二頁目
「――さて、そろそろか」
突然立ち上がり、そう言った松永公――いつの間にか手には愛用の剣を手にし、戦装束なのか、白と黒と金の三色が基調の羽織を肩にかけている。
気付けば小太郎さんも私の手をやんわりと解いて立ち上がっている――小太郎さんに関しては、背に背負う忍刀に手を掛けるというオマケ付きだ。
まるで今から戦に出ようとでもするかのような二人に、自然とこちらも緊張して体が固まってしまう。
気のせいか、纏っている空気すら違うような、そんな二人を見上げ、何事だろうかと首を傾げた。
「?何がそろそろなんですか?」
「直に分かる。まだ卿を手放すには惜しいのでね……さて、風魔」
松永公が小太郎さんにアイコンタクトをとると、小太郎さんは音もなくその姿を消した……一枚の黒い羽を残して。
その直後、どこか遠くから怒号と金属がぶつかり合う音が耳に届き、驚いてビクリと体を震わしてしまった。
「……え、マジで何なんですか?」
戦によく似た雰囲気を感じとり、いつでも部屋から飛び出せるよう身構えていると、松永公が開け放たれていた障子を閉めきり、落ち着かせようとしてくれているのか、そっと肩に手を置いてきた。
「卿は動かないでいたまえ。その格好では動き辛いだろう?」
ニヒルな笑みで諭すようにそう言う松永公。
言われて自分の格好を見下ろす――松永公からプレゼントされた、黒の下地に彼岸花の群集が描かれた例の綺麗な女物の着物に、横に緩く一つに結わえられた髪。
それに加え、小太郎さんにこちらの化粧の仕方を教わったので、興味本意で今日は薄化粧を施している。
――こちらの世界に来てから、初めて着飾った自分の姿。
「…………………着物の裾を持ち上げればいける」
「止めたまえ」
両手で着物の裾をサッと持ち上げた瞬間、松永公に頭を叩かれた……地味に痛い。
痛む頭を擦りながら松永公をジト目で見つめても、松永公はこちらに見向きもしない。
ただジッと、太陽の光を受けて白く光る閉めきられた障子を見据えている……否、閉じられた障子の向こうにいる“何か”を見透かすかのように――
ピシリ
何かが軋むような音。
一拍を置いて、閉めきられていた障子に幾つもの光の筋が走った。
それらの光の筋が障子を埋め尽くし、その場に妙な緊張感が漂う――気付けば、障子の向こうに一つの影がボンヤリと浮かび上がっていた。
それを見て酷く愉快げな笑みを浮かべた松永公が気にはなったが、それ以上に障子に映る影から目を離すことが出来ない。
チンッ
障子越しに聞こえた、小さな鍔鳴りの音。
その音を合図にするかのように、光の筋に沿って雪崩のようにバラリと障子が崩れた。
障子で遮られていた太陽の光が燦々と部屋に入り、その眩しさのあまり外の景色が直視出来ず、シパシパと瞬きを繰り返していると。
「――時継、様」
まるで、何週間もその声を聞いていなかったような、そんな感覚。
実質的には、たった三日間だけ聞いてなかっただけだというのに。
それでも酷く懐かしく思えてしまって、自然と唇が弧を描いた。
「……久し振り、三成」
太陽の光を背後に、見慣れた長身痩躯の青年がそこに立っている。
澄みきった金緑の瞳が微かに見開かれ、揺らいだ。
「時継様……………………………………………………その格好は誰の仕業ですかっ!!!?」
咄嗟に松永公を見てしまった瞬間、三成の姿が“ぶれた”。
「貴様の仕業かぁああぁああっ!!!!」
鈍い金属音と共に、松永公が三成の刃を受け止める。
剣と長刀の間で二人が顔を見合わせるが、二人の表情は相反的なものだった。
「よくも……よくも時継様にあのような辱しめを……!十六寸に切り刻むだけでは足りん骨も残さず刻んで斬滅してやるぅぅううぅぅうっ!!!」
「似合うだろう?」
「似合――うわけないだろう斬滅してやるっ!!!」
「今の間は何かね?」
「っ!!?死に散らせぇぇえぇええぇっ!!!!!」
ガギンガンギィンギャンッ
三成が放つ神速の居合いを涼しい表情で軽く受け流す松永公――対する三成は二つ名の『凶王』を体現したかのような凄まじい表情である……正直言うとめっさ怖い、子供でなくとも見たら泣きたくなる恐怖の表情だ。
「――やれ、やはりこうなるか」
そんな呆れたような声色と共に、私の体がフワリと宙に浮き、フワフワと半壊しつつある部屋から誘導されるかのように中庭に連れ出される。
……犯人は言うまでもない。
「吉継も来たんだね」
中庭から、部屋の中で暴れ狂う三成と涼しい表情で怒濤の斬撃を受け流す松永公の戦闘を眺めている吉継。
そんな彼の力でフワフワと宙に浮かびながら彼の御輿の上に避難させられ、下ろされた。
吉継の背後で膝立ちになり、彼の肩に両手をそっと乗せる形でどうにか体勢が落ち着き、一息を吐く。
「時継よ、主はいつから女子になりおったのよ?」
「似合う?」
「そうよなァ……われの目がおかしくなければ、違和感が働かない程度には似合うておる」
「そっか」
そうしてそのまま、吉継が《急くな鉾星》を使って屋敷の中を駆けていく。
食い止めようとした敵が車輪代わりの数珠で弾き飛ばされるのを視界の隅で捉えながら、口を開いた。
「吉継、来てくれてありがとう」
「将棋の相手がおらぬ故、仕方なくよ、シカタナク」
ヒヒッ、と引き笑いで笑う彼の頭を軽く小突きながらも、二人が迎えに来てくれたことが嬉しくて、ついつい笑みが溢れてしまう。
その嬉しさのあまり目の前の刑部の背に抱きついて、首筋に額を押し当てた。
鼻に届く、薬のツンとした香り。
「本当に、ありがとね」
「――、肝が冷えた。次は主が肝を冷やすがよかろ」
「それは勘弁だなぁ」
そんな軽口を叩きあっていると、恐らく、屋敷の入り口に近付いてきたのだろう。
兵の数が先程よりも増してきて、気付けば刑部の《急くな鉾星》でも切り抜けられないほど兵の数に囲まれていた。
御輿を止めて、二人で周りを見渡す。
「わ、もしかしてピンチってやつ?」
「そうよな、ぴんちよ」
「……吉継、意味理解してる?」
「……ヒヒッ!」
ジリジリと輪を狭めてくる敵兵。
戦闘準備万端の吉継はまだいいが、私は動き辛い女物の着物を着ていて、武器一つ持っていない――このままでは足手まといだ。
「吉継、」
「主はそこにおれ。これしきのこと、赤子の手を捻るより容易かろ」
吉継は飄々とそんなことを言ったが、見渡す限り敵兵に囲まれているこの状況で、何処まで彼が戦えるか。
敵兵が更ににじり寄ってきた、その時。
「――時継殿!!」
ゴォッ、と強風がその場を襲った。
目を開けていられなくて、咄嗟に目を閉ざしてしまった直後。
フワリ、と体を優しく抱き締められ、感じる浮力。
「――え?」
驚いて目を見開けば、すぐ目の前には晴れ渡った青空を背景に、人懐っこそうな青年の顔。
慌てて周りを見渡せば、私はその青年に横抱きされて空飛ぶ飛行物体――本多忠勝の上にいるらしかった。
遥か下には小さくなった屋敷と、呆然とした様子でこちらを見上げる敵兵達……吉継に関してはこちらを睨んでいるように見えるのだが、気のせいか。
顔を青年に戻せば、その青年の顔がホッとしたように眉尻を下げた。
「いえ、やす……?」
「三成達が心配で、後を追いかけてきたんだ……時継殿、ご無事で本当に良かった」
心の底からそう言っているような、凄く純粋な声色と笑顔。
まるでそれに絆されるように、つられて私も笑っていた。
「ありがとう、家康。助かったよ」
吉継が何故こちらを睨んでいるのか分からないが、足手まといの私がいなければ、彼も本領を遺憾無く発揮できる。
「――ところで、時継殿。何故その様な格好を?」
……何だろう、度々人に会うとこれを聞かれている気がする。
まぁ、一応男として振る舞っているし、周りの人からすれば私がこの格好をすること事態、おかしいのだろうけど。
――でも。
「……似合う?」
「あぁ、凄く似合っているぞ!まるで本当の姫のようだ」
「そっか」
家康の言葉を聞いても、吉継の言葉を聞いても晴れない心。
頭の中で響いているのは、三成のとある言葉で。
『似合――うわけないだろう斬滅してやるっ!!!』
これでも女の子です
(似合わない、かぁ……)
(?似合っているぞ、時継殿)
(ん、あぁ、いや、三成に言われてね)
(三成が……?)
(吉継は似合うって言ってくれたんだけど……まぁ、私“男”だしね。似合う方がおかしいか、うん)
(――刑部っ!!時継様は何処だ!!!)
(彼処を見やれ)
(イィィエェェヤァァスゥゥウゥゥウウゥッ!!!!!)