鬼狩りを統べる人
鬼狩りの里という場所に来て一ヶ月が経とうとしている。
縁壱さんという鬼狩りの人の屋敷の一室で大人しく養生生活を送ってきたおかげなのか、脇腹の傷はだいたい塞がり、多少なら動けるようになった。花柱と呼ばれる穏やかそうな人から「歩いて足腰の筋肉の感覚を取り戻す運動をした方がいいですよ」と勧められ、縁壱さんの同行のもと、体の運動機能のリハビリついでにあの山へ行ってみた。縁壱さんと出会ったあの山に藤の木が無いのか、どうしても自分の目で確かめたかったのだ。
結果は、縁壱さんの言葉の通りだった。あの山に藤の木は一本もなかった。それどころか、あの山は最終選別で訪れた藤襲山ですら無かった。山に連れてきた縁壱さんが道を間違えたのかと最初は怪しんだが、彼は「律と会ったのはこの山で間違いない」と言った。縁壱さんから聞いた山の名前も、山のある場所の地名も全て聞いたことがない名前で困惑した。私はいったいどこにいるのだろう。何故この場所にいるのだろう。途方に暮れて山を見上げ、ふと、悟った。
鱗滝さんはきっと、私が死んだと思っているだろうと。
自分の無事を伝える術を見つけられず、最終選別から既に一ヶ月近く経とうとしている。今なお、鱗滝さんの住む場所は見つからない。当然、無事を知らせる手紙も送れていない。藤襲山という山も、鬼殺隊という組織もどこに存在しているのか分からない。手掛かりが、何も無い。あの家に、帰れない。鱗滝さんが素晴らしい育手であることを証明することも、兄貴分達は凄かったのだという証明することも、全て、全て出来なかった。
私は、成すべきことを成せなかったのだ。
それを理解した途端、動けなくなった。体に力が入らなくなり、思考は白に塗り潰された。真っ白な絶望に塗りつぶされて動けなくなった私を、縁壱さんは何も言わずに鬼狩りの里へ連れて帰った。
里に戻ると、縁壱さんに付き添われて里の中で一番大きな屋敷の一室に通され、下座の中央へ座らされた。その部屋には数人の男性達が壁に沿うように二手に分かれて座っていて、その中には見知った顔の人もいた。脇腹の怪我を治療してくれた花柱さんに、時々会いに来てくれる水柱さんと呼ばれる人と鳴柱さんと呼ばれる人。縁壱さんもそこに加わって座っていた。後は知らない人だった。その人達から何やら幾つか質問をされたような気がしたが、全て水の中で聞く音のようにぼやけてよく聞こえなかった。聞き返そうという気力も湧かなかった。酷い倦怠感と虚脱感に襲われていて、全てがどうでもよくなっていた。ぼんやりと俯いていると、誰かに頭を撫でられた。
「君が、律だね?」
その声ははっきりと耳に入ってきた。誰だろう、と思考が緩く動いた。しかし、顔を上げる気力もない。それを知っていたかのように、頭を撫でていた手がするりと顎の下へ移動して、そっと顎を持ち上げた。そのおかげで手の主の顔がよく見えた。儚げな雰囲気を持つ男性だ。いつの間にかすぐ目の前に正座していたその人は、静かな笑みを口元に湛えてこちらを見ていた。
「初めまして。私は鬼狩りをまとめている産屋敷と言う者だ」
鬼狩りをまとめている、ということは、一番偉い人なのだろうか。そう思って首を傾げると、顎を支えていた手が離れて、頭を撫でられた。
「傷はまだ痛むかい?」
そう話しかけられて、負傷した脇腹をぼんやりと意識した。最近は、脇腹が痛むことは極稀になっている。傷口は塞がったので無理をしなければ大丈夫だと、治療してくれた花柱さんは言っていた。声を出すことも億劫で、ゆるゆると首を横に振って返事をすると、「それは良かった」と安堵の吐息を含ませた声が返ってきた。
「君の事は縁壱から聞いてるよ。どうしてあの山に一人でいたのか、教えてくれるかい?」
