不器用な人達


脇腹の傷がすっかり完治した頃、縁壱さんは鬼狩りの任務で夜に出かけることが多くなった。
いや、多いどころか、ほぼ毎日と言っていい。いつも夕方頃に出掛けて、次の日の朝に帰ってくる。帰ってきて休むのかと思ったら、私が用意していた朝御飯を黙々と食べてそのままずっと起きているのだ。起きて何をしているのかというと、屋敷に訪ねてきた他の鬼狩りの剣士や、産屋敷さんの屋敷にいた別格の風格を纏う剣士の人達と手合わせをしたり、縁側に座って何かを語り合っている。陽が西に傾くまでそうやって時間を過ごして、来客が帰ると一時間ほどの短い仮眠を取る。そして日が暮れる前に起き出して、私が用意した早めの晩御飯を食べ、身支度を整えて日が暮れると同時に出かけていく。ほぼ毎日その繰り返しだった。来客が無い日は無く、一日に最低一人は必ず訪ねてくる。その為か、縁壱さんが短い仮眠以外で休んでいるところを見たことがなかった。それなのに縁壱さんは顔色一つ変えないで過ごしているものだから、最初は「縁壱さん、皆に頼られる程すごいんだなぁ。体が丈夫なんだなぁ。ショートスリーパーなのかなぁ」とぼんやり感心しながら見ていた。
それが間違いだったと気付いたのは、暫く経ってからの事だった。

その日の縁壱さんは、私がちょうど朝ご飯の支度を終える頃に帰ってきた。帰ってきて厨に顔を出した縁壱さんは明らかに様子がおかしかった。いつもは何を考えているのか全く読めない無に近い表情をしているのに、その時の顔はどこかぼんやりとした面持ちをしていて、眠そうとも見えるその表情に思わず首を傾げてしまった。見たことの無い表情だ。眠そうに見えるが、疲れているのだろうか。
米を炊く竈の火加減を弱めながら「縁壱さん、おかえりなさい」と声をかけても、縁壱さんはぼんやりとした眼差しでこちらを見つめるだけだった。聞こえていないのだろうか。それとも、疲れすぎて感覚が鈍っているのだろうか。まぁ、毎夜夜通しで鬼狩りの仕事をして朝に帰ってくるのだから、疲れてない筈は無いよなぁ、と思いながら竈の火を消した。
縁壱さん疲れてるみたいだし、今日の朝御飯は胃に優しいおかゆにしよう。幸いな事に、昨日、体を動かすリハビリとして近くの山を散策した際に見つけて持ち帰った鳥の卵と思しき卵が幾つかある。それを使って卵粥にしてみようか。縁壱さんが卵を苦手にしていなければの話だが。そう思い、縁壱さんに卵は好きかと尋ねるつもりで振り返ると、縁壱さんが近くの壁に寄り掛かるようにして立っているのが見えた。おや、いつも姿勢正しく立っているのに珍しいな、余程疲れているのかな、と思ってつい声を掛けた。

「縁壱さん。朝御飯は部屋に持っていきますので、それまで休まれてはいかがですか?」

呼び掛けに反応するように体が小さく揺れたが、それだけだった。流石に様子がおかしいと気付き、そっと縁壱さんに近付いた。

「縁壱さん……?具合でも、」

悪いのですか、と言いながら咄嗟に腕に触れて、掌にじわりと伝わってきた熱の高さに思わず手を離してしまった。熱ッ。いや、熱ッ。なんだこの熱は。体温が高いとかそういうレベルでは無い。冬場に入浴する時のお湯に近い温度だろうこれは。人間が発していい体温ではない。咄嗟に縁壱さんの顔を見上げると、虚ろな目と視線がかち合った。もしや、だなんて疑う余地もない。背伸びをし、無防備な額に手を伸ばして触れてみると、基礎体温とは到底言えない高温の熱が掌にじわりと染み込んできた。えっ、さっき思ったが普通に熱いんだが。暖かいとかそういうレベルじゃないんだが。これ、四十度を超えているのではないだろうか。人の体は体温が四十度を超えたら危ないと前世で聞いたことがあるような、と過ぎった前世の記憶に思考が一時停止し、咄嗟に縁壱さんの腕を引いて寝室に向かって歩き出した。

「よ、よよよよ縁壱さん、一回寝室に行って寝ましょう、駄目ですその熱は駄目です、完全にアウトです、人が出していい熱じゃないです死んでしまいますお布団引きますからそこで休んでください……!」

