時給が良いからという理由でなんとなく始めたバイトだったけれど、気がつけば大学4年生の冬になった今でも続けていた。自分が教えることによって生徒が内容を理解して、それをテストの点数という形で現してくれることが嬉しかったし、おちょくられてばかりだけどなんだかんだ慕ってくれている生徒たちと授業の合間に雑談をしたりするのも楽しい。授業が終わり生徒たちの自習に少し付き合ってよし帰ろうと時計を見たときには時刻は既に22時を過ぎていた。外に出た途端に冷たい風が頬を掠めて身を縮こませながら駐車場に向って歩いていれば、道端で蹲る人影を見つけた。よく目を凝らして見ればついさっきまで授業を受け持っていた生徒だった。

「みょうじ?」
「……茂庭先生、」
「ちょっ、どうした!?大丈夫か」
「……ちょっと、気持ち悪くて。」

でも、すぐ治るんで大丈夫です。
そういって弱々しく笑うみょうじを放って帰るなんてことは出来なかった。こういう場合、大丈夫じゃない時ほど大丈夫だと嘘をつくものだ。

「家どこらへん?送るよ」
「えっ、いやでも…そんな、悪いです」
「いいからいいから、ほら立てる?」

家まで送る、なんて一歩間違えれば不祥事にもなり兼ねないが、入試も近いことだし風邪を拗らせたりなんかしたらそれこそ大変だ。差し出した手を控えめに握られ、女子の手ってこんなに小さいものだったかなんてどうでもいい事を考えながらゆっくり手を引いて立ちあがらせる。ふらふらと覚束ない足で歩くみょうじを助手席に乗せて、後部座席にあったブランケットを掛けた。体調が悪い人間が乗る車を運転するというのは案外緊張するもので、ゆっくりとアクセルを踏んだ。

「近くまで着いたら起こすからリクライニング倒して寝てていいよ」
「いえ、起きてます」

少しでも寝ていた方がいいとは思うけれど、本人が起きているというなら無理に強要することはない。「そっか」と一言だけ返してハンドルを切った。車内にはラジオからレトロチックな音楽が流れていて沈黙も左程気にならない。

「大体近くまで来たんだけど、家までナビしてもらってもいい?」
「あっ、そこのコンビニで大丈夫です」
「え、でも………うん、分かった。」

途中まで言いかけたが、他人に家の場所を探られるのはあまりいいものではないなと思い返して自分の行動を窘めた。コンビニに車を停車しても動こうとしないみょうじに目を遣るけれど、顔を俯かせているので表情が見えない。体調が悪化してしまったのだろうか、大丈夫かと声を掛ければみょうじは顔をあげて双眼にしっかりと俺を捉えた。

「……すいません、先生。」
「いいから、今日は早く寝て風邪治…」
「嘘なんです、体調悪いっていうの。」
「………は?」

今なんて?意味が分からず唖然する俺を見て「だから、嘘なんです」と申し訳なさげに眉を下げた。嘘を吐かれたことに対しては全く怒っていないけれど何故体調が悪いなんて嘘を付いたのか。そんな俺の心情を知ってか知らずか、みょうじは言った。

「わたし、好きなんです、先生の事。」
「………はあ!?」
「でも先生、春には塾辞めちゃうし、わたしだって受験が終わったら……」

そんな事を淡々と話すみょうじにつられてか、思わず言ってはいけない言葉が喉までつっかえて飲み込んだ。ダメだ。相手は生徒だ、揺らめいてはいけない。平常心を取り戻せ。心の中で葛藤を繰り広げる俺に更に追い打ちを掛けるように目の前の彼女は続ける。

「先生が言いたいことは分かってます。だから、私が高校卒業するまでに考えておいてくださいね」

送ってくれてありがとうございました。
そう言って、律儀に頭を下げたみょうじは柔らかな笑みを浮かべて車を降りると真っ暗な夜道を歩いていく。その足取りはさっきの覚束ない感じではなく、何処か軽そうにも見える。どうやら本当に体調が悪いわけでは無いらしい。………やられた。はああ、と大きく溜息を吐いてハンドルに項垂れると力をかけ過ぎたせいでクラクションを鳴らしてしまい、慌てて身を起こした。

ドクドクと波打つ心臓はなかなか止まってくれない。車内に一人残された俺が運転して帰れる状態に戻るまでには、まだもう少し時間が掛かりそうだ。

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