五十ノ話








自分の主である若き武将や大将は、忍を“人”と対等に扱った。






国の柱とも言えるその二人が忍である自分にそう接することにより、それに習うかのように周りも自分を人のように接し、扱う者も多かった。

初めの頃は周りに示しが付かないと頑なにその施しにも似た対応を拒絶したが、気にも留めない主達は人を相手にするように道具であるはずの自分達と会話し、笑い、切磋琢磨した。

そんな主達に仕えることができて自分は恵まれていると自覚するのに時間はそんなに要さなかった。否、恵まれているどころか身に余るとすら思った。それは余りにも消費できないもので、忍として生まれた自分には本来与えられることの無い居場所と温もりだった。

忍は人ではない。忍は主の道具で、主のために生きて死ぬ。そう教えられて育ちそれが当たり前だと思っていた常識が破壊され、戸惑いを感じさせる間も無く自分達の価値観を考えさせられるような温もりで自分を包み込み、諭すように忍も“人”だと言いきる主達は余りにも自分には勿体無い存在で、その二人から与えられる居場所と温もりも忍の自分には身に余るモノで。

戸惑いは抱く前に消え、いつの間にかその身に余るモノをどう消費できるかについて頭を悩ませるようになった。自分は忍の里の中でも優秀な忍ではあった。しかしその自分の働きをもってしてもその身に余るモノを消費できない。どうすれば自分はそれに相応しい存在になれるか。

答えは単純だった。

それに相応しいより良い働きをし、主達の役にたてば良いのだと。

それは単純な答えだが、一番過酷な答えでもあった。しかしそれ故に闘争心にも似た何かに火が点き、常に全力を尽くした。まるで競争のようだった。主達から温もりを与えられれば、それ以上の成果を見せようと奔走した。しかしそれを主達に悟られるのは恥ずかしいから、何てことの無いことだというふりをして全てこなした。主達の望むもの、望んでいると自覚する前のものすらも悟り、望まぬことでも必要であれば全て、全てこなして支えた。

主達の期待と居場所に相応しい“人”で在りたいと思ったから。

いつか、その身に余るものを享受するに相応しい存在だと自分でも思えるように。こんなにも良い上司に恵まれた自分は甲斐一の、日ノ本一の恵まれた忍であると誇りに出来るように。こんなに素晴らしい主達は日ノ本中何処を探してもいないのだと胸を張れるように。


豊臣秀吉が治める大阪で、日ノ本一の為政者として名を轟かせるある人物の噂話を耳にするまで、そう思っていた。


その人物は幼少の頃より政の要の重要人物として地位を確立し、《神童》と謳われるほど類稀な政の才を持つ人物だった。

戦の度に辛酸を嘗めさせられてきた豊臣軍に所属する天才軍師と名高き男の養子で、決して戦の舞台には立つことの無い文官のその男は、武が重視される本来の戦国の世であれば、決して目立つことの無い人物の筈だった。しかし、その男の繰り出す政の策は全て聞いたことの無いようなモノばかりで、その策達は大阪を日ノ本一の国として栄えさせた。男の名は直ぐに広まった。男の策を真似する国も出た。しかし結局は猿真似で、どの国も大阪のようにはなれない。噂を耳にした主達も興味を引かれたようで、自分に情報収集を命じたこともあった。

大阪の町の様子を調べよと命じる主達に、他所の国の政を調べずとも甲斐の国は栄えてますよと軽口は叩いたものの、気になる噂を聞いて内心では調べてみたいとは思っていたため、結局はその日のうちに甲斐を出た。

急ぎ大阪に向かうために大烏の上に乗り空を駆けていると、こうして甲斐を出るきっかけにもなった、以前大阪に忍び込んだことのある同僚、才蔵の話をふと思い出す。


『神童は主達のように忍を“人”扱いするらしい』


才蔵は直接見たわけではないらしく、あくまでも風の噂だと笑っていた。彼自身もその噂を信じていないようだった。才蔵も自分と同じく主達のような人はこの世に二人といないと信じていたからだ。

