学校の帰り道に小さな古書店がある。
それは本当に小さな古書店だけれど、わりと品揃えはいい。
品揃えがいいというのは、自分にとってという意味で。
もう絶版している本や、古い海外の本だとか。いわゆるマニアックな本が揃っている。
世の中にはそんなマニアックな本を買い、売る人がいる。
その人たちのおかげで自分も本を手にすることができる。
その古書店で本を探して、手に取ることが自分にとって今一番の幸せだ。
でも、古書店に立ち寄るのは、それだけじゃない理由もあった。
* * *
ただ今、受験勉強真っ盛り。
学校でも塾でも、当たり前だが勉強モードだ。
もちろん、なまえもその波に乗っている一人である。けれど、ずっとそんな状態でいるのは疲れてくる。
どうしもて息抜きをしたいと思ってしまう。
今日も学校が終わり、これから塾で自習をしようかどうかと悩みながら、とぼとぼ歩く。
けれど、どうも今日はそんな気分になれない、
正直、受験勉強は気分が乗る乗らないとかそんな問題ではない。“やらなければならない”ものである。
すると、目の先に古書店が入ってきた。
「うん。今日は塾はいいや。」
古書店に寄って家で勉強しようと決め、古書店の少しレトロなドアを開ける。
カランコロン―とドアについているベルが鳴る。この音も心地いい。
「いらっしゃいませー」
店内に音が響き渡った後、奥から客を招く声がする。
(あ、今日いる日なんだ・・・)
その声になまえは自分の身体が熱くなるのを感じた。
小さな声で「はい・・・」と呟いてみる。顔は合わせてないけれど、合わせたような気にしてみる。
そそくさと自分が好きな作家が集まる書棚に向かった。
書棚の前に立つと、ふわりと古い書の香りが漂う。そして、古い書たちの雰囲気も。
それがたまらなく好きだ。
受験勉強で煮詰まっている今には最高の息抜きだ。
「今日は何があるかな。あっ――」
1冊の書が目に付いた。
どんな話なのかは想像できないが、気になったためひとまず手に取ってみようと思った。
手を伸ばしてみるが、本が取れない。
今度は、つま先立ちをしながら手を伸ばす。手は届くがうまく本に指が引っかからない。
何度も試すが結果は同じだ。
もう一度踏ん張ってみると、自分の周りが影で覆われる。
後ろからにゅっと手が伸びてきて、自分が求めている本を取った。
「この本でいい?」
「え、あ、えと・・・は、はい!」
「こういう時は呼んでくれていいからね。」
ぽんっと渡される本。
本を受け取った自分の手が微かに震えているのが分かる。
急だったからびっくりしたのもある。でも、それ以上に――
(縁下さんっ・・・!)
名前は教えてもらったわけではない。言葉を交わすのも今日が初めてだ。
ちなみに、名前は他の店員や電話口の会話で覚えた。
「あ、ありがとう、ござい、ますっ・・・!」
「ううん。役に立ててよかった。」
緊張のあまりお礼を言う声が裏返ってしまい、そんななまえの姿を見て、縁下はくすっと笑う。
笑う縁下を間近で見て、胸の奥がきゅうっとした。
目の前にいる縁下は、手を動かせばすぐに触れる距離に立っている。。
心臓がばくばくとうるさい。この音が外に聞こえてしまっているのではないかというくらい。
――なまえはこの古書店の店員、縁下力に恋をしている
「今年、受験?」
「へっ? あ、はい!」
勢いよく返事はしてみてが、どうして分かったのかときょとんとした視線を送る。
縁下は微笑みながら指をさす。指の先には手提げ袋に入った参考書や赤本があった。
なまえは急に自分が受験生であることを思い出した。
「あの、さぼっていたわけじゃなくて! えと、その・・・息抜きにここに・・・」
「あはは、さぼってたなんて思わないよ。それに息抜きにここを選んでくれて、むしろ嬉しいかな。」
優しい言葉にまた胸が高まる。すると、縁下は続けて話す。
「俺も受験の時、時々息抜きしてたなぁ。俺の場合はバレーだったけど。」
「バレー部だったんですか?」
「うん。俺が2年の時、結構いいとこまでいってさ。練習はきつかったし、スタメンでもなかったけど楽しかったなぁ――って、ごめん、俺の話ばっかりで!」
自分の話ばかりになってしまったことで、慌てて謝る縁下は照れているのか頬が少し赤い。
なまえは、縁下が年上であるのに、可愛いと思えた。
今までは、ちらっと棚の隙間から見ることしかできなかった。
本を買いたくても、レジに行くのが緊張していくこともできなかった。
それが今はこんなに近くにいて、話もしている。隙間から見ていた時が嘘みたいだ。
「また、息抜きにおいでよ。その時はお茶でも出すから。」
「え! そんないいですよ! お仕事の邪魔になってしまいます・・・」
「いや、邪魔になることはないよ。それに可愛い後輩のためだしさ。」
なんと縁下は烏野高校卒業生だったのだ。
自分の高校の後輩だったから、こんなに優しい言葉をかけてくれたのだと思うと、同じ高校でよかったと心底思えた。
どんな小さなきっかけでも、話せられるなら十分である。
店先まで見送ってくれる縁下に、遠慮がちにぺこっとなまえは会釈をする。
受験勉強で億劫だった気持ちはもうどこかに行ってしまった。
ひとまず、今日の勉強ははかどりそうだ。
次はいつ行こうか――と、考えるなまえの足取りは軽い。
ただ、縁下はなまえが初めて来店したものだと思っているようで。
(もう何回も来てるなんて、死んでも言えない・・・!)
ストーカーと思われては行きづらくなることこの上ない。
これについては口を閉ざすことを頑なに誓った。
「・・・とうとう声をかけてしまった。なんか犯罪だよな、いくら後輩っていっても女子高生にさぁ・・・」
見送った縁下が頭を抱えているのは、まだ別の話。
back