二
同盟国が一つ増えた。
否、“あれ”は一つの国と一括りにしていいものなのか。実質的には三つ分の同盟国が増えたと言ってもいい。何の前触れもなく彼らは、というより彼らの代表らしい少年は同盟を申し込む挨拶にと部下を連れて大坂城を訪れたらしい。
一先ず仲間になるならと大坂城へと迎え入れ、改めて話を聞くためにもと大広間に通して面と向かい会ったところで、少年は声高らかに告げた。
「ザビー教教祖代理である僕、大友宗麟がザビー様の名のもとに応援に駆けつけましたよ!」
喜べ、と言わんばかりに私達の前で胸を張り仁王立ちで立つ少年こと大友宗麟。
その後ろには「胃を痛めてます」と表情で告げる大柄な壮年の武人と筋骨粒々とした体を披露するように上半身が半ば裸の厳めしい顔をした老齢の武人、そして今にも「絶望した」と呟きそうな顔色と表情で鉄球を抱える官兵衛さん。さっきの書状の件とか色々突っ込みどころ満載過ぎて突っ込むやる気すら逃げていく。
そんな彼等を前にして至急の用事から呼び出された三成は無言で鯉口を切り、吉継が棒読みで「これは心強きかな」とペラッペラの薄い紙よりも薄い労いの言葉を大友に告げる。二人の視線はばっちり官兵衛さんを捉えていた。
一方、何故かそんな二人に庇われるように少し後ろへと座らされている私はと言うと、今にも官兵衛さんへ斬りかかろうとしている三成の裾を掴み、そして同じように数珠を巨大化させる吉継の裾も掴んで両手に裾状態。何これ。
と言うか普通私の座る場所には総大将の三成が来るべきなのでは?何故に私ここ?まぁ二人を押さえるには打ってつけの場所なので特に問題はないのだが……まさか、ここへ座らせた侍女達はこれを狙っていたのだろうか。彼女達が退出する間際に「頼りは時継様だけにございます」と溢していたのはそういうことなのか。
とにかく両手に力を込めて引っ張ることで官兵衛さん苛めを開始しようとしている二人を止め、侍女達の期待に応えるべく同盟の話を進めねばと目の前でふんぞり返る大友少年へ表面上の微笑を向けた。
「これはこれは、大友殿自らお越しになるとは。貴殿が同盟国として西軍に入って頂けるのならば我らも心強いというもの」
正確には大友少年ではなく、彼の後ろに控えている武勇共に人格者として名の知れた少年の忠実な部下である立花宗茂と、一刀必殺術と呼ばれる剣術で敵兵を瞬殺する姿から鬼島津との異名を持つ島津義弘のこの二人に向けての言葉だ。
二人の武人の強さは半兵衛さんが存命だった頃から噂で知っている。遠く離れた九州の武人の話が本州まで噂として話に上がる程、二人の戦術や強さは有名なのだ。あの半兵衛さんですら九州への遠征に難色を示し、頭を悩ませていたのだから。
特に島津さんは伏兵戦術を得意とする武人と聞いているし、隙あらばその兵法を学んで豊臣軍の力にしたいものである……何故そんな有名な二人がザビー教という得たいの知れない宗教に入信しているのかよく分からないが。
そして、何よりも。
「━━久しぶりですね、官兵衛さん。お元気そうで何よりです」
笑みを向ければ、俯いていた官兵衛さんが僅かに顔を上げてこちらを見た、らしい(前髪が長くて視線の先が分からない)。
彼が口許を歪めて「お前さんはまた痩せたか?」と皮肉げに返してきた刹那のうちに三成が立ち上がったので、犬に繋ぐリードのように裾を引っ張っていた手が離れてしまい、焦りから咄嗟に「三成、」と名を呼ぶと今にも一歩踏み出しそうだった動きが止まる。
「申し訳ございません」
直ぐに姿勢よく座り直してはくれたが、殺気が迸っている。闇の婆娑羅が殺気を具現化するように三成から漏れ出して炎のように揺れて見える様は正直怖かった。いつかの片倉さんを思い出して白目になる。片倉さん系の恐い人うちにもいた。