いつもなら手を引かれずとも綺麗な姿勢でスタスタと廊下を歩くのに、腕を引かれて後ろを着いてくるその姿は、よたよた、ふらふら、と左右に揺れていて真っ直ぐに歩けていない。どう見ても縁壱さんは体調不良だった。とんでもない体温を発熱してるのに、ぼんやりとした面持ちになっている事以外、通常時と全く何も変わらない様子でいられていることが疑問でしかない。何とか縁壱さんがいつも寝起きしている部屋に誘導し、布団を素早く引いてそこに寝かし付けた。縁壱さんは無言で大人しく布団に横たわり、ぼう、と天井を見上げていた。ひとまず部屋を退出して冷たい水を汲んだ手桶を部屋に運び、手拭いをそれに浸して額に乗せてみた。縁壱さんは少し目を細めたが、何も言わない。寒いとも苦しいとも熱いとも、今の体の不調を訴える言葉すら言わない縁壱さんに酷く困惑した。寒いと言われれば自分にあてがわれている部屋から布団を持ってきて重ねることはできる。しかし、縁壱さんは何も言わない。具体的な体調不良を伝えてくれればそれを和らげる為に動けるが、何も言ってくれないとこちらも対応のしようがない。こちらが分かる事と言えば、縁壱さんがとんでもない発熱をしているということくらいしかないので、冷やした手拭いを額に乗せることくらいしか出来ない。

「縁壱さん、どこか苦しいところはありませんか?」

問いかけても、縁壱さんはボーっとした面持ちのまま天井を見上げている。熱のせいで声が聞こえていないのだろうか。せめて熱を下げることが出来ればいいのだが。何もしないよりはマシだろうかと、別の手拭いを持ってきて手桶の水に浸し、よく絞ったそれを頬に当てると、赤みを帯びた瞳が漸くこちらを見た。

「縁壱さん、聞こえてますか?」

できるだけはっきりとした口調を心掛けて声を掛けると、縁壱さんは目を瞬かせて、熱い吐息を吐きながら微かに頷いた。意思疎通がとれるのは確認できたが、どうやら声を出すのも辛いらしい。熱で体がだるいのか。それとも喉が痛いのだろうか。

「喉は、痛いですか?」

問いかけると、首を小さく横に振られた。喉が痛くないということは、熱で体がだるくて声を出せないのだろうか。とすると、今の縁壱さんの体調不良は熱風邪によるものなのだろうか。それとも、日頃の睡眠不足やら疲労による体調不良なのだろうか。いや、素人の目線で今の縁壱さんの体調不良の原因を探ったところでどうしようもない。脇腹の傷を診てくれた医学の知識があるらしい花柱さんを呼びに行ければいいのだろうが、肝心の花柱さんの家を知らないし、弱っている縁壱さんを置いて出掛けるのも躊躇してしまう。
どうしたものかと悩んでいると、玄関の方から聞き覚えのある声が聞こえた気がした。誰か来客だろうか。対応しようと手に持っていた手拭いを手桶に入れ、腰を上げかけた瞬間、ある考えが閃いた。来客は恐らく他の鬼狩りの人だろうし、自分の代わりに花柱さんを呼んできて貰えないかと頼めばいいのでは。そうすれば花柱さんが来るまで縁壱さんの様子を見ていられるし、花柱さんもここに来てくれる。閃いた考えに名案だ、と勇んで立ち上がった。

「縁壱さん、花柱さん呼んできますからねそれまでの辛抱ですよ」

来客が帰る前に、と急ぎ玄関に向かおうと踵を返そうとした瞬間、利き足の足首を掴まれて障子に顔面から突っ込みそうになった。咄嗟に上体を反らしてなんとか回避したが、突然の出来事すぎて驚きのあまり心臓がバクバクと音を立てて跳ね回っている。下を見下ろせば、布団から伸びた縁壱さんの手が足首を掴んでいた。直ぐに離されたが、足首には縁壱さんの熱い掌の感触がじわりと残っている。
いったいどうしたのだろう。声を出すのが辛いとはいえ、いくら何でもこの引き止め方は危ないだろう、と文句を言おうと縁壱さんの顔を見て、言葉は喉の奥に引っ込んだ。縁壱さんは驚いたような顔をして自分の手を見ていた。えっ。まさか、意識せずに掴んだとか言わないですよね……?

