一
誘拐騒動から十日程経った頃。
あれ以来、三成と吉継は雛鳥を守る親鳥のように過保護になった。
まぁ、いかに警備を増やしても拐われる回数が増えてしまっているのだから当然と言えばそうなのだが、問題は三成が今まで以上に私の傍に居たがるということだ。
恐らく警備が頼りにならぬならばいっそ自分が、という考えに至ったのだろう。わざわざ私室兼仕事部屋を私の部屋の隣に移動させようとしたり(性別がばれるのを恐れて全力で拒否したが)、部屋移動が駄目なら書簡の仕事をする時だけでもとわざわざ隣室に書簡ごと転がり込んでくるし、鍛練の時も私の部屋の前の庭先で行うし、ご飯時はもちろん仕事の息抜きとして庭の散策も一緒、挙げ句の果てにはお風呂まで着いてこようとした(吉継もさすがに呆れて三成に数珠をぶつけることでそれも却下になったが)。
気が付けば視界の片隅に銀髪が見え隠れするような日が続き、最初はいつ性別がばれてしまうのかと内心ヒヤヒヤしながら胃を痛める日々だったが、ある日ふと気付いた。
三成の姿は以前より目にするものの、彼との会話の数は増えていなかった。彼はただ影のように傍にいるだけで、私のプライバシーと言えるような“空間”を侵すようなことは一切しないのである。
それは奇妙な感覚だった。
他人が傍にいるという認識はあり、その姿が視界に入れば多少目は引かれるものの、何処と無く他人といるという緊張感をあまり感じない。それはどこか家族といるときに感じる空気によく似ている。
もともと人の気配を察知するのが疎い自分にとって、会話をしなければ彼はほぼ空気のように空間に馴染んでいた。ただ寄り添うように傍にいて、何かあったときにだけ彼の存在をふと感じるのだ。
三成ほどの武将であれば存在感を消す(というよりは私の“空間”に同調する、とでも言えばいいのか)というこんな器用な芸当も出来るのかと初めはただ驚いたが、仕事をしながらそれを吉継に言うと、彼は小さく溜め息を溢して「他人と認識されるよりかは良いとしよ……」とボソリ独り言を呟いた。
幸村君と忍君へ改めて誘拐の件のお礼を綴った書状を認めていた手を止め、珍しく私の仕事を手伝ってくれていた吉継に顔を向ける。
いつもは三成が隣室に転がり込んで書簡の仕事をしているのだが、珍しく外せない用事があるとかで今はいない。
そんな三成のいない時間を狙っていたかのように、いつも通り障子を全開にして仕事をしていた私のもとへこっそりと訪れ、あまつさえ仕事を手伝おうと申し出た吉継に何か裏があるなと警戒していたのだが、今のところ無理難題を押し付けられる気配もない。
吉継は手元の書簡を広げ、サラリと書状に視線を滑らし、さも当たり前と言うように近くの屑箱へフヨフヨとそれを投げ入れた。
いや、なに勝手に捨ててるんだよ私それまだ見てないんだけど。
「吉継それ誰からの書状?」
「暗からよ。下らない内容故、主が見る必要も無しよ、ナシ」
追い討ちをかけるようにその屑箱の上空に硯を浮かせ、逆さまにして溜まっていた墨を流し込む。屑箱は木の桶のような作りをしているので流し込まれた墨が畳に染み込むという惨事は起きないが、その代わり屑箱の中は悲惨なことになっているだろう。無論、捨てられた官兵衛さんからの書状も。相当読ませたくなかったんだなぁと察するが、逆にそこまでされると気になるというものだ。
官兵衛さんに徳川にも豊臣にも組まないと断られたせいもあり、そんな彼からの書状の内容はいったい何だったのかと尚更気になったのだが、吉継の反応からして「同盟やっぱり組む」みたいな特別な内容だったとかそういうわけでもないらしい。
官兵衛さんの不幸の半分は吉継が人工的に作り出してるんじゃないかなぁと半ば本気に思いつつ、墨だらけになった書状は諦め、吉継が溢した呟きを追及することにした。
しかし仕事の手を止めるのはさすがに憚られたため、顔と手は書状に向けつつ、言葉だけ吉継に向ける。