相対している大友少年はもはや涙目で震えている。これでは話にならないと思い、言葉で注意しようにも流石に他所の国主の前で総大将が部下に諌められるなんて情けない姿を晒すのは良くないと考えて、とりあえず視線に止めるようにと思いを込めて三成を見たのだが、相変わらす闇の婆娑羅が漂っている。官兵衛さんを睨むのに集中していて気付いていないらしい。
どうにかしてくれと我らがお母様の吉継を見ても、彼は見てみぬふりをしているようだ。というより面白がって放置しているのか。これじゃあ同盟がおじゃんになると思わず小さく溜め息を零すと、三成の体が小さく跳ねて闇が掻き消えた。
恐る恐ると言った様子で振り返る三成は怒られた子犬のような、顔は無表情なのに少し情けない雰囲気をしていた。そんな三成の顔を見ていると先程の吉継との会話を思い出して思考が停止しかけたのだが、今はそれどころではないとそのことを頭から無理矢理締め出す。
今にも大友少年達の存在を忘れて「申し訳ございません」と低頭し始めそうな彼に思わず仕方無いなぁと呟きそうになって苦笑いし、とりあえず彼を落ち着かせようと手を伸ばす、と無意識のうちに銀の髪に手が伸びてしまっていて、ごく自然に頭を撫でようとしていた自分に気付き落雷を受けたような衝撃が走った。
先程の吉継との話で自分がいかに三成を弟分として見ていたかと自覚したばかりなのに早速これだよ。
よくよく考えれば三成はお嫁さんと子供に囲まれていてもおかしくはない二十代前半のいい年頃の男性で、そんな成人男性の頭を撫でる私もとっくに(体の年齢は)二十代の折り返し地点にいる(見た目は)男だ。
そんな二十代の男二人が端から見ればイチャついているとも取れる行動を人前でとるのはよろしくない。とくに一方の人物が国を背負う国主とあらば大変よろしくない。
大阪の国主で凶王と恐れられる男には男色の気があるらしいとか噂で流れていたら大変だ。三成がお嫁にいけなくなる。あ、いや嫁ではなくてお婿にいけな、いやそもそもなんで嫁ぎに行く前提になってるんだお嫁さんが貰えないが正しいだろ馬鹿か私。そもそもそんな噂が流れたら豊臣軍のトップは大丈夫かと他の国に嘗められるだろう。まずこちらの心配をすべきではないのかいと脳裏で半兵衛さんの呆れた声の幻聴が聞こえた気がした。
いや、そもそも国主の頭を撫でる部下が何処にいるんだ。他所の国主の前で総大将に情けない姿を見せるのは良くないとさっき考えたばかりではないか、と内心で己に渇を入れ、なるべく自然な動きで手の進路を変え、銀の髪へ伸びかけていた手を女である自分よりも逞しくしっかりした体つきの肩に乗せる。そうだこれでいいんだ。
端から見ればおかしくはない筈だ。いや、部下が大将の肩に手を乗せるのも大問題ではあるが頭を撫でるよりは大分マシである。そう満足して三成の顔を見た。
……驚愕の眼差しでガン見されている。
え、頭じゃないんですか、撫でてくれるんじゃないんですかと眼力で語るように見つめてくる金緑を見て悟った。
アカン、三成の育て方間違えた。
三成の眼差しは明らかに訴えていた。何で肩?頭じゃないの?と。まるで「言うことを聞いたら御褒美をあげます」と言わんばかりに餌を掴んでいるように拳を見せられたから素直にお座りをし、餌を貰えるのを待ったが目の前で拳を解かれて何もない掌を見せられショックを受けている子犬のような眼差しだった。そんな切々とした思いをはっきりと金緑の瞳は訴えている。約十年一緒に過ごしてきたからこそ分かるものだった。
二十代になっても昔と変わらず子供扱いして頭を撫でてきた私が言うのも何だが、三成の反応は間違っているような気がする。今気付いた。思春期がまだ来ない我が子を持つ親の気持ちってこんな感じなのか。いやそもそも反抗期すらきてなくね?
二十代にもなって頭を撫でられるのに抵抗感がないとかこれいかに。
あれ、もしかして吉継が気付かせたかったことってこれ?
三成が親離れ出来てないの何とかしろってこと……?
