二十八ノ話






――ある日、半兵衛さんの計らいで雑賀衆が仲間になった。




否、この言い方では彼らに撃ち殺されてしまいそうだ。

正確には、豊臣軍が雑賀衆を雇った、とでも言えば良いのだろうか。

高額な金を払う代わりにそれに見合うだけの働きを戦場で見せてくれる雑賀衆は、まるで傭兵の集まりのようで、軍隊のように統率がよく取れた戦闘集団だった。

常に火薬の臭いと戦場の空気をその身に纏う彼らの棟梁は、私と同い年か、もしくは幾つか年上くらいの女性で、名は雑賀孫一と名乗った。

そして彼女は唯一、初対面で私を女だと見破った女性である(半兵衛さんと契約の話をしてる最中に、半兵衛さんに着いてきた私を見てさらりと告げてきたから心底ビビった)。

様々な銃器をあちこちに隠し持ち、働くキャリアウーマンのように凛々しい雰囲気の彼女と是非とも話をしてみたかったのだが、契約が成立して直ぐ、彼女は仲間を連れて小田原へ向かう豊臣軍に着いて行ってしまったため、話す機会は全くと言って良いほど無かった。

誠に残念ではあったが、金を払えばまた会ってくれると約束してくれたので、まぁ、一応良しとする(契約時に半兵衛さんとの金額交渉を互角に渡り合い、勝って高額請求してきた彼女の姿を見たせいか、一度雇ったのだから割引を利かせて欲しいと土下座して頼み込んだのは秘密である――もちろん断られたが)。



――まぁそんなこんなで、豊臣軍が戦に向かったため、大坂城はまたもや静かだ。



前と違うところと言えば、吉継は中国の安芸にいる友達の元へ遊びに行っていて、入れ替わるように家康が大坂城に残っているということである。

あちこちの国々を制圧し天下統一をほぼ目前にしている豊臣軍は、他の国に比べあまりにも戦をする回数が多く、また城を空けている回数も多い。

そのため、秀吉様達が大坂城を留守にしている時によく攻め込まれるのだ。

それを防ぐために入れ替わりで一部の兵と武将が大坂城に残される……前回のお留守番は吉継で、今回は家康の番というわけだ。

何かと家康に怒鳴る三成がいないためか、大坂城はいつもより静かだ。


――静かだったのだが。




「なぁっ秀吉!俺だ、慶次だ!出てきてくれ、お前と話したいことがあるんだ!!」




絶賛攻め込まれなう。


いや、まだ門は破られていない、いないが、門の前に一人の男が先程から居座って叫んでいる。

追い払おうと近付く兵をやけに大きな刀(?)で風を起こして積み上げて山にしていくので、今や男に近付く兵はいない(というか撤退させて城の中へ避難させた)。

相手は一人であるというのに情けない、と嘆く部下を宥め、門の上に設置されている物見からこっそり男を観察する――秀吉様には及ばないが、一般人と比べれば遥かに体の大きい男だ。

大きな刀を片手で易々と扱い、兵達をあっという間に伸して山にする姿を見る限り、ただの怪力男というわけでもなさそうだ。

「風の婆娑羅か……近付くとやっかいだな」

今にも門を押し壊してしまいそうな男の様子に内心で冷や冷やしつつ、片手で頭を掻きながらそうぼやくと、いつの間にか隣で物見から身を乗り出していた家康が「あれは……」と目を細める。

その細められた目に微かではあるが感情が滲んでいるのが見えて、咄嗟に口を開いた。

「……家康、知り合い?」

そう隣の家康を横目で見上げれば、男から目を離さずに彼が頷く。

「あぁ、前に何回か――」

「秀吉、聞いてるんだろっ!?出てこないならこっちから行くからな!!」

何かを言いかけた家康の言葉を男の言葉が遮り、男が天高く掲げた大きな刀に鮮やかな桜色の風が纏われたのを見て、もうのんびりと物見から男を見下ろしていることは出来なくなった。

