ダイアゴン横丁


「まずはダイアゴン横丁に行かないとね」

ホグワーツからの入学許可証が届いた次の日の朝、母さんは唐突にそう言った。

ホグワーツへの返信をしたためた手紙を梟に預けて僕は首を傾げた。母さんの言葉をよく聞き取れなかったのだ。

「ダイヤゴン横……?何それ?」

「ダイアゴン横丁、よ。ホグワーツに通う為の必要な道具を大体揃えられる所よ。マグル界で言う商店街みたいなものかしら」

母さんはそう言いながらローブを身に纏い、手招きをしてきた。早速ダイアゴン横丁へ出掛けるらしい。

梟が手紙を咥えて飛び立ったことを確認してから慌てて母さんの下へ行くと、一着のローブを手渡された。広げてみれば母さんのものより小さいが、僕には丁度いい大きさのローブだ。どうやら僕の分らしい。

向こうではマグルの格好は目立つらしい。持っている服は全てマグル界の時の物しか無く、魔法使いの子供がどのような格好をするのかも分からなかったので大人しく着ることにした。

新品のように着心地が悪いわけでもなく、かと言って着古した服のように解れていたりヨレヨレの着心地でもない。誰かのお下がりだろうかと首を傾げていたら心を読んだように「母さんのローブよ。子供の頃のものがあったから出してきたの」と母さんが笑った。

「……子供の頃の母さんの服が着れる僕って……」

「私から日本人の体格の遺伝子でも受け継いだのかしらね。まぁそのローブは男の子も着れるデザインだから気にすることでもないわよ。似合っているわ、アーロン」

母さんはそう言って僕の頭をポンポンと撫でる。

母さんは東洋の極東に位置すると言われている日本という国の出身で、そこに住まう人達は平均身長が欧州の人よりも低いらしい。

何もこんな所が遺伝しなくても、とつい思ってしまうのは、やはり男として生まれたからにはそれなりに身長があって欲しいからと望む故である。特に父さんという名の高身長の見本を知っていれば余計にだ。

自分の身長は年頃の少年達よりも低めであることは自覚していたが、改めて言われたり、比較されたり、こうして母さんの子供の頃の服を着れたりすると地味に傷付く。

いや何、成長期はこれからだと自分を慰めながら愛用の肩掛けバッグ(母さんの魔法で何でも入る優れものだ)を肩から斜めがけに下げれば出かける準備は整った。

「準備できた?煙突飛行粉フルーパウダーで漏れ鍋に行くわよ」

母さんはそう言って手にしていた小さな袋から一つまみ、謎の粉を取り出して火の入った暖炉にふりかけた。途端に炎の色が鮮やかな緑へと変化する。

漏れ鍋って何?と聞く暇もない。

母さんが煙突飛行粉フルーパウダーを使って仕事場まで通勤しているのを見ているので驚きはしないものの、僕自身が体験するのは初めてだ。

熱くないだろうか、火傷しないだろうかと今まで煙突飛行粉フルーパウダーを使っても無傷であった母さんのことをすっかり忘れてそんな心配をしていると、手を引かれてあっという間に暖炉の中にいた。

足元で揺らめく鮮やかな緑の炎に驚き声を上げかけた所で母さんが叫んだ。

「漏れ鍋!」

ゆらり、周りの景色が揺らいで景色が一変する。

気が付いたら見知らぬ暖炉の中にいた。手を引かれるまま暖炉から出るとそこは薄暗く広い部屋で、人が沢山いた。部屋のあちこちにある複数の机に集まる人の中には飲み物を飲む人もいれば談笑する人もいるし、一人でぼんやりと過ごす人もいる。部屋の隅にあるカウンターで思い思いの時間を過ごす人もいた。

マグル界で言う喫茶店かと思ったが喫茶店にしては少し店の雰囲気が暗いように思えたし、微かにアルコール臭がしたのでどうやらここはパブのようだ。

「ここが漏れ鍋?」

「そうよ。さ、着いてらっしゃい。ダイアゴン横丁へ行くわよ」

「う、うん」

颯爽と歩き出す母さんの背を慌てて追い掛ける。辺りを見回しながら歩くと転けそうになるし迷子にもなりそうだったので母さんの背だけを見て歩くことにした──そのせいでダイアゴン横丁への入り方を見ることが出来ず、突然煉瓦が動き出す様を見て非常に驚いたのは言うまでもない。