そうか、そう言うことだったのか。
吉継は三成の親離れを心配していたのか。確かに三成はもう立派な一人の大人だし、いつまでも佐吉時代を引き摺って子供扱いをするのは良くない。彼はもう立派な大人であると同時にもうお嫁さんを貰える年でもある。そもそもそれ以前に一人の国主でもあるのだ。そろそろ彼を大人扱いするべきだ。君が伝えたかったのはそう言うことだったんだね、と感極まって咄嗟に吉継を見ると彼は目で語っていた。
話を進めろ。
感動の波は直ぐに枯れた。確かに今ここで悟ることじゃなかった。ごめん吉継。
誤魔化すように小さく咳払いをして三成に向き直り、微笑を向けた。
「……同盟の話、進めようか」
「っ!はっ」
驚愕に染まっていた金緑石の瞳が丸くなり、柔らかくなる。佐吉の頃のはにかむような笑みと違う大人っぽいその表情は、笑みを浮かべているわけでもないのに優しく見えて、そんなところからでも彼の内面の成長が伺えて少し眩しかった。うん、今日から早速子供扱い止めるね三成。
さ、大友少年達の話を聞こうと呼び掛けるつもりで肩を軽く叩いて、それから元の体勢に戻る。と、驚いたように丸くなっている四対の目に三成が顔をしかめた。
「何を見ている貴様ら」
一瞬で安堵は崩れ去った。
「……三成、同盟結んでくれる人にその態度は失礼だって。あと吉継、数珠を大きくしてるのばれてるからね?官兵衛さんにぶつけようって魂胆見え見えだからね?」
二人の裾を改めて引っ張って一応注意するが、効果は無いに等しい。
三成はこれが通常運転だから仕方ないのだと思うとして、吉継は隙あらば日頃の鬱憤を官兵衛さんにぶつけたがっている。今も三成と私が向き合っている最中に数珠の大きさを分かりづらい程度に徐々に大きく変化させていた。アハ体験か。
まぁ、豊臣軍の残党化を抑えて西軍の形を整えてくれている参謀役は彼しかいないし、忙しい日々に鬱憤が溜まるのも仕方ない。彼のその鬱憤を晴らしてあげたいとも思うが、今は止めてほしい。同盟おじゃんにするのだけは特に。
溜め息を吐きつつ改めて目の前に視線を向けると、何故だか官兵衛さんと立花さんから同情の眼差しが向けられていた。立花さんは涙ぐんですらいた。きっと彼も苦労人なのだろう。甲斐の忍君も交えて語り合えば話は尽きなさそうだ。
島津さんと大友少年は驚いたような顔をして私と三成を交互に見ていた。
「はぁあ……噂に聞いとった三成どんとえらく違うのぅ」
「……はっ!僕の布教をするまでもなくザビー様の愛が届いたのですね!さすがザビー様!是非僕をお側に……!」
大友少年が一人思考の別世界へ旅立っていく姿をドン引きの眼差しで眺める。ザビー様が誰だか知らないが、物凄く崇拝しているらしい……別に秀吉様が存命だった頃の三成に似ているとかこれっぽっちも思っていない。断じて。
一先ず同盟の印として書状に調印せねば話が先に進まないと思い、自分の後ろに控えていた書状を取り出して大友少年の前に……置きたかったのだが、何故か彼は不気味な歌を口ずさみながらその場でクルクルと回りよく分からないダンスを披露していたので、書状がおじゃんになることを回避するためにも島津さんの前に置かせてもらった。踊り狂う彼にさすがの三成と吉継も白けた視線を向けている。君はいったい何をしに来たんだ大友少年。
島津さんは目の前に置かれた書状に目を丸くして「オイの名でよかね?」と立花さんを見た。立花さんは遠い目をして「我が主があの状態ですので」と頷く。何故だろう、物凄く立花さんの肩をそっと叩きたくなった。
本当なら官兵衛さんに回したかったのだが、官兵衛さんには鉄球と枷という書状が書きにくそうな邪魔があるため遠慮した。というか立花さんでもいいから書状に調印してほしい。大友少年はどうでもいいから「西の宗茂」と「鬼島津」と異名とる二人の力と官兵衛さんの智が欲しい。
私の願いが叶ってか、島津さんは躊躇う素振りも見せずにサラサラと流れるような力強い達筆で調印してくれ、書状を返してくれた。今度はその書状を三成に渡す。三成も躊躇わず調印して、書状は私の手元へ戻ってきた。
これで一先ず同盟は結ばれた。