そう言葉を掛けられて、思考がゆっくりと動き出す。何故だか、産屋敷さんの言葉はよく耳に届いた。産屋敷さんの言葉には不思議な力でもあるのか、その声を聞いている間は酷い倦怠感と虚脱感が薄らいだ。不思議な人だなと思いながらも、口はその問いかけに答えようとポツリポツリと言葉を紡ぎ出していた。
鬼殺隊という鬼を狩る組織に入隊するべく、最終選別の会場であるに藤襲山という山を訪れたこと。山を駆け回り鬼を倒し続け、四日目の夜に目に文字の入った妙な鬼と遭遇したこと。その鬼の奇妙な術で気がついたらあの山の湖の中にいたこと。そこで縁壱さんに会ったこと。藤襲山が、戻るべき家の場所がどこにあるのか分からないこと。
話し終える頃には、再び真っ白な絶望に思考を埋め尽くされかけていた。話しながら現在の自分の状況を改めて整理してしまったことで、成すべきことを成せなかったという深い絶望が心を蝕み、自然と顔は俯いていた。自分の不甲斐なさに打ちのめされて、膝の上に置いた手を拳にして固く握り締めることしか出来なかった。鱗滝さんは素晴らしい育手であることを証明出来ればそれで良かったのに。それだけを望んで、鱗滝さんの制止を振り払って家を飛び出したのに。私は、何も成せなかった。
「律」
産屋敷さんに労る様な声色で呼ばれた。酷い倦怠感と虚脱感がなりを潜めて、ゆるりと顔を上げると、慈しみに満ちた眼差しと視線が重なった。あまりにもその眼差しが優しくて、咄嗟に吸い込んだ空気が喉元で、ひゅ、と音を鳴らした。鱗滝さんも、同じ眼をしていた。錆兎と義勇と剣術稽古に出掛ける私を、同じ様な眼で見送ってくれていたな、とぼんやり思い出して、心が軋んだ。
やめてほしい。そんな目で見ないで欲しい。その眼差しは鱗滝さんを、大切な人達を思い出してしまうから。最終選別を終えたらその眼差しに迎えてもらえると思っていた、浅慮で不甲斐ない自分を突きつけられてしまう。鱗滝さんによくやったと褒められることを心の底で望んでいた、どうしようもない自己承認欲求に駆られた子供の自分が顔を出してしまうから。だから、どうか。そんな目で私を見ないでください。真っ白な絶望に苛まれながら望んだその思いは言葉にならなくて、ただ心が軋んだ。苦しい。これ以上何も見たくない。そう思うのに、目の前の産屋敷さんから目を離せない。無理やり目を逸らそうとした矢先に、産屋敷さんは私の頭を撫でながら、静かに言葉を紡いだ。
「よく頑張ったね」
辛かったろう。
苦しかったろう。
そう続いた言葉に、心臓が握り潰されるような心地がした。労りの言葉。まるで、こちらの心を汲み取ったようなその言葉に誘われるように、心に言葉が溢れてきた。苦しかった。辛かった。兄貴分達が帰ってこないことも。鱗滝さんが悲しそうにしているのを見ることも。あの家を飛び出した時も。藤襲山で戦っている時も。入隊希望者を助けられなくても刀を振るい続けた時も。最終選別の会場から離れてしまった時も。最終選別の日から七日経って、自分は生きているのにそれを鱗滝さんに伝えられないことも。あの家に帰れない事も。全て。
でも、その労りの言葉は自分なんかにはとても相応しくない。全部、自分の力不足が招いた結果だ。だからどうか、そんなに優しい眼で見ないで欲しい。労りの言葉をかけないで欲しい。成すべきことを成せなかった私には、その労りは相応しくないのだから。そう思うのに、心が震える。その眼差しが、言葉が、嬉しくてたまらないとでも言うかのように。駄目だ、違う、喜んではいけない、産屋敷さんの眼差しは、言葉を受け取ってしまってはいけない。だって、その眼差しは、言葉は、本当なら鱗滝さんに、あの家に帰れた時に、成すべきことを成せた自分に掛けてもらうはずのものだから。でも、今の私は。
「頑張っても、駄目だったんです」
思わず零れた言葉に、産屋敷さんが微かに目を見張った。溢れた言葉は止まらなかった。水を塞き止めていたダムが決壊するように、言葉は次から次へと溢れ出した。