「ど、どうされました……?」

声を掛けると、我に返った様子でこちらを見た。先程よりもしっかりした眼差しでこちらを見る縁壱さんは、いつもの無に近い表情をしていた。

「花柱殿は、呼ばなくていい」
「……え、いや、でも熱が」
「少し休めば元通りになる」
「い、やいやいやいや、そんなに高熱出してるのに寝たら治るなんて、」
「横になっていれば、すぐ動けるようになる。いつもの事だ。故に、」

花柱殿は呼ばなくていい、と縁壱さんは淡々と語って、視線を逸らすように目を伏せる。いつも、という言葉がやけに頭から離れなくて、ついその顔を見つめてしまった。いつも。縁壱さんがこうなることは、これまでにもあったのだろうか。花柱さんは呼ばなくていい、という縁壱さんの言葉が何だか納得いかなくて、そんなに高熱が出てるのに何を言ってるんですかと言い返しかけたが、反論の気配を感じ取ったのか、再びこちらをじぃ、と見つめてくる縁壱さんの眼力の強さに負けた。呼ぶな、と視線でも訴えてくるその意志の強さに圧され、躊躇った挙句、納得はしてないが渋々頷いた。

「分かり、ました……あの、お客さんいらっしゃったようなので、見てきます」

頭を下げて、部屋を退出した。玄関に向かう足取り酷く重く感じた。本当は、今玄関にいるであろう鬼狩りの人に「自分の代わりに花柱さんを呼んできてくれませんか」とお願いしたい気持ちでいっぱいだった。縁壱さんに触れて伝わってきた熱は堪らなく熱くて、あの熱が内側から蝕んでくる苦しさを想像するだけで身震いが出る。その熱に今も苦しんでいるであろう縁壱さんの事を考えると「やはり花柱さんを呼んできた方がいいのかもしれない」という思いが過ぎってしまう。
苦しいのは、辛い。助けて欲しくても助けて貰えない時の苦しさを知っている。気味が悪いと実の親に冬の山に捨てられたあの時。鱗滝さんに拾われるまで雪に埋もれていた時。助けてと声も上げられずに諦めていたところを助けて貰えて、泣くほど嬉しかった。

……縁壱さんは、どうなのだろう。

ふと過った思考に、一瞬足が止まった。本当は苦しくて辛くて、心の底では助けて欲しいと思っていたのなら。それを我慢しているのだとしたら。やっぱり、花柱さんを呼びに行くべきなのでは。いつも寝て治っていたとしても、今回もそうだとは限らない。
やっぱり、花柱さんを呼んで来てもらおう。例え縁壱さんがそう望んでいなかったとしても、体の具合が悪いのにあのままにしておくのは見過ごせない。そう決意して玄関へ向かうと、そこには見覚えのある人が立っていた。

「あ、律殿」
「花柱さん……!」

玄関にいた人物が神様に見えた。後光が差しているように見える。なんていいタイミングに来てくれたんだとバタバタと慌ただしく駆け寄ると、花柱さんは驚いた顔をした。

「あの、花柱さん!縁壱さん今具合が悪くて、横になってもらってるんです。診て頂けませんか?」

それだけ伝えると、花柱さんは真剣な顔になって「案内してもらってもいいですか?」と聞いてきたので、縁壱さんの元へ直ぐに案内した。花柱さんを連れて縁壱さんの寝室へ戻ると、縁壱さんは驚いたように目を見開いて花柱さんを見た。

「花柱殿、」
「そのままで。急に起き上がると体調が悪化する可能性があります」

花柱さんはそう言うなり、縁壱さんの傍に座って診察を始めた。邪魔にならないよう、少し離れたところに座って二人を見守った。縁壱さんの首に触れ、他に不調はないかと確認する花柱さんはテキパキと動かれていて、本当のお医者さんみたいだった。医術の心得がある人はやはり頼りになるなぁ、タイミング良く来てもらえて良かったなぁと感謝の念を込めて見ていると、花柱さんがこちらに振り返った。

「発熱以外の不調は無いようですが、一日このまま安静にさせてください。縁壱殿の本日の鬼狩りの任務は私が請け負いますから」
「花柱殿、」

縁壱さんが珍しく慌てたように花柱さんを呼んだが、花柱さんは縁壱さんに向けてニコリと微笑んだ。何だか圧を感じる微笑みに見えたが気のせいだろうか。縁壱さんもそう感じたのか、それ以上何も言わなくなった。

