ホグワーツ特急
九月一日。とうとうホグワーツへ入学する日がやって来た。
前日にトランクの中身をチェックして忘れ物がないか確認したが、それでも忘れ物をしたような気がしてならない。
教科書(一部は母さんのお下がりの教科書だ)に新しく買ってきた羽根ペンやノート代わりの羊皮紙、一応A4サイズの普通のノートやローブと制服も入れたし、着替えも入れた(ホグワーツでは洗濯物を屋敷しもべ妖精が洗ってくれるらしいが、一応洗剤と柔軟剤も母さんの魔法で小さくしてもらって入れた)。後は母さんに手紙を書くためのレターセットも入れた。
財布やらハンカチティッシュ、ホグワーツ特急の中で食べようと思って昨日のうちに作っておいた昼食のサンドウィッチと野菜ジュース、ハムとチーズが入った焼きパンと生チョコを愛用の肩がけバックに入れれば準備万端だ。杖は一応トランクの中に入れているが、ホグワーツ特急の中で制服に着替える際に取り出すことにする。
そして母さんの連れ添いのもとホグワーツ特急が留まるキングス・クロス駅へ到着した。
摩訶不思議な入り方をする九と四分の三番線に入り、早い時間に到着した為か人通りの少ないホグワーツ特急を前にして母さんとハグをして別れを惜しみつつ、足早に汽車へ乗り込んだ。
コンパートメントは大体4人乗りらしい。ちらほらとコンパートメントに乗っている子供達を見かけるが、オリバンダー杖店で出会ったあの少年、リーマスはまだ乗り込んでいないようだ。それを残念に思いつつ、空いていたコンパートメントへ入り、トランクからローブと制服を一式、一冊の教科書と杖を取り出すとトランクを網棚へ上げて席へ座った。肩掛けバックは手元に置くことにした。
ホグワーツ特急へ乗り込む前に母さんが言っていたが、どうやらホグワーツへ到着するのは大分時間が掛かるらしい。汽車に揺られている間は暇だろうし、制服に着替えたら魔法呪文の予習でもしていよう。
一応教科書を買ったその日から教科書には何となく目を通してはいたが、全てを読破出来た訳では無い。特に、今手にしている魔法呪文の教科書はなかなか手強いのだ。他の教科書に比べて少し分厚いように思えるし、何よりも内容が濃い。
杖は買ったものの未成年は魔法を使ってはいけないという法律もあった為、魔法の練習も出来なかった。母さん付き添いの元、杖の振り方や呪文の唱え方などは教わったが。それでも一つ一つの呪文を丁寧に予習していたらこの教科書だけ読破出来なかった。
素早く制服へ着替えてローブに腕を通し、ペンダントは悩んだ挙句、身に付けておくことにした。しかしホグワーツでアクセサリーは駄目だと言われて取り上げられては敵わない為、制服の内側に隠すようにして首にかけた。よく観察されない限り、首元から微かに見える細い銀のチェーンは見つかることは無いはずだ。
着替えて落ち着いたところで席に座り、さぁて予習だと意気込んで教科書を開く。
暫くそうして予習に没頭していると、コンパートメントの周りが賑やかになり始めた。どうやらホグワーツへ向かう生徒達が集まり始め、汽車へ乗り込んでいるらしい。
チラリと窓の外に視線を向けると、一人の可愛らしい少女と目が合った。深い赤色の豊かな髪に新緑のような鮮やかな緑の瞳。一瞬、脳裏にリーマスが浮かんだが、突然、少女がニコリとこちらに向けて笑顔を浮かべたので驚いている間に掻き消えた。
反射で笑顔を返してサッと視線を教科書に戻したが、視線は文字を捉えられない。頭の中はプチパニックになっていた。
あの子は確かにこちらに向けて笑顔を向けていた。視線も合っていたし勘違いではない、と思う。しかし、あの子に見覚えはない。だというのに何故自分は笑顔を向けられたのだろう?もしかして知り合いだったのだろうか?しかし、引っ越す前も後もあんなに可愛らしい子を見た覚えはない。出会ったら忘れないだろう。記憶力が抜群に良いという訳では無いが、覚えている記憶の隅から隅まであの子の面影を探してみたものの引っかかりすらしなかった。それとも、あの子が誰かと勘違いして笑顔を向けてきたのだろうか?
