十三ノ話





※軽くですがBL表現有り、苦手な方はご注意




「――弥三郎様、よくお似合いでございます」


能面のような顔に笑みを張り付け、淡々と世辞を言う世話役の侍女。

自らの纏う紫の艶やかな“女物”の着物がまるで自分を責めるように視界の隅に映って、思わず視線を障子の外の世界に反らした――外の世界は清々しいほどの晴天で、庭にはヒラヒラと蝶が舞っている。

とても平和な光景なのに、どこか切り取られた遠い世界のように見えるのは、自分の気持ちの持ちようが問題なのだろう。


『若は十四にもなってまだ女子の着物を纏う。魔除けとは言え、如何なものか』『女子のようになよなよしい、果たして長曾我部家の跡継ぎは女子か』『あれは姫若子ぞ』『あの眼帯の下はデキモノではない。“鬼”の目を隠しておるのだ』


脳裏に響いたのは、つい最近偶然にも聞こえてしまった家臣の会話。

影で自分が何と言われているのか、それくらい分かっていたし、そのせいで父上と母上が苦しんでおられるのも理解していた。

長曾我部家の長男として、跡継ぎとしてどうあるべきか、嫌と言うほど叩き込まれてきたのに。


――それでも。


「……弥三郎様?」

訝しげに首を傾げた侍女を見て、それから心の底の方で燻っていた一つの想いとともに、着物の裾を翻して走り出す。

遅れて侍女の悲鳴にも似た声が後ろから追いかけてきたが、止まらなかった。

胸の内を何か黒いものが、ドロドロとしたものが渦巻いて、それが胸を締め付ける。

その不快さに涙が零れて、走る足に力を込めて地を蹴った……こんな思いは常日頃だ。

そしてそれから逃げ出すように、“あの場所”へ行くのも。






――城からそう離れていない所に、父も母も、家臣も知らない自分のお気に入りの場所がある。

いつも人がいなくて、波の穏やかな音と鳥の声しか聞こえない、静かな砂浜。

城から抜け出してそこに行き、人の目を気にすることなくその砂浜を、広く穏やかな海を眺めるのが好きだった。

今日もそうだ。

いつも通り、砂浜を歩いて暗い気持ちを振り払うように一人散歩していた……のだが。

「――おー、ここの景色は絶景だなぁ……そう思わないかい、松寿丸君?」

「ふん、海など何処も変わらぬ」

そう遠くない距離に、穏やかな波打ち際を歩く二人の年若い人物と大きな一頭の白馬がいた。

白馬の手綱を引くのは黒い喪服のような漆黒の着物を身に纏う、十代後半くらいの人物で、顔立ちは男とも女とも取れる中性的な、よく見れば整っている顔立ちをしている。

そのすぐ傍を歩くのは、人物より頭一つ分程身長が低い、緑を基調にした小綺麗な着物を纏う冷たい表情が印象的な美少年……年は自分と同じくらいだろうか。

一瞬兄弟かと思ったが、それにしては顔があまりにも似ていなかったし、旅人にしては身形が小綺麗過ぎた。

「そうかな?天君はどう思う?この浜辺綺麗だよね?」

ブルルッ

「貴様は馬鹿か。馬が人の言葉を理解するわけなかろう」

「えー、天君は私の言葉を理解してるよ?」

ねー、と人物が白馬を見上げると、白馬はそれに応えるように嘶き、それを馬鹿にしたように冷めた視線で白馬と人物を見つめる美少年。

――どう見ても怪しい二人組(と一頭)である。

何となくだが、関わらない方がいい気がする。

何処か物陰にでも隠れてこの二人組(と一頭)がこの場からいなくなるのを待とうかと思ったが、その前に人物と目が合ってしまった。

見る見るうちに人物の目が見開かれて、しまった、と後悔するのも既に遅く、人物がこちらに向かって優しげな、人好きのする笑顔で大きく手を振ってきた。

