冷えのきつくなった12月上旬の空気はある意味凶器だった。いくら電車の中で暖房が効いていようとも、電車のドアが開くたびに寒い冬の冷気が足元に忍び寄ってきて身震いする。ある程度人間の詰まった動く箱の中に充満する生ぬるい人間の匂いの温度との落差に軽く吐き気を覚えたのはもうずいぶん昔のことのように思う。まだ社会人になって半年ちょっとの若造は案外この環境に適応できているわけだ。


(っと、)


また一つ駅に停まったその箱が少しの人を降ろしてまた新しい人と冷気を取り入れる。蠢く人の波をひとつ飛び抜けた場所から見下ろすことができるだけの身長にここまで感謝したことはない。その中に一際小さな頭が目の前に流れ着いて眉をひどく寄せながら必死にその揺れに耐えているのに気が付いた。それは見知った制服だった。


「…大丈夫?」

「え、あ、」

「いや、あんまりにも顔色悪いから」


今のご時世これじゃあ変態か不審者だ。しかも相手は女子高校生で、場所は満員の電車で、冷静に考えれば考えるほど自分のやっていることが彼女からしたら危険なものなんじゃないかと感じてくる。それでもなんとなく放っておけなくてお節介と思われることも怪しく思われることも覚悟の上で次の駅で入れ替わる空気と共にできるだけ壁側へと彼女を移動させた。



「ありがとうございます」

「大丈夫ならよかった」



安堵のため息と一緒に投げかけられた言葉や表情から不審者扱いされる最悪の事態は回避されたようだった。そこで改めて彼女の姿を見下ろす。何年か前までは自分も性別は違えど同じ制服に身を包んでいたことを思い出して口角が上がる。きょとん、とその笑みの意味を測りかねた彼女が小首を傾げた。あざとい。



「ああ、俺も青城出身なの」

「え!」

「それで少し懐かしくなった」



次は、と独特の間延びした声で放送がかかるその駅名は彼女が降りるものだったし、自分にとっても馴染みの深いものだった。次だなと声をかければようやく顔色の良くなった頬が恥ずかしそうに綻んで、淡い色の唇がゆっくりと開く。



「名前教えてください」

「は?」

「わたしみょうじなまえって言います。名前、教えてもらえませんか」



化粧をほとんど知らない肌も、純粋さを具現化したような瞳の輝きも、でも自分でなにかを手に入れられる強さもわがままさも持っている。高校生という生き物は、なんだってこんなに危ういバランスを孕んでいるのだろう。自分が同じ目線だったときには気が付かなかった不思議な感覚に首の後ろがむず痒かった。



「松川、一静」



速度を落とした電車の外に映る世界は朝の太陽を受けてきらきらと輝いている。それに負けず劣らずいたずらな笑顔を向ける彼女が完全にこの箱が動きを落とす前にブレザーのポケットからいちごの描かれた飴をひとつ俺に渡して、緩んだ人込みを掻きわけ、ドアの外へ、煌めく陽の元へと出ていった。



(またね!)



扉の閉まる直前に振り向いた彼女は真っ直ぐに俺を見て、音のない言葉を呟いた。手を振る幼さにさっきの高校生ゆえのアンバランスさを思い出して目を細める。あやふやな境界線に立ち、大人と子供の中間に位置する、なんて、微妙な心の内に懐かしさを感じて握りしめていた飴を口の中に放り込んだ。


からん、と歯に当たって軽い音をたてるそのピンク色の砂糖の塊は、甘酸っぱくてまるで彼女そのもののようだった。

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