時継








「あ、」




しまった、と思った時には既に遅かった。


手から湯飲み茶碗がスルリと滑り落ちて、落下―― 一拍遅れて、甲高い破裂音が部屋に響いた。

書類があちこちに散らばる畳の上で粉々に砕けたそれを呆然と見つめ、けっこう気に入っていた湯飲みだったのに、と言う代わりに溜め息を一つ零した。

「よりにもよって、“今日”割れるなんてね……」

そう呟きながらしゃがみこみ、胸の内に過った嫌な予感を振り払いながら、指を切らないように細心の注意を払いつつチマチマと鋭い破片を拾い集め、屑箱へ入れていく。



――今朝方、秀吉様が豊臣軍の主力メンバーを引き連れて“最後”の戦へと旅立った。



この戦が終われば、豊臣軍に歯向かう国はもう無い……豊臣軍が日ノ本を実質的に制したことになる。

万が一の出来事に備え、兵にすら伝えていない策を秀吉様に進言したり、豊臣軍の主力メンバーである三成と家康の力を思う存分発揮できるよう考え抜いた布陣も吉継に伝えた。

今の最強の豊臣軍に敵う相手など何処にもいないだろう。

用心に用心を重ね、やるべきことは全て尽くしたつもりだ。


後は、秀吉様達の凱旋を待つだけ。


カチリ、最後に残った大きめの破片を拾い上げ、屑箱へ……ふと、屑箱の底で微かに煌めく欠片達を見つけて、ぼんやりと見入る。

空になったため茶を淹れてこようと立ち上がった際に落としてしまった湯飲み。

今ではすっかり原型を無くし、見事な木っ端微塵だ。



形あるものも、いつかはこうして壊れる。



まるでそう言うかのように煌めく湯飲みの欠片達に、確かにそうだ、と内心呟く。

永久に形を残せるものなどない。

永久に続くものも。

女としての人生を捨て、現代に帰る方法を探す時間を無くしてまでして支えてきた豊臣軍の天下も、きっといつかは廃れるのだろう……盛者必衰の理を現す、だ。

現代から見てきた歴史は皆全て永遠に続かなかったと分かっているから、悲観せずにそう冷静に捉えることが出来る。



永久には続かない――だが、半永久的に保たせることは出来る。



それを実行に移すために、これまでの時間を割いてきたのだ。

「やれやれ……いつになったら“帰れる”んだろうねぇ」

思わずそうぼやいてしまうほど今段階でも思い付くこれからやるべきことは山ほど残ってはいるが、それもあと少しというところまで漕ぎ着けた。

私の宝とも言うべき現代の知識――政に関する知識や貿易の仕方、学も部下に全て授け、一人の人が独占する政治ではなく、皆で話し合って未来への道筋を決めていくという考えも浸透しつつある。

ここまで部下達を育て上げるには並々ならぬ苦労と時間を要したが、そもそも人の考え方を根本的に変えていくということ自体が大変に難しいことなのだ。

むしろ報われる結果に辿り着けたこと自体が奇跡に近い。

まだ彼らは私に着いていくつもりのようだが、もう彼らは雛鳥ではないし、もう巣から飛び立つことが出来るほどの実力を備えている。

後は私が引退という形で政の最前線から退くことで、彼らの成長を後押ししなければならない。

最後の戦を終えて、大切な人達の安寧の未来を確実に保証でき、部下に仕事を引き継ぎさえすれば、私はもう用済みになる。

長らく夢見てきた平和な未来。

秀吉様の掲げる『外国にも負けない強い日ノ本』を私なりに考えた、未来の日本の姿。

もしかしたら、秀吉様には話が違うと怒られるかもしれない。

それでも、大切な人達が笑って過ごせることを目指した理想の日本は、私はこれしか知らないから。

後は引退する前に、秀吉様はこの戦が終わり次第朝鮮へ手をつけるつもりでいるらしいから、それをどうにかして止めさえすればいいのだ。

長らく戦をし続けてきた今の日ノ本はどこもかしこも疲れきっている。

それなのに日ノ本中の兵を集めて朝鮮へ出兵するということは、今も反抗心を燻らせている他の国の不満をさらに増長させ、悪ければ反撃の隙を与える可能性があるから。

もしそれらの国々が力を合わせて豊臣軍に迫ってきたら、統一した天下もまた戦国の世に逆戻りしてしまう。

「とりあえず、死ぬ気で秀吉様にお願いするしかないな……家康も反対だったし、家康と二人で説得に当たろうかな。三成は秀吉様に逆らえないからなぁ。吉継は確実に不幸がわんさか湧く方に味方するな、うん」

想像するだけで頭が痛くなる。

家康と二人で必死になって秀吉様に頭を下げて朝鮮侵略をやめるように説得する私、人の幸せを誰よりも願う家康は、きっと私以上に必死に違いない。

秀吉様はきっと今までにない渋面で私と家康を見ていて、その隣で三成があわあわと狼狽えていて、吉継はそんな私達を見て肩を揺らして爆笑していそうだ。

秀吉様を説得するのは骨が折れるだろう。



けれど、あのお方は優しいということを、知っているから。



半兵衛さんが亡くなってめっきり笑わなくなってしまった秀吉様だが、私と話すときは優しい眼で私のことをしっかりと見てくれて話してくれる。

秀吉様は決して言わないが、きっと、半兵衛さんの代わりになろうとしてくれているのだと思う。

そんな人だから、きっと最後まで諦めずに話すことが出来れば、わかってくれる。

勿論そんなに簡単に話が進むとは思っていない。

その結果に辿り着くまで、どこまで粘れるのかが問題だ。


大切な人達が、三成と吉継が、秀吉様が、家康が、今は九州に行っちゃってるけど官兵衛さんが、部下たちが、大阪の皆が、日ノ本中の人たちが、安寧の日々を過ごせるように。


「――あの、時継様。今よろしいでしょうか?」

屑箱から顔を上げれば、開け放たれた障子の向こうに、部下が両手一杯の資料やら書類やらを抱えてこちらを困った表情で見つめているのが見えた。


――え。

まさかまた仕事増えるの?


「ちょ、ちょちょちょちょぉぉぉっと待てワトスン君。まさかその量を今から追加しようって言うんじゃないだろう?」

「時継様、私の名前は“わとすん”などではございません。残念なことにこの半分は時継様のものです。後からまた追加致しますね。それよりも少し時継様のご意見をお聞きしたい案件が幾つかありまして……」

何やら聞き流したい内容が一部聞こえてきたが、聞こえなかったことにしよう。

部下が目の前で広げた書類の内容に思わず頭を掻きたくなったが。









“時継様”


“時継、”








彼らが、笑って過ごせる未来を作れるように。



「――どれ、どの案件?数が有り過ぎてどれか分かんないんだけど」
















どんな困難も乗り越えられる気がしたんだ
















(こちらの案件にございます。あとこちらも。あぁ、あとこちらもです。あ、それと――)
(ちょっと待て。この量明らかに“幾つか”なんてものじゃな、)
(あぁ、それとですね、)
(話聞けやコラ)
(時継様ぁぁあああ!どちらに居られますかぁああ!?例の案件でお耳に入れたいことがぁあああ!!)
(馬鹿者、こちらの案件が先だ!この期限は今日の昼過ぎまでだぞ!!)

(……もう泣きたい)



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