朝。通勤、通学の人でごった返す駅のホーム。私は次にやって来る電車に乗るために乗車待ちの列に並んでいた。

(…乗れるかなぁ)

内心で一人ごちる。その日は朝からダイヤに乱れが生じていて電車が遅れていた。早めの電車に乗っているのでいつもならそこまで人が多くないのだが、前の電車が遅れてしまっているために先ほどからやって来る電車は人がいっぱいで、仕方なく一本乗る電車を見送ったのだ。
私と同じような状況の人は他にもたくさんいて、そのため1つ電車をずらしたにも関わらず、前に並んでいる人の数は多い。この駅は路線の中間辺りの駅であるため、到着する車両の乗車率は高い。正直次のものに乗れなければ少し時間が厳しい。なにがなんでも乗り込まなければと決意を固めていると、ホームに電車の到着を知らせるアナウンスが流れ、激しい音を立てて車体がホームに滑り込んでくる。
ドアが開くと、動き出す人の群れ。前にいる人に続いて乗り込もうと足を踏み出したのだが、

(こ、これは…)

すでに車内は人でいっぱいで、私に前に乗り込んだ人たちもぎゅう詰めの中に無理やり体を押し込んでなんとか乗車している状態だった。そんな中にさらに体を押し込んでいくだけの勇気は私にはない。しかし、これに乗れなければ遅刻は免れないだろう。
どうしたものかと迷っている私に追い打ちをかけるように、出発を告げるベルが鳴る。響き渡るそれに頭が真っ白になって動けないでいれば、ぐいっと強く腕を引かれて、半ば引きずり込まれるようにして気が付けば私は乗車していた。



ガタンゴトンと電車が動き出した音と、次の駅名を知らせるアナウンス。そして、体に感じる熱と視界に広がる男の人のネクタイとワイシャツ。
何が起こったのか理解が追い付かずぼけっとしていると、頭上から「おい」と呼びかける声が降ってくる。そろそろと恐る恐る視線を上げれば、そこには見知らぬ男の人の顔がかなりの至近距離で存在していて。

「大丈夫か?」

こちらの様子を窺う問いかけにようやく私は今の状況が理解できた。
電車が発車する直前、私は先に乗車していたこの人に腕を引かれて車内に乗り込んだのだ。そして今は向かい合った状態で彼の腕の中にいるのだった。
理解が追い付くと、頭に沸き起こったのは焦りと混乱と羞恥だった。目に見えてそわそわと落ち着きのなくなった私を見てその人は吹き出すようにして笑う。どう反応していいのかわからずに固まっている私に気がつくと、「悪ぃ悪ぃ」なんて笑いを堪えないまま詫びる。

「なんかすげぇ困った顔してたから思わずな。いきなりで驚いただろ。無理やり乗せちまって悪かったな」

申し訳なさそうに謝るこの人に、だんだんと落ち着きを取り戻した私は平常心を心がけようと一度息を飲み込んでから口を開く。

「これに乗れなかったら遅刻しちゃうところだったので助かりました。ありがとうございます」

感謝の気持ちを伝えるように軽く微笑むようにして告げれば、彼はほっとしたような表情を浮かべた。

「降りる駅どこだ?」
「あと3駅先です」
「そうか。俺は終点まで乗るからもう少し辛抱してくれるか」
「大丈夫です」

それきり特に言葉を交わすこともなく(見知らぬ人なのだから当たり前だ)、電車に揺られること十数分。
私の降りる駅を告げるアナウンスが車内に流れる。この電車には私の通う高校の生徒が多く乗っているから、次の駅で車内はだいぶ人が減るだろう。電車がホームに滑り込んで減速しだしたところで、私は俯けていた顔を上げて彼を見つめる。私の視線に気がついたのか、少し上の方を見ていた彼の目がこちらを向く。