西の宗茂と鬼島津、両兵衛と謳われた官兵衛さんの智が手に入ったとなれば、西軍の強さは格段にアップする。まさか官兵衛さんまで入ってくれるとは予想外の出来事だ。いつの日か西軍入りを断られたあの日以来、きっともう仲間として会うことはないのだろうと思っていたのだが……まぁ、あの表情から察するに自ら望んで西軍に入りたかったわけではないのだろう。
もしかしたら吉継が捨てたあの書状の中身はこの同盟についてのものだったのかもしれない。今となっては確かめようもないが。
とにかく、今まさに西軍に欲しいと思っていた武と智が自ら転がり込んできたことは喜ばしい。これで徳川打倒に向けて一歩前進したのだから。
部下を呼んで書状を保管するように言い付けていると、今まで不気味な歌を口遊んで躍り狂っていた大友少年がはたと正気に戻ったように動きを止めた。
「……そう言えば、タクティシャンはどちらにいるのです?」
誰それ。
思わずそう口にするところだった。大友少年の口振りだとそのタクティシャンとやらはここにいるのが当然とでも言いたげだった。しかし、そのタクティシャンと呼ばれるような者に心当たりはない。何かの通り名かと思われるが、そもそも戦国の世で横文字の通り名で呼ばれることはないだろう。
「タクティシャン、という人はおりませんが……」
そう言い出せば、大友少年は「そんな筈はありません!」と強く否定した。いや何故そこまで確信がお有りなの大友少年。
「ジョシーが伝説のタクティシャンは西軍にいると言ったのです!ジョシーが言うのなら間違いはありません!そうでしょうジョシー!?」
大友少年がビシィッと効果音が付きそうな程キレのある動きで官兵衛さんを指差すと、官兵衛さんはビクリと体を揺らした。
……え、官兵衛さんジョシーって呼ばれてるの?ジョシーが洗礼名的な何かなのか?
「あ?あ、あぁ、奴は確かに西軍にいるぞ」
間違いない、としっかり頷いてみせた官兵衛さん。
え、もしかしてタクティシャンって洗礼名なの?ジョシーならまだしも、タクティシャンって名詞だけど?『策士』って洗礼名って何それ。いやそもそも西軍に既にザビー教に入信してた人いたの?そこに吃驚するんですけど。
三成や吉継とそれぞれ視線を交わすが、二人とも言葉ではなく首を横に振ることで「私じゃない」と意思表示をした。いや君達がタクティシャンだったら私もっと吃驚だよ。
策士なんて呼ばれるような人西軍にい━━
━━日輪よ!
「……あれ、何か今緑の人が脳裏を過ったな」
「われもよ」
吉継と二人、白けた目で宙を見つめる。三成だけ首を微かに傾げて心当たりがなさそうだった。というより興味が無さそうと言うべきか。
そう言えば、半兵衛が存命だった頃に一時期中国の国主が乱心したと聞いたことあったような。半兵衛さんが無言でその報告書をそっと握り潰していたのを見て「あっ、触れちゃいけないんだな」って察した記憶がある。誰かは聞いてないけど、もう察した。
吉継も同盟を結ぶ前から交流があったようだし、もしかしたらそんな噂を聞いていたのかもしれない。
私と吉継のそんな様子を見て何か知っていると勘づいたのか、大友少年が目の色を輝かせてこちらに詰め寄ってきた。詰め寄り過ぎて軽く仰け反るくらいに距離が近く、大友少年との顔の距離は頭一つ分も無いくらいで戸惑った。大友少年よ、パーソナルスペースなるものを知っているか。
そんな大友少年の背後で三成が無言で鯉口を切り、近くで吉継も数珠を大きくする。ただし、吉継の場合視線はバッチリ官兵衛さんを捉えている。官兵衛さんが顔色を青くしながらジリジリと近付いてくる数珠から少しずつ距離を取ろうとしている姿に申し訳無く思いつつも、こうして大友少年に詰め寄られている今、吉継を止めることは出来ない。ごめんね官兵衛さん。諦めて。
標的は違えど攻撃するタイミングが揃っていることに二人の仲の良さを実感してさすが友だと現実逃避してみる。いやしてる場合じゃない。
とりあえず止められそうな方から止めようと今にも同盟国国主を斬り捨てようと抜刀の構えに入った三成に頼むから刃を抜いてくれるなと視線で訴えて何とか押し留めてみたものの、三成は一向に刀から手を離さない。
「タクティシャンをご存知なのですか!?今、今彼はどちらにいるのです!?」
今まさに自分の命の灯が消されようとしているというのに全くそれを感じず目の色を輝かせて更に詰め寄ろうとする大友少年の豪胆さというか神経の図太さには感心すればいいのか。
もはや体は密着していて、迫ってくる小柄な体をやんわりと鉄扇で押し返しているのだが全く効果がない。チラリと大友少年の背後を見れば、三成は半ば恐惶常態と化している。目が妖しい赤い光を灯して口から白いものが漏れだしてるんだけど。何あれ冷気?主の危機を救おうとする志は忠臣の鑑ではあるが、その姿は正直鑑とは言えない。怖すぎる。
一先ず同盟国国主を救うためにも、彼の望んでいる情報を与えて早く離れてもらおう。どんどん近付いてくる顔から少しでも距離を取ろうと、失礼ではあるが鉄扇で顔を隠しつつ口を開いた。
「えーと、恐らくではありますが……タクティシャンと呼ばれる方は中国にいらっしゃるかと思われます……たぶん」
「中国!?何と言うことでしょう……!すっかり通り越して大阪まで来てしまっていたなんて……!」
突如、迫ってきていた体の圧迫間が消える。離れてくれたかとホッとして鉄扇をどければ、大友少年が踞る立花さんを足蹴にしていた。近くにいる島津さんは生暖かい眼差しでそれを見守っている。助けないのか島津さん。
「宗茂!どうして言わなかったのです!」
「え!?あ、も、申し訳ありません我が主……!」
「ええい、この……!早く中国へ向かいますよ!早くしなさい宗茂!チェストとジョシーも行きますよ!」
「は、はっ!そ、それではこれにて失礼致しますっ」
まるでサッカーボールのように蹴られて部屋から退出する立花さんとサッカー選手のように輝きボール(立花さん)を蹴りながら退出する大友少年。
え、もう行くの……?いや残ってほしいわけじゃないけど。
「どれ、オイも行くかね」
島津さんもよっこらせと腰をあげてその後に続き、官兵衛さんも深い溜め息を溢しながら立ち上がる、と、頭上で巨大化していた数珠に盛大に頭をぶつけ、声にならない悲鳴が部屋に響く。吉継が満足そうに笑んだのが視界の隅に見えたのであれは謀っていたのだろう。
官兵衛さんが数珠から転がり逃げるように部屋を退出すると同時に、彼らの騒ぐ声もあっという間に遠くなり、聞こえなくなる。まるで嵐が過ぎ去った後のようだ。いや、本当に嵐のような人達だったが。
彼らが先程までいたところを呆然と見つめてしまうくらいに突然の出来事に呆気に捕らわれ、三成が「時継様、」と声を掛けるまで動けなかった。
「な、なんか凄い人達と同盟組んじゃった気がする……」
込み上げてくる不安からそう溢せば、吉継が引き笑いでそれに答えた。
「何、暇潰しと駒使いが戻ってきて便利になったというものよ」
さて何から使ってやろうか、と目を細め企み始める吉継は目に見えて楽しそうだ。いや、イジメは良くないよ吉継。確かに官兵衛さんが戻ってきてくれたのは非常に助かるのだが。
しかしあの大友少年はどうしたものかと頭を悩ませていると、ズイ、と目の前に見覚えのある痩身が視界いっぱいに映る。「時継様、」と名前を呼ばれて自然と見上げれば、視界を占拠したのは半兵衛さんとはまた違った心臓に悪い繊細な美貌の持ち主、三成だ。
「うぉっ!?み、三成、どうかした……?」
吃驚して仰け反るが、大友少年の時のように鉄扇で遮ってまで距離を取りたいとは思わない。これが約十年間一緒に過ごしてきたお蔭なんだろうなぁと染々思うのと同時に、彼を一人の大人として扱うためにもこうして急な接近を許すわけにもいかないと義務感にも駆られる。
三成としてはきっと佐吉の頃から慕ってくる流れで近付いているのだろうが、そのままではいけない。お嫁さんを貰うよりも先に親離れをさせなくては。でなければ未来のお嫁さんに申し訳が立たない。
そう心の中で意気込んで三成を見上げるが、いつもの彼と違う雰囲気を纏っていることに気付いて早速その決意が揺らいだ。
至近距離で金緑の瞳が見つめてくる。宝石のような輝きを放つ美しい瞳の中に驚いた顔の自分の顔がはっきりと映って見えるほどの距離で、彼は眉を寄せて薄い唇を一文字に硬く結んでいる。どこからどう見ても機嫌がよろしくなさそうなムスッとした表情だ。怒っている。あの三成が物凄く、怒っている。
しかし原因は━━まぁ、先程の大友少年との距離のことだろう。それしか思い付かない。きっと同盟国国主とは言え、拐われた事件を幾度か体験してもなお怪しい人物を安易に近付かせた私に対して怒っている、のだろうか。え、あの三成が?今まで私に対して怒りという感情をぶつけたことの無いあの三成が?