「それで、さっきの呟きの意味は?」
次の書状を手にしていた吉継も同じように顔と手は書状に向け、言葉だけ私に返してくる。
「主らのことよ」
「……三成と私?」
危うくたっぷりと墨を含ませた小筆を書状の上に転がすところだった。
書状の内容は今後の貿易の方針について。どうやら最近、南蛮からの宗教団体がやって来ては怪しげな活動をしているらしい。たぶん布教のことだと思うのだが、その活動が度を越していて大阪の商人の商売にまで良くない影響を及ぼしているようだ。
書状はその改善策として貿易にやってくる国に制限をかけたいという内容なのだが、それはどこまで制限しようかとか他の文官達と話し合う必要がある。貿易にやってくる国の数に制限をかけるのか、それとも貿易の内容に制限をかけるのか。
今から鎖国をするのは世界情勢を知る唯一の情報源を失うことにもなるため、少し勿体無いなぁと思うのがぶっちゃけ本音なのだが、九州で怪しげな宗教が蔓延していると偵察に行ってきた忍からの報告もあり、悩みどころだ。
書状を保留の山に乗せ、また次の書状を手にする。
「三成の気配消すのが上手いのは私達二人の何かが関係してるってこと?」
「ちと違うな。三成はそもそも気配を消しておらぬ。三成の気配を異質に感じることなく主が過ごせるのは、主にとって三成がそれだけ長く共におる近しい存在ということであろ」
例えるなら家族よ、と吉継が何故か凄く残念そうに呟く。何故彼がそこまで残念そうなのかとか気になったが、それよりも違うことに意識が向いて違和感を抱く。
確かに、三成と私の付き合いは遡れば約十年程にもなる。それだけの年月を共に過ごせば家族のような存在に思えてしまうのかもしれない。しかし、それだと吉継もその該当に当てはまる筈なのだが、吉継はどうにも違うのだ。
否、吉継が、ではない。三成が違う。
「いや、何か違うんだよ。確かに吉継と今こうして過ごしても緊張感とか感じないし、吉継が言った通り、長く一緒に過ごしてきた君のことは家族同然には感じてるんだとは思うんだけど、三成は何か違うというか、」
「……ほぉ。違う、とは?」
吉継が手を止めてこちらを見ているのが分かって、ついそちらへ顔を向ける。目が面白がっているように見えたのだが、あえて気付かないふりをした。もしかしたら彼ならば自分が抱いている違和感の正体を解き明かしてくれるかもしれないと期待を抱き、話してみようかと口を開く。
「うーん、何というか、吉継もそうなんだけど、三成の傍にいると落ち着くんだ。けど、どうにも落ち着かないって言うか。矛盾してるけど、一緒にいて居心地が良いんだけど何かソワソワするというか……三成を見てると、」
脳裏に銀の髪の彼を思い浮かべる。
いつもやり過ぎなくらい慕ってくれて、助けてくれて、傍にいてくれて。頼りになるところもあるけどその分支えてあげなければと思うようなところもあって、どうにも目が離せないというのだろうか。
気が付いた時にはいつも以上に傍にいてくれる機会が増えたこともあり、彼の感情の移り変わりや繊細な表情の違い等がよく目に入ってくるようになって、その違いに気付くことを面白く感じたり、あぁ、彼はこんな風に笑うんだなぁと改めて思ったり、佐吉の頃とはまた違ってくる彼の姿や内側を見たり、周りからの彼に対する態度を見ていたりして、そうしてふと気付くのだ。
「三成も、立派な男の人なんだなぁ、ってさ」
今まで自分は彼を弟分の佐吉としてずっと見ていたのだと。
吉継の目が僅かに大きくなって、固まる。驚いている様子を隠しもしない彼にこちらも驚き、手を止めてしまった。
「ど、どしたの?」
「……いや、主……」
いつもスラスラと言葉を紡ぐ彼が珍しく吃っている、というよりは言葉を濁しているのか。困惑したように視線が泳いで、定まらない。挙げ句には手にしている書状を碌に見もせずに屑箱へ突っ込む程に彼は狼狽えていた。