無害そうに見えるその笑みにどことなく安心感を覚えて、咄嗟に小さく手を振り返す、が。

ふと、あの二人組(と一頭)が本当に自分にとって害の無い者なのかという疑問が浮かんで、頭から血の気が引く音を聞いた気がした。

よく家臣が言っていた、見知らぬ人物なのに親しげに近付いてくるものには注意をしなければならないと。

頭の中でようやく警鐘が鳴り響くのを聞いて、こちらに近付いてくるこの二人組(と一頭)から逃げようと意思を固めたが、時既に遅かった。

自分が身を翻すより早くに人物が接近して、距離を取ろうと逃げる間もなく。


「――綺麗な髪だね。月の色みたいだ」


浜辺特有の潮風になびく自分の髪にそっと指を通し、人物がそう微笑んだ。

「月、のいろ……?」

悪意の感じられないその言葉と笑顔に、自分の髪を触る人物の手を叩き落とすことも、逃げることも忘れて酷く動揺した。

「うん、月の色。日の光を浴びて綺麗に輝いてるところとか」

ほら、と人物が自分の髪を潮風に任せてそっと流すと、人物の手から離れた髪が目の前で風に舞った。

ビョウ、と吹いた潮風に弄ばれるようになびく自分の髪……キラキラと、日の光を浴びて輝く銀の髪――鬼子と恐れられ、忌み嫌われたこの髪の色。

……この髪色を綺麗だと、心から誉めてくれたのは今まで父と母だけだった。

「……そう言われたの、初め、て……」

真っ直ぐに見つめてくる漆黒の瞳はどこまでも澄みきっていて、目の前の人物の性格をよく物語っていたからこそ、人物の言葉に偽りがないことが分かって嬉しかった。

ついそう零して、同時に羞恥心から顔が熱くなって、トクリ、と心臓が跳ねるのを聞いた。

人物はそんな自分にまた優しく微笑んだ。

「へぇ、凄く綺麗な髪なのに……ねぇ、松寿丸君。綺麗だよね?」

人物がそう言いながら背後を振り替えると、人物の後ろにいた美少年、松寿丸と呼ばれた美少年がジロリとこちらを見る――女子のように繊細で、人形のように整いすぎているその顔はどこか氷のように冷たい印象を抱いた。

その美しさに見惚れてしまって松寿丸から目が離せられなかったのだが、睨んでいるようにも見える鋭いその視線が怖くてなって、耐えきれずに俯いた。

……あぁ、こんな風に弱い所を家臣によくたしなめられるというのに、長曾我部家の跡継ぎとして強く有らねばならないのにと、自己嫌悪の念に刈られて唇を噛んでいると。

「……銀の髪など、鬼子の証よ」

氷のように冷えた言葉を紡ぐ声。

それは刃物のように自分の胸の奥を抉って、奥深くに突き刺さって呼吸を遮って、俯いた視界が涙で歪んで、その場から逃げ出したくなった。

鬼子――今まで周りから言われ続けてきた、自分のことを差す言葉だ。

ポタリポタリと砂浜に落ちていく雫をこれ以上落とすまいと、眉間にグ、と力を込めた、その時。


「――が、所詮それは迷信」


不機嫌そうに付け足された言葉。

バ、と咄嗟に顔を上げれば、穏やかな波の方に顔を反らす松寿丸がいた。

「我はそんな下らないものに左右されぬ。貴様はどう見てもただの女子ぞ」

あっさりとそう言い切った彼を、思わず見つめてしまった。

この銀の髪を誉めてくれた人物も珍しかったが、忌み子という言葉を下らないと言い捨てた人物など、今まで出会ったこともなかった。

それは遠回りな言い方ではあったが、自分のことを守る擁護のための確かな言葉だった。

ジワジワと胸に染みる暖かな感覚が酷く心地好くて……それに頬が緩んで、気付いたら彼に向かって笑顔で「ありがとう」と伝えていた――嬉しさのあまり、彼の女子という言葉を訂正することを忘れてしまったが。

ふん、と鼻を鳴らす松寿丸に、人物が苦笑いでその頭を撫でた。

「素直じゃないねぇ、松寿丸君。可愛いよってそう伝えればいいのに」

「……っ!?我の頭に気安く触るでないわっ!」

パン、と人物の手を振り払ってズンズンと歩き出す松寿丸……どうやら彼は自尊心が高いらしい。

洗練された立ち居振舞いに、小綺麗な、緑を基調にした着物――もしかしたら彼は、どこかの国の武家の者なのかもしれない。

自分の横を通り過ぎる間際、


「――何かあれば、安芸に来い。貴様なら歓迎してやらぬこともない」


ボソリと囁かれた言葉に驚いて、言葉を返すことが出来なかった。

松寿丸は気にせずそのまま自分の横を通り過ぎて、歩いていってしまった……結局、自分が女子ではないということを伝えることが出来なかった。

呆然と松寿丸の背中を見送っていると、「やれやれ、」とため息を吐く声が聞こえた。

「ここまで連れてきたの私なのに、自由にあちこち行っちゃって……」

振り返れば、呆れてはいるが、まぁ仕方ないとでも言うかのように笑う人物。

「あの、貴方はあの子の……松寿丸の付き人なの……?」

人物の服もよく見れば上質なものであることが分かるし、立ち居振舞いも洗練されている……この人物も武家の出であることは予想が付いた。

人物は苦笑いで否定した。

「違う違う。確かに松寿丸はお偉いとこの出の若様だけど、私はそこに仕えてないし。私も武家の出ではあるけどね」

「仕えていないのに、一緒にいるの?」

「うーん、簡単に言っちゃうと……ちょっとしたお仕事で西の国の様子を見に安芸に行ったら松寿丸と出会って、面白そうだからって勝手に彼が着いてきちゃった、みたいな?今ごろ松寿丸の屋敷の人達騒いでるんじゃないかなー」

アハハ、と明るく笑う人物……笑い事ではない気がする。

「だ、駄目だよ、家の人に心配かけちゃ!武家の者は敵に命を狙われるんだよ!運が良くても人質になる……国を背負う者なら尚更――」

慌ててそう声を上げれば、人物が驚いたように目を丸くした。

「……驚いたなぁ。もしかしてとは思ってたんだけど、君、武家の子かい?」

不思議そうにそう尋ねてきた人物に、自分の言葉が失言だったのに気付いて、腹の底が冷たく冷えていくのが分かった。

武家の者ならではの警戒と事情――これらを町民が知っているのはおかしい、つまり今の自分は自ら武家の出であることを証明したことになる。

今の自分は護衛もお供の人もいない。

もし目の前の人物が……自分のことを受け入れてくれた人を疑いたくはないけれど、もしもこの人物が自分の国の敵の人だったら……サァ、と頭から血の気が引いていく。

人物はそんな自分を見つめて、宥めるように静かに笑った。

「……安心していいよ。私は少なくともこの四国の敵じゃない……今のところはね」

「今の、ところ……?」

「うん、今のところ。次会うときは戦で、なんてこともあるかもね」

ス、と目を伏せて人物が微笑む――どこか悲しげな、微笑みだった。


――何故だか、その姿が酷く寂しいモノのように思えた。


「……俺、戦は嫌い」

そう呟けば、驚いた表情の人物と目が合う。

「……へぇ。君は男か。元服は……まだみたいだね」

「でも、そのうち執り行うって父上が」

長曾我部家の跡継ぎとして学ぶべきこと、身に付けなければならないこと、毎日毎日、父上自ら教えて下さる。

「父上は俺が頼りないから、苦しんでる。跡継ぎとして男らしく成長してほしいって……でも、俺は」

視界が滲んで、頬を熱い雫が零れた。

「戦をしたくない。この国を、民を守らなきゃいけないのは分かってる。でも、俺が戦を起こすことで大切な人が傷ついていくのを見るのが怖い」

こんな自分を周りは頼りない、女々しいと蔑む。

おかしいのは自分なのだろうか、皆、好き好んで戦を起こしているのだろうか。

「――君は優しいね」

ポン、と自分の頭に手を置いて、人物が俯いて笑う。

「それにとても純粋。良いことだよ。私はもうそんなこと言えないからなぁ」

「言えない……?貴方は、戦を認めるの?」

含みのある言い方が気になり、不安になって人物を見上げると、人物は相変わらず俯いたまま、口許だけ笑みの形にして口を開いた。

「認める、ね。うん。私も君と同じで、戦なんてしたくないって思ってた。前の私なら泣き喚いてでも嫌がっただろうね。でもね、そうも言っていられなくなった、とでも言えばいいかな」

