昼下がりの日曜日。
 風は少し冷たくて、けれども天から降り注ぐ陽光は暖かい。秋の高く澄み渡った空が眩しいくらいに綺麗だ。
 十一月も半ばともなると寒さが一段と増したようにかんじる。朝晩は酷く冷え込むけれど、日中だからだろうか。気温は程よく心地いいとさえ思える。
 だが、それもあと少しだ。しばらくもすれば雪が降る季節になる。防寒具が必要になってくるだろう。冬は間際に迫っている。
 わたしはみょうじなまえ。来年受験生の高校二年生。どこにでもいる普通の女子高生だ。
 特技は暗記。ただし三日限定だ。覚えていられるのはせいぜい三日が限度。詰め込めば詰め込んだ分だけ頭に入るけど、詰め込んだ分は三日過ぎれば忘れてしまう。役に立つのはテストのときはくらいだ。それ以外はあまり役に立たない。
 それから趣味。ありきたりだけど音楽鑑賞だ。音楽ならなんでも聴くからジャズもクラシックも好きだったりする。
 でも、それ以上に大好きなのがカフェオレだ。
 カフェオレは至高の飲み物だと思ってる。風味も甘さも全部が完璧。他の飲み物なんて目に入らない。それくらい大好物だ。
 わたしは毎週日曜日に駅前のコーヒーショップに行く。お気に入りのお店で大好きなカフェオレを飲んで、店内に流れている音楽に耳を傾けながら漂うコーヒーの香りを楽しむ。
 本を読むこともあるし、窓の外をぼんやり眺めているときもある。思いに更けることもある。
 とにかく、このお店はわたしにとって特別な場所だ。ゆっくり出来るし、落ち着ける。
 こんなお店は見つけようと思っても見つけられない。出逢うことすら難しいだろう。一生の内に何度巡り逢えるか分からない貴重なお店だ。
 わたしは窓際の席にいた。大好きなカフェオレを飲んで、道行く人の波をぼんやり眺める。駅前だから人通りは激しい。眺める分には楽しめるし、人間観察も案外楽しかったりする。
「(……あ。あのひと……)」
 わたしの瞳に映ったのは毎週見かける男性だった。
 短髪の黒髪、平均よりも高めの身長、堅実そうな雰囲気。顔も整ってるし、体格もいい。
 そんな彼は毎週日曜日にこのお店にやってくる。たぶん常連なんだと思う。ショップの店長さんと仲が良いみたいだし。いつから通っているのか分からないけど、いつの頃からか目で追うようになっていた。
 お店に来るときの服装はジーンズにパーカーとかカーディガンとか本当に普段着というかんじなのだけど、今日は違った。ダークグレーのスーツを身に纏っていたのだ。雰囲気が全然違う。
 普段着だと柔らかい感じがするのにスーツだと堅い感じがする。
 社会人になるとみんなこんなふうになるのかなあ、と思考しながら盗み見るように彼を観察した。
 日曜日の会社は大抵休みだ。サービス業や接客業は別だろうけど、彼はスーツを着ているしビジネスバックを持っている。どこかの企業か商社のサラリーマンかビジネスマン風の装いだ。
 休日も出勤しなければいけない会社もあるだろうから疑問を持つのはおかしいと思う。でも、今までの彼はスーツでこの店に来たことはなかった。もしかしたら着替えてからここに着ていたのかもしれないけど、こうして見る限りでは今日だけが特別だったように思える。
 だって、彼のスーツ姿を見た店長さんの驚きようといったらなかった。
 彼はわたしの席から数席離れたところに着くと、そこに店長さんがやってきて「お前、日曜なのに仕事だったの?」そんな声が聞こえてきた。彼は「まあな」と困り顔で答えている。
 ふたりの会話から察するに、彼が日曜日に出勤するのは珍しいことらしいというのが分かった。たぶん、休日返上で出勤していたのだろう。
 わたしの父親もたまにそういうときがあるからなんとなく分かる。大人には憧れるけど、こういうのは全然憧れない。大変だなあと思うだけだ。
 コーヒーカップの中のカフェオレは半分。少しぬるくなってしまったそれに口をつける。ぬるくなってもおいしいカフェオレに頬が緩みそうになる。やっぱりこのお店のカフェオレは最高だなあと思った。
 もう少しゆっくりしていたいし、お代わりしようかなどうしようかなと悩みつつ伏せていた顔を上げた。
 自然と視線は彼のほうへと流れていく。彼の傍には店長さんはいなくて、代わりにコーヒーセットが置かれていた。わたしが思考している間に話は終わったんだと思う。
 彼は手帳(たぶんスケジュール帳)に何か書きこんでいた。ここらでは何も見えないけど、休日出勤するような多忙さだし、きっと予定とか約束とかいろんなものがぎっしり詰まっているに違いない。
 本当に社会人は大変だ。学生のわたしには彼の気持ちも苦労も分からない。
 だってわたしは高校生で、まだまだ子供だ。世間知らずだし、手の届く範囲のことしか知らない。彼に比べたらすごく狭い世界なんだと思う。
