──こうしてこの人の隣で、この人が吐く煙を眺めるのは、灰を落とす指を綺麗だと思うのは、もう何回目になるだろう。




ミルクティーとお菓子、それから温かい缶のカフェオレを買ってコンビニを出ると、木葉さんが外壁に背中を預けて煙草を取り出しているところだった。

「こんばんは」
「おー、お疲れ」

そう言ってから木葉さんは火を点けた。ぶわりと煙が吐き出されて、もう暗い空に吸い込まれていく。

その様子を目の端で捉えながらカフェオレの缶を取り出した。プルタブを開けて一口飲むと、まだ熱い液体が喉を通っていく。ほろ苦い甘さにため息をついた。


灰皿を挟んだ向かい側。帰りにコンビニで鉢合うと、私と木葉さんは大抵彼が煙草を吸い終えるまでの間こうやってぼんやり言葉を交わす。今日何があったとか、週末のテレビ番組の話だとか、くだらない日常を交換しあう。


トントンと木葉さんが長い人差し指で煙草を叩く。灰が灰皿に落ちていく。

そういえば今日学校で、と相変わらずくだらない話を振った。木葉さんは黙って、時折笑いながら私の声に耳を傾けている。知り合ったのはもう1年も前のことだった。最初は探り合うように言葉を選んでいたけれど、今ではもう木葉さんは私の友達の名前も知っている。

話がひと段落したところで、木葉さんはひときわ大きく煙を吸い込んだ。一拍置いて、あのさ、と少しだけ気まずげに口が開く。

「俺さあ、彼女できた」

そう言った木葉さんは笑っていなかった。いつもの無愛想な無表情で煙をくゆらせている。それを確認してからすぐ前を向いた。

「そうですか」
「えっ」
「えっ?」

予想外の反応が返ってきて驚いたのは私だけではないようだった。もう1度移した目の先にはぽかんと口を開けて私を見る木葉さんがいて。なんですか、と聞くと少し言いづらそうにしながらおずおずと言葉が出てくる。

「おまえ俺のこと好きなんじゃないの」

知り合ってから木葉さんにできた彼女は今回で3人目だ。告白してからは初めてだけど、この人は恋人が出来るたびにこうして私に報告してくる。なかなか長く続かない恋人関係に辟易していた木葉さんに、今度はどのくらい続きますかねとイヤミにもならない言葉をぐっとこらえた。この人はいつまで無謀な恋をしたら気が済むんだろうか。

さすがに気恥ずかしかったのか、木葉さんはゆっくりと煙を吸い込んだ。

「好きですよ」

煙草の先からあふれる煙の量が少し収まるその様子が、それでも私はあまり好きではなかった。

「ショックとか無いの?」
「うーん、あんまり」

空はもう暗くて、ひやりとした空気が鼻を刺す。

「ていうか24で彼女いない方がちょっとアレですよ。おめでとうございます」
「あ、ありがとう…?」

こくりとカフェオレを喉に下していく。落ちていくぬるい液体を感じながら、足元のローファーの傷をなぞりながら、腑に落ちない様子の木葉さんをゆるく笑った。

「もしかして私が諦めたとか思ってます?」

木葉さんは黙ったままだった。「そんなわけ無いので安心してください」安心って言い方も、変かもしれないけれど。

「諦めるとかいう次元じゃないんですよ 」

吸い終わった1本目が灰皿に吸い込まれていく。胸ポケットから新しく取り出した煙草を口に持っていきながら、病的だな、と胡乱げな目が私を見た。

「そうですね、病気みたいなもんかもしれないです」


知り合って1年と少し。木葉さんを好きだと気づいて半年程。

なんの拍子だったか、思わず口をついて出た「好きです」の4文字に木葉さんの目が丸くなったのは気持ちを自覚して割合すぐだったように思う。返事とかいりませんから、と逃げるでもなく煙草を吸い終えた木葉さんからいつものように立ち去った。

ミルクティーとお菓子が入った袋を手に自転車にまたがって。その次の日も当たり前のようにコンビニにいる木葉さんは、「お疲れ」と今と変わらない気だるげな笑顔を浮かべていた。

──ああ、そういえば。
そういえばあの頃は、カフェオレなんて買ってなかった。


至極真面目な私を木葉さんは柔らかく笑う。どこを見ているのか分からない目をして、冗談交じりの声色で。

「処方箋とか無いの」
「無いんじゃないですかね、これ不治の病っぽいので」
「お前真顔でよくそんなこと言えるね」

私は木葉さんにどうしようもない恋をしている。どうしようもなくではなく、どうしようもない恋。

「あれ、木葉さん顔赤くないですか」
「うるせーな誰のせいだと思ってんだ」

この人の今の彼女にも将来の奥さんにも特に興味すらわかないような、一生分の片思い。残り少ないカフェオレをゆっくりと傾けて、喉から出そうにもない思いをどうにか排出しようとするけれどやっぱり出てきてはくれなくて。

きっと木葉さんはその"彼女"に愛を囁いたんだろう。手に触れて、私が見たこともないような笑顔で、想像もつかないような言葉をその薄い唇から吐き出したんだろう。

──でも私は、そんなのいらない。

「女子高生に手出したら犯罪ですよ」

かわりに口から出てきたのは湿っぽい笑いだった。お前もう黙れよと言いながら一瞬上がった左手にもう期待なんてものは持っていない。木葉さんの煙草はもう随分短くなっていて、私も最後の一口を飲み下す。

じゃあな、といつものようにすんなり壁から背中が剥がれていく。おやすみなさい。私もいつものように返そうとして、でも一瞬踏みとどまって、「彼女と仲良くしなきゃダメですよ」余計なことばかりを言う自分と同じように嘘をつく木葉さんに少しだけ笑ってみせた。




私は知っている。

背中を見送ってからゴミ箱の前に移動した。きゅ、と缶を握りしめて、ほの暗い穴をこっそりと覗く。

彼とその恋人がなかなか続かない理由は分かりきっていた。その理由に木葉さんが見ない振りをしているのにも気づいていた。

木葉さんが高校生のときに片思いしていた人のことを、顔を歪ませながら話してくれたのは知り合ってすぐだった。きっとそのときに浮かべた表情を人は、笑顔と呼ぶんだろう。

この人はまだ忘れてなんていない。だから木葉さんはわざわざコンビニで煙草を吸うのだ。


不治の病だと、冗談で自ら発した言葉が今になって胸に突き刺さる。
それこそきっと一生治らないこの病気に、いっそのこと殺してくれたらいいのにと思った。この腕ごと、体ごと、心ごと、私のことなんてさらっていってしまえばいい。


そんなのだったら。

気持ちを一緒に押し込むように、木葉さんの煙草2本分の小さなカフェオレの缶をゴミ箱に投げ入れた。


──そんなのだったら、私はいらない。




木葉さんが"俺と同じだな"とふざけて笑った顔が、なつかしむような苦しげな声音が、まだ鮮明に思い出せるから。

だから私は、この人がここで吸う煙草が1本から2本になった理由を、今も探し続けている。


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