「駄目だったんです。兄貴分達から教わったことを自分の中に取り込めた気でいても。水の呼吸を扱えるようになっても。鱗滝さんの評判を覆したくて最終選別に参加しても、私は結局、最終選別を突破出来なかった。水の呼吸を使ってどんなに鬼を倒せてもそれじゃあ駄目なんです。鬼殺隊に入隊出来なければ、全て無意味なんです。証明できなかったんです。鱗滝さんが素晴らしい育手であることも。兄貴分達は凄かったということも。周りに証明できなければ無意味なんです。私は、成すべきことを成せなかった。頑張っても結果が伴っていなければ無価値です。証明できなければ。その為に頑張ってきたのに、それなのに、私は、私は出来なかった。最終選別を突破できなかったくせに、私は生きてる。兄貴分達は死んだのに、私は、こうしてのうのうと、鱗滝さんたちの知らない場所で、生きて、」
心が軋んでいた。ナイフで切りつけられているかのように胸の内が痛んだ。産屋敷さんの優しい眼が揺らぐ。優しげな口元が何か言葉を放とうと開かれる。それを見ていたくなくて、聞きたくなくて、俯いた。
惨めだった。最終選別を突破できないどころか、鱗滝さんに無事を伝えられないまま生きている事が。鱗滝さんが素晴らしい育手であることを証明出来ないどころか、また子供が死んでしまったと、鱗滝さんにそう思わせて悲しませている事が。成すべきことを成せないまま、生きている事が惨めで仕方ない。いっそのこと、兄貴分達と同じように死ねれば良かったのに。刀を振るえなくなるまで戦って、命燃え尽きるまで刀を振るって他の入隊希望者を助けて、鱗滝さんの教える水の呼吸は凄いのだと他の入隊希望者に見せつけて思い知らせることが出来るまで。そうしたら証明出来たかもしれないのに。それが出来て死ねたのなら、きっと違っていた。そうして迎える死ならば名誉の死だと思えた。それすらも出来ないで、私はここにいる。
生き恥だ、と口から滑り落ちた言葉に、誰かが息を飲んだような気配がした。
暫く、何の音も聞こえてこなかった。沈黙の中で、心が真っ白な絶望に包まれて、静かに凪いでいく。不思議な心地だった。穏やかとも表現出来る静かな心で死を望んでいた。このまま生き恥を晒すくらいなら、今すぐにでも死ねればいいのに。そう思ったところで、その声は聞こえてきた。
「あの山で見た呼吸は、見事だった」
抑揚のない声だった。声のした方を見れば、そこにはこちらを静かに見つめる縁壱さんがいた。何と言われたのか理解が出来ず、縁壱さんの言葉を心の中で反芻して、理解が追いついたところで目を見開いた。呼吸、とは、私が使った水の呼吸のことだろうか。言われた言葉がどうしても信じられなくて、気が付くと口を開いていた。
「ほん、とうに……?」
縁壱さんは頷いて肯定を示し、更に言葉を続けた。
「水流の気が見えるほど美しかった。お前に剣を教えた人は、さぞ素晴らしい師だったのだろう。剣を見れば分かる。故に、」
お前の生は無価値ではない。
続いたその言葉は、凪いだ心にストンと降りてきた。縁壱さんはただ静かにこちらを見ていた。あまりにも真っ直ぐなその眼差しに戸惑って視線が揺らいだ。真っ白な絶望に包まれて静けさに満ちていた心に漣が立つようだった。
褒められた。呼吸を。兄貴分達から教わった呼吸を。鱗滝さんから兄貴分達へ伝えられた呼吸の型を褒められた。呼吸を教えてくれた兄貴分達を素晴らしい師だと褒めた言葉。兄貴分達は鱗滝さんから教わった通りに私に呼吸の型を教えてくれた。私はその教え通りに呼吸を練習し、会得した。縁壱さんの言葉は、呼吸を教えた兄貴分達を褒めると同時に、その兄貴分達に呼吸を教えた鱗滝さんを賞賛する言葉だった。
──あぁ、そうだ、その言葉が聞きたかったのだ。
