一ノ話
――拝啓、家族へ。
お元気ですか。
戦国時代にトリップしてから数年経ちますが、私は何とか生きています。
何故か体が実年齢より若返っていますが、とりあえず十五歳程にまで成長し、“元服”も無事終わらせることができました。
私を養子に迎えて下さった心優しい上司兼義理父の根回し――間違った、配慮によって戦に出ることなく何とか生きています。
その代わり毎日扱き使われて“仕事”に追われております。
恐らく労働基準法に引っ掛かってますよ、えぇ。
まぁそんなこんなで、歳の割には(体の方です、精神の方は成人迎えてます)早い就職を迎えたので、きっとそちらの世界に戻る頃にはたくましく成長しているかと思います。
……ま、戻れるか分かりませんけど――
「――っと、こんな感じかな……」
カタリ、と持っていた小筆を硯の上に置く。
目の前には和風の低い文机。
その上には先程まで書いていた、こちらの世界に来てから毎日欠かすことなく書き続けてきた家族へのお手紙も兼ねた日記帳がある。
そしてその日記帳の周りにはこれでもかと言わんばかりにタワーのように積まれた書類の山がそびえ立っている。
昔の和紙はかさ張りやすいので、そんなに“仕事”を貯めたつもりがなくてもどうしてもタワーが出来やすいのだが――まぁ、書類のタワーが二桁越えれば流石に貯めすぎとは言える、うん。
いくら今の“仕事”のおかげで長時間正座での作業は随分慣れたとは言え、この光景は見てれば滅入るし、現実逃避もしたくなると言うもので。
「……やっぱり仕事しないと駄目ですよね、チキショー」
日はまだ晴天の空に昇ったままだが、現実逃避の一環として日記帳を書いて時間でも潰してみようと無駄な足掻きを始めたのはつい一時間程前。
……日記帳にも飽いた。
私室と仕事場を兼ねたこの部屋を脱け出して遊びに行きたいのも山々だが、如何せん、直ぐ近くに直属の上司兼義理父の仕事場があるので、脱け出そうものなら確実に闇属性の婆娑羅技が地の果てまで追いかけてきて炸裂する。
まだ死にたくないから諦めるしかない。
とりあえず身近にあった書類タワーから一枚書類を取り出して中身を眺めてみたが。
「うーん、いつ見ても頭が痛くなるなぁ……」
内容は外国との取引について。
とりあえず今の“豊臣”には不利なことは書かれてはいなかったため、硯の上に放置していた小筆を取って署名する。
――竹中時継、と。
その名は豊臣軍のとある文官の“男”の名前であって、私の“今”の名前である。
これには訳がある。
――話はかれこれ私がこの戦国の世へトリップしてきたことから始まる。
殺し合いが常のこの戦国の世でただ行く当てもなく戦場で倒れていた私を拾い、衣食住を提供してくれた好々爺は、昔、豊臣軍の中では名のあった武将で、今は山奥に建てた庵で隠居生活を楽しむ所謂ご隠居様だった。
そんな好々爺に包み隠さず事情を話せばあっさりと話を信じてくれ、この戦国の世で生きていく上で必要な知識や教養を授けてくれた。
そんな好々爺の庵に居候として住み着き、ようやく戦国の世での生活に慣れ始め、暫く平和な日常を過ごすのだろうと思い始めた頃、好々爺は労咳(今でいう結核だったか)で突然死去した。
義理の祖父と言っても過言ではない程好々爺に懐いていた私は、暫くショックで呆然としていた。
そうして気が付いた時には、好々爺の友人と名乗る類稀なる繊細な美貌の持ち主の青年に引き取られ、その青年の養子となった。
私を引き取った青年は豊臣軍の若き天才軍師で、名を竹中半兵衛と名乗った。
どうやら死期を悟っていたらしい好々爺が、親子並に年が離れてはいるがかなり親しい友人であった青年、半兵衛さんに私のことを頼んだらしい。
まぁそんな事情で半兵衛さんに引き取られた私だが、気付けば何故か男として生きることを義務付けられていた。
半兵衛さん曰く、
「初めて会ったとき、てっきり君は男だと思って」
と、女性と見紛う麗しい美貌で微笑しながらいけしゃあしゃあと宣った。
……確かに、自分でもお淑やかな性格であるだなんて口が裂けても言えない。
成長過程にいるとは言え、顔の造形や体型だって女の子らしいとははっきり言えない。
義理父となった半兵衛さんに殺意を抱いたのはその時が初めてである、なんて話はさておき。
何だかんだで結局男として生きることになり、半兵衛さん直々のスパルタ教育と言う名の英才教育をみっちり仕込まれた後で、
「君は足手まといになるから戦場には出なくていいよ」
だなんて暴言を吐かれながら今の仕事を任され、まだ子供なのにと泣き言を飲み込んでとにかく死に物狂いで働いた結果、今ではなんと《神童》殿だなんて豊臣軍の武将からは恐れ敬われることになっていましたよ何故じゃ。
まぁ別に厨二臭い渾名がついたところで何か特殊能力に目覚めた訳でもないので、とりあえず気にはしてない。
それよりも気になることと言えば――
「時継様ぁぁあっ!!」
突如、耳を塞ぎたくなるような大音量の声と共に、閉めきっていた障子の向こうで“何か”がスライディングするような凄まじい音が聞こえた。
……それが“何”であるかなんて嫌でも分かっているので、確認する必要はない。
思わず肺に貯まっていた酸素を全て深々と溜め息に変えて吐き出してしまいながら、頭を抱えそうになるのを堪え、障子の方へ振り替える。
日に当たる障子に映るのは、一つの人影。
またゆるゆると息を吐きながら、口を開いた。
「――入っていいよ、佐吉」
その言葉と同時にスパアアアンと勢いよく開かれた障子の向こうには、鳥の嘴のような奇抜な前髪が特徴の美しい銀糸の髪とこれまた美しい金緑の瞳を持つ、年齢は十くらいの一人の美少年が目を輝かせてそこにいた。
美少年の名は佐吉。
義理父である半兵衛さんの友人にして豊臣軍の大将である豊臣秀吉様の子飼い、要するに小姓の少年である。
この少年は主である秀吉様と、何をどうとち狂ったか半兵衛さんをおかしな程まで敬愛している。
――何故か私も。
まぁ、理由は佐吉との出会い方に原因があるのだが、この話はまた今度にしよう。
部屋中を埋め尽くす書類タワーに驚くことなく、寧ろスルースキルを発動させた佐吉少年は律儀に、
「失礼します」
と頭を深々と下げてから入室した。
それから流れるような動きで書類タワーを部屋の一ヵ所に集めて部屋を軽く片付けてくれたあと、日記帳を然り気無く隠した私に気付かない様子で隣にちょこんと正座した。
「時継様、私に時継様の仕事の手伝いをする許可を」
キラキラと金緑の瞳を輝かせて見上げてくる佐吉に苦笑が零れた。
佐吉は何かと許可を請う。
まるで忠実な犬、いや仔犬のようだ。
堅苦しいのがほんの少し苦手な私としては、清廉潔白を体現したような愚直なまでに真面目過ぎる佐吉と一緒にいると少し気まずい時がある。
が。
「うん、いいよ」
そう一言告げるだけで凄く嬉しそうに笑う佐吉の笑顔が好きだった。
これが私の日常
(佐吉、仕事が片付いたら一緒にみたらしを食べようか)
(も、勿体なきお言葉……時継様、どうか時継様とおやつを共に食べる許可を、そして私がお茶を点てる許可を、私に!)
(……えーと、うん……美味しいの、頼むよ)
(はい、お任せ下さい!)