それ故に、確かめたかった。

神童と呼ばれた存在も、その男も主達と同じなのか。

噂話であれば鼻で笑い飛ばしてやろう。やはり主達のような人はそういないのだと。自分の主達こそが最も素晴らしい人達なのだと、帰って才蔵に伝えてやろう。意気揚々と大坂城に忍び込み、神童と呼ばれる男を見るまで、そう息巻いてすらいたというのに。

大坂城の中に忍び込み、奥に位置する中枢部の座敷に目的の男はいた。近くの松の木の頂から気配を消してその男を見下ろした。

男は、縁側で将棋を打っていた。

相手を務めるのは黒い忍装束に身を包む一人の男だった。どう見てもその男は忍で、目の前の光景に自分の目を疑った。忍と、将棋?

「……タイム」

「……?お時間が、どうかなされましたか?」

「お、もうタイムの意味覚えたんだ。さすが凪君凄いね。でも残念、この場合のタイムの意味は『ちょっと待って』と言う意味なんだよ」

「時継様、たいむと前に呟かれてから既に一刻経過しております」

「ぐっ……わ、分かったよ。私の負けだな……おやつはみたらし団子だね」

「餡子もちもお作り致しますよ」

「本当に!?凪君大好き!さすが凪君!ーーって言うかそう言っちゃったら今日のおやつを何にするか将棋で勝負してた意味無いよね?」

「許可を頂いたとはいえ手加減無しでの勝負でしたので、僅かながらではありますがその償いを。勝負は大谷様から甘やかすなと仰せつかっておりました故」

「母ちゃんかあいつ」

じゃあ将棋は終わりだねと忍と一緒になって将棋の駒と盤を片付け始める二人に言葉も出ず、ただ呆然とその平和呆けした光景を眺めていた。

忍を人として扱うなんて生易しいものでもない。あれは、主従関係の一線を越えている。忍は敬っていたが、神童は違う。隣に立つ対等な仲間として忍に接しているかのようなーー否、違う。あれは。

「……何だ、アイツ」

思わず溢れた言葉。

神童は何ともないように将棋の駒を片していたが、忍は違った。動きを止め、素早く辺りを見回す。咄嗟に口を抑え、らしくない自分の失態に心の内で己を罵りつつ、見つかる前にと影潜りの術で松の木の上から姿を消す、間際、忍の鋭い眼光が自分を捉えていたのがしっかりと見えて思わず舌を打ってしまい、苦笑した。恐らくあの忍は自分より格下だ。そんな格下に気配を気取られるとは、自分もまだまだということか。

気配を追われる前に大坂城から退き、甲斐へと向かいながら神童と謳われた男の顔を、忍に向けていた表情を思い出す。

自分の主達とは違う、家臣を優しく見守るような温もりの籠ったものではないものの、親しみのある者に向けるような眼差し。朗らかな微笑。命令ではない言葉を紡ぐ柔らかな声色。それは、明らかに家臣や忍に向けるものではない。主達すらも自分に向けたことの無いそれはーーふと、主と出会ったばかりの頃を思い出す。

主はまだ幼子で、主の父君に手を引かれて自分の前に現れた時、無邪気な笑顔を向けてくれた。忍の里から貰われてきたばかりで警戒心を解かない生意気な道具でしかない自分に、裏表の無い優しい笑顔を。無邪気な声で一緒に遊ぼうと自分の手を取り引っ張って駆け出して、驚いた自分はただ慌ててその後を追うように駆け出すしかなくてーーそこで、気付いた。あの男の眼差しは、微笑は、声は、あの時の主の、弁丸様と全く同じ、