きっとそうだろうと自己完結すると、漸く落ち着いて文字を捉えることが出来た。さて予習に戻ろうと次のページを開くと、ガタリとコンパートメントが揺れる。どうやら汽車が動き出したようだ。
乗り込んだ生徒も大勢いるしきっとリーマスも同じ汽車内にいるのだろうが、わざわざ探しにいっても同じコンパートメントに座れるとは到底思えない。結局リーマスに会えなかったな、と一人残念がっていると、コンパートメントの扉が開いた。
もしやリーマスかと期待してそちらへ視線を向けると、先程目が合った少女と見知らぬ少年がそこにいてギョッとして目を見開いた。
少女はどこか申し訳なさそうに告げた。
「ここ、同席してもいいかしら?他のコンパートメントの席はほとんど埋まってて……」
きっと僕の反応を見て遠慮がちに告げているのだろう。慌てて僕は頷いてコンパートメントへ二人を招き入れた。
「うん、いいよ。このコンパートメントには僕一人しかいないから」
途端に少女は少年と顔を見合わせて微笑んだ。どうやら知り合いらしい。
二人の荷物を網棚へ上げるのを手伝い、少女が制服に着替えたいと告げたので少年と二人してコンパートメントの外へ出た。
少年は黒い髪に同じくらい黒い瞳を持つ青白い顔色の少年だった。不健康そうな少年の姿が少し気になりつつも、少年と目が合ったので自己紹介をした。
「僕はアーロン・カルヴァート。君も一年生?」
「僕はセブルス・スネイプ。あぁ、そうだ……カルヴァートという名は聞いたことないが、お前はマグル出身か?」
「母さんがね。マグル生まれの魔法使いなんだ」
父さんのことを告げるかどうか迷ったが、口にしないことにした。嘘を吐いて後でボロを出すよりかは良いだろうと判断した為だ。幸いにも少年、セブルスも突っ込んでこなかった。
セブルスもマグルの父と魔法使いの母を持つ半純血らしい。
少女が着替え終わったというので今度は少女が外に出てセブルスが中に入った。
セブルスの時と同じように自己紹介をすると、少女も快く自己紹介をしてくれた。
「私はリリー・エヴァンズ。マグル出身よ。さっき汽車の外から貴方を見た時、てっきり女の子かと思ったの」
友達になれるかしらと思ってこのコンパートメントを目指して来たのだけど、開けたらそこにいたのは男の子で吃驚しちゃった、と少女、リリーが笑うので僕は苦笑した。やはり初対面だったようだ。
「期待させて悪かったけど、僕は男だよ。女の子に間違われることもあるけど」
中性的な顔立ちに加えて身長も小さいし、と肩を竦めて自虐的に笑うとリリーはキョトリと瞬いた。
「言われてみれば、確かにそうね。セブルスもあまり身長は高くない方だけど、セブルスの方が僅かに大きいかしら。私と同じくらいね」
「でも男の子だからきっと身長は伸びるわ」そう言って楽しそうに笑うリリーはとても可愛らしい。顔立ちも整っているし、よく笑う。思ったことはスッパリと伝える所は見ていて気持ちがいいし、魅力的な女の子だった。
「スネイプとは一緒に来たの?」
「えぇ。彼とは幼馴染みなの。マグル生まれで魔法を知らない私に魔法の世界のことを教えてくたのよ」
そう言ってセブルスとの思い出話を始めた彼女だったが、慌てた様子でセブルスがコンパートメントの中へ招き入れたので話は中断された。どうやら会話が聞こえていたらしい。
顔をほんのりと赤らめて恥ずかしがっている様子の彼にリリーと二人して笑うと軽く睨まれた。
それから暫くそれぞれの身の上話をした。勿論僕は父さんのこととダンピールのことを隠してだが。
「幼馴染みか……羨ましいなぁ」
周りに誰一人として魔法に理解のある子供がいなかった身としては、単純に二人の関係が羨ましかった。しかも、リリーには姉がいるという。友達が欲しくても周りに避けられてばかりで幼馴染みすらおらず、兄弟もいない一人っ子の僕としては遠い話だ。
「あら、十歳になる前に魔法界へ引っ越したのでしょう?近所に子供はいなかったの?」
不思議そうな顔でリリーが聞いてきたので脳裏に近所の人達を思い出し、苦笑した。
「うん……母子家庭の子供ってあまり良い印象を持ってもらえないみたいで……それに、皆僕より五つも年上の人達ばかりだったし、挨拶はしても友達にはなれなかったよ」
ダンピールである事を隠して生活していても、隠し事というのはどうやら変な噂になって辺りに広まるらしい。満月の日に具合が悪くなることも相まって「カルヴァート家の子供は人狼らしい」なんて噂を耳にした時は呆れたものだ。
友達が出来ると良いなぁと染々呟くと、リリーが眉を吊り上げた。
「何を言っているのアーロン?私達もう友達でしょう?ね、セブルス」
「え?僕は別に……」
リリーの発言に驚いていると、歯切れの悪いセブルスにリリーは怒ったように顔を近付けた。対するセブルスは困ったような表情で顔色を赤くして狼狽えていた。
助けを求める様にこちらに視線を寄越したセブルスに応えてリリーの肩に手を置いた。
「エヴァンズ、スネイプが困ってるよ」
「あら、リリーって呼んで頂戴!私達は友達なんだから!」
リリーの名前呼び発言に驚きの余り目を丸くすると、リリーが身を乗り出して凄まじい剣幕で詰め寄ってきた。その剣幕に圧されるようにして僕は頷いた。
「わ、分かったよエヴァ……リリー。でも、友達になるかどうかは本人の気持ち次第だよ。相性というものもあるし、スネイプにも友達を選ぶ選択権がある。無理強いは良くないよ……勿論、リリーが友達になってくれるのはとても嬉しいよ」
そこまで口にして僕は漸く理解した。僕に、友達が出来たのだ。それも女の子の友達だ。あんなに欲しかった友達が。
理解した瞬間、急に鼻がツーンと滲みてきて泣きそうだっだが、僕の様子がおかしいと気付いたのか「どうしたの?」とリリーが心配そうに顔を覗き込んできたので慌てて顔を引いた。
とりあえず席に座ることを勧めれば、彼女は納得していなさそうだったが、僕が困った様に微笑みかけると顔を赤らめてとりあえず座ってくれた。どうして顔を赤らめたんだろう?