ス、と人物が顔を上げたので、自然と視線が合う。

人物は優しい微笑を湛えていた――だが目は笑っておらず、真意の読み取れないその微笑を冷めたモノへと印象付けさせる。

見ていると冷や汗が背筋を流れていくほどの恐怖を感じさせる冷たい微笑を浮かべているのに、その微笑から目を離すことが出来ず、魅入られたように漆黒の瞳を見つめていると、ふとその笑みが雰囲気を和らげた。

「手助けしてやりたい人達がいるんだ。ちょっと変わった子達だけど、こんな私にできた友達だからね。柄じゃないけど、何時までも友達の後ろで怯えて布団被ってるわけにもいかないし」

ニコリ、と人物の浮かべる笑みが様子を変える――初めて会ったときに見せた、人好きのする微笑に。

「戦が嫌いな私が戦を肯定する理由はこれだ、って言ったら君は納得するかな?」

「……貴方は、国よりも友達がとても大切なんだね」

唖然とそう呟けば、人物は不思議そうにキョトリと瞬きをしてから首を傾げた。

「国……?あぁ、それも理由はあるけど、それはもうほぼ周りを納得させるための大義名分かな。正直ね、国とか民とか、その子達の二の次でいいと思ってるんだよ」

……ここまで話を聞いていて、目の前の人物がどこかの国に仕えている、それなりの武家の人だというのは分かった。

そんな人が国や民がどうでもいいとはっきり告げる様にただただ驚愕し、遅れて怒りが込み上げてきた。

「っ武家の者は、国を治めるものは国に住む民のことを蔑ろにしてはいけないのにっ!何で、そんなことを……!」

胸に込み上げてくる熱いモノに身を任せて声を上げ、睨み付ければ、彼はまた不思議そうに首を傾げた――傾げて、何かに気付いたように自分の着物を見つめて、笑った。

「?……あぁ、なるほど……その着物に刺繍された家紋、何処かで見たと思ったら。へぇ、君が長曾我部家の若様か」

「そ、それが何だよっ!?」

先程まで、少なくとも好意を抱いていた人物。

今ではすっかり信用のならない人物になった彼に警戒心を抱きながら身構えれば、彼は苦笑した。

「いや、別に?ただ、そうだなぁ……」

彼が自分の顔を覗き込んで笑う――何処までも澄みきった、善意も悪意も感じさせない透明な、見ている者に不思議な感情を抱かせる笑みだった。

自分はただ、漆黒の瞳が鏡のように自分を映す様を、ただ見つめていた。


「君みたいな子が、全国の国主だったら良かったのに、って思ってさ」


そうすれば、君と私が嫌いな戦がなくなるだろう?




――そう笑う人物は、やっぱり何処か寂しそうだった。












泡沫の夢を見る












(あぁ、そう言えば名乗ってなかったね。私は竹中時継だよ)
(俺は、弥三郎)
(弥三郎、ね。君とはまた何処かで会いそうだ。出来れば戦じゃないことを祈るよ)
(……俺も、そう思う。貴方とは……時継殿、とは戦いたくない)
(呼び捨てで構わないよ、弥三郎君。その代わり私と友達になってほしいな。私、君のこと割と気に入ったみたいだ)
(俺は……うん。俺も、時継のことは嫌いじゃない)
(それは良かった。国に帰ったら手紙でも送るグハァッ!!)
(貴様、何時まで我を待たせるのだ)
(時継っ!?だ、大丈夫?)
(い、痛い……松寿丸君や、いくら何でもシャコ貝投げられたら痛いってどうやって取ってきたこんな大物ォ!!!?つかどうやって投げたァっ!!?)
(日輪の加護がある我に不可能はない)
(わぁっ……!凄いね、松寿丸!俺、こんな大物見たことないよ!)
(……ふん。安芸に来ればこのような小物、幾らでも我が取ってこようぞ)
(松寿丸、もしかして弥三郎のこと好――)
(昏黒に差せ、日精之摩尼!)
(ちょっ、待て婆娑羅技とかイッタァァァアアッ!!!!)

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