『好きです、月島さん』

そんな一言から僕らの付き合いは始まった。
きっかけは、僕がなまえを痴漢から助けたから、なんて聞こえがいいものだったけれど、
この助けてしまった女子高生は僕を好きになったとか言い出して、その頃僕は進んだ大学近くの会社に就職が決まったばかりの大学生で、
何言ってんの?大人からかってないで、高校生同士お手繋いで登下校してなさい、と返したのに何故かその諦めの悪い女子高生に何回も告白を繰り返し、
それだけ好きだ、好きだ、と繰り返し言われれば情が生まれて来ると言うもので、文字通り捨て身の告白の10度目にはOKの返事をした。

その時はどうせ僕の嫌味な物言いや、態度に嫌気がすぐにさしてしまってさっさと別れが来ると思っていた。
だけど、そんな僕の予想に反して出会ってから2年近く経つ今でも僕の横になまえがいる、恋人として。

彼女が女子高生だと言えば、周りの目が変わりそうで言えないけれど、
じゃ恋人らしい事をしているのかと言えば、なまえが大人になってからね、なんてはぐらかし続けている。
じゃ、大人っていつなるの、と詰め寄って来るなまえに高校卒業したらじゃない?と告げれば、
目を丸くしたなまえは、大きくため息をついた。

「僕を犯罪者にしたいんですか」と問えば、関係がちゃんと確立されてればいいんだってネットに書いてた、と頬を膨らませたなまえの頬にそっと口付ければ、子供ななまえはすぐに機嫌を直す。

じゃ、あと4ヶ月だね、と笑ったなまえは最近、推薦で僕の通っていた大学に進学が決まった。

そして、僕にも一つ転機が。

「えっと、もっかい言って?」
大学の時から住んでいるアパートになまえを呼んで、会社で告げられたままを言う。

「だから、転勤
東京に」

突然の事で僕も驚いている。
ただ、新入社員と呼ばれる今、東京へ行かせて貰うことは僕にとっては嬉しいことで。

僕をじっと見て、唇をぐっとかみ締めたなまえは高校の制服のスカートをぎゅっと握り締めている。
その手は白くなっていて、よほど力が込められているんだと悟る。

なまえがぽつり、と何かを言ったので聞き返す。

「行かないよね、東京
断るよね?」

ぽたり、となまえの手の甲に雫が落ちる。

サラリーマンが辞令を断る事の重大さが分かっていない発言に、ぽかん、と口が開いたままになる。

「何言ってんの?
行くデショ」

僕がそう告げれば、唇をかみ締めて、僕を睨む。

「私がどんなに我慢してるか知らないくせに」
恨めしそうなその声に、背筋がぞくりと冷える。

「私は、蛍くんともっと会いたいし、遊びに行きたいし、お泊りして夜中まで蛍くんとお喋りしたり朝起きて蛍くんの顔一番に見たいし
けど、蛍くんがダメって言うから、だからずっと我慢してきたんだよ
なのに、東京行っちゃうってなに?
やっと私高校卒業だよ?蛍くんの通ってた大学行きたくて勉強だって頑張ったし、やっと蛍くんの言う大人だよ?
これからなのに、何?」

後半は泣き叫ぶように言ったなまえは宥めようとした僕の手を払いのける。

「蛍くんが高校生と付き合ってるのが恥ずかしいもの分かってる
蛍くんの大人って立場があるのも分かってる
…分かってるけど、蛍くんは私の事なんて見てくれていないじゃない」

その発言に思わず、手を握りこむ。

「何?自分が我慢しているんだから、僕にもしてって事?」
思わず出た自分の声に低さと理不尽な発言に驚いた。
けど、止まらなくて、思わず口をついて言葉があふれ出す。

目の前では顔面蒼白のなまえがいた。
けれど、僕は思いつく限りの言葉を吐く。

このままなまえとの関係が終わるように、なまえが僕を嫌いになるように、
そして今までの自分の気持ちを否定するような、そんな言葉。

僕が言い終わると同時に、なまえは僕の横にあったこたつの机をダン、と一回叩いて大きく鳴らすと真っ赤な目で睨んで鞄を掴んでそのまま僕の部屋を飛び出した。
その背中をぼんかりと眺めて、ゆっくりと仕舞っていく鉄の扉が、ガチャン、と音を立てて閉まった時、あぁ終わった、と感じた。

