二十二ノ話






時継殿が拐われた。




その事実が豊臣軍の武将達に伝えられたのは、昼過ぎの軍議でのことだった。

軍議に参加していた武将達は途端に近くの者達同士で顔を見合せて口々に話し出すものだから、その場は直ぐに騒然となった。


『何故時継殿が――』

『分からぬ、もしやこれは時継殿の策か?』

『いや、或いは裏切ったのやも……』

『しっ、口が過ぎるぞ……』

『時継殿は無事であろうか――』


様々な武将達の会話が耳に入ってきては別段心にも頭にも残らず、そのまま通り抜けていく。

周りを見渡せば、武将達の様々な表情も見えた。

訝しがる顔、周囲を窺いながら何かを探ろうとする顔、何処と無く嬉しそうな顔、心配そうな顔……

視線を上座に向ければ、例え座っていても人並み以上に大きく感じる体躯をどっしりと床に据えさせるように腰を下ろし、目を閉ざして沈黙を通す秀吉公が目に映った。

その隣には、いつも通りの笑みを――否、一見、いつもと変わりないように見えるが、見ていると背筋に寒気が走るような、剥き出しの刃のような鋭い眼差しの竹中殿が立ったまま武将達を眺めている。

それはまるで、周りの反応を観察をしているかのような……

そこまで考えて、ふと気付く。


――何故、ワシはこんなにも冷静に周りを見ているのだろう。


まるで、自分だけがその場の空間から切り離されたかのような感覚。

それが何とも不思議で、微かに首を傾げた。

「――徳川殿?如何した?」

「ん?あ、あぁいや、少し驚いてな……」

隣に座っていた武将に話しかけられて、咄嗟に苦笑いで応える。

無理もない、話しかけてきた武将はそう頷いて、また違う武将達と話し出す。



ザワザワ、ザワザワ



様々な声と声が重なりあって、その場が酷く五月蝿く感じた。

このような時、三成なら堪えきれずに皆を黙らせてしまうのだろ――






――……?






一つのことに気付いて慌てて周りを見渡したが、目的の人物、否、人物達は見つからない。

この場で真っ先に聞こえてきてもいいような“彼等”の声が全く聞こえてこなかったことに、ようやく気付いた。

……いない、のだろうか。

例えどんなに忙しくとも、軍議には欠かさず出席していた、彼等が。

これがただの軍議であれば、何なりと理由をつけて彼等を探しに行けたのだが、“この”空気では無理だろう。


……さて、たった“今”空気が変わったことに気付けたのは、いったいこの場で何人いたのだろうか。



「――静まれ」



厳かに告げられた一言。

たったその一言で、騒々しかった空気が途端に静まり返る。

上座に視線を向ければ、ちょうど秀吉公が静かに目を開いたところだった。

そしてそれを待っていたというのか、一人の武将が前に進み出て首を垂れた。

「秀吉様。時継殿のことは誠に遺憾でございますが、天下へ歩み始めた豊臣軍に弱き者は入りませぬ。時継殿も豊臣軍が天下を取ることを望んでいた一人、自ずと自らの取るべき行動をお分かりになるかと……」

その言葉は静かな空間に大きく響いて、遅れてザワリザワリと騒々しさを引き起こした。



――時継殿を見捨てよ。



遠回しな言い方でその武将はそう告げたのだ。

皆がざわつく混沌の中、ひたとその武将を見据える。

……名は分からないが、見たことのある武将――それも、豊臣軍の古参の武将だった気がする。

いつも時継殿が一風変わった政策を打ち出すたびに、何かと反論をしていた派閥の一人。

「――時継殿がいなくて清々する、と言ったところか……」

軍のことを考えての苦肉の策、と言いたげに苦々しそうな表情をしているが、その目の奥で揺ら揺らと暗い愉悦の炎が燃えているのが見て取れる。

ようするに、この目の前の武将はこの機に乗じて自分にとって目障りな者を排除しようというつもりらしい。

豊臣軍のためではない、己の利のために。


“――家康”


脳裏で仄かな微笑を湛えた時継殿が映る。

己の立場を上手く利用すればこのような反対の派閥の者達を豊臣軍から追い出すことも他愛ないはずなのに、彼はそれをしようとしなかった。


“反対の意見を聞くことで自分の考えが如何に浅いか、自分で見えている面以外のところがどれ程あるかとか、色々考えさせられるんだよ”


何故豊臣軍の内側に存在する自分の敵を弾圧しないのだと聞けば、彼は朗らかにそう答えた。

そうして真意を図りかねる酷く透明な微笑を口許に浮かべ、こう続けた。


“道端に落ちている小さな小石でも道を整える砂利道の土台になるのと同じように、身近なモノが予想もしないところで役にたつことがある。反対意見を捨て置くことで、何かのチャンスを逃していることだってあるんだよ”

“ちゃん、す……?”

“南蛮の言葉で『機会』って意味さ――ほら、南蛮を得体の知れない化け物の国だと疑って貿易しなければ、こんな知識を得ることも無かった。自分と違うモノを遠ざけるということは、自ら成長の可能性を捨て置いているのと同じなんだよ。少なくとも私達は同じ言語を話すのだから、価値観が違っても南蛮の人達よりも遥かに意思疏通が図りやすい。自分の可能性を磨きたいなら、反対派の人達の意見こそを聴くべきなんだ。相手の言っていることが理解できないなら、納得できるまで話し合えばいい”


そのための“言葉”だろう?


彼はそう言ってワシに背を向けた。

その小柄な背が酷く遠くに感じて、圧倒された。

――秀吉公のように圧倒的な力を手にしているわけでもないし、竹中殿のように類稀な智を持っているわけでもない。

しかし、ワシは確かにあの時、彼の言葉に圧倒されたのだ。

まるで言葉の雨を全身に浴びせられたようなそんな感覚に、自然と思った。



――彼こそ、“為政者”であると。



改めて、目の前にいる己の野心に塗れた武将を見つめる。

己の利のために、時継殿を見捨てよと進言する目の前の矮小な男を。

……彼は、この武将にも価値を見出だしたというのか。

脳裏に先程の時継殿の透明な微笑が浮かぶと同時にザワリザワリと騒ぐ周囲の音が遠のいていく感覚がして、ズクリと心の奥底で”何か”が疼いた。


その時。



「――確かに、君の言うとおりだね」



鶴の一声。

ざわついていた空間がピタリと沈黙に包まれる。

秀吉公が静まれと言った時とはまた違った緊張感が辺りに漂い、自然と姿勢が正しくなる……周りを見渡せば、冷や汗を掻いている者もいた。

そんな異様な空間の中、今まで沈黙を貫いていた竹中殿がゆっくりとその武将に向かって歩みだす。

「天下を目指す豊臣軍に、足を引っ張るような者はいらない」

竹中殿が歩いた後に、闇の婆娑羅の気配によく似た紫紺の靄が残像のように残っていたような錯覚が見えて、思わず瞬いた。


――気のせいか、先程よりも気温が低くなっているような気もする。


しかしそれに気付かない様子で竹中殿はゆっくりと優雅に歩みを進め、そうして武将の直ぐ前まで歩み寄り、足を止めた。

首を垂れる武将の顔を覗き込むようにして膝をつき、その武将の肩にそっと手を置いた――瞬間、ミシリッ、とその空間に骨が軋む音が響き、遅れて武将の情けない悲鳴が辺りに響く。


闇の婆娑羅の気配が、濃くなった。




「――なら、君もいらないかな」




……酷く妖艶な笑みでそう告げた竹中殿は、息子である時継殿を見捨てるように進言したその武将に本気で殺意を抱いていることに、どうやら間違いはないようだ。





















なにかが、

おかしいとは
かんじていた



じぶんのけいあいする
あのおかたのけはいが

いっしゅんでかききえるそのしゅんかんを

かんじた


はんべえさまにけっして

あさがたにちかづいては         いけないとかたくいわれていたが
かけつけたときにはすでにすべてが おそかった

あのおかたのへやには

だれもいなかった


いちまいのくろいはねをのこして、あのおかたはきえた




、さま


ときつぐさま、


時継さま

時継様、時継様が。


あぁ、


あの御方が、

時継様が、

何処にも、何処を探し歩いても、影すらも見当たらない。


時継様が、何処にもいらっしゃらない。


刑部に聞いても知らぬと答えた。

半兵衛様に尋ねたら、半兵衛様は顔色を真っ青にした。

秀吉様は静かに目を閉ざされた。


誰も、誰も時継様の行方を知らなかった。



――時継様、何処へ向かわれたのですか。



何故私を連れていって下さらなかったのですか。

何故私を呼ばなかったのですか。

何故、

何故、何故、何故何故何故何故何故なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ、な、あぁ、あ、あ、あああああ゙あ゙あ゙あ゙ぁあぁぁああ――








