吐息も、手も、眼差しも(wt/犬飼)




犬飼澄晴という男は、彼氏として理想的な人間だ。





見た目は少し遊んでいるように見えるが学力テストでは常に上位グループで名前を見かけるし、体育の時間ではどんな試合でも活躍していると聞く。おまけにどんな人にも分け隔てなく話しかける高いコミュニケーション能力を持っていて、そのフレンドリーさによって年代、性別も問わず様々な人と打ち解けている(一部を除いて)。

今のところ人間関係で揉めたという話や問題行動を起こしたという話も聞かないし、彼に対する悪口も滅多に聞かない。敵は作らないが、1つのグループにずっと居続けるということもないらしい。程よく周囲の人間と関わっているのだ。もしかしたら勉強のできるという意味合いではない方の"頭のいい人"でもあるのかもしれない。

以上の内容だけでも魅力的な人間と言っても差し支えないというのに、見目もかなり整っているものだから恋に飢える女子達が放っておくわけもない。頭もいいし運動もできてコミュ力も高く見目も良い。それに加えてボーダー隊員(B級トップ)とくれば、彼氏が欲しい女子達にとっては垂涎の的だろう。彼を巡って女子達の熱い戦いがあるとかないとか……。

ともかくまぁ、そういう情報が高校でもボーダーでも右から左へ聞き流してもいつの間にか耳に入ってくるので、彼の人気の高さは嫌でも知っているつもりだ。



──なので、今のこの状況を同じクラスの女子達に見られたら体育館裏に呼び出されるだろうなぁ、と隣を歩く彼の顔を横目で盗み見ながらぼんやり思う。


学校からの帰り道、ボーダー基地へ向かって歩いていたら途中でばったり出会い、どうせ行く先は同じなのだからと一緒に向かうことになった──今月に入って既に5回以上同じ状況が続いている。

通っている高校は別なのになんともまぁ恐ろしい偶然だ。彼のファンなるものに知られたらそれこそ八つ裂きにされるだろう。

横目とはいえ、見つめすぎたのか、こちらの視線に気付いた青の瞳がつい、とこちらを見た。

「どうかした、旭さん?」

「……別に。寒いなぁと思って」

よりにもよってこの男と帰り道が同じになっただけで命を脅かされるとは、と小さくため息を吐きだすと、白い水蒸気が視界をゆらりと遮った。口元まで覆うようにマフラーを巻いてもちっとも緩和されない外気の寒さを、水蒸気が目に見える形で知らせている。ポケットに突っ込んでいる指先は学校を出て5分もしないうちに悴んで、今や痛痒い。霜焼けになっているかもしれない。

手袋を家に忘れたの痛いなぁという後悔と、早く基地に着いてホットココア飲みたいという思いが歩みをほんの少し早めさせる。

「寒いから早く行こ」

「旭さん鼻先とほっぺ真っ赤だよ」

揶揄うような声の調子に反射で殴り掛かるも、ヒョイとあっさり躱されて笑われた。腹立つことこの上ない。

足を止め、割と真面目に狙いをつけて右ストレートを繰り出すも、黒の手袋に包まれた大きな掌であっさり受け止められた。

受け止めた私の拳を見て、犬飼が僅かに目を見開く。

「……旭さん、手袋は?」

「家に忘れたんだよね……もう指の感覚無くなってきたから早く基地に行こうほんと……寒さで死ぬ……」

もはや懇願と言ってもいいような声音でお願いをすると犬飼が「分かった」と頷いた。こういう空気の読めるところも彼の魅力の一つなのだろう、なんてぼんやり思いながら突き出していた腕を引く。犬飼もあっさり手を離してくれたのでそのままポケットに手を突っ込もうとした。

「待って、旭さん」

犬飼がそう言って、自らの掌を覆っていた黒の手袋を外し始めた。

おや、と驚きつつも、もしや、なんて淡い期待が胸に浮かんだ。きっと私の手があまりにも可哀想だったから手袋を貸してくれるのかもしれない、なんて。

黒の手袋から現れた犬飼の手は健康そうな肌色で、寒さで真っ赤になった私の手よりとても暖かそうに見えた。そんな暖かそうな手から手袋を奪うようで大変申し訳ないとは思ったものの、正直手が限界を訴えていた。基地に着いてからトリオン体になれば無問題とはいえ、さすがに基地に着くまで放っておくと霜焼けになってしまう。

両手の手袋を外した犬飼の手がこちらへと伸ばされる。もしや、悴んだ私の手を哀れんで、代わりに手袋をはめさせてくれるのだろうか。いやいや、流石にこの歳になって人に手袋をはめてもらうなんて恥ずかしいことこの上ない。

慌てて手を引っ込めようとしたが、それよりも犬飼が私の手を掴む方が早かった。暖かい。手の感覚は麻痺しかけているのに、犬飼の手の暖かさだけは敏感に拾いとった私の手が、両手が、すっぽりと犬飼の両手に掴まれて、そっと包まれる。想像していたよりも暖かいな、なんて驚いたの束の間、犬飼の手がそのまま私の腕を引いた──引く?

「犬飼、あの」

何してんの?と問いかけようとした言葉は、喉で掻き消えた。

引かれた腕は、手は、犬飼の暖かな掌に包まれて、導くように、誘われるように引かれて、犬飼の口元へ。

悴んだ指先に感覚はない。それなのに、僅かに開いた犬飼の薄い唇が、指先に掠るように触れたその瞬間、確かに指先は、犬飼の唇の感触を拾った気がした。

「はぁ、」

開いた唇から、暖かな吐息が吐き出される。溜息ではない。深呼吸でもない。吐息の殆どは水蒸気となって上空へ昇ったが、私の悴んだ手は犬飼の吐息の暖かさを確かに感じ取った。

もう一度、犬飼が吐息を吐く。明確な意図を持って、私の手へとかけられる。あたた、かい。

犬飼はそのまま、私の両手を労わるように包み込んで、そっと摩る。その手を振り払うことも出来ず、呆気に囚われてその光景を見ていた。犬飼はひたすらに私の真っ赤な手を見つめて、暖かな吐息をかけ、大きな掌で包み込み、摩る。自分より大きな掌が、自分の手を包み込み、摩っている。あた、たかい。

「はぁぁ、」

繰り返し、繰り返し、暖かい彼の吐息が、両掌が、体温が、熱を届ける──あたたかい。

麻痺していたはずの手の感覚が、温かさに包まれて少しずつ戻ってくる。よりはっきりと、犬飼の吐息の暖かさと、掌の暖かさと、大きさと、自分の掌よりも硬い掌の感触と。じわりじわりと回復していく手が全てを吸収して、感覚を呼び覚ます。

──暖かい、なんてものじゃない。

じわじわと全身から熱が込み上げて、顔から火が吹きでそうだった。顔と言わず、全身からも吹き出そうで。


もう、充分だ。


「犬飼、あの、もう」

勇気と声を絞り出して名前を呼んでも、犬飼は応えない。ひたすらに私の手に暖かな吐息をかけ、両手で包み込むように摩ることに熱心になっている。

「い、ぬか、い」

また吐息をかけられて、さすられる。もう、熱い。暖かくて、熱くて、堪らない。手はすっかり温まって、犬飼から与えられる熱以外の余計な情報まで感じ取っている。堪らず手を引こうとしたその時、指先が犬飼の唇に掠れた。

伝わってきたその感触に思わず体がビクリと跳ね上がると、漸く青い瞳がこちらを見た。












吐息も、手も、眼差しも













(なんでそんなに暖かいの)
(旭さん、顔真っ赤だね)
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