忍の扱いを、知らない者の振舞い。


その衝撃は木の上を駆けていた自分の足を止めさせた。

振り返り、もう遠く離れ姿の見えなくなった大坂城の方角を見つめ、恐らく今頃忍と一緒になって菓子を食んでいるであろう神童に複雑な思いを向ける。

あの天才軍師と名高き憎い男の養子とあれば、軍事は勿論のこと戦国の世を生き抜く術も全てあの男から受け継いでいるはず……忍の、扱い方も。それなのに、あの神童は無垢な子供のように忍と戯れていた。どう見ても男は自分と同い年くらいで、武将としての振る舞いや常識を蓄え、振るっていても可笑しくはない年頃であるというのに。

弁丸様も元服を迎えてからは自分を家臣だと分別を持って接しているというのに(それでも恐らく、他の武将達から見れば忍としては破格の対応なのは間違いないだろうが)、あの男からはちっともそんな素振りは無くて、あの時の弁丸様のように無垢で、無邪気で。

噂で耳にする神童の人柄像を遥か斜めに越えた得体の知れない奇妙な人物に抱くのは、警戒心と興味がない交ぜになった、複雑な感情。今までに経験の無いそれを持て余しながら、思わず呟いた。
















「変な奴」



目の前で先程まで着せられていた女物の着物を、綺麗にシワがないようにと真剣な表情で畳んでいた喪服姿の男にそう言葉を発すると、男は不思議そうな顔でこちらに眼差しを向けてきた。その眼差しは、あの時と全く同じ無垢なもの。相変わらず、忍の扱いを知らない者の、眼差し。

それに何故だか無性に腹が立って、視線を反らす。

奥州からこの男を連れ出して半日も経たないうちに、大阪はもうすぐ目の前という所まで道程を進んだ。陸路を進むより空から飛んだ方が早いという判断は間違っていなかったが、空を飛ぶために呼び寄せた大烏に興奮したように目を輝かせる男の無邪気な顔を見て選択を間違ったと盛大に舌を打ってしまい、上空を飛べば怖がるかと期待していつもより高度を高く飛んでも「おぉ、飛行機より快適だなぁ」とよく分からないはしゃぎっぷりを披露されて悔しさからこれまた盛大に舌を打ったのは記憶に新しい(ヒコウキって何だ)。

今は長い時間飛び通しだった大烏を労るために一時休憩として大阪の領土内にある山の麓にあった茶屋の座敷で寛いでいて、着替えるには丁度良いといそいそと別室で着替えていた男が戻ってきて、それから綺麗な着物がシワだらけになってしまっては大変だと突然着物の手入れを始めた男、神童を見ていたら、先程の言葉が溢れたのだった。

「……ん?もしかしてそれ、私のことかな?」

恐る恐ると言った様子で人差し指で己を指差す姿は、正直あの天才軍師と誉れ高い竹中の子だと言われても納得いかない程に間抜けだった。あの男も今頃地の底で恥を掻かせないでくれたまえ等と苦渋の表情でも浮かべていることだろう。もしかしたら地に崩れ落ちているかもしれない。それを想像したら少しすっきりした。

「あ、聞こえちゃった?ごめんねぇ、俺様思ったこと直ぐ口に出ちゃうみたいでさ」

ニコリと人好きのする笑みを浮かべながらそう毒を吐けば、神童は困ったように苦笑した。

「……まぁ、言われ慣れてるから別に良いけど。君って本当にツンデレだね。いやデレてないからツンツン?いやチクチクと嫌味を言うからチクチク?ツンチク?何それ新しいジャンルを開拓するね忍君。M属性のお姉様達だったらイチコロだね忍君」

「訳の分からないこと言わないでくれる?俺様南蛮語分からないから」

「いや南蛮語じゃないんだけど……ん?俺様が一人称だから俺様系ツンチク男子か?」

最先端だねとよく分からない感心をされて苛立ち、盛大に舌を打つ。あれ、俺様こんなに柄悪い輩だったっけ?いやそれもこれも全て目の前のこの男が悪いのだ。

戦に出ない文官の身でありながら軍事にも関わり、その存在の重要性に価値を見出だされたのか戦国の梟雄と悪名高き松永久秀に拐われ、目の前で主を失った石田の旦那がほぼ理性を失いかけながら神童を取り戻すと友の制止の声を振り切って出陣しようとしていたのを力尽くで止めたのは、主である旦那だった。

体を押さえ込み「御免」と律儀にも一言断って鳩尾に槍の石突きをめり込ませて気絶させたはいいものの、さすがは西軍の大将を務めるとだけあってそれまでの競り合いにより旦那は無傷ではなかった。むしろ怪我だらけで「主はその体で時継を助けるか?」と大谷の旦那から白けた視線を向けられる程だった。

いや、そんな文句を言うなら始めから大谷の旦那が仲裁に入ってよねと心の中で苦言を呈しつつ、結局旦那の命もあって神童を救出に行く役目は自分に託されたのだった。ほら、やはりこんなことになっているのは全部目の前の神童が悪いのだ。旦那も怪我を負うし、何のために西軍に着いたのか分からなくなってくる。

大将が病に臥し、年若くも甲斐の国を背負うことになった旦那が大将という器に縛られ、一歩も歩めない状況に陥りそうになっているその頼りない背を後ろから見つめて愕然とした時、“あの”神童がいる豊臣軍なら、西軍なら武田を支えてくれるかもしれないと忍らしからぬ考えが浮かんで咄嗟に西軍の門を叩いたのは間違いだったのか。

着物の手入れが終わったのか、綺麗に畳まれた着物を茶屋の女将から貰った風呂敷に丁寧に包んで満足そうな顔をする神童は、どう見ても戦国の世を震撼させた政の策を次々と生み出し大阪を日ノ本一の商業国に叩き上げた天才には見えない。人は見かけによらないというのは仕事上身に染みてはいるが、目の前のこの見た目の性別さえも曖昧な男は別だ。

「ほら、もう出立するよ」

そう言いながら立ち上がると、神童もそうだねと風呂敷を大事そうに抱えて立ち上がる。

「おばちゃん、風呂敷ありがとね」

茶屋を出る際、自分とは違う種類の人好きのする自然な微笑を浮かべて気軽に女将に声を掛けるその姿は、町民と触れあうことに慣れているみたいだった。

しかも上に立つ者としてではなく、何処にでもいる町民と同じような、そんな振舞い。女将もまさか目の前の男が自分達の暮らす大阪という国の政を繰る神童だとは想像もついていないと言わんばかりの気さくな表情でそれに応える。

「あら、あんた女の子じゃなかったのかい」

「訳有りでね、ちょっと変装を。後でお礼に来るよ」

「あらそうかい。こんな道も無いような山の麓に戻ってくる物好きな人はそうそういないが、期待して待つとしようかね」

そう豪快に笑う女将に向けていた神童の微笑が、一瞬だけ違う種類の笑みへと変貌した。驚き瞬く合間に消えて元の微笑に戻ってしまったが、それは確かに脳裏に記憶された。女将は気付いた様子もない。一瞬の、寂しそうな笑み。

それから何ともないように告げた。


「大丈夫だよ。地元だから道がなくても土地勘でわかる」


嘘を言っているようではなかった。咄嗟に神童の顔を見つめると、視線に気付いた神童が女将に背を向けて歩き出す。速く行くぞと催促されたと勘違いしたのだろう。お陰で「地元……?」と不思議そうに呟いた女将が神童にその言葉の真意を問うことはなかった。

神童が先を歩き、自分がその少し後ろを歩く。茶屋が遠くに見えるまで歩き続け、それから周囲に人の気配が無いことを用心深く確認してから口を開いた。

「そう言えば、アンタ養子だったっけ」

「うん。この山の、もっと奥でお爺ちゃんと住んでたんだ」

歩きながら、神童が一つの山に向かって腕を伸ばし、指差す。その指差す方向にある小さくなだらかな傾斜の山を見つめ、その山の位置を記憶した。忍ならではの情報収集の癖だ。