煉瓦の壁から現れた町並みにあんぐりと口を開いていると母さんが笑った。

「後で開き方を教えるわね」

そう言って沢山の人が行き交う不思議な雰囲気の町並みへ歩いていく母さんはホグワーツへ入学する当事者の僕より楽しそうだった。

今にも僕を置いて行くと言わんばかりの歩くスピードに慌てて着いていくと、周りにも自分と同じくらいの子供が歩いているのが見えた。

皆ホグワーツへ通う子供だろうか、彼らが同級生になるんだろうかと色んな子供達を眺めながら母さんのローブを掴んだ。こうでもしないと母さんは僕を置いていきそうだった。

子供達は周りの店に夢中なようで、キラキラと目を輝かせてショーウィンドウに張り付いている。特に箒を飾っているショーウィンドウの前は凄かった。

箒を見て気分が沈みそうになるのを振り払おうと勢いよく反対方向へ視線を投げると、一人の少年とバチッと目が合った。

鳶色の髪に緑の瞳。優しそうな整った顔立ちをしているのが印象的な少年だった。同い年のように見えるし、きっと彼もホグワーツに入学するのかもしれない。

「アーロン、杖と教科書どっちから見に行きたい?」

突然母さんがそう言いながら振り返ったので慌てて前を見た。

「えっ?あ、えーと……じゃあ杖からで」

「そう……じゃあ私は一旦お金を下ろしてくるから、先に行っててもらってもいいかしら?この道を真っ直ぐに行けばオリバンダー杖店に着くから」

そう言って母さんの指さした先には母さんの言う通り今にも剥がれそうな金色の字で『オリバンダーの店 紀元前382年創業 高級杖メーカー』と書かれた看板を下げた店が見えた。紀元前という言葉に驚いている間に母さんは姿を消してしまっていた。

仕方なくそこを目指すことにした。何となく先ほど目が合った少年のいた場所を見たが、少年の姿は無かった。きっとホグワーツで出会えるだろう……忘れていなければ。

人混みに揉まれながら何とか目的地へ辿り着き、店の中へ入ると一人の老人と目が合った。きっと店主だろう。月のような淡い色の大きな瞳は満月を連想させて、咄嗟に目を逸らしていた。

誤魔化すように店内を見渡せば、様々な小箱が所狭しと積まれていて今にも小箱の雪崩が起きそうだ。紀元前から存在していればこんな風になるのかと見当違いなことを考えながら恐る恐る進み、カウンターの向こう側にいる老人の前に立つ。

何故だか興味深そうにこちらを見つめてくる老人の視線を居心地悪く感じつつ、口を開いた。

「こ、こんにちは。杖を買いに来たんですが……」

「こんにちは。そうかそうか、では早速杖選びを始めよう」

向けられた笑顔にホッと一息を吐いた瞬間、目の前に一振りの棒を差し出された。

どうやらこれが魔法の杖らしい。しげしげと見つめていると、老人が次の言葉を口にした。

「柊の木にドラゴンの心臓の琴線。素直」

それはこの杖の特徴のようだった。杖はどれも同じだと思っていたので驚いて老人を見つめると「持ってみなさい」と微笑まれた。

持ち手らしい少し膨らんだ先端を向けられていたので恐る恐る手に持つと、杖の先端から炎が吹き出してカウンターを焦がした。驚きのあまりつっ返すように杖をカウンターへ置くと、老人は少し考えるような素振りを見せてからまた杖を差し出してきた。

「黒檀にセストラルの尾の毛。堅実」

やはり持ち手を差し出されるが、持とうとは思えなかった。先程のように火を吹き出したらこの店を火事にしてしまうかもしれない。

しかし老人は焦げたカウンターを気にもしていない様子で片眉を上げて「どうしたんだい?振ってみなさい」とすら言うのだ。観念して手に持つと、今度は杖先から火花が飛び出して天井を焦がした。

言わんこっちゃないと慌てて杖を投げるようにしてカウンターへ置くと、間髪入れずに次の杖を差し出される。

「ならば、ナナカマドに一角獣の毛。しなやかで忠実」

もう手にしないと決めた。本当に火事になる。固く決意して首を横に振ると、何かに気付いたように老人が目を丸くして僕を見つめ、それから杖を見下ろした。

「……そうか。そりゃ合わんはずだ……では、あれならば──」

そう言って老人は店の奥に消えて行く。

どうやら奥にも杖を置いているらしい。いったいどれだけの杖がこの店に保管されているのだろう。

暇潰しに積み上がっている小箱達を見上げて数を数えていると、暫くして老人が一つの小箱を手に戻ってきた。箱の上にこんもりと埃が積もっているのが見えて何となく不安になったが、老人はその箱から一振りの杖を取り出し、持ち手を差し出した。

