序章
――それは本当に不思議な光景だった。
気がつくと、随分と伸長が高い、見知らぬ好々爺に自分は手を引かれ、木々が生い茂る獣道染みた道を躓きながら歩いていた。
今時こんなに緑が生い茂る場所があるとは珍しいと関心を寄せる一方で、これはおかしいと疑問を抱いた。
確か自分は、誰もいなくなった放課後の教室で一人優雅に惰眠を貪っていたはずだ。
それなのに何故自分は獣道を歩いているのだろう。
自分の手を引いて歩くこの好々爺は誰だろう。
こんこんと湧き出る疑問を抱きながら、ただひたすら好々爺に置いていかれまいと懸命に足を動かした。
好々爺は随分と伸長が高いため、自分とはかなり歩幅が違うのである。
好々爺はそんな必死な自分に気づかないのか、ただひたすら前を向いて足を動かしながら、淡々と話しかけてきた。
……恐らく、日本語で。
好々爺の見た目はいかにも日本人のようであるし、着ている衣服も紺の作務衣のようなものだし、恐らく好々爺は日本人のはずである。
見た目はまんま和尚さんのようである。
それなのに、好々爺の話している言葉が非常に分りづらかった。
日常ではあまり聞いたことがないような古語に近い言葉遣いだからだとしばらくしてから気付き、何ともまぁ古風な好々爺だと妙に感心した。
現代人の話す言葉遣いとは違い、悪く言えば堅苦しい、良く言えば綺麗な言葉遣いに聞き入っていると、
「――やれ、聞いておるのか童よ」
好々爺が足を止めて心配そうに顔を覗き込んできた。
……正直に言うと、言葉遣いに聞き入っていただけで、内容は全く頭に入っていない。
「どこか怪我でもしておるのか?」
「……え、あ、いえ、してないですよ」
ただ貴方の言葉遣いが珍しくて聞き入っていただけです、と心の中で続け、ふと好々爺の腰元を見た。
見て、思わず唖然とした。
好々爺は自分の視線の先を追い、あぁ、とそれに手を掛けた。
――黒塗りの鞘に収まる刀のようなものに。
「場所が場所故にな。戦場に巻き込まれないとも限らぬ。戦場から退いた身とはいえ、念のためよ」
「いくさ、ば……?」
何だろう、それは。
首を傾げて好々爺を見つめれば、好々爺が呆れた様子で肩を竦めた。
「主は自分のおった場所も分からぬまま"あの場"におったのか」
「……はい?」
"あの場"とは、何のことか。
そもそも自分は放課後の教室にいたのだが。
改めて疑問が浮上する。
何故自分はここにいるのか。
ここはどこなのか。
ぐるぐると湧き続ける疑問に圧倒され、軽いショック状態に陥る。
混乱する思考回路から考えを捻り出した結果、とにかく現状を把握しなければという結論が出た。
つまり。
「あの……ここはどこでしょうか?」
場所確認。
ここがどこなのか分かれば、後はどうとでもなるだろう。
好々爺はこれ見よがしに大きく溜め息をついた。
「やはり主はわしの話を聞いておらなんだか……ここまで来る途中で説明したはずだが……まあよい。ここがどこかはわしもあまり詳しくは言えぬが、主を拾った戦場からはあまり離れておらぬ故、ここはまだ豊臣の領地であろう」
また出た"いくさば"という言葉。
それに加えて"とよとみのりょうち"という言葉も。
よほど酷い顔をしていたのだろう。
また大きくため息をついた好々爺は何を考えたか、自分の腕を引っ張って歩き始めた。
――道なき道を。
好々爺の伸長では腰辺り程しかない草むらも自分からすれば視界を遮る程で、顔にバシバシと遠慮なく当たる……かなり痛いし痒い。
チキショー、何でそんなに背が高いんですかおじいさん。
「あの、ちょ、何処に行くんで、ぅぶっ!?」
「主には見せた方が早い」
好々爺はずんずんと遠慮なく進み、そして。
「ここからなら見えるであろ」
突如草むらが消え、見晴らしの良い丘のような場所に出た。
前を歩いていた好々爺が脇に体をずらしてくれたおかげで、その光景がよく見えた。
――入り乱れる人の群れ。
人の悲鳴や怒声、金属音、発砲音などの騒音が重なりあい、大地に響く轟音。
宙に、大地に舞う赤色。
――あぁ、これは……
「主はあの戦場の最中に倒れておったのよ」
好々爺の言葉が遠くに聞こえる。
これは夢ではないと言わんばかりに目の前で繰り広げられる殺しあいにただ目が離せず、先ほどの好々爺の言葉をようやく理解した。
「"いくさば"って戦場のこと……?」
こんにちは乱世、さようなら平成
(……てか、体縮んでる!?)
(?主くらいの年頃であれば平均並みの体格であろ)
(何言ってるんですか、私十八です)
(……やれ、頭でも打ったか。主はどう見ても十二、三を越えたくらいの童よ)
(信じてよぉぉおお!!!!)