 わたしの世界は家族と学校とバイトの三つだけ。たった三つでしか構成されていない。狭いのは当然といえば当然だ。そこを毎日ぐるぐるしながら生活しているのだ。
 彼みたいに社会人になればもっと視野が広がるだろう。世界が色づいて見えるのだと思う。だからこんなにも大人に憧れるのだ。
 思索に更けていたわたしはぼんやりと外を見ていた。見ればカップを手にしたままで、中身は空だった。底が乾いていて茶色い筋を作っていた。
 わたしはカップをソーサーに戻した。ふと息をついて、ガラス越しに見える行き交うひとや車を見る。テーブルに肘をついて頬杖をついた。そのまま店内を見渡すと、彼の姿は既になかった。
 少し残念に思いながら、わたしもそろそろ帰ろうかなとぼんやりと考える。伝票を手に取り、音を立てて立ち上がった。
「(……あれ?)」
 レジカウンターに向かって歩き出すと、彼が座っていた席の下にペンが落ちているのが見えた。落とし物かなと思って、わたしは屈んでそれを取った。間近でペンを見ると、年期が入ったものだというのが分かった。質も良さそうだ。記憶が確かであれば、たぶん彼が使っていたペンに間違いないと思う。
 わたしはそれを持って、レジカウンターに向かった。
「あの、店長さん」
 カウンター内で作業していた店長さんに声をかける。
「はい……って、みょうじさん。お会計?」
 こうして会話するようになったのは最近だ。それまでは客と店員の関係だった。
 きっかけは忘れたけど、そのきっかけがあったから話すようになったのだ。
 ちなみに彼こと店長さんの名前は池尻隼人さん。
 わたしは店長さんとしか呼ばないけど、このコーヒーショップを経営する気前のいい店長さんである。
「それもですけど、これ、落とし物です」
 そう言って、拾ったペンをカウンターの上に置いた。
「えと、さっきそこに座ってた……スーツの男の人のものだと思うんですけど」
「あー。どうりで見たことあると思った。ありがとう、みょうじさん。これ、あいつが……あ、澤村っていうんだけど、大事にしてたものなんだよ。これは俺が責任をもって渡しとくよ」
「あ、はい」
 頷いて見せたわたしは、少し躊躇いつつも気になったことを聞いてみることにした。
「ええと……店長さんと澤村、さん? は知り合いなんですか?」
「知り合いっていうか腐れ縁かな。中学からの友達なんだ」
「中学……長いんですね」
「まあね」
 中学生の店長さんと澤村さんを想像してみるけど、全然想像つかなかった。
「みょうじさん?」
「……え、」
「ぼんやりしてるね。俺の話聞いてた?」
 中学生の店長さんたちを想像してました、なんて言えるわけがない。わたしは「すみません」と謝った。
「いやいや。謝らなくてもいいから」
「でも、」
「ほんとに大したことじゃないんだ……、ただ澤村に会ってやってほしくて」
「え……」
 わたしはその言葉に目を瞠った。じっと店長さんを見つめる。
「たぶん、あいつのことだからみょうじさんに直接お礼が言いたいと思うんだよね」
「…………」
「ダメかな」
「……。いえ、ダメじゃないです」
「そっか。よかった。じゃあ、来週の日曜日に。昼過ぎにはあいつも来ると思うから」
「……はい」
 それから数分後。わたしは会計を済ませてお店を出た。駅とは反対の方向に向かって歩く。横断歩道の手前で足を止めて、信号機が変わるのを待った。
 でも、いくら平静を保っていても心臓の音だけは大きく響いていた。耳の奥で強く激しく高鳴っている。
 きっとわたしの顔は真っ赤だ。お店で出なくてよかったと思いながら足元を見た。
 来週の日曜日。そう心の中で何度も呟く。来週の日曜日、彼と……澤村さんと直接会えるのだ。面と向かって話すことが出来る。
 遠くから眺めるだけで、彼と話す機会なんてそんな日は絶対来ないと思っていたのに。なんだか夢みたいだ。
 歩行者用の信号機が青に変わる。信号待ちをしていた歩行者や車が一斉に動き出す。
「澤村さん、」
 来週が待ち遠しい。待ち遠しくて仕方ない。
 わたしは緩みそうになる口元を隠した。何かを噛み締めるように足を踏み出して地面を蹴る。
 鼓動が弾ける。どくどくどく、と内側から聞こえてくる。わたしはそれを聞きながら目を眇めた。
 たぶん、気のせいでも勘違いでもない。
 鼓動の音色が変わったように、間違いなく世界の色が変わった。
 さっきまでの色とは違う。すべてが鮮やかに彩られた、そんな色が広がっている。
 きっと、彼に会えば、また色が変わる。
 今度は何色に変わるだろう。優しくてあたたかい色だといいなと思う。
 考えるだけで胸が躍った。
 わたしは嬉しくて堪らなかった。泣きそうになるくらい嬉しくて仕方なかった。
 早く彼に会いたい。そんな気持ちがいっそう強くなったのをかんじた。


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