いやいや、だからそれ私まだ見てないって。
恐らくもう墨だらけにになって読むことも叶わないだろうと心の中で書状に合掌する。きっと後で書類整理を担当している八坂君あたりに怒られるだろう。大事な書類だったらどうしよう。
「主は、」と口を開いた彼は少し落ち着いたように見えたが、目が未だに困惑の色を映している。
「三成を、どう思う?」
戸惑い気味に問われたその質問は、松永公に拐われてから救助に来てくれた甲斐の忍君にも言われたものだった。
あのときは変な誤解を生むような答えを出してしまって忍君も呆けていて、何とか弁明を重ねても碌に話を聞いてくれなかった。挙げ句の果てには爆発しろとまで言われた。忍君恐い。
「それ甲斐の忍君にも言われたけどさぁ……だ、大事な人としか言えないっていうか……いや違うんだよ!?別にそういう意味じゃなくて、何て言うか、あー、えっと……っあーもう本当にその言葉しか見つからない自分の語彙力が恨めしい……!」
恥ずかしさから顔と言わず全身が熱くなって、その熱を誤魔化そうとつい手元の書状をグシャリと握りしめてしまった。あ、これ八坂君に殺される。
懐から鉄扇を取り出して熱を冷まそうと扇いでみるが、吉継からの視線が痛くてとてもじゃないが熱は下がりそうになかった。恥ずかしくて穴を掘って埋まりたいと心底思っていると、こちらをガン見していた吉継がポツリと呟いた。
「何故、そう思う?」
吉継は私を辱しめたいのだろうか。危うく白目になりかけた。
「何故って……だって大切な人だし……ってあああこれも何か恥ずかしいっ!何これ何の罰ゲームなのこれ!?吉継も三成大事でしょ!?それと同じってことにしておいてよ!」
顔が熱くて仕方ない。きっと茹で蛸よりも真っ赤に違いない自分の顔を見られていると思うと恥ずかしくて鉄扇で顔を隠してみるが、どうにもそれだけでは顔の熱は収まらない。
吉継だって三成のことを唯一無二の友だと思っているし、自分も三成に対して似たようなものを抱いてるのだと思うのだが、どうにも吉継の反応がおかしい。
考え込むように視線を畳に落として、書状を弄る。書状を読んでいるわけではなさそうだ。
「確かに、われにとって三成は大事よ、ダイジ。三成は大事な友故」
「そうでしょ?だから私も」
同じなんだってば。そう言い切ろうとしたところで、吉継の視線がこちらを向いた。真っ直ぐなそれに圧されるように言葉が飲み込まれる。
「主は、三成に慕われてどう思う?」
「え……?それは、頼ってくれてるんだなぁって、嬉しいと、思うよ?」
「何故三成が主を慕うのか考えたことは?」
「……はい?」
吉継の問いかけの意味が分からない。
三成が慕ってくれる理由。それは私が上司で、師と仰いでいた半兵衛の子供だから、だと思うのだが。思ったことを戸惑いつつ素直に答えれば、吉継の目が細められる。
「本当に、それだけと思うか?」
刃物とはまた違った鋭さを宿したその言葉に、心臓が一瞬止まったような気がした。
吉継は、何をしたいのだろう。
彼が意味もなくこの問い掛けをしてくるとは思えない。何か裏があって問い掛けをしてくるのだろうと思う。しかし、その真意が読み取れない。
気付けば顔の熱は冷めきっていて、吉継の言葉の意味を読み取ろうと探る冷静な自分が目の前の彼を見据える。
「……どういう意味、それ」
考えることを放棄して問い掛けた言葉は、思っていた以上に冷たい響きがあった。
三成が私を慕うのは他に理由があると吉継の言葉は存外に語っている。吉継はそれを私に気付かせたいのか。
しかし、裏切りや策略を好まない愚直なまでに真っ直ぐな三成が私に何かを期待してそれを実現するために私を慕っている、という利益を見て動くようなことは出来ない筈だ。だが、吉継はそうだと認めるようなことを言う。
あの三成にそんな裏があると?