どこか遠くを見つめるような優しい眼差しで老人が呟く。

「昔のことだが……極東の国で、ある神官から樹齢千年の桜の木の枝を一振り貰ったことがあってね。材料があまりにも少なくこれしか作れなかったが……芯には吸血鬼の髪を使用しておる」

「吸血鬼!?」

心臓を鷲掴みにされたような心地がしてギョッとして差し出された杖を見つめる。

もしや僕がダンピールであることがバレたのだろうか。思わず後退りした僕を見て老人は声を上げて朗らかに笑った。

「別に手にした持ち主の血を吸う訳では無いから安心しなさい。彼らの髪には不思議な魔力が宿っているようでな。杖の芯としては変わりものだが、素材には適している。まぁ、彼らの魔力に馴染んだ木もこれしか無かったのだが……どの魔法使いが手にしても五分も持てなかったが、君ならばもしや──」

老人がニンマリと笑う。老人は僕の正体がダンピールであることに気付いたかどうか分からない。けれども、嫌悪の眼差しでもなく恐れの眼差しでもない、期待に満ちた眼差しを向けられて何となく居心地が悪かった。

差し出された杖を見つめればそれは何となく他の杖と違うような気がした。

杖は黒に近い焦げ茶色で真っ直ぐだ。大きさは三十センチには満たないだろうが、二十センチ以上はあるように見える。持ち手には細やかで不思議な紋章のようなものが彫り込まれている。

不思議な雰囲気を醸し出すそれに誘われるようにして近づき、恐る恐る手を伸ばして掴んだ。まだ今の所は何も起きない。

緊張しながら小さく杖を横に振ってみると、杖の先端から金と銀を混ぜたような不思議な光が溢れた。光の粒子は風に乗って煌めき舞う雪のように、重力を感じさせない軽やかな動きで僕の周りを踊るように囲み、荘厳な輝きを持って辺りを照らす。

なんて幻想的で美しい光なのだろう。呆然とその光を見つめ、それに触れようと手を伸ばしてみたが、鈴を転がしたような音が響いた瞬間に消えてしまった。

それを残念に思いながら老人を見れば、老人は驚いたように目を見開いていた。淡い銀の瞳が揺れて、それから懐かしむように目を細める。

「まさか、本当に選ばれるとは……君の名を聞いても良いかな?」

「え?あ、アーロン。アーロン・カルヴァートです」

「そうか……カルヴァートさんか。その杖は君を選んだようだね」

「杖が?」

手にしている杖を目の高さまで上げてそれをじっくりと見つめる。

老人の言葉はまるで、杖に意思があるとでも言うかのようだった。この杖は僕を持ち主として選んでくれたのか。何とも言い難いこそばゆい思いがこみ上げてきて、杖の持ち手を親指でそっと撫でた。

と、そこで店の入口からドアベルが鳴り響き、聞き覚えのある声が聞こえた。

「あら、もう決まってしまったのね」

振り返る前に声の主は隣に立っていた。母さんだ。老人は母さんを見て微笑んだ。

「久しぶりだね、アサヒさん。まさか彼が君の子供とは……元気にしていたかね?」

「まぁまぁですよ。この通り息子もいますし」

母さんはそう言って僕の頭をクシャクシャに撫で回す。すっかり鳥の巣のようになってしまった髪を手櫛で調えて母さんをジト目で見つめれば、それを見ていた老人は笑った。

「ふむ、そのようだ。杖は八ガリオンだよ」

「分かったわ」

目の前でそうそう見ることのない金貨が八枚消えて行く。それを目にすると改めてホグワーツに入学するまでに生活を切り詰めなければという覚悟が蘇ってきた。僕の杖だけでいったい何日分の食事になるのやら。