「前々から不思議に思ってはいたのですよ。毎日夜の見回りと任務に出かけられて、昼は他の剣士達の呼吸の修行に付き合って、いったい何時休まれているのかと。今理解しました。縁壱殿、休まれてないですね?」
「半刻は寝て、」
「それは休んだとは言いません。律殿、縁壱殿は朝餉や夕餉を召し上がってますか?野菜や魚、肉は食べさせてますか?」
「えっあ、はい。バランス、じゃなくて……色の濃い野菜とかお出しして食べて貰ってます。お魚とかお肉も。縁壱さん好き嫌い無いようですので、残さず食べてます」
「成程。でしたら、この不調は不眠不休による疲労からくるもので間違いないでしょう。普通の人だったら今頃死んでますよ縁壱殿。睡眠は疲労回復に欠かせない大切な休憩ですから無理が祟ったのです、ずべこべ言わずに本日は安静にしていてください」
「花柱殿、」
「律殿、縁壱殿が起き上がらないよう見張っていてください。私は御館様へ今後の夜の見回り当番について改善案を進言してきますので」
「花柱ど、」
「黙らっしゃい縁壱殿。人間の体は脆いのです。貴方の体が人より丈夫なのは知ってますが貴方も人の子です。今まで動けていたとしても今後もそうとは限りません。自分の体を休ませて万全の体調で鬼を狩るのも鬼狩りの仕事ですよさぁ分かったのならさっさと寝なさい本日の任務にいらっしゃったら即座に縛りあげて屋敷に送り返しますからね律殿くれぐれも縁壱殿から目を離さないように縁壱殿が起き上がったら急所を殴ってでも寝かせてくださいそれでは私はこれにて失礼します」
「は、はい……あの、ありがとうございました……?」

ニコニコと微笑しながら口を挟む暇を与えずに縁壱さんを威圧、立ち上がって部屋を退出しようとしている花柱さんへ向けて思わず頭を下げていた。今まで優しそうな人だと思っていたが、もしかしたら間違いだったのかもしれない。たぶん怒らせたら一番怖い人だ。縁壱さんも何も言わずに大人しく布団に寝ている。何か言いたそうにしていたが、花柱さんの「黙らっしゃい」に大人しく従っているらしい。変な所で律儀な人だな。
花柱さんの見送りをしようと部屋を共に退出し、細身の背中を追いかけた。スタスタと先を歩く花柱さんの足取りは早く、小走りで追いかけないと追いつけなかった。玄関先に辿り着く頃には少し息が上がっていた。

「律殿、縁壱殿を頼みましたよ」
「はい。あの、縁壱さんを診て下さって、ありがとうございました。花柱さんを呼びに行くと言っても横になればすぐ治る、いつもの事だから呼ばなくていいと……どうしたものかと本当に困ってたので、助かりました」

頭を下げると、花柱さんに頭を撫でられた。

「礼を言うのはこちらの方です。早めに教えて頂けて良かった。今まで縁壱殿の弱っている姿を見たことがなかったものですから……あの方は私達と違い、特別な存在なのだろうと体調を気にかけたこともありませんでしたが……それが間違いだったと気付くことが出来て、本当に良かった」

花柱さんはそう言って、苦笑いした。

「偉そうに貴方も人の子だ、なんて説教を垂れておきながら本当はそう思っていなかっただなんて、医術の心得を持つ者として失格ですね。どんな人であろうとも、病や小さな傷で呆気なく死んでしまう事だってあるのに」

「これまでの縁壱殿の不調に気づけなかった自分が腹立たしい限りです」と言って自嘲の笑みを口元に浮かべた花柱さんになんと声をかけていいのか分からなかった。花柱さんが放った「特別な存在」という言葉に、初めて縁壱さんと出会った時をぼんやりと思い出す。縁壱さんは驚くほど素早く、片腕だけで鬼の首を斬れてしまうほど膂力も凄まじかった。そんな縁壱さんを同じ鬼狩りである花柱さんが「特別な存在」と称するほど、彼は鬼狩りの中でも相当強いのだろう。きっと私がこうして想像してる以上に。そして、花柱さんの「今まで縁壱殿の弱っている所を見たことがなかった」と言う言葉の通り、きっと縁壱さんは今まで体調が悪くなったとしても人目のないところで横になって短時間で回復して、そして鬼狩りの仕事へと向かっていたのだろう。誰にも知られず、周りには圧倒的な強さだけを見せて。そりゃあ周りの人達だって「縁壱さんは大丈夫だ」と勘違いするだろう。
縁壱さんの今までの体調の異変に気付けなかったことを悔やんでいる花柱さんを見ていたら、何だか胸の内がモヤモヤした。別に、体調不良を隠そうとした縁壱さんが悪いとは思わない。それに今まで気付けなかった花柱さんだって悪くない。縁壱さんはきっと周りに心配をかけたくなかったのだろう。そう思う事は悪いことじゃないし、実際上手く隠せていたのも凄いことだと思う。でも、それで後で傷つく人もいる。目の前の花柱さんのように。
何とか花柱さんを元気づけられないだろうか、と少し悩んでいると、花柱さんが「それでは私はこれで」と背中を向けた。今にも屋敷から出ていきそうな細身の背中に向けて、慌てて口を開いた。