咄嗟に物見から飛び出し男の前に着地する――着地に失敗して足の裏がむず痒い痺れに襲われたが、気にしてはいられない。

鉄扇を形だけ構えると、目の前の男は驚いたように目を見開いて動きを止めた。

「アンタ、今どこから――」

「竹中時継と申す。申し訳ないが貴殿が秀吉様に会うことは許されない。潔く引き返されよ」

早口でそう伝えれば、男の顔が呆気顔から真剣な表情へと移り変わる。

「……悪いけど、そうはいかない。これは俺と秀吉の問題だからね。アンタが引いてくれ。引かないと、」

構えられていた大きな刀が振り回され――ブォン、と直ぐ目の前を刃の切っ先が通過すると同時に、ピシリ、と右頬に微かな痛みが走る。


向けられた切っ先の奥で、焦げ茶の瞳がこちらを見つめていた。


「俺は、アンタを倒してでも前に行く」

殺気、ではないが、気迫のようなものが肌を粟立たせる。

完全に相手の空気に呑まれてしまったらしい……まぁ、もとより戦の地に足を踏み入れたことすらない私ごときが、ただ者ではないらしい彼相手に太刀打ち出来るなんて思ってはいない。

なら何故飛び降りたのか――答えは、私はただの時間稼ぎだから。


「――そこまでだ、慶次」


男の視線と意識が私に向いていた隙を狙って背後から静かに歩み寄った家康が、男の肩に手を乗せる。

家康は素手を武器とする近距離戦闘スタイル、つまり、家康が相手に触れあえる程にまで近付いたということは、男は家康の射程距離に入ったのだ。

男が酷く驚いた様子で首だけ振り返り、家康を見て目を丸くした。

「お前――家康じゃないかっ!何でこんなところに……」

「久しぶりだな、慶次。相変わらずの風来坊ぶりで何よりだ」

家康は穏やかに笑って男の肩を軽く叩く。

すると男は渋々と言った様子で大きな刀を下ろした――それはまるで己の負けを認めたから下ろしたというより、友人に頼まれて仕方なく下ろしたかのような様子だった。

全身を圧迫していた気迫が一瞬で消え、その場に膝をついてしまいそうになるのを何とか堪えて、鉄扇を懐に仕舞い、震える足で何とか立つ。

怖かった、というより、畏れていたのだ、男の気迫に。

知らず知らず肺に溜めていた息を静かに吐き出し、息を整える……それから男を見据えた。

「……繰り返すが、貴殿が秀吉様に会うことは出来ない。用ならば私が預かる」

例え家康の友人だったとしても、今、秀吉様が大坂城にいないことを覚られてはいけない。

その思いからそう淡々と言えば、男の顔が寂しそうな、それでいて悔しげな表情に染まりこちらを見つめる。

「……どうしても、駄目なのか」

「秀吉様は天下統一を目前に控えられている。その前を阻む者は何人たりとも、誰であっても許されない」

まるで三成のようだと内心自分の言葉に突っ込みながらそう事務的に淡々と言いきれば、途端に男の顔が豹変する。

怒りと悲しみの入り交じった表情に染まり、男の感情に共鳴しているのか、風の婆娑羅が辺りに吹き荒れる。


まるで春の嵐のような風の中、桜の花弁が目の前で乱れ散る。


「慶次、落ち着――」

「何が天下だ……惚れた女を手にかけてまで手に入れる価値があるのか天下って奴には!!?何が世界に誇れる強い日ノ本だ!例えどんなに大阪が栄えていても、戦ばかりで町の皆も兵も疲弊しきってるだろ!どれだけの人が苦しんでいても死にそうでも、決して省みない……自分の望みを叶えるために周りを巻き込んで我を通すのは間違ってるだろっ!!!」


それは、男の心の叫びだった。


男は泣いていなかったが、それは確かに慟哭だった。

男を宥めようと伸ばされた家康の手が不自然に止まり、明るい茶色の瞳が見開いて、そして惑うように揺れる。

男の言葉は私の頭の芯をも揺らして、心の奥底に深く突き刺さった。

……確かに、最近戦ばかりで民も兵も疲弊しきっているし、実力主義の豊臣軍では農家の出身でも才能があるならば次々と徴兵を行うものだから、農家の若い働き手達も数が随分と減り、作物が取れにくくなって税金を納められないという農家もチラホラ出始めている。