そう思った途端、胸に込み上げてくるものがあった。それは喉元までせり上がり、涙となって溢れ出した。彼が教える水の呼吸は素晴らしいのだと、それを教える彼は素晴らしい育手なのだと証明する言葉。最終選別を突破して鬼殺隊に入隊して得られると思っていた言葉が。証明できなかった自分がもう得ることは出来ないと諦めていたその言葉が、縁壱さんから掛けられた。その言葉が欲しかったのだと、涙が止まらなかった。
涙で歪む視界の向こうで、縁壱さんが目を見張ったのが見えた。驚いているように見えたその顔を見て我に返った。突然泣き出した私に困惑しているのだろうと、慌てて涙を手の甲で拭ったが、涙は止まらなかった。はらはらと零れ落ちる涙を止めようと何度もそうやって拭っていると、その手をそっと産屋敷さんに止められた。
「そのように乱暴に拭っていると、目が腫れてしまうよ」
そう言って、懐からハンカチのような紫の布を取り出して、優しく私の頬を拭いてくれた。小さな子供のように涙を拭われているのが恥ずかしくて体を強ばらせていると、涙が漸く止まった。それでも丁寧に目元を拭ってくれる産屋敷さんにお礼を言った。
「あの、ありがとう、ございます」
「構わないとも。落ち着いたところで申し訳ないが、幾つか聞いてもいいかな?」
「は、はい」
慌てて居住まいを正すと、誰かの忍び笑いが聞こえた気がした。そういえば、この場には産屋敷さんと縁壱さん以外にも人がいたのだった、と改めてその場にいる人達を意識して顔が熱くなった。人のいる前で放心し、取り乱し、挙句に泣き始めるとは。生き恥なんてものではない。とんだ恥晒しだ。羞恥のあまり全身が熱くなった。そんな私を微笑ましそうに見つめながら、産屋敷さんは質問をした。
「律が入ろうとしていた鬼殺隊という組織は誰が率いているのかな?」
「……分かりません。私を育ててくださった人が兄貴分達に話していたことを聞く限りでは、御館様と呼ばれているようでしたが」
「なるほど……山で遭遇したという妙な鬼について詳しく説明してもらえるかな?」
「目が、変な鬼でした。片目に下と陸という文字が浮かんでいて、」
そこまで口にした途端、その場の空気が殺気立った。それまで大人しく壁に沿って座っていた人達の数人が恐ろしい剣幕で身を乗り出してきた。
「それは真か……!?」
「里に近い山に例の鬼が現れたということか?」
「待て。あの山とは限らない。藤襲山という場所でのことやも」
「鳴柱貴様あの山で斯様な鬼を見かけなかったのか!?」
「え"っいや、俺は見てませんよ!?というかあの山で俺が遭遇した鬼は一匹だけでしたし!後は縁壱殿が斬ってしまわれたようなので、」
「縁壱殿は?」
「私も見ておりません」
「おい小僧その鬼はどうした!?斬ったのか!?」
「えっあっ」
殺気立つその場の空気に圧されてしまって咄嗟に言葉を出せずにいると、それに痺れを切らした一人が舌を打って立ち上がった。と、産屋敷さんがそっと片腕を挙げた。それだけでその場は驚く程に静まり返り、立ち上がった人はその場に座した。産屋敷さんは静かに腕を下ろしながら周囲を見渡した。
「逸る気持ちは分かるが、律は子供だからもう少し優しく聞いてあげておくれ、風柱よ」
「……申し訳御座いません、御館様」
あれ、と不思議に思った。風柱と呼ばれた人は産屋敷さんのことを御館様と呼んだ。それは、鬼殺隊を纏めている人と同じ呼称だった。それとも、組織をまとめている人は皆そう呼ばれるものなのだろうか。不思議に思って首を傾げていると、産屋敷さんはこちらを見て微笑んだ。
「怖がらせてすまないね。風柱は少し気がせっかちなだけで怖い人ではないから、安心しておくれ」
「は、はい……」