「あの!縁壱さん、猫なんだと思います」
「……猫、ですか」

振り返った花柱さんが呆気に囚われた顔をしているのを見て、自分の言葉が足りなさすぎたと慌てて言葉を続けた。

「いやあの、猫って傷付いたり弱ったりすると人目のないところで治そうとするじゃないですか、きっと縁壱さんも同じなんじゃないかな、と。しかも縁壱さん回復するの早いし、誰にも何も言わないし、表情もわかりづらいし、あの、だから分からなかったとしても仕方がないと言いますか、私もぼんやりして見えるなぐらいしか分からなかったですし、だから、あの、えぇっと」

自分の言いたいことが上手くまとめられなくて気持ちばかり焦ってしまう。要領を得ない言葉ばかり言ってしまうのに、花柱さんは目を瞬かせて、静かに私の言葉を聞いてくれていた。

「……縁壱さん、辛いとか苦しいとかも言わないので私も困りました、どうしたらいいのかなって花柱さんを呼びに行こうとした時も呼ばなくていいって、寝てれば治るって言われて危うくそのままにしてしまいそうになって……こうやってずっと一人で対応してきたんだなって何となく分かったんですけど、やっぱり医術の心得がある人に見てもらいたくて……花柱さんに来て頂けてとても安心しました。勿論、縁壱さんも安心できたと思うんです。花柱さんに体調不良の原因をしっかりと診断してもらえて、御館様に今後の仕事割りも相談してもらえて。だから、あの、えぇっと、花柱さん来てもらえて良かったなって、縁壱さんも思ってると思います……あの、なので、えぇっと……私が言うのも烏滸がましいとは重々承知しているのですが……元気だしてください……あの……なんか、すみません……」

最後の方はこうやって声を掛けることすら烏滸がましい気がしてきて、申し訳なさで身を縮めながら頭を下げた。恐る恐る顔を上げると、花柱さんは不思議なものを見る目で私を見下ろしていた。あ、これ励ませなかったやつだな。思わず真顔でその顔を見返した。花柱さんは口を開きかけて、ふと、緩く口元を綻ばせた。

「……子供に励まされるとは、私もまだまだですね」
「あの、生意気なことを言ってしまって本当にすみません……鬼狩りの剣士ですらないのに……」
「いえ、こちらこそ耳汚しな弱音を聞かせてしまってすみませんでした……任務終わりに、縁壱殿の様子を診にまた来ますね」
「……!はい!あの、夜の任務、お気をつけて」

そう声をかけると、花柱さんに頭を撫でられた。

「ありがとうございます。律殿は縁壱殿がこれ以上体調を悪化させても見逃さないよう、厳重な見張りを頼みます。縁壱殿は猫のように不調を隠すのが上手いですからね」
「うっ……いやあの、猫は例え話で……」
「冗談ですよ。それでは、これで」

屋敷を出ていく花柱さんへ、任務に出かける縁壱さんへいつもしているように「行ってらっしゃい」と声を掛けると、花柱さんは一瞬驚いたように振り返って、微笑んだ。

「行って参ります」

花柱さんは手を振ると、スタスタと歩いて行ってしまった。きっと先程話していた通り、産屋敷さんの所へ夜の見回り当番について話しに行ったのだろう。少しでも縁壱さんが休める当番制になればいいが、と思いながら縁壱さんの部屋へ戻ると、縁壱さんは大人しく布団に横たわっていた。部屋に入ってきた私を見つめる目がぼんやりしているように見えたので、まだ意識はぼんやりしているらしい。額に乗せた手拭いはすっかり温くなっていたので、手桶の水に浸し直して絞り、また額に乗せた。冷えた手拭いが気持ちいいのか、縁壱さんが僅かに目を細める様がなんだか猫のようで、自分の例えは案外間違ってなかったのかもしれないな、と思わず頷くと、縁壱さんのお腹からグギュルル、と凄い音がした。縁壱さんは相変わらず無に近い顔をしていたが、何となく情けなさそうな顔に見えた。