農家ばかりではない、普通の町民だって高騰する売り物を買うことが出来ず、高くなった税を払うことも出来ない者達だって少なくないのだ。

今はまだこれまでの米の備蓄分や税金で国の政や軍資金を補えるが、恐らく一年後二年後にはもう限界を迎えているだろう。

天下を取る前に一揆が起きるのも、時間の問題だ――が。

脳裏で、三成と吉継の顔がボンヤリと浮かぶ。


……彼らが死なずに済むようになるまで、もう少しだから。


「……後少しなんだよ、天下統一まで。秀吉様が天下を取れば、戦のない日ノ本が――大切な人達が死なずに済むんだ」

「そのためなら町民を犠牲にしてもいいって言うのかアンタは……!」

「違う……そんなつもりはない。秀吉様と半兵衛さ――義父上が国を統一しようと忙しい今、大阪の政は私が取り締まっている。大阪の不況の原因は私だ。私が不甲斐ないから、貴殿が見てきた大阪になっている」

日に日に目を通す書類も増え、半兵衛さんの分の書類にも手を出すことが多くなってきた。

大阪の政の方針を話し合う会議でもなかなか意見が纏まらず、強引に策を進めることだってある。

そのせいで以前より他の文官達から反感を買っているという自覚もある。

度重なる戦のせいで死んでいく兵達の数を聞くたびに、城下町を出歩いて悲しみに暮れる家族達を見る度に、心が石のように固まり冷えて、もし戦をしなければ、なんて馬鹿なことも考えることだってあった。

だが、生き急ぐように戦を進める半兵衛さんの理由を知っているから、余計に戦を止めよう等とは簡単に言い出せない――否、速く天下を取って大事な人達が穏やかに暮らして欲しいから、言えないだけなのかもしれない。

目にする大阪の町の現状と死んでいく兵達の数を見ても聞いても、後少しだから、と目を閉じ耳を塞いできた。

多少の犠牲が出るのは仕方ないと、自分を無理矢理納得させて進んできた。


これは私の責任で、エゴだ。


「――秀吉は、政すらも見ないのか」

吹き荒れていた桜色の風が、ふとした瞬間に掻き消える。

「っ、違うぞ、慶次!秀吉公は時継殿を信頼して―――」

家康がそう前に踏み出したが、その目は何かに迷っているかのように揺れている……否、彼は迷っている。

そんな様子の家康を見て、頭の中でこれ以上は危険だと誰かが囁いた。

「……家康、君は城に戻ってて」

「時継殿……?」

「この男は私が何とかする。君は城の方を気にかけていて」

そう言えば、家康が一度男を気に掛けるように見て、それから小さく頷いた。

「分かった」

家康が城へ戻ろうと歩み始めた、その時。


「待て、家康!」


男の声が、家康を引き留める。

その瞬間、頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響き、無意識に懐から鉄扇を取り出した。

「お前も、今のままで良いと思っているのか!?秀吉のやり方に納得してるのか!!?」

男の方へ振り向いた家康は驚いたように目を見開きつつも、直ぐに眉間に皺を寄せ、視線を地に落とす。

「ワシは……」

「家康、城へ戻って」

家康の言葉を聞きたくなかった。

家康の答えが、まるで手に取るように分かったからかもしれない。

男がまた口を開こうとしたのを見て、咄嗟に男に肉薄し、驚いた表情でこちらを見返す男の顔を、目を見据えながら鉄扇を喉元へ突き付け、囁いた。


「部外者のお前に、何が分かる」


自分のエゴだと分かっている。

それでも、大切な人達が死ぬのは見たくないから。

大切な人達が穏やかに暮らす世の中を作り上げるためならば、どんなことにだって手を染める。

それが例え、他人から後ろ指を指されることであっても。

彼らの未来を守るためなら、私は、














汚れ役を背負ってでも、前に進む














(時継殿、ワシは、)
(家康、惑わされては駄目だよ。秀吉様が天下を取れば直に大阪の町は、日ノ本は平和になる。それまでは私が政を何とかするだけの話だよ)
(だがっ、時継殿だって十分過ぎるほどに尽くしているじゃないか……!!)
(こらこら何言ってるの家康。あぁやって他人から批判の声が上がる間はまだまだだってことだよ。まぁ、正直、聞いていて耳は痛いけどね。取り合えず今は秀吉様達の帰りを待とうよ。お茶でも飲む?あ、でもその前に南蛮貿易の書類片付けなきゃ――)
(時継殿……!ワシは、ワシは……)


(……秀吉、お前に尽くしてくれる人がいるのは俺も嬉しいよ。だけど、その人の人生すらも、お前は奪うのか……?)

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