十ノ話






――突然だが豊臣軍では、というよりは大坂城では、侍女以外の女性はいない(もちろん私は例外だ)。




それに侍女の人は地味ながらも清楚な小袖を身に纏っている。

つまり、豪華な着物を纏う女の子なんて大阪城の中にはいるはずないのだが……


よく晴れたとある日の午後、事件は起きた。




「貴方が竹中時継様ですね?」




上品な桃色の上質そうな着物。

現代基準で見てもかなり可愛いと言える可愛い系の美人顔。

身長は私より頭半分ほど低いが、至って普通の身長だろう(と言うより、私が女子にしては身長が高い方なのだろう)。

そんなアイドルのようなモデルのような人形のように可愛らしい女の子が、私の行く先を遮るように目の前にいる。


……誰だ、この可愛い女の子?


「……えぇ、私が竹中時継です。貴女は?」

ニコリと半兵衛さん直伝の人好きのする微笑を向ければ、女の子は頬を赤らめた。


「突然の無礼をお許しください。私、千鶴と申します。貴女の正室候補となりましたのでご挨拶をと思い、参りましたの」












――――――はい?










「いきなりご挨拶に参るのははしたないと父上に窘められたのですが、どうしてもお会いしたくて……『神童』殿と呼ばれるお方がどのようなお方なのか、自分の目で確かめたく、参上いたしましたの」

でも、杞憂でしたわ、と目の前の女の子は上品に微笑んで、頬を赤らめて、色を潜めた目でこちらを見つめた。


「涼やかな美貌に、柔らかい物腰……どこか憂いげな表情は近寄りがたくも、儚い雰囲気を纏うお姿……弱冠十六才で大阪の政を取り仕切る『神童』とは別に舞を嗜む文化人の顔も併せ持つ文官……」

はぁ、と切なげに、何処か熱に魘されたような息を吐き、彼女は続けた。

「噂は宛にならないと言われますが、時には噂も真実を伝えるものですね」

「…………」


……………………それ、誰のこと?


ポカーンと女の子を見つめていると、女の子の背後から佐吉がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