時継、様。











「――、」












名を、呼ばれた気がした。



私の名を呼ぶのは、誰だ。




「――三成、」




子をあやすような、静かな声。


……この声は、あの御方ではない。

これは、友の声。

それに酷く落胆しながらも振り向けば、直ぐそこに友の姿があった。


――何故か、所々に小さな切り傷をつけて。


「……刑部、か」

「あい、われよ、ワレ。ようやく意識を取り戻したか」

やれやれ、と言いたげに肩を大袈裟に竦め、刑部が御輿を畳に下ろす――その御輿にも切り傷がついている。


刑部の背後に浮かぶ数珠にすら微かにヒビが入っていて、思わず目を見張った。


「刑部、その傷は誰にやられた。名を言え、私が斬滅してくる。拒否は認めない」

「ヒヒッ!われのことはよい。それよりも、時継の行方が分かった。時継は松永という男のもとにおる。あの伝説の忍を使って彼の男が時継を連れ去ったようだ」

「まつ、なが……?」

聞いたことのない名前に、自然と眉が寄る。

それを見た刑部は愉快そうに肩を揺らした。

「主が聞き覚えなくとも仕方なきこと。彼の男は太閤の足許にも及ばぬ者故な」

「そうか……時継様を拐った輩が、そこに……」


その男のもとに、時継様が。

あの御方が、いらっしゃる。


その男が、時継様を独占している。


ふと脳裏に浮かんだその言葉に、腸が煮えくり返るような錯覚がした。


これは、この昏い感情は、いったい何だ……?


「――行くぞ、刑部。もたもたするな」

「あい……しかし三成よ、太閤の足許にも及ばぬ男とは言え、侮るでないぞ」

「知ったことか」

秀吉様にも及ばないただの男を気にかける必要などない。

私はただ、あの御方をこの手の届くところに取り戻すことさえできれば、それだけでいい。



あの御方が微笑みかけてくださるのなら、私は――



「刑部、私は何処に向かえばよいのだ」

「ヒヒヒッ……そう急くでない三成。全てわれに任せよ」

刑部の背後に浮かぶ数珠が淡い光を宿らせて、クルリクルリと円を描く。

それを視界の隅で見ながら、手にしていた刀を鞘に戻す――



……?





私は、いつから刀を手にしていたのだ……?




「――三成、如何した」

「いや……私はいつから刀を手にして――」

「刀、とな?主が刀の手入れをしようとしていたのではないか?それよりも、目的地までにかかる時間だが……われと三成であれば、三日とかからずそこへ着けるであろ」

「……そうか。ならば行くぞ」

私が『恐惶』を発動させるために闇の婆娑羅を解放させると、刑部も『急くな鉾星』を使うためなのだろう、闇の婆娑羅を解放させる。


すると音もなく二つの闇の婆娑羅が混じりあって、私と刑部の体を包み込んだ。


混じりあった闇の婆娑羅が触れたところから、ジワリと何かが染み込んでくる――荒んでいた心が少しずつ落ち着いていくような、酷く不思議な心地がした。



落ち着けと、まるで言うかのように。



「――刑部」

「あい、如何した、三成?」

「……礼を言う」

「………………………ヒッ!」






――時継様、どうか、私が迎えに上がるまで御無事で。













この声が届けと願う













(――やれ、この傷の犯人は主よ、等とは口が裂けても言えぬなァ……困った、コマッタ)

(どうした刑部、傷が痛むのか)
(何、大事ない――それよりも、太閤と賢人殿に伺いを立てねばな)
(御二人の御許可なら賜ったぞ)
(……やれ、主の手の早さには感服よ、カンプク……)

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