「あ、引越しの準備とかしないと」
誰に言うでもなく、そう言って立ち上がるもダンボールもなければ、ガムテープがない事に気付いて、落胆する。

恥ずかしかったんじゃない。
年下と付き合うのなんて始めてであの真っ直ぐすぎる目が怖かったんだ。
屈託なく笑うその笑顔が眩しすぎたんだ。
僕と違う時代を過ごしているなまえに対して抱く感情の名前が見つからなくて怖かったんだ。

いつも余裕ぶっていたいから、なまえの前では大人な"蛍くん"でいたかったんだ。
余裕のない男の自分を見せて幻滅されたくなかったんだ。

何となく冷蔵庫を開ければ、少し前に泊まりに来た山口、影山、日向が置いていったビールがごろり、と音を立てて手前に転がってくる。

あぁ、高校の時の部員が泊まりに来ると言えば、なまえはいいないいな、と羨ましがっていたっけ。
参加したいと言い出しかねないなまえに釘を刺せば、差し入れと称してお母さんと作ったといっておかずだけを置いていったっけ。
山口達が来る前に。

まぁ案の定、彼女がいるなら写真を見せろ、呼べなんて会話になったけれど頑なに見せなかったのは、なまえを見せたくなかったんだ。
女子高生のなまえだからじゃなくて、ただなまえを見せたくなくて、それはただの僕の意固地な独占欲だ。

冷蔵庫の灯りに照らされたまま、明日は休みだ、飲むか、と覚悟してビールのプルタブをぷしゅ、と引いて一気に流し込む。
一人で飲む習慣もなければ、なまえがいる前で飲酒することが何だか憚れてこの部屋で久々に飲むアルコールで今の完全に情けない自分を洗い流したかった。

何本目かの缶を開けた時、その場でごろり、と寝転がる。
すると、スチールラックの下に何かを発見して、そこの手を伸ばす。
細長いそれを掴むと手間に引き寄せ、目の前に掲げる。
蛍光灯に照らされるそれは、なまえがハマっている猫のキャラクターのチャームがプラプラと揺れるシャープペンシル。
ココで試験勉強を教えていた時に失くしたとかでなまえがないと騒いでいたっけ。

こんな所でこんな時に見つけるなんて。

シャープペンシルをどうしようか考えながら起き上がって、キッチンへ向かう。
なまえが勝手に買っておいたポテトチップスを取り出そうとして、シンク横にあるカゴに伏せられたマグカップが目に入る。

それはなまえが家から持参して、置いていった件の猫があしらわれたもので、
置いていっていい?と聞いたなまえに許可すれば嬉しそうに笑っていたっけ。

あぁ、結局何もかもがなまえに繋がる。

頭をがしがしと掻いて、冷蔵庫からビールを乱暴に掴むとプルタブをあけて流し込んだ。
残り2本あるビールも邪魔だし、すべて飲むと覚悟して、冷凍庫から適当なおかずを取り出してレンジにかけた。




「蛍くん」
夢でなまえを呼ばれたと思って返事をすると、起きてと声がする。

夢に、起きてといわれて不思議に思って目をゆるゆると開けると、
そこには私服姿のなまえがいた。

え…と声を上げて、上半身を勢い良く上げる。
その瞬間、頭にズキンと痛みが走って思わず頭を抱えた。

いつの間にか自力でベットには行っていた様でベットの上でなまえの呆れた声を聞く。

「いいよね、大人はお酒に逃げられて」
そう言ったなまえはキッチンに向かって冷蔵庫から水とコップを手にこちらに戻ってくる。

「ごめんね」
僕の前に水の入ったコップを差し出したなまえはそう言った。
その言葉が意外すぎて、伸ばしかけた手をひっこめる。

「何でなまえが謝るの?」
見上げると、なまえは困ったように眉を寄せて、僕を見下ろす。

「異動とか辞令とかの大変さ、とか分かんなくて
帰って、お父さんとお母さんに言ったの、蛍くんが東京へ言っちゃうって」

優しいなまえの両親は泣きながら帰ってきた娘になんと思っただろう。

「そしたら、お父さんがね、それはすごい事なのになんでおめでとうって言えないんだ、って
そうだよね、すごい事なのに何で私は蛍くんが遠くに行っちゃうって事しか考えられなくて」

