体を射抜いた。
「そなたは水の呼吸の型を全て、数日前に編み出したばかりの型まで振るって見せた……そなたの師はいったい何者なのだ……?」