「成る程、だから地元、ね。元は地侍の出っていうわけか」

「そんな立派なもんじゃないさ。ただの一般人、じゃなくて町民だったからね」

「……その町民の子供が武将の、それも天下を目指す程の家柄が立派な家に養子に迎え入れられるなんて、よっぽどアンタの“頭”は竹中の旦那に買われてたってことじゃないの?さすがは神童殿、竹中の旦那という後ろ楯を得て大阪の政を手中に収めるとは、武は出来なくとも幼子の頃から優秀だったんだね」

自分でも呆れるほど嫌味の込めた言葉に、神童は一瞬だけ足を止め、吊られて自分も足を止める。しかし再び歩き出した彼の華奢な背中を戸惑いながら見つめ、どうやら自分の言葉は彼に何らかの感情を抱かせたらしいとそう分析した。しかし彼の足を一瞬だけ止めたその感情が何なのかまでは分からない。

大烏を待たせている場所までまだ距離はあるし、その道すがらにでもそれを探ってみるかとそれを試みようとしたところで、静かな声がポツリと聞こえた。


「違う」


今までに聞いたことの無い、平坦な声色。無感情という訳でもない、しかし感情が籠っているというにはあまりにも希薄な声は何故だか自分の足を止めさせた。

その間も神童は歩き続ける。少し空いた距離を埋めるために少し大股で歩き、その背を追い掛けた。何故、自分は足を止めたのだろう。疑問を抱くよりも先に自分の言葉を否定した神童への興味が勝っていた。

「何が違うって?」

自分の問い掛けに首だけ振り返ろうとしたのか、僅かに頭が動いて微かに横顔が見えたが、そこで思い止まるように頭が止まる。その微かに見える横顔は笑っている、ように見えた。

先程よりも柔らかな、しかしどこかボンヤリとした声色がポツリと空気を震わした。

「本当に、ただの一般人なんだ」

その言葉に込められている感情は、道具として育てられてきた自分にとって理解することが出来ないもので。

きっと、忍を人扱いする程の人情溢れる主ですらもその声色に隠る感情を窺い知ることは出来ないのだろうと何故かそう自然と思い、はたとそれは何故かと自問自答しても答えは見つからない。

この目の前の男は主とは似て非なる人間なのだと無理矢理自分にそう言い聞かせるように思い込み、しかし明確な答えのないそれに腹を立てたように天の邪鬼な考えが脳裏を過った。

「……ただの、ねぇ……町民上がりの子供が大阪の政を行うなんて、誰がどう考えてもよっぽどの功績だろ。アンタのその謙遜、俺様には傲慢にしか見えないよ。自慢より質が悪い。それにそのただのイッパンジンとやらが凶王と呼ばれる気難しい男を手懐けるなんて、それこそただの町民には出来ない芸当だと思うけど?」

毒を含ませたその言葉に神童は首だけ振り返る。今度はしっかりと横顔が見えるほどに首をこちらに向け、彼は困っているように苦笑する。駄々を捏ねる幼子を見て呆れている親のようなその顔を見ただけで無性に腹が立った。

これではまるで、自分が幼子のようではないか。

「本当に、ただの町民なんだけどな。それに三成のこと手懐けたつもりはないよ。皆、勘違いしてるんだよ。あの子は確かに気難しいかもしれないけど、実は誰よりも純粋で真っ直ぐで、優しい子なんだ。まさに清廉潔白を体現したような子で、私とは大違いだ。至らない私を色々とサポートしてくれるし、ただの文官でしかない私に尽くしてくれる。まぁ、半兵衛さんが私の父上だから、と言うのが理由かもしれないけど」