有り得ないと断言できるほど、私は三成を知っている筈だ。
吉継にそれは有り得ないと言い切ればいい。そう頭で思った。しかし、口は動かない。そう言うことを、私の何かが躊躇っている。“それ”は吉継の言葉の真意を、三成の慕う真意を無意識に読み解こうとしている。
何故、三成は私を慕うのか。
吉継の言葉に促されるように思考がその理由を解き明かそうと動く。しかし堂々巡りのようにそれは同じところを辿る。彼が私を慕うのは私が上司で、半兵衛さんの子供だから。それ以外に理由が?しかし思い付かない。
三成の姿を自然と思い出す。
優しく仄かな微笑を浮かべる彼。心配そうな彼。私を見る彼。三成はいつも私を真っ直ぐに見つめる。私の言葉を聞き逃すまいと真っ直ぐに、全身全霊をかけるといっても過言じゃないほど真っ直ぐに私に向き合ってくれる。いつも傍にいて、支えてくれる。
『時継様』
そう優しく微笑する彼の眼はいつも暖かくて━━
『時継様、どのような形であれ、貴方様を失うことがあれば私は生きていけません』
松永公に拐われる直前、彼はそう言って私に頭を垂れた。その時の彼はいつもの優しく暖かい瞳に他の色も覗かせていた。それは恐らく誰も私に向けたことのないもので、最近彼の瞳に滲むもので、向けられると息がし辛く、むず痒いもので。心地好い、とはまた違うけれども。
今まで向けられてきた感情とは全く違うそれを、私は知らない。それが何と言う名前の感情であるかも分からない。
その名も知らぬ感情を、彼は滲ませる。
あれは、いったい何なのか。
それが、彼が私を慕う理由だったりするのだろうか?
そこまで考えたところで、三成の他に千鶴姫の顔をふと思い出す。そう言えば、彼女は元気だろうか。思考が脱線仕掛けて、気付いた。
彼女も、三成と同じ眼差しを向けてくるではないかと。
彼女は御家柄も悪くなく振る舞いも一流のお姫様だが、半兵衛さんの判断で私の正室候補とされた。政略的とも言える私との仮の婚姻状態にも関わらず、彼女は真っ直ぐな を私に向けてくれていて━━?
あれ、と思わず首を傾げた。
私は、今なんて思った……?
思考が停止する。何故だかそれに触れていけないような気もして、しかしそれを解き明かせばきっと三成が私を慕う理由も分かるかもしれないのに、と思う自分もいて狼狽える。
手にしていた書状が手から滑り落ちて、あぁ、拾わなければと、それに手を伸ばしたところで、全開にしていた障子の向こうに一人の侍女が現れた。
「時継様、失礼いたしますっ」
焦った様子の彼女の姿にただ事ではないと知り、狼狽は消える。吉継に視線を向ければ、彼も先程までの姿は消え、鋭さが宿る眼差しでこちらを見ている。
吉継が浅く頷いたことを見、侍女に発言を許可すれば、彼女は低頭したまま言葉を発した。
「今しがた、ざびぃ教を名乗る使者が同盟の申し込みに来たと……!」
━━何だか物凄く嫌な予感がした。