セブルスはホッと一息ついたように吐息を吐き、僕をチラリと見た後、窓の外へ視線を投げた。
「……僕も友達だ」
ボソリと呟かれた小さな声はしっかりと耳に入って、僕は弾かれたようにセブルスを見つめる。リリーは聞こえなかったようで、先程まで僕が読んでいた教科書に興味津々と言った様子で目を輝かせていた。
そんなリリーに教科書を渡し、リリーが喜んで教科書を読み始めたのを確認してから、僕はセブルスに微笑んだ。
「ありがとう、スネイプ」
「セブルスでいい。別に、僕もお前となら話が合うと思っただけだ。同情じゃない」
「うん、尚更ありがとう。君達二人は僕の大切な友達だ」
夢でも見ているのだろうか。思わず頬を抓るとセブルスに「何をしている」と訝しがられたので慌ててやめた。しかし痛みは感じられた。夢では、ない。
友達がもう一人できた。ダンピールのこの僕に。今まで出来なかった友達が二人もだ。感動と嬉しさで胸がいっぱいになるこの衝動を、どうやって消化しよう。
嬉しさのあまり目が潤む僕にセブルスはやれやれと言った様子で「そんなに痛かったのか?」と見当違いなことを言ってきたので「うん、ちょっと」とだけ返した。これ以上何かを言おうとしたら涙が零れそうだ。
セブルスもリリーも優しい子で良かったと心の底から思い、そんな二人に心の中で感謝した。ダンピールであることを隠しているとはいえ、こんな僕と友達になってくれた。
二人の優しさを噛み締めながらセブルスを見ると、彼は教科書に夢中のリリーを眺めていた。その眼差しがやけに穏やかで優しくて、何処かで見たことがあるようなそれにふと違和感を覚えた。
まるで、母さんを見る時の父さんの眼差しのようだ──あれ、もしや。
思い至った思考に僕は驚いた。いや、リリーは幼馴染みと言っていたし違う、かもしれない。早とちりはいけない。そう思ったもののつい微笑んでしまう。何というか、甘酸っぱい。いや、あくまで推測でしかないけど。でも、リリーに詰め寄られた時のあの反応、あれはそう考えても良いのでは?あの時は助けを求めているのだと思ったが、むしろ止めなかった方が良かったのかもしれない。
微笑みからニヤニヤへと笑いが変わっていく僕の様子に、セブルスが何事かと怪訝な眼差しで僕を見たが、直ぐにリリーを見つめる。あぁ、やっぱり間違いない。セブルスの眼差しには優しさだけじゃない。相手に好意を抱いている仄かな熱も感じるのだ。
しかしリリーは気付かない。目の前の教科書にすっかり夢中になっているようだ。それが少し勿体ない気もしたが、ここで第三者の僕が何かしらの行動を起こすのもおかしいだろう。見守っているのが一番に違いない。
二人がいつの日か、セブルスの想いが報われれば良いなとも思い、ふとこちらを見たセブルスに向かって囁いた。
「僕、セブルスのこと応援してるからね」
そう告げた瞬間セブルスが凄い勢いで咳き込んで、リリーが驚きの余り飛び上がった。
(大丈夫セブ!?)
(も、問題ないっごほっ!)
(ご、ごめんセブルス……!あ、咳が落ち着いたらこの野菜ジュース飲んで、これ蜂蜜も入ってて喉に良いんだ)
(あら、お母さんの手作り?)
(ううん、僕が昨日作ったんだ。今日のお昼ご飯に飲もうと思って。チョコとかもあるけどどう?)
(……貰おう)
(私も貰っても良いかしら?お菓子大好きなの!……あら、これも手作り?)
(うん、生チョコだよ。こっちは甘さ控えめにしてこっちはミルクを入れてあるんだ。中にはドライフルーツの苺を細かく刻んで入れてるから、嫌いじゃなかったら食べてみて。あとこっちはね……あ、サンドウィッチもあるけど食べる?)
(……アーロンってお母さんみたい)
(……アーロンって母親みたいだな)