最後の方は、自嘲ともとれる含みがあった。

その声色を耳にした瞬間、自分がこうして神童を迎えに来るまえに凶王が出陣を止める主を伸さんと言わんばかりに刃を抜いて打ち掛かっていた時の形相を思い出す。

あれは、どう見ても神童の父が尊敬する男だからその息子を助けに行く、という生易しい決意からくるものではなかったように見えたが。

そう、例えるならばあれは昔、甲斐の下町に潜り込んで町民の暮らしを観察していた時に見た、ある町民の男が喧嘩相手の男に人質として好いていた女を拐われ、その女を連れ戻さんと決意を漲らせて相手の家へ押し掛けた恋に走る男の……男、の……?

思考が一時停止した。序でに足も一時停止した。

異変に気付いたらしい先を歩く神童も足を止めて

「……どうしたオカン?ホームシックになった?」

と声を掛けてきたので

「南蛮の言葉は知らないけどこれだけ分かるアンタ俺様のこと馬鹿にしてるでしょ」

と咄嗟に言い返して歩みを再開させる。自然と先程よりも歩む速度が速くなって神童を追い越したが、それを気にする余裕がない。歩む速度と同じく漸く止まっていた思考も回転を始めた。むしろ焼ききれるように思考する。

ーーえ、いや、え?あの凶王が?主である豊臣秀吉か竹中半兵衛の言葉しか聞かないようなあの朴念仁が?『恋についてどう思いますか?』なんて聞いてみれば『恋?そんな幻に現を抜かし仕事を疎かにするなど秀吉様の名に置いて万死に値する跪け首を差し出せ斬滅してやる』なんてとばっちり食らって殺されかねない恋というものに対しその反対の極地にいそうなあの男が?いやいや、そんなわけあるはずがないーー主の槍をいなし、焦燥を隠す気もなく斬りかかっていたあの冷たい金緑の瞳に恋の炎が宿っていたように見えただなんて、そうだ目の錯覚に違いない。あの瞳に映った熱はきっと主との戦闘が楽しかったのだ。

と言うか神童はあの凶王にとって豊臣秀吉が亡くなるまでは元上司に値する存在だったのだ。自分の尊敬する男の子供にして自分の元上司。そうだだから凶王は上司であり恩師の子である神童を助けようと必死だったに違いないそうだきっとそうに違いない。

そもそも神童は男で凶王も男だ。女との浮いた話が一つもない男に限ってそんな馬鹿な……否、もしや凶王の色恋の噂を聞かなかったのは凶王が衆道だったからなのか……?しかし神童には千鶴姫という婚約者がいるしどう考えても実らない恋……え、もしかしてその婚約者がいるから自分の恋を通せなくて自分の内側にそっと留めていたから噂にもならなかった的な話の流れだったりする?もしくは元上司に恋するなんてなんて罰当たりだみたいな考えで立場が逆転した今でも手を出すに出せなかった的な?しかし諦められず、今回の誘拐事件にその恋心が触発されて押さえきれなくてもう自分が助けに行こうとしてた的な話だったりする?


やだ何それ、凶王の旦那どんだけ健気なの。


「おーい、忍君。君の歩くスピード早いから少し落としてくれないかな?私もはや駆け足なんだけど。君、競歩の選手の元祖か何かなの?」

後ろから追い掛けてきたその声に暴走しかけていた思考と歩き続けていた足が急激に止まった。

振り返れば、少し距離を離したところから神童が自分の直ぐ手前まで駆けてきて、息を乱している。よっぽど自分は速歩きしていたのだろう。自覚していなかった。

情けないことに走っただけでうっすらと汗ばんだ額を手拭いで拭い息を吐く神童のその姿を見、暴走しかけていた思考がまたユルリと動く。



神童は、凶王のことどう思っているのだろう?