産屋敷さんの言葉に返事を返しつつ、風柱と呼ばれた人に体を向けた。風柱さんはとても目付きの鋭い人で、視線が合っただけで睨まれた心地になって身が竦んだ。しかし、心を強く持って口を開いた。
「あの、残念ながら、その鬼は斬り損ねました。斬りかかったところで、その鬼が開けたと思われる赤い空間に呑まれてしまって、気がついたらあの山の湖の中にいましたので」
そう説明すると、それを聞いた水柱さんが腕を組みながら唸った。
「なるほど、空間を自在に移動する血鬼術か……厄介な鬼よ」
「……?けっき……?」
初めて聞く言葉に首を傾げると、水柱さんは説明してくれた。人をある程度食った鬼は血鬼術と呼ばれる妖の術を使うようになり、使う術は鬼によって違うのだと。どうやら私が落ちたあの赤黒い空間はあの妙な鬼の血鬼術によるものらしい。
そこまで聞いて、ふと考えた。ということは、あの鬼を探し出してあの鬼の血鬼術にまた飛び込めば藤襲山に戻れたりしないだろうか。安易に考えすぎだろうか。しかし、絶対にありえないとも言いきれない。思考に沈んでいると、産屋敷さんに頭を撫でられた。
「何はともあれ、子供が鬼を前にして生き延びるのは難しいことだ。まだこんなに幼い身空で鬼狩りを目指すその精神力といい、鬼に臆することなく挑む胆力といい、律はまさしく鬼狩りに相応しい人材だね。子供が鬼狩りをする様を見るのは忍びないが、律のような人材が集まる鬼殺隊という組織が羨ましい限りだ」
「えっ……あの……恐縮です……でも、私は鬼殺隊に入隊、出来ませんでしたので……」
いくら褒められたところで、最終選別の七日はとっくに終わってしまったので鬼殺隊に入れなかったことは確実だ。再び入隊を目指そうにも藤襲山の場所も分からない上に、家に帰る術も分からない。そう思うと、またあの真っ白な絶望が心を蝕もうとしていた。それに気付いたように、産屋敷さんが頬に触れた。
「律、君は自分の腕前を誇っていい。あの縁壱が認めるのだから、律の剣の腕は相当なものだ。きっとこれからも伸びるだろう。その剣の腕はいつか、誰かの明日を切り開く刃となる。律の家の事は私が責任をもって探そう。必ず見つけよう。だから、鬼狩りと同じ志を掲げる鬼殺隊に入ることをどうか、諦めないで欲しい。鬼という存在がこの世にいる限り、君のその剣の腕を必要とする人がいるのだから」
そう微笑んだ産屋敷さんの言葉には重みがあった。鬼狩りを統べる人の言葉としての重み。私が鬼殺隊を目指した理由があまりにもちっぽけに思えるほど、鬼狩りという組織がこの世に在る理由を、その言葉は語っていた。思わず頭を垂れて「分かりました」と返事をしてしまうぐらい、産屋敷さんの言葉は心を突いた。顔を上げると、産屋敷さんは穏やかな微笑を湛えてこう言った。
「もし、鬼殺隊に入れないようだったらうちへおいで。鬼殺隊が地団駄を踏んで悔しがるほど立派な一人前の鬼狩りに育てよう」
「えっ……あっ……はい。よ、よろしくお願いします……?」
さり気なく勧誘された気がする。微かに首を傾げると、産屋敷さんに頭を撫でられた。さっきから産屋敷さんに事ある毎に撫でられているが、産屋敷さんは子供が好きなのだろうか。そう思っていると産屋敷さんは静かに立ち上がり、壁に沿って座る人達を見回して口を開いた。
「さて、これにて臨時の柱合会議を終わりとしようか。皆もいいね?」
産屋敷さんの言葉に、その部屋にいた人達は頭を垂れて意志を表明した。それを満足そうに眺めて、産屋敷さんは部屋を退出した。その後に続くように数人の人達も退出して行った。残ったのは見覚えのある人達で、縁壱さんと水柱さん、鳴柱さんと花柱さんがぞろぞろと私の周りに集まって会話を始めた。
「いやぁ、やはり御館様にお話を通しておいて正解でしたねぇ」
そう一番に声を出したのは鳴柱さんだった。それに同意するように周囲も頷く。なんの事か分からない私はただ皆を見上げて首を傾げた。