変な緊張感と焦りから冷や汗が流れる。さすがに何かお小言を言われるのだろうか。いきなり罵倒されたらどうしよう。今まで経験が無いゆえに不安すぎる。三成に貴様とか言われたらショックで泣ける自信がある。
「……時継様、貴方様の御体に触れる許可を」
「え……?あ、ハイ、どうぞっ」
雰囲気と表情に呑まれて咄嗟に返事をしてしまったものの、頭の中で三成の言葉を咀嚼して思考が一瞬フリーズする。体に触れる?え、まさか罵倒を通り越して殴られるのか。驚きと恐怖で体が固まる。歯を食い縛らなければ。三成のあの俊敏さで頬を殴られでもしたらただでは済まない。
覚悟を決めて三成の動向を見守る。
三成は丁寧に「失礼致します」と浅く頭を下げてから更に距離を詰めた。その距離は先程の大友少年と変わらないくらいだ。え、まさかこの至近距離で殴られる?死亡フラグだ。半兵衛さん今からそっちへ行きます。
絶望から白目になった瞬間、三成の腕が僅かに開かれ、包むように体に触れる。まるで壊れ物を扱うかのように優しく、繊細な触れ方で、それでいて僅かな空白をも良しとしないとでも言うようにしっかりとギュウと抱き締め、ら、れて……?
「…………………………へ、」
フワリ、控えめな香の香りが鼻を掠める。
いつの間にか嗅ぎ慣れていた、三成の香の香り。
何が、起きているのだろう。
いや、何が起きているかなんて理解は出来ている。三成が私を抱き締めている。しっかりと逃すまいと言わんばかりに抱き締められている。いや、何故に?私殴られるのでは……?
混乱する私の耳許で「消毒です」と囁いた三成の声は低く掠れていて、耳に微かに触れた唇の感触にゾクリと背筋が泡立ち、心臓がバクバクと急激に鼓動を早める。顔が、全身が熱くて。今の顔色は林檎よりも真っ赤に違いない。
というか何だ今の色気。
何で抱き締められて消毒とやらをされているの何したの私?離れたくても三成が地味に力を込めて抱き締めてくるせいで身動きが全く取れないし苦しいやら恥ずかしいやらドキドキするやら嬉しいやら……あれ?何で嬉しいんだ……?吃驚しすぎてとち狂ったか私……?
いやそもそも三成どうしたんだ?
何が起きてどうしてこうなったんだ?
まともに動きそうにない思考回路にほとほと困り果て、この状況を何とかせねばと吉継に助けを求めて視線を部屋に泳がせたが、捉えた彼の姿は丁度部屋を出ていこうとする後ろ姿だった。視線に気付いたらしい吉継は顔だけ振り返ると、視線でこう告げた。
主が悪い
(え?吉継?何で私が悪いの?と言うかみ、三成、そろそろ離そう?も、もう消毒終わったんじゃない、かな……?何の消毒か分からないけど)
(いえ、奴の臭いが消えるまで終わりません)
(え?臭い?……わ、本当だいつの間にか薔薇の香りが……香水?大友少年のかな?随分と良い香りだし、高級なの使ってるね大友少ねぐぅえぇええっ三成っ、きつっキツイっ!力強いぐぇぇえっ)
(不愉快だ。他の男の臭いが貴方様に付くぐらいならいっそ、)