佐吉もこちらに気付いたのか、一瞬女の子を見て怪訝そうな顔をしたものの、直ぐに顔色を輝かせて歩みのスピードを早める。

天の助けと心の底から安堵して声をかける前に、彼女が背後から迫り来る佐吉に気づく様子もなく、また口を開いた。



「不肖の身ではありますがこの千鶴、時継様に一目惚れをしました。貴方様のことをお慕いしております」



「………………は?」

女の子の言葉を聞いて意味を読み込む前に、女の子が抱きついてきた。

後ろに倒れそうになったものの、咄嗟に慌てて女の子を抱き止める。

「――え、お慕い、えっ……?」



何が、起きているんだろうか。



混乱する頭では状況判断が付かず、何を言われたのかも理解できず、ただただ女の子を見つめ、不意に佐吉を見る――見て後悔した。


「……時継、様……」


見開かれた金緑の瞳に、微かに震える薄い唇。

整った美しい顔立ちは驚愕に染まっていて――直ぐに泣き出しそうに歪んだ。

不謹慎ではあるがその佐吉の顔が美しく思えてしまい、ゾクリと背筋が震える。

でも、それ以上に。


「待っ、て……佐吉、違、」


私が咄嗟に声を絞り出したのと佐吉が踵を返して走り出すのは、果たしてどちらが早かっただろうか。

「さ、佐吉――」
「時継様?」

去り行く佐吉に伸ばした手を女の子に絡め取られる。

潤んだ瞳に見つめられ、一瞬の思考停止。

恋する女の子の、一途な思いが滲むその瞳に何も言えなくなってしまう。

女の子を突き飛ばして佐吉を追いかけたいとは思ったけど、それが出来ないのがキングオブチキンの私――っていうか。


「なにこのドロドロ展開……」


ヒシッ、と胸にしがみつく女の子を放置して茫然としてしまった私を、誰が咎められるだろうか。











「――で、その姫を撒いてわれの部屋に逃げて来た、と」


場所は変わって吉継の部屋。


何故か私は正座をさせられて、その前にはいつもより高い位置で御輿(私が成人祝いに贈った代物だ)を留め、冷めた表情で見下ろす吉継が。

部屋の隅には吉継の布団で身を包み、こちらを涙目で見つめる佐吉もいる。


「そ、その通りでございます、お義父さん」

「誰が義父よ、主にわれの大事な佐吉をやるわけなかろ」

「そんな――!」


娘さんを僕に下さい、一昨日来やれ、幸せにしてみせます、幸よ福よ塵と消え。

そんな娘の父と婿のような会話(?)をして早くも半刻は立っている。

今頃女の子は半兵衛さんが相手をしてくれているだろう……多分。

「いやね、マジであの子とは初対面だし、正室候補ってのも初めて聞いたし……私だって寝耳に水状態なんだって」

「浮気をした者は皆そう言うのよ」

「違うって何回言ったら――いや待て、誰が浮気だ!私まだ嫁さん一人も貰ってないっつの!!」

「佐吉は玩具だったのか?やれ聞いたか佐吉よ。時継は主とは遊びであったとほざいておる」

「時継様……」


もうやだこの人ら。


泣きたくなる気持ちを堪えてため息を吐き、頭を抱えて俯く。

するとズリ、とすぐ傍で衣擦れの音が聞こえた。

吉継は常に御輿に乗っているし、衣擦れの正体は消去法で判明した。

「時継、様」

恐る恐ると言った様子で掛けられた声。

見上げればすぐ傍に、切なそうに眉を八の字に寄せた佐吉が膝をついてこちらを見つめていた。

泣きそうに歪むその表情にこちらの心臓が縮む思いがした。

それに加え、身を隠すように布団を纏うその姿はいじらしく、儚げに見えて抱き締めたくなる。

……吉継も大概佐吉に甘いが、自分も人のことは言えないと内心苦笑して、佐吉の白い頬に手を伸ばす。

「――佐吉、聞いだろう?あの姫とは今日で初対面。正室候補と言ってもただの“候補”。決まったわけじゃないよ」

白い頬に触れた私の手を、佐吉が壊れモノを扱うようにそっと両手で包み込む。

「時継、様。私は……」

ポタリ、と私の手の甲に雫が落ちた。

思わず苦笑して、佐吉の目元をもう片方の手で、親指で拭ってやる。

「ほらほら、泣くんじゃない佐吉。男子だろう?」

「時継様っ!」

布団が取り払われ、佐吉が抱き付いてくる。

先程の女の子より遥かに大きい体(一般男子と比べれば遥かに華奢な体だ)を抱き止めることは不可能で、思わず私は佐吉と一緒に床に倒れこんでしまった。

後頭部を強打したが、無様な悲鳴を飲み込むことには成功した。

首筋に埋められた佐吉の頭がくすぐったくて仕方がないが、今は好きなようにさせることにしよう。

「――やれ、ようやく終いか」

御輿を下げながら、ふぅ、とため息を吐いた吉継が肩を竦める。

「主らの幸はともかく、目の前でそうくっつかれては目の毒よ、ドク。リア充爆破しやれ」

「そう言う吉継が一番ノリノリでお父さん役やって……ちょっと待て、吉継その言葉何処で覚えた」

「主が前にそう言っていたであろ」

「あれ、言ったっけ?」

首筋に擦り付けてくる佐吉の頭を撫でながら首を傾げる。

……何で吉継がその言葉知ってるのか、マジで一瞬ビビった。

「まぁ、佐吉の誤解も解けたし、半兵衛さんも私に正室を付けようとは思わないでしょ」

そう改めて結論付ければ、吉継が目を細めた。

「――時継よ、何故そう言い切れる?」

そりゃあ、だって私――


「あの子、女子でしょ?」


そう笑えば、吉継が訝しげに首を傾げる。

「……そうにしか見えぬが?」

「うん、だから無理」

ニコリとそう笑えば、吉継の目が見開かれる。

私だって女の子、同性との結婚は無理――



「時継様は、千鶴より男子を好むのですね……」



――は?


聞こえるはずのない声が聞こえた気がする。

そう思ったのも束の間、スパァァアンと勢いよく障子が開かれ、そこには先程の女の子――あれ、何でここにいるのこの子。

そう思って茫然と女の子を見つめていると、首筋に顔を埋めていた佐吉がユラリと体を起こし、私と女の子の間に割って入るようにして立った。

「ふん……そもそも、貴様のような女が時継様に釣り合う筈がないのだ」

「――何ですって……?」

佐吉がどんな顔で女の子を見ているのかは分からないが、佐吉の背後から見えた女の子は憎々しげに佐吉を睨んでいた。

とりあえず立ち上がり、何だか剣呑な雰囲気が部屋中に満ちていることに危険を察知して、二人に声をかけようとした。

「ちょ、お二人さ――」

「小姓の分際で私と時継様の間を邪魔しないでくれるかしら、汚らわしい」

「汚らわしいのは貴様の方だ。時継様に許可もなく触れるとは、斬滅される用意ができているのだろうな?」

バチバチ、と赤い稲妻が二人の間で迸っているのが見えた気がした。

助けを求めて吉継を振り返ったが、知らぬ顔でお茶を飲んでいた――ちゃっかり御輿の高度を上げて。

「表に出ろ、十六寸に切り刻んでくれる」

「舐めないでくれるかしら。私も武芸を嗜む身よ」

いつの間に用意したのか、佐吉は最近秀吉様から頂いた一振りの長刀を、女の子は薙刀を構えていた。


――いやちょっと待てコラ。


「佐吉何してんの、女の子相手に刀振るうなんていやそれよりその武器どこから――」

「ご安心下さい、時継様。時継様に許可なく触れ、あまつさえ慕っている等とほざいたこの女は私が斬滅してみせます。どうか、その許可を」

跪いて真摯な瞳で見上げ、許可を待つ佐吉の気迫にちょっと押されかけ、寸でのところで頷きかけた。

「きょ、許可するわけな――」
「許可すると時継は言うておるぞ、佐吉」

言葉を重ねるように吉継がそう遮ると、佐吉の瞳が爛々と輝いた。

「有り難き幸せにございます、時継様……!さぁ、首を垂れろ女!」

「貴方がね!」

「吉継ぅぅうううっ!!?」

「ヒヒヒッ!!!」

慌てて止めに入ろうとしたが、その前に佐吉がこちらに振り返って、


「――時継様、誰にも貴方に指一本触れさせはしません」


ス、とこちらに伸ばされた白い手は男子らしく骨ばってはいたが、壊れモノに触れるように優しく私の頬に触れて。

真剣なその顔は凛々しく、美しく。

真摯なその言葉は高らかに響いて。











ドキリと跳ねた心臓に気付かぬ振りをした










(やれ時継よ、風邪でも引いたか。顔が真っ赤よ)
(……言わないで吉継。自分でも分かってるから)
(ヒヒッ!(……やれ、佐吉のオモイが報われるのも近こ))

(貴様の首を得る許可は既に賜っている……大人しく裁かれろ!!)
(その吠え声、負け犬の遠吠えにして差し上げてよっ!!)

(……半兵衛、我では手に終えぬ)
(いいんだ、秀吉。あれは若気の至りというものだからね。後で僕が何とかしておくよ(――さて、どうしたものかな……))

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