十二ノ話
それはよく晴れた日の朝のことだった。
「――時継君、僕の代わりに西の方へ偵察に行ってほしい」
秀吉様のいらっしゃる天守閣に呼び出された直後、清々しいほどの爽やかな微笑みと共に半兵衛さんがそう宣った。
………………………西?
「おっとぉ、何だか凄くお腹が痛いなぁ。これじゃあ偵察なんかとてもじゃないけど行けないで――」
「君に拒否権はないよ」
……どんな時でも揺るがない、そんな貴方が大好きです(棒読み)。
生暖かい目で半兵衛さんを見つめようが、彼の人は気にもしない様子で王子様スマイルを披露してくれるだけだ。
「何でよりにもよって西へ?西って言ったら鬼島津とか最近力付けてきた長曾我部とか、とにかく強豪国ばかりじゃないですか!私瞬殺されて簀巻きで海へサヨナラですよ!?」
ヒートアップしてそう叫ぶと、半兵衛さんは艶やかにニッコリと微笑んだ――逆に秀吉様は何だか凄く申し訳なさそうだった。
「もう馬の準備と旅に必要な物の準備は出来ているからね」
「すまぬ、時継。我には止められぬ」
秀吉様の表情から全てを察した。
時に半兵衛さんは目的のためならば友人であり仕えるべき主君である筈の秀吉様さえ脅す、OK、今理解した。
心なしかゲッソリとした面持ちの秀吉様に酷く同情する。
「いえいえ、その御言葉だけで時継は嬉しゅうございます秀吉様。もう何時でも出発出来るとか最初から選択肢はなかったんだとか、もう突っ込みませんよ、えぇ」
だが、秀吉様の辛い事情を知ったからと言って自分の不遇な任務を忘れたわけではない。
半兵衛さんの美しい女性と見紛う顔が大輪の牡丹のように華やかで艶やかな大変美しい微笑を浮かべている様を見て(半兵衛さんは大概、考え練った策略を実行に移す時このように微笑むのだ)、半兵衛さんの言葉が本気であると改めて思い知り、もうその場で泣き崩れるかと思った。
何だか視界が滲んでいる気がしたが、きっと気のせいだ、きっとそう。
グ、と涙を堪えて、頭が痛いと言わんばかりに片手で頭を支える秀吉様の隣に立つ、その美しい見た目とは裏腹に自分を摘むものには鋭い棘で反撃をする美しく咲き誇る薔薇を体言したような半兵衛さんを見据えた。
「場所が場所だからね。特に期限はつけないけれど、あまりにも期間が長いと君の仕事は貯まっていくからね?」
「…………え?こういう時は私の仕事を誰か代わりにやってくれるとかじゃないんですか?」
鬼畜過ぎるよ半兵衛さん。
私を過労死させる気ですか?
労働基準法に反してますよそれ捕まりますよ?
半兵衛さんはそれまでニコニコと微笑していたが、私の言葉を聞いて真顔になった。
……うおぅ、真顔が何だか胡散臭く見えるのは気のせいか。
「――時継君。まず三成君に君の仕事を任せた時のことを考えてみてくれたまえ」
「三成に、ですか……?考えるまでもありませんよ」
いつも難しい問いかけしか寄越さない彼にしては大変珍しい、簡単すぎるその問いかけにと思わず声を出してハハッ、と笑った。
「大阪が焦土と化しますね」
「分かっているじゃないか」
半兵衛さんは満足そうだった。
――いや、三成に政の才能がないという訳ではないのだ。
むしろその逆で、治部少輔という行政の仕事を任せられるぐらいの才能を持ち合わせている優秀な武将の三成なのだが……問題は、秀吉様を崇め奉り過ぎているとだけ言えばいいだろうか。
とにかく秀吉様の御為ならば、と暴走することもしばしばな彼は時に人との交渉をする際、秀吉様と半兵衛さん以外の人物を蔑ろにすることが多い(大抵その時は相手側の不手際が原因なのだが)。
これ以上三成に敵を作らせるような真似は避けたいという思いもあるためか、必要以上に人と触れあう機会も多く、また人に嫌われ疎んじられることも多いこの自分の仕事を三成に任せるのは、正直気が引ける。
それに旅から帰ってきて大阪が焦土とか……ここまで栄えさせるのに苦汁を嘗めるような並大抵ならぬ思いをした身としては、考えるだけで昇天しそうだ冗談抜きで。
「じゃあ、今度は大谷殿だ」
「吉継、ですか?」
はて、彼は何か問題が――大有りだったな、うん。
彼の場合、周りの人の態度も原因の一つではあるが、それ以上に。
「吉継、必要以上に人をいじりますからね……」
そして何より彼は、人の不幸を好む。
それは大きいものであれば尚好ましいと彼はよく言うが、小さい不幸を蔑ろにしているという訳でもない。
むしろその小さな不幸を呼び水にして更なる不幸を招こうという悪戯心から、様々な仕掛けを綿密に施すのだ。
それを重ねて重ねて、だがどれも大きく騒ぎ立てるには小さいことなので、例え腹に据えかねても、人の目を気にする昔の人々はグッと堪えて誰も何も言えないのである。
悪循環が悪循環を呼ぶ彼の策略は、気が付けばあっという間に人の付き合いをぶち壊してくれる……主に悪い意味で。
そんな彼に私の仕事を任せたらどうなるか――考えるまでもない。
三成以上の惨劇が、旅から帰ってきた私を襲うこととなるだろう。
「君の部下も優秀だけれど、まだ君無しでは心許ないからね」
「あぁ、それはもう身に染みて分かってます。まず染み付いた価値観をぶち壊して新しい考え方を身に付けるというのも難しい話ですから、仕方ないんですけど」
昔の人々から見たら性格も考え方も破綻している、妖の遣いなのでは、などと恐れられることも少なくないこんな私に、部下はよく着いてきてくれる。
こんな私の下に就いて、周りからは針で作られた筵に座らせられているような思いをしているだろうに、泣き言一つ言わずに、私の考える政策を理解しようとしてくれている。
大阪の政を担当する文官を集めさせて、寺子屋紛いの政の学習会みたいなものを月に一度開くように私に進言するほどである。
彼らなりに私の考えを理解しようとしてくれているのだと、そう思うだけで胸の内がじんわりと暖まるような思いを抱く。
――今も、そうだ。
「まぁ、あの“学習会”の効果は出ているようですよ。そのうち私の分身が大阪中に涌いて出てくるんじゃないでしょうか」
「ぞっとする話だね。君が幾人もいるなんて、考えただけで寒気がするよ」
そう言いながらも、半兵衛はクスクスと可笑しそうに笑っている。
秀吉様も厳格な表情のまま、どこか満足そうに一つ頷いた。
「南蛮に劣らぬ強い日ノ本を創る礎の育成、か……順調のようだな」
「全ては秀吉様の掲げる理想の御為にございますれば」
そう恭しく頭を垂れれば、何だか演技をしている役者のような気分になってくる。
全ては秀吉様のため……その思いに偽りはない。
その思いを基に果たしてこれでいいのかと不安に思いながら、慣れないながらも教鞭をとって学習会を開き、新しい技術を求めて南蛮に留学生を派遣した。
――だが、その延長線上に“彼ら”がいることを……秀吉様が昔、己の弱点になるからと切り捨てた感情が私の動力源となっていることを、秀吉様達は知らない。
自らのエゴの為に私が動き出したことを、秀吉様達と“彼ら”はまだ知らない。
「この竹中時継、喜んで身を粉にして働きますよ」
ふと、脳裏に“彼ら”の顔が浮かんだ。
微かに笑む穏やかな表情の三成と、呆れた様子ながらも仕方ないと言いたげに笑む吉継。
……改めて言うが、私の秀吉様に対する忠誠心に偽りはない。
ただ、敢えて言うなれば――
“彼ら”の未来と笑顔を願う想いが、忠誠心に勝っただけのこと。
いつか見る夢のために
(あ、そうそう。中国の安芸にも行って様子を見てきてくれないかい?)
(安芸?何でまたそんな所を?)
(面白い噂を聞いてね)
(……?まぁ、安芸も西ですし、別に構いませんけど)
(時継よ、無理はするな)
(秀吉様……私、秀吉様の娘になりたかったです……)
(君が秀吉の娘……?止めてくれ、考えただけで僕は頭が痛いよ。君が秀吉の娘にでもなっていたら、豊臣の家紋、軍、国、秀吉の顔に泥を塗りたくることになるじゃないかっ!)
(……泣いていいですか、私)
(時継よ、あれは半兵衛の照れ隠し故に、気にするな)