「ありがとうございました。本当に助かりました」
「おう。我慢させちまって悪かったな」

笑ってそういった彼にとんでもないと首を振る。そんなことをしていれば、電車は動きを止めて私の背後にあるドアが開く。降車する人の流れに押されるようにステップを踏んで降りる。人の流れを遮ってしまわないようにホームの端に寄って乗車口を振り返れば、まだ彼の視線はこちらを向いていて。

どきりと、心臓がひとつ大きな音を立てる。

目が合うと彼はにかっと快活に笑って見せて、軽く手を上げてくれる。それに会釈を返したところで発車のベルが鳴りドアが閉まった。動き出した車体を目で追って、小さくなるまでホームに突っ立ったまま見送る。
それが彼、岩泉さんと私の出会いだった。





私が岩泉さんを好きになるのに時間はかからなかった。
まるでドラマのような衝撃のある出会い方をして、ましてや相手は年上の社会人だ。恋に恋するお年頃である女子高生が恋に落ちるのなんて当然だ。
でも、連絡先を知りたいとか休みの日に会ってみたいだとか。この恋を加速させるなにかを私は起こそうとはしなかった。ただ偶然駅で遭遇して、たわいもない話をして、たまにジュースをおごってもらったりして。そんなありふれたささいな出来事で満足だった。
フィクションのような都合のいい展開を期待できるほど子どもではなくて、この感情を抑えることが出来るほど大人でもなくて。女子高生という存在はひどく中途半端で面倒だ。出来すぎた甘いメロドラマのようにこの想いが叶うはずがないとわかっていた。
少しずつ募る想いに時々苦しくなっても、いつかは風化して懐かしく思える日が来るのだろうとそう思っていた。





ホームへと続く階段をのろのろとした足取りで上る。いつもより遅い時間帯の駅は人がまばらで、見慣れた光景のはずなのにどこかさびしくなる。両親に今から帰る旨をメールしていると、ちょうどタイミングよく電車がやって来る。自宅の最寄駅は全ての車両が止まる駅だから何も考えずにそのまま電車に乗り込んだ。
ガラガラの車内の入り口近くの空いていた席に腰を落ち着けたタイミングで、ようやくメールを送信し終えて制服のポケットに携帯電話をしまい込む。

「おい」

聞きなれた声にまさかと思いながら、視線を上げればそこには当然のように岩泉さんがいた。

「こんばんは、お疲れ様です」
「今帰りか。遅いな」
「文化祭の準備で残ってたんです」
「もうそんな時期か」

動揺した心とは裏腹に、至って平然と彼と会話をしている自分がおかしくて笑いたくなる。
社会人である岩泉さんと学生である私の間に共通の話題は少ない。だから話はもっぱら私の学校の話をすることが多い。私の話を彼はいつも目を細めて懐かしげな様子で聞いている。その時の眩しいものを見ているような、遠い過去を思い出しているような横顔が私はあまり好きではなかった。
私にとっての今は、岩泉さんにとって過ぎ去った昔のことだと見せつけられているようで、彼との距離を目の当たりにしてもどかしい思いに唇を噛みしめる。
同じ時間軸で生きているはずなのに、私と岩泉さんの時間が交わることは決してない。

「…みょうじ?」

訝しげに私を呼ぶ彼の声にはっとしたように顔を上げる。ぼんやりとしていた私を心配そうに見つめる瞳がそこにはあった。

「大丈夫か」
「…ちょっと眠くてぼーっとしてました」
「着いたら起こしてやるから寝てていいぞ」

誤魔化すように笑う私に簡単に騙されてくれる彼はチョロイ。
同じように歳の差とかお互いの立ち位置とかそんなものもすべて気にしないふりをして、騙されてくれたらいいのに。どろどろとした感情から目を逸らしたくて、視界を遮るように瞳を閉ざす。彼の言葉に甘えて、最寄駅に着くまでの残り十数分、眠りに落ちてしまおう。
電車の揺れに流されたふりをして彼の肩に頭を預ける。
女子高生と社会人。埋めたくても埋めることのできないギャップという現実を、今この瞬間だけは忘れていたかった。

back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -