十一ノ話





――吉継が元服してから一年後、今度は佐吉が元服をした。



実に喜ばしいことである。

実際、私は心の底から彼を祝福した。

目にいれても痛くないぐらいに実の弟のように可愛がっていたから、彼の元服は本当に嬉しかったし、友である吉継と共にその喜びを語り合うまでには喜んでいたのだ(吉継には親馬鹿やら佐吉のオモイが届くのもまだ先になるか等とと言われたが、意味が分からない言葉もあったからとにかく無視した)。




――彼の、新しい名前を聞くまでは。










持っていた湯飲みを落としかけた。

目の前には小山の書類を挟んで吉継と佐吉がいる。

落としたら今までしたためていた書類やら書状がおじゃんになる、その思いで何とか湯飲みを持ち直したが、心臓は大きく脈打つままだった。

ツゥ、と背中を冷たい汗が伝っていく感覚が、夢ではないと言っているような気がした。

「?時継様、如何なさいましたか?」

目の前で首を微かに傾げる佐吉に、何でもないと微笑んで見せたが、その微笑も引き攣っているような気がする。

「……元服おめでとう、佐吉」

そう声を絞り出せば、佐吉が照れたように頬を弛め、ほんのりと赤く染めながら頭を下げた。

「っ、勿体なき、お言葉にございます」

「やれ、時継よ。これはもう佐吉ではない故、きちんと名前を呼びやれ」

彼の隣で御輿を畳に下ろして湯飲みを手にし、淡々とした口調ではあるが、どこか愉快げな吉継の言葉にぎこちなくも頷いた。




「――石田、三成……いい名前だね」




そう微笑めば、二人から両極端な反応が返ってくる。

吉継は訝しげに目を細め、佐吉――改め、三成は顔色を輝かせた。

「これからは戦にて功績を上げ、秀吉様と半兵衛様、時継様の役に立ってみせます!」

「そっ、か……元服したら戦に出られるん、だっけ……吉継は、初陣もう出たもんね」

「……そうよな。近頃戦の気配が強い故、三成が初陣に出るのも近こ」

嬉しそうな三成、共に嬉しそうに装う吉継――目は笑っておらず、射るような鋭い視線で此方を見つめる吉継には恐らく、この動揺を悟られたのだろう。

「――三成、そういえばさっき秀吉様が呼んでたよ」

早く行っておいで、とやんわり促せば、疑うことを知らない三成は嬉しそうに頷き、音速を越える速さで部屋から出ていった。

残ったのは、温くなった湯飲み三つと小山の書類、そして吉継と私。


「――何が、気に食わぬ?」


ポツリと静かな空間に響いた声。

いつの間にか俯いていた視線を目の前に向ければ、いつになく真剣な眼差しの吉継と目が合う。

ゾクリ、と寒気が背筋を走り、咄嗟に視線を反らして笑ってみせた。

「別に、何も……」

「主の嘘は好かぬ。主の嘘は三成を誤魔化すので精一杯よ」

「吉継だって吐くじゃん」

「われは真しか言わぬ。ほれ、舌もある」

口元を覆う包帯をずらそうとした吉継を左手で制し、右手で頭を抱えてクシャリと髪を掻き回す。



――負け、である。



知らずとため息が漏れた。

吉継の突き刺さるような視線に追いたてられるようにして、口を開いた。

「……敢えて言うなれば、名前がちょっと、ね」

彼の名は、高校の日本史の授業中、戦国武将好きである先生が“豆知識”としてよく話していた名前で、耳に胼胝ができるほど聞いた名だから、聞き間違えることはない。



『――お前ら、徳川幕府ができる前にどれだけの犠牲が出たか知ってるか?ん?知らんだろう?そもそも徳川幕府というのは関ヶ原の戦いという大きな戦で勝ったから生まれたようなものであってだな……あん?授業続けろ?馬鹿野郎、先生の話は黙って聞け!まあ、とにかくだ、その関ヶ原の戦いで東を率いる徳川家康と戦ったのは西の総大将毛利輝元なんだが、先生が語りたいのはこの武将じゃあねぇ……この関ヶ原の戦いの中で、真に豊臣秀吉に忠誠を誓い、仇討ちを真に考えていたのは――』



その武将は関ヶ原の戦いで負け、京都の六条河原にて斬首されたと聞いた。


まさかと疑う自分と、そんなわけないと思う自分。

懐にある鉄扇を手に取って開き、震える口許を隠すようにして添えた(最近気付いたが、これが考え事をする時の私の癖らしい)。


「――何で、その名を名乗っちゃうかなぁ……」


表情を見られないように俯きながら淡々とした声を出すことに成功はしたが、吉継は相も変わらず鋭い目付きでこちらを見ているのが気配で分かった。

「“三成”という名に何か問題でもあるのか?」

「うーん、三成……という名前よりかは、何だろ……」

違う。

確かに名前に問題はある。

だが、それではないのだ。

俯いていた顔を上げて、こちらを見つめていた吉継を、疑いの色を映す白い瞳を見つめ返す。


「――何で佐吉が、“石田三成”なんだろうね」


ポツリとそう零せば、吉継が顔を歪ませるのが包帯越しでも分かった。

私の言葉の意味が理解出来ないのだろう……当たり前だ。


わざとそうなるように話しているのだから。


「……時継。主は語りたくないのか、語りたいのか、どちらよ。語りたいのであれば、われにも分かるように話してみせ」

吉継の声の調子は至って通常時と変わらなかったが、珍しく苛立っているのは何となく分かる。

もし私が吉継の立場だったら、私も同じように苛立っていたのだろう。

私も彼も、他人を騙したりする側は得意なくせに(彼の場合好んでやっているのだから質が悪い)、される側は好まないからだ。

だが、それが分かっていても話すのを躊躇ってしまう。

それでいてこの複雑な心の内を誰かにぶちまけてしまいたいと願ってしまうのだから、堂々巡りである。

「うーん、何かね……言葉にし辛いんだけど……」

過去の出来事として私は把握していても、彼らからすればこれからの未来のこと。

そう簡単に話してもいいのだろうか。

いや、この“世界”が私のいた“世界”の過去ではないというのは薄々感じているのだが、私の“世界”の過去と類似しているところも多々ある――それ故にもしものことを考えて話せない。


話せば、何か大切なモノを失ってしまうような気がして。


小心者の私はよく分からないその恐怖心と不安から、それらを話すことができない。


……でも、少しくらいのヒントなら――


「ちょっと、縁起の悪い名前なぁ、なんて」

「――佐吉に名前を改めるように言うてみるか?」

「いや、……うん、これが佐吉の運命なのかな、きっと」


名前はこの世で最も短い呪だと誰かが言っていたように、そんな言葉があるくらい、名前には大切な意味がある。

豊臣軍の中で、秀吉様の小姓で石田の姓を名乗り、三成と名乗ったのも佐吉だけ……つまり、彼が“石田三成”なのだ。

もし仮に佐吉が今から名を変えたとしても、恐らくもう他者が“石田三成”を名乗ることはないのだろう。


彼の代わりはいない――佐吉は“石田三成”として生きることを決められた。


だから、これから起きるであろう関ヶ原の戦いで、彼が死ぬのも定められているのだろう。

そこまで考えた時、ふと、心の底の方で何かが蠢いていることに気付いた。

それは気に食わぬことがあったときに感じる不快感のようでもあり、気に入ったモノに対するの執着心にも似ている。

それが蠢いて、ギシギシと心の底を揺らしている。

今まで感じたことのないそれに戸惑って、開いていた鉄扇を閉じ、それを手の中で弄ぶ。


何故か、脳裏にはにかみながら控えめに笑う、佐吉の顔がボンヤリと浮かんだ。


「ごめん、吉継。上手く言えないや」

クルリクルリと、掌の中で回る鉄扇。

それをただ見つめつつ、心の底の方で蠢く“それ”が何なのか、絡まる糸を解すようにそっと“それ”の正体を探るようにその感覚を味わいながら呟けば、吉継が淡々とそれに答えた。

「……さよか」


今度は初めて会った時の、今では向けられることのない、警戒心が滲む表情の佐吉が脳裏に浮かんで、消える。


「うん。言えたら楽なのに、確証がないから言い辛いというか、言葉に出来ないというか……でもさ、何かさっきから、引っ掛かるんだよね」


次は泣きそうに顔を歪める佐吉の顔が脳裏に浮かび、消える。


「上手く言えないけど、嫌なんだよ」

「嫌、とな……?」

「うん」


いつぞやに見せた、男らしく凛々しい表情の佐吉が浮かんで、何故かその顔だけはそのまま残る。



凛々しくて、綺麗な――儚い表情。



「佐吉が危ない目に合うのはやだなー、って思うんだ。あ、もちろん吉継も」

「やれ、われはオマケか」

「違う違う、本当に吉継も佐吉も、二人とも大事。怪我してほしくないし――」

クルリクルリと回っていた鉄扇の勢いが削がれていく――そして。






「死んでほしくないなぁ、なんてね」






ピタリ、と鉄扇が止まる。

途端に部屋の中が静寂に満ちて、外でさえずる小鳥の鳴き声が聞こえた。

そのさえずりに促されるように、頭の中でとある人物の情報が引き出される。


――豊臣秀吉。

朝鮮侵略中に病死。


それは日本史の授業で習ったことだ。

それを知りながら初めて秀吉様と出会ったとき、この病をも跳ね返しそうな強そうなお方が病に倒れるなんて信じられないな、くらいにしか思わなかった……それだけだったのだ。

秀吉様の時は、それだけだったのに……




「――不敬罪で打ち首にされちゃうかな」




何故、今の私は佐吉の、三成の死にここまで動揺しているのだろう。











揺らめく不安に子守唄を











(――やれ、縁起でもないことを申すな時継よ)
(うん、ごめん。本当にごめん)
(主が何を根拠にその様な戯言を抜かすか知らぬが、われと三成はそう簡単にくたばらぬ)
(うん、二人とも強いもんね。私より遥かに強い……でもね、たがら余計に心配なんだ)
(……?強い故、心配なかろ)
(いんや、強いからこそ、だよ。あると思って安心してたら駄目なんだ。気付いた時にはいつの間にかないから……だから、心配)
(――さよか)
(だからね吉継。三成の面倒をみるのもいいけど、吉継も自分の体を大事にしてね。いきなり消えないでね。私は戦まで一緒に着いていけないから。だから――)
(……あい、分かった。主との約束は守ろ。そら、泣き止め、ナキヤメ、時継。主の泣き顔は醜い故)
(うん、ありがと)

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