そして、おめでとう、と言ったなまえはふわりと笑って、僕の頭に触れた。
僕の髪を梳くように撫でるなまえの華奢な腕を掴む。

僕がもっと収入が多ければ、もっと適齢期なら、
なまえがせめて大学を卒業する時なら、僕はプロポーズをしていたかも知れない。
けれど、それは僕がなまえの未来を縛るという意味で。
これから先、たくさんの出会いがあって、色んな事を学んで吸収していく事を僕のわがままで阻むという事で。

だったら、今、ここで離れて、なまえがもっと広く大きな世界を見た方が…

「蛍くん、はい」
僕の前に差し出されたコップを掴むと、何も言わないままなまえは僕から離れる。
そして、キッチンに向かうと何かを手に戻ってくる。
ぼすん、と僕の横に座ったなまえは僕の左手を取る、それに手の中のものを乗せる。
少し質量のある、それは

「マグカップ…?」

なまえ愛用の猫キャラのマグカップだった。

「うん、蛍くんが良かったら、コレ連れて行ってくれないかな、遊びに行った時に使うから」
そう言ったなまえの声は震えていた。

俯いたままのなまえの頭をそっと撫でるとなまえは顔を上げて僕を見る。
その顔には涙の筋がいくつかあり、目ははれぼったい。

「もう、ダメ?」
懇願するような顔に、素直な感想を述べる。

「僕、昨日けっこう言ったよね?」
その言葉になまえはこくりと頷く。

「けっこう言われたね」
苦笑したなまえは、でも、と続ける。
「それはきっと蛍くんが思ってない事言ってるって知ってるから」
え、と声が出ると得意げな顔をしたなまえは、ふふっと笑う。
「2年くらい蛍くんの彼女してれば分かるよ、蛍くんの本気の嫌味と優しさから来る嘘の違いくらい」
それくらい、好きなんだから、と付け加えたなまえの顔はまっすぐだ。

「けどさ」
そう言って、なまえの口の中に入ってしまっている髪の毛を指の先にひっかけながら、話す。

「遠距離恋愛なんてわざわざしなくていいし、同級生同士で恋愛した方がいいんじゃないの?
手を繋いでカフェ行ったり、お泊りがしないなら…」
そう言った途端、なまえの左手が伸びて、僕の頭にこつんと下ろされる。

「蛍くんは大人なのに馬鹿なの?
それとも大人だから単純な事も分からないの?
私は恋愛がしたいんじゃないの
"蛍くん"といたいの
蛍くんじゃなきゃ意味ないってわかんないの?」

そう言って、ふぅと息を吐いたなまえは、そう言って僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。
その顔は近所を散歩していた時に、大型犬を見つけて撫で回してた時の顔と一緒だ。

「蛍くんって何でそんなに難しく考えちゃうかな」

あぁ、ダメだ。
やっぱり僕はこの単純な事を単純明快に教えてくれるこの子から離れられないようだ。

「なまえ」

そう呼んで、なまえの手からマグカップを受け取ると、持って行くと小さく答える。

その途端、なまえは嬉しそうに僕のお腹に抱きつく。
突然の衝撃に、なまえのマグカップと空になったコップはラグの上に音もなく落ちる。

よかったー、と言うなまえの頭を撫でようと手を伸ばした途端、くさっと声がしてなまえががばりと顔を上げる。

「蛍くん、お酒臭い
飲み会帰りのお父さんの臭いがする」

うわ、と言ってなまえはベットから飛び起きる。

「は?仲直りしたばかりの彼氏にお父さんの臭いってなに」
思わずむっとすると、だって、とケラケラ声を上げて笑うなまえ。

けれど、ケタケタと笑い続けるなまえの顔を見れば悪戯心がむくむくと目覚めるのも確かで、
なまえの腕をぐいと引いて、腕の中に閉じ込める。

辞令を受けてから考えるようになった遠い日の約束を呟きそうになって息を飲み込むと、
腕の中の小さな体を痛くない程度に抱きすくめる。

ちょっと蛍くん、とじたばたと抵抗するなまえにはムードというものを期待する方が間違っているんだ。


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