あまりにも金貨を見つめたいた為か、「アーロン、そんな目で見ないでちょうだい」と呆れたように苦笑する母さんに思わず「だって……」と言葉を濁す。

これからもっとガリオン金貨を消費するだろう。そう考えただけで気が遠くなりそうだった。けれども、学校に通いたいのも本音だ。その矛盾が眉間に皺を作らせる。

「子供の貴方がお金を気にしなくていいの。さぁ、次は教科書類と勉強道具、ローブと制服も買わなくちゃ」

「教科書は母さんの使ってた本でいいよ。勉強道具だって筆記用具とかならマグル界の時のもあるし、ローブも今着てるこれでピッタリだ」

「教科書については今年も使えるものか確認してからね。生憎、勉強道具はマグル界のものは使えないの。諦めて新しいのを買うわよ。ローブは……確かにそれはホグワーツのものだし、それで良いかしら。制服は買うわよ」

以外にも真面目に僕の意見に応えた母さんの言葉には些か納得出来ないところもあったが、そこは仕方ないのだろう。

今にも店の外へ行ってしまいそうな母さんを見て慌てて買ったばかりの杖をローブの内側にあるホルダーへ差し込み、老人に「机と天井を焦がしてしまってごめんなさい」と謝罪した。

老人は言われて気付いたかのように机を見て片眉を上げ、腰に差していた杖を手に取り小さく振った。途端に僕が焦がした机と天井は跡形もなく元通りになった。魔法だ。思わず目を輝かせた僕に老人はニッコリと微笑んだ。

「気にしなくていい。これくらいはまだ可愛らしい方だ」

そう言ってもらえると何だかホッとした。どうやら僕以上に酷い目にあった子がいたようだ。

「さぁ、行くわよ」と踵を返した母さんに倣って、溜息を吐きつつ振り返り前を向いた。

と、入口の近くに先程視線が合った少年がいて驚いた。隣には両親らしき二人の男女もおり、彼も杖を選びに来たようだ。

少年は僕と目が合うと控えめな微笑を浮かべた。

いつからいたのだろう。もしや先程の杖選びの姿とか見られていたのだろうか。だとするとおっかなびっくり杖を掴んでいた姿とか彼に見られていたということになるが……それはちょっと恥ずかしい。

そんな思いから照れ笑いのような微笑みを返すと、彼は一瞬驚いたようにキョトリと瞬いて、それからフワリと優しい微笑を見せてくれた。

緑の瞳に浮かぶ優しい光に、何となく彼とは友達になれそうだと思った。ホグワーツで会えたら彼に声を掛けてみよう。もしかしたらマグル界ではできなかった生まれて初めての友達になってくれるかもしれない。ダンピールということを隠せば、きっとうまくいくはずだ。

そんな希望と期待が胸にこみ上げてきていっぱいになる。緊張しているかのように心臓が高鳴って、思わず深呼吸する。彼の名前を聞きたかったが、僕の様子に気付かない母さんがあっという間に店を出た。なんて素早いんだ。

きっとこのままでは置いていかれる。少年の名を聞く暇もなさそうで名残惜しかったが、迷子になるのは嫌だったので慌てて母さんの後を追って足早に店を出ようとする。

店を出る間際、逆に店の中へ進もうとする彼とすれ違う。すれ違い際にも僕らの視線は合ったままだった。ホグワーツで会えますように。そう願いながら過ぎ行く彼から視線を逸らそうとした矢先、彼の口が小さく動いた。

「僕はリーマス」

「──え、」

小さな、本当に小さな囁き声。慌てて止まったが、その時には既に彼の杖選びは始まっていた。

そんな時間を邪魔してまで彼の発言を聞き返しにいくほど空気が読めない訳では無い。仕方なくそのまま店を出れば、少し離れた場所で母さんが手招きをしている。

慌ててその姿を目指して駆け出した──胸元で跳ねるペンダントの暁色の石を握り締め、少年の名を心の中で反芻しながら。
















(真っ直ぐな目をした子だと思った)
(金とも銀ともとれる光の帯に包まれた彼の姿は、まさしく魔法使いという名に相応しい不思議で魅力的な姿だった)
(オリバンダーさんに向かって名乗っていた名前を無意識のうちに繰り返し覚えるように反芻していた自分には驚いたけど)
(向けられた照れくさそうな微笑から目を離せなくて、気が付いたら親にバレないように名乗っていた)
(父さんと母さんは僕に友達が出来ることを快く思わないけど、彼とは友達になれるだろうか)
(人狼だということを隠せば、うまくいくかもしれない)

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