「あの、今の時間は一体……」
花柱さんが隣にいる縁壱さんに「縁壱殿、説明されなかったのですか?」と話しかけると、縁壱さんは首を傾げた。それを見て察したらしい水柱さんは苦笑いした。
「そなたを鬼の手下と疑う者がおってな。御館様にご協力頂いて、それを否定する為にあの場を設けたのだ」
「はぁ……そういう事でしたか…………えっ」
危うく流しかけて、ギョッとした。何故私が鬼の手下と疑われていたのだろう。全く心当たりがないのだが。縁壱さんに連れてこられてから縁壱さんの屋敷の一室で養生していただけなのだが。衝撃のあまり言葉を失っていると、鳴柱さんが申し訳なさそうに頭を掻いた。
「御館様にはその日のうちに報告はしていたんだけどね。いやぁ、あの縁壱殿が自ら子供の世話をすると言い出したのが珍しくて、ついつい他の鬼狩り達に話をしたらそれに尾ひれがついてしまったみたいで。気が付いたら縁壱殿が鬼の手下の子供を捕獲したという話になっててなぁ……いやぁ驚いた」
「何をどうしたらそんな事に」
あまりの話の歪曲っぷりに呆れて言葉も出てこない。伝言ゲーム間違えすぎだろ。もし先程の場で私が鬼の手下であると否定出来ずにいたらどうなっていたのだろう。鬼の話をした時の殺気立つ皆さんの顔を思い出しただけで、ぶるりと体が震えた。考えるだけで恐ろしい。というか、人の前で放心したり泣いたりしか出来ていなかったのだが、そんなことで鬼の手下疑惑を晴らせたのだろうか。そう不安に思っていたことが顔に出ていたらしい。水柱さんが穏やかに微笑んだ。
「安心せよ。御館様はそなたを鬼の手下とは思っておらぬ。御館様はそなたが家に帰れるまで世話をしたいと仰ってすらくださった。あの場でもそなたを鬼狩りに迎えようとお話をされたくらいだ。話を聞いた他の者達も御館様に逆らってまでそなたに危害を加えたりはしないだろう。同じ鬼狩りを志す者なのに、あらぬ嫌疑をかけてすまぬな」
水柱さんに申し訳なさそうに謝られて咄嗟に首を横に振った。
「いえ、全然。あの、むしろ家も探して頂けるどころか、家に帰れるまでここでお世話になるだなんて、いいんでしょうか……?」
頼れる身寄りがないも同然なので衣食住が提供される場所があるのはとてもありがたいのだが、そのお返しとなるものを私は持っていない。せめてお金でもあれば違ったのだろうが、残念なことに私の持ち物は鱗滝さんとお揃いの羽織と厄除の面、そして一振の刀だけだ。どれも手離したくないものなので売れる物もない。なにか礼になるものを一つでも持っていたら良かったのだが。そう独りごちていると、花柱さんがにこにこと笑い始めた。
「律殿、そのようなことは気になさらないでください……と言いたいところですが、実は、律殿に折り入ってお頼みしたいことがありまして」
「……?私に出来ることなら、何なりと」
何だろう、と首を傾げつつ、家に帰れるまでお世話になるお礼になるのならと意気込んで花柱さんを見上げると、彼は縁壱さんの肩をポンと叩いてこう言った。
「縁壱殿を頼みます」
「は……?」
縁壱さんは不思議そうに首を微かに傾げていた。私も同じように首を傾げた。縁壱さんを頼む、とはどういう事だろう。縁壱さん自身もよく分かっていなさそうだけど。しかし、水柱さんと鳴柱さんは得心がいったように掌をパチンと鳴らして「あぁ!」「なるほど」とそれぞれ言葉を零している。えっなに。縁壱さんと私だけ状況を把握出来てないんですけど。おろおろと水柱さんと鳴柱さんを見上げると、彼らは私の肩をそれぞれ叩いて頭を下げた。
「頼みますぞ」
「律、君だけが頼りだ」
「えっ……?」
何が何やらさっぱり分からない。縁壱さんを見上げても彼も何もわからなさそうに首を傾げるばかりだった。
花柱さんと水柱さん、鳴柱さんの言葉を理解したのは翌日だった。