「……縁壱さん、ご飯お持ちしますか?」

恐る恐る声を掛けると、縁壱さんは小さく頷いた。高熱が出ていても食欲はあるらしい。まぁ、ないよりは全然いい事だ。厨に戻り、炊いたご飯を違う鍋に移してお粥を作った。卵粥にしようか迷ったが、まだ縁壱さんから卵が嫌いかどうか確認が取れていない。以前買っておいた梅干しの残りがあったのでそれを上にのせ、器によそって部屋に戻った。額に乗せていた手拭いを手桶に戻し、縁壱さんが体を起こすのを後ろから支えて手伝うと、縁壱さんから「すまない」と謝られて首を傾げた。

「?熱が出てるんですから、体が動かないのは仕方ないですよ。お粥のお代わりもありますので、食べられそうだったら言ってくださいね」
「あぁ……律の朝餉はどうした?」
「後で頂きます。私の事より、縁壱さんは自分の体を休めてください。たとえ熱が下がっても起きてきちゃ駄目ですよ。花柱さんにも言われた通り今日一日寝ていてくださいね」

そう言うと、縁壱さんはまた「すまない」と申し訳なさそうに呟いた。まるで、迷惑をかけてしまって申し訳ないとでも言うかのようだ。体調不良の人の面倒を見るのは当然の事だと思っているのだが、縁壱さんは違うのだろうか。申し訳なさそうな縁壱さんを励まそうと、咄嗟に口を開いた。

「あの山から連れて出してもらった時、私もこうして縁壱さんにお世話になりましたから。これでおあいこですよ」

それを聞いた縁壱さんは目を伏せた。

「……しかし、律はあの山を出たがっていなかった」

それを聞いて面食らってしまった。いや、確かにあの時はあの山を藤襲山だと思い込んでいたのでそりゃあ出たくは無かったが。縁壱さんはいったいいつの話をしているのだろう。今ではむしろ、怪我を治してくれた上に家が見つかるまで屋敷に住まわせて貰えてるので感謝しているのだが。もしかして、体調不良で気分が滅入ってしまって暗い事を考えてしまうのだろうか。それとも、普段は表情が分かりづらくて何を考えているのか分からなかったが、ずっとその事を気に病んでいたのだろうか。そう言えば、あの山を出て目を覚ました時、パニックのあまり縁壱さんに「何故連れ出した」と怒鳴ってしまった事もあった。もしかして、その時の事を思い出しているのかもしれない。今では感謝してるのになぁと思って、ふと気付いた。そう言えば、縁壱さんに面と向かってこうして世話になっているお礼を伝えていなかった気がする。いや、気がするどころか、伝えてない。お世話になるお礼にと自らご飯係はしているが、言葉にはしてなかった。そりゃあ伝わる訳もない。思わぬ気付きに後頭部を叩かれたような気持ちになった。
縁壱さんもこうして気に病む訳だ、と目を伏せる縁壱さんの手に触れると、赤みを帯びた瞳がぼんやりとこちらを見た。何を考えているのか相変わらず分かりにくい無表情なのに纏う雰囲気が申し訳なさそうで、思わず眉尻が下がった。

「確かにあの時はあの山を出たがってませんでしたけど、それはあの山を藤襲山だと思い込んでたからです。今では助けて貰って感謝してます。鱗滝さんの……私の使う水の呼吸を教えてくれた人の腕前も素晴らしいと認めてくれた。命を助けて貰った上に家が見つかるまでこうして屋敷に住まわせて貰ってますし、縁壱さんには感謝しても足りないくらいです。お礼、お伝えしていたつもりになっててすみません。あの時助けてくださって、そして鱗滝さんの腕を認めて下さって本当にありがとうございます、縁壱さん」

