二十四ノ話
――切っ掛けは、とある事件だ。
大阪の町が大いに栄え、恐らく誰もが日ノ本一の城下町だと認めるような、そんな平和な町になり始めていた、そんな頃。
「――辻斬り?」
平和な時代を生きていた私とは遥かに無縁なその言葉を報告してきた部下。
約一時間かけて書いていた書状から気が反らされ、思わず筆に含ませていた墨をボタボタ、と遠慮なく垂らしてしまった。
……書状がダルメシアンになった。
「……ちきせう」
「も、申し訳ございません!」
「あー、いや、君のせいじゃないよ……それより、その話をもっと詳しく聞かせてくれ」
慌てて顔を伏せる部下にヒラヒラと手を振り、やりきれない思いは頭を掻くことで誤魔化した。
それから懐に仕舞っていた鉄扇を取りだしてバチリ、と開き、話を促す。
「は、はっ!被害は深刻な状態で、既に老若男女問わず十数人が殺されています。全て夜の時間帯に行われているらしく、誰も罪人の顔は見ていないそうです」
「場所は?特に関連性はないのか?」
「は、今のところは……」
部下の簡単に纏められた現状報告を聞いて、不思議に思ったことが一つ――否、一つの怒りがフツフツと沸いてきた。
「――で?何で被害が十数人なんて大規模になってから私に報告してくるんだ?」
「そ、それは……」
静かに尋ねれば、途端に言葉を濁す部下……視線もあちらこちらに泳いで忙しない。
その煮え切らない態度に怒りが増長し、思わず持っていた鉄扇をバチン、と音をたてて閉じる。
「……何だ。何か問題でもあるのか?」
「いえ、そ、その……実は、被害者の切り口が特徴的なもので……罪人と目星き人物が一人、挙がったのでございます」
「――ちょっと待て。私にその事件事態を報告しないままそこまで話を進めたのか?」
もはや怒りを通り越して呆れるしかない。
溜め息を吐けば、部下が慌てて土下座をするように頭を下げた。
「も、申し訳ございません!!ただ、ここから先を時継様に報告しても良いものかと、皆で悩んでおりましたので……!」
「悩む?何、まさか罪人らしき人が私の知っている人だったとか?」
「そ、それが……」
言い淀む部下を前に、既に冷えきっているお茶を手に取り、お茶でも飲んで気分を落ち着けようと、お茶を口に含んだ瞬間。
「――罪人として挙がったのは、石田三成様でございます」
ゴブファアッ!!!
……部下の顔を盛大にお茶まみれにしたのは、言うまでもない。
運悪くお茶が目に入ったのか、呻き声を上げながら踞って悶絶する部下――非常に行儀悪いが、その上を軽く跨ぐようにして飛び越え、ダッシュでとある部屋に向かう。
すれ違う侍女達に走らないでください等と注意されてしまったが、それどころではない。
全速力で走っていれば、目的の部屋が見えてきた。
急ブレーキをかけ、軽くスライディングのような体勢で部屋の前に止まり、軽く上がった息を整えることなく締め切られた障子に手を掛け、
「半兵衛さん!!」
スパァァアアアン、と半兵衛さんの部屋の障子を勢いよく開いたら、勢いが良すぎてガタンと障子が外れた。
「……時継君、直してくれたまえ」
書状をしたためていたのか、小筆を持ったままこちらをジト目で見つめる半兵衛さん。
いかにも冷静に構えている半兵衛さんだが、手元の書状がダルメシアンになっていることから少々たりとも動揺したのが伺える――じゃなくて。
「半兵衛さん!斯々然々で大変なんです!!」
「全く分からないよ」
スパンッ、と鋭い衝撃が頭を襲う。
衝撃の正体は言うまでもなく半兵衛さんの突っ込みによるものだ。
取り敢えず座りなさいと怒られたので、仕方なく半兵衛さんと向き合うようにして座り、つい先程部下から聞いてきたことをかいつまんで半兵衛さんに報告した。
書き損じた書状を処理し、湯飲みを手に全ての話を聞き終えた半兵衛さんは一つ頷くなり。
「じゃあ、罪人を捕まえて来てくれたまえ」
と、笑顔でそう宣った。
「…………………え、話聞いてました半兵衛さん?相手は十数人も人を殺してる人ですよ?私なんかが太刀打ちできるわけないじゃないですか」
「あぁ、それなら三成君と家康君を連れていけばいいだろう?」
それなら安心だ、と半兵衛さんは一人完結する。
「え、ちょ、いやいやいや、確かにその二人がいれば殺人犯なんて赤子の手を捻るどころか触るより容易過ぎるというか……むしろ殺人犯が形を留めていられるか心配というか」
「別にいいじゃないか。どうせ打ち首は覆らないし、疑われている三成君自身が本当の罪人を捕まえることで潔白を証明できるだろう?」
一石二鳥じゃないか、と丸め込まれるようにツラツラとそんなことを言われる。
……いや、確かに、その通りなのだが。
「ぶっちゃけ、面倒臭いから私に丸投げしてる、というわけじゃないですよね?」
「……………………………………………………そんなわけないだろう?」
「間!!!今の間長い!!」
やっぱり面倒臭がってるんじゃないですか!!?と叫べば、五月蝿いと言われる代わりに。
「早く行きたまえ」
半兵衛さんがニッコリと真っ黒な笑みで関節剣を構えたので、一応動く許可は頂いたのだろうと勝手に判断し、渋々とではあるが引き下がった。
――そんなこんなで、月がすっかり天高く昇る、夜も耽た頃。
「付き合わせてごめんね、二人とも。本当にごめん」
「いえ、時継様のお側にいることが出来るのであれば、いつでも何処でも時継様の下に馳せ参じます!」
「三成の無実を証明するためだ、協力するぞ!」
……三成はこうして三人で集まった主旨を理解しているのだろうか。
町民が眠りにつき、すっかり人気の居なくなった城下町の中を三人で回りながら、そんな会話を繰り広げる。
「三成、犯人捕まえようね」
「ハッ、時継様の手を煩わせる輩は皆斬滅してみせます!」
「三成、それではワシらが集まった主旨がちが――」
「煩い黙れ窒息しろ家康何故貴様もここにいるのだ斬滅されろ」
私が松永公に拐われた事件以来、これまでになく家康に敵意を剥き出しにするようになった三成。
何が彼をそうさせるのかは分からないが、家康も家康でそんな三成を遠ざけることもせず、むしろ話し合いたいと積極的に話し掛けている。
他の人なら間違いなく離れていくだろう三成の態度に呆れることもなく、辛抱強く語り掛ける家康の姿に、何故だか嬉しいような、微笑ましい気持ちになる。
……今まで三成に真っ正面から向かい合ってくれようとした人があまりにも少なすぎたからかもしれない。
――もしかしたら、と心の底で芽吹く希望にすがりたくなる。
この調子で彼らが互いへの理解を深めて、秀吉様が病で倒れても家康が天下を狙わないでいてくれれば、あるいは……
しかし、長年何が起きるか予想もつかないこの戦国乱世で過ごし、すくすくと育ってきた冷静なもう一人の自分が、安心するにはまだ早いと囁いた。
私の目的を実現するためには、まだまだ山ほどやるべきことが残っていると。
「三成、話を聞いてくれ。ワシはお前の無実を証明したいんだ!」
「私に町民を斬った記憶はない。証明などそれだけで十分だ……信じない輩は捨て置けばいい」
「それでは駄目なんだ三成!」
必死な家康に対し、冷えた表情でそう吐き捨てた三成。
その言葉は信憑性がないと他人ならば切って捨ててしまうだろうが、彼を知る人達はその言葉だけで彼はやっていないと直ぐに理解する。
三成は決して嘘を吐かない、騙すこともしない、人を陥れることもしないし、友や主人に直向きに尽くす。
己を飾ることなく素直で純粋で真面目な性格ゆえに、己の意図に関係なしに周囲に敵を作って、孤独に包まれる。
三成は強いから、例え一人になろうが、決して周りに同調もしなければ、妥協もしない。
それが常だと言わんばかりに独りで歩み続ける。
私にはないそんな強さを持つ三成が酷く羨ましくて眩しくて……そして、そんな三成が寂しそうに見えた。
誰かに理解されなくても構わない。
着いてこられないならばそれでいい。
独り歩み続けるその背中はとても強くて――脆い。
「……そうだね。三成はやっていないよ」
金緑の瞳に宿る強く鋭い光の中に、その脆さが見えたような気がした。
自分より頭一個分ほど高い位置にある三成の頭をヨシヨシと撫で、彼の金緑の瞳を覗き込む。
驚いたように見開かれる金緑の瞳を間近で覗き込みながら、私は微笑んだ。
「私は三成がそんなことをする子じゃないって“知っている”から」
信じているのではなくて、“知っている”。
これまでの過去の君が、私にそう確信させてくれるから。
もしこの場に吉継もいれば、同じ様に答えるだろう。
「時継、様」
冷えていた金緑の瞳が優しい色を灯して、覗き込む私の顔を反射して映す。
「私は三成の味方だから」
君は絶対に犯人じゃないってこと、知っているから。
例え信じる人がいなくても、私は君を独りきりにはさせないから。
夜の闇の中でも僅かな月明かりの光を反射し、はっきりと見える銀の髪を梳くように撫でれば、春に溶ける雪のように、三成の冷えた表情が少しずつ溶けて、仄かな微笑を咲かせた。
頭を撫でる私の手を恐る恐るといった様子で取り、甘えるようにその手にそっと頬を寄せる三成。
彼の低めの体温を指先で、掌でしっかりと感じながら、すり寄せてきた頬をそっと撫でると、擽ったいのか、僅かに目が細められた。
その優しい色を灯す金緑の瞳が潤んでいるのが見えて、仕方ないなぁと思いながら思わず苦笑いが浮かぶ。
「泣くなよ三成、君は男だろう?」
「はい……!」
空いているもう片方の手で宥めるように三成の背中をポンポンと軽く叩く。
最後に銀の髪をグシャグシャに撫で付けて、それから呆然とこちらを見ている家康に向けて笑いかけた。
「さぁ、犯人を捕まえようか」
――その後、いつも以上に張り切った三成の働きによって辻斬り犯が直ぐに捕まり、主に私と吉継の手によってそいつがフルボッコにされたのは言うまでもない。
知っているよ、君のこと
(――羨ましい、と思った)
(何処までも深く絡まりあった二人の絆の糸が如何に頑丈か、見せつけられたような気がした)
(あの絆の中に入っていくのは到底無理だと、心が感じて、)
(それでいて、ワシも三成のように時継殿に甘えたいと思ってしまった)