いや。


いやいや。いやいやいやいや落ち着け俺様。なんで人様の恋路に首突っ込もうとしてるの俺様。いやそもそも恋路じゃないかもしれないだろ俺様落ち着け。さっきも結論を出しかけていたが、凶王が神童を助けようとしていたのは元上司だからという理由があるかもしれないだろう。凶王の金緑の瞳に恋の熱があっただなんて目の錯覚かもしれないし。そもそも他所の国の恋愛沙汰なんて武田軍には関係ない。いやだから恋愛ではないんだって俺様落ち着け。

あらかた息が整ったのか、大きく深呼吸して神童がこちらを不思議そうに見つめてくる。

「忍君?様子がおかしいけどどうしたの?」

平和呆けした声色と表情でそう首を微かに傾ける神童に、忍としての情報収集癖の元とも言える探求心が疼いた。というかこれはもはや野次馬根性だ。もうこの際色恋沙汰でいい。ものすごく確かめたい。気付くと口が開いていた。

「ねぇ、アンタって凶王の旦那のこと、どう思ってんの?」

いや直球過ぎるだろ俺様。思わず内心突っ込んだが、それよりも神童の様子が気になってその表情の変化を逃すまいと見つめる。

神童は呆気に取られているようで阿呆面をしていた。

「……三成の、こと?」

視線が下に落ちる。口許を隠すように片手を当て、神童は突然の問いに疑問の声も上げずにむしろ答えようと口を開いている。

「どう、って言われても、三成は大事なーー」

声が途切れて、神童の瞳が揺れる。

とも、だち?いや、というよりは、家族、でも、なんか違うし。そんな小さな独り言が零れ落ちるのを一言も聞き逃さなかった。え、嘘でしょ。

「三成、は……えぇ、と……」

声が段々小さくなる。まるで思考に没頭しようとしているかのように顔も俯いていくその様子に冷や汗が流れた。嘘、だろ。家臣って言葉すら、出てこないのか。

呆気に取られる自分を他所に、漸く答えを見つけたのか神童が恐る恐る顔を上げる。明確な答えを見つけたというよりこれで正しいのか分からないが恐らくこれだと言いたげな顔で、神童が口をゆっくりと開いた。


「三、成は、大事な……………………………人?」


思考停止。

神童も自分の発言に驚いているように目を見開いてこちらを見つめていた。

何も言えなくなってただ漆黒の瞳を見つめ返しているとその目が次第に揺れ、ジワリジワリと頬が赤く、なって。

「ーーあ……いや、ちがっ、そう言うんじゃなく、て、その……違う、んだようん。そう、じゃなくて……っ!」

まだ何も言っていないのにアワアワと見ていると背筋が痒くて仕方なくなる程に真っ赤な顔で狼狽え始める神童の様子に一つのことを確信した。暴走した俺様の思考の方が正しかったとか俺様忍として終わってるんじゃないだろうか。

と言うか石田軍のトップは色々大丈夫なのだろうか。そんな石田軍に同盟を申し込んだ自分達も大丈夫なのだろうか。

いや、とりあえず石田軍には大谷の旦那がいるしきっと大丈夫だろう。武田軍も俺様いるし。大坂城に着いたら大谷の旦那にこれまでの凶王の旦那の戦歴と結果と現状と予定を聞いてから、この出来事を報告してみよう。


とりあえず、


















頼むから爆発してくれ


















(凶王の旦那、とりあえずアンタの苦労は報われてるっぽいよ……)

(三成は、三成、は、三、成、は……大事な、えーっと、忍君違うんだ、えーっとね、三成はね、)
(もういいよ、察したから。無理に喋ろうとしなくていいから竹中の若旦那)
(え、何を察しーー若旦那?)
(竹中の旦那だと俺様にとって竹中半兵衛を指すからね。竹中の旦那と区別しただけ。何か文句ある?)
(え、いや、特には……)
(そ。じゃあまた大烏に乗るから急いでくれる?ついでに凶王の旦那と一緒に爆発して)
(何で!?)
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