私がこうして元気に過ごせているのは貴方のおかげです、と微笑みかけると、縁壱さんが目を見張った。猫に例えると驚いて瞳孔を真っ黒に広げている顔だろうか。相変わらず無表情に近い顔でいったいどんな心持ちなのか計り知れなかったが。
とりあえず持ってきたお粥を食べてもらおうと、お粥の入った器を渡してみたが、縁壱さんはピクリとも動かなかった。食べないのだろうか。それとも熱で腕も上がらないのだろうか。持ってきた匙でお粥を掬って縁壱さんの口元へ運ぶと、縁壱さんはハッと意識を取り戻したように体を小さく震わせた。何かを言おうとしたのか、開かれた口にえいやと匙を突っ込むと縁壱さんが「んぐ、」と情けない声を上げた。

「気分が滅入るのはお腹が減って体調が悪いせいですよ。とにかくお腹を満たして、今はゆっくり休んでください。さ、二口目いきますよ」
「律、んぐっ」
「今は喋るよりお粥を食べてしまいましょう。さぁ、自分で食べるのと話そうとして食べさせられるの、どちらがいいですか?」

二口目も口に突っ込み、匙の柄を縁壱さんへ向けると、縁壱さんは観念したように私の持つ匙を手に取って黙々と粥を食べた。空になった器を受け取り、「お代わりはどうですか?」と聞くといつも通り「頼む」と返事を貰った。食欲はいつも通りあるみたいで少しホッとした。これなら卵粥も食べられるだろうか。嫌いでなければの話だが。

「縁壱さん、卵粥はお好きですか?」
「たまご……?」

なんだそれは、と言いたそうなその様子に首を傾げてしまった。どうやら卵粥を知らないらしい。滋養のある卵は胃にも優しいからできるなら食べてもらいたいし、一回作ってみよう。そう考えて厨に戻り、卵粥を作った。ついでに、縁壱さんがお粥を食べている間に簡単にご飯を済ませられるよう、自分のご飯として卵チャーハンもささっと作った。お粥と卵チャーハンをよそった皿を持って部屋に戻ると、縁壱さんは花柱さんの言いつけを守って大人しく布団へ横になって待っていた。本当にこの人変な所で律儀だな、と思いながら縁壱さんが上体を起こすのを手伝い、卵粥の器を渡すと、縁壱さんは不思議そうに器の中を見つめた。どうやら卵粥を見たことないというのは本当らしい。恐る恐るといった様子で卵の部分が混ざった黄色の粥を口に運び、途端にビシリと動きを止めた。あれ、お気に召さなかったのだろうか。心配になって「お口に合いませんでしたか?」と問い掛けると、縁壱さんは首を横に振った。

「不思議な味がする」

ほぅ、と吐息を零して二口目、三口目と卵粥を口にするその様子から、どうやら卵粥が口に合ったらしいと知れてホッとした。心做しか、赤みを帯びた目が輝いているように見え……見えるな、うん。表情は一切変わらないが、余程お気に召したみたいだ。キラキラと目を輝かせる縁壱さん初めて見た。
黙々と卵粥を口に運ぶ縁壱さんの様子に安心して卵チャーハンを食べていると、視線を感じた。そちらを見ると、縁壱さんが不思議そうにこちらを見ていた。正確には、私の食べている卵チャーハンを見ているようだが。いや、まだお手元の卵粥残ってますよね。食いしん坊なのか縁壱さん。視線を気にせず卵チャーハンを食べ続けようとしたが、興味津々と言ったその眼差しの熱視線に根負けした。

「い、今の縁壱さん胃が弱っていると思いますから、一口だけですよ」

縁壱さんの持っていた匙をお借りして卵チャーハンを一口掬って口元へ運ぶと、先程まで食べさせられるのを嫌がっていたとは信じられないほど躊躇いもなくパクリと頬張った。顔色を変えずに咀嚼し、嚥下して、無言でこちらを見つめる縁壱さんの言いたい事を何となく察して、思わず笑ってしまった。この人、表情よりも視線や雰囲気で気持ちを語る人なんだなぁと漸く分かってきた。

「明日、縁壱さんの体調が良ければ朝ご飯は卵チャーハンにしましょうか」

そう言うと、縁壱さんはこくりと頷いた。よほど卵チャーハンがお気に召したらしい。卵粥も完食して、花柱さんの言いつけ通りにその日は大人しく横になって休み、翌日にはすっかり元通りの縁壱さんに戻っていた。
その後、すっかり卵料理の魅力に取り憑かれた縁壱さんと共に月に一回、山へ卵を探しに行く日ができたのだった。
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