猫の気持ち
オレは猫である。
残念ながら名前はある、ギンという。
水甕の淵から足を滑らせ、真っ暗な水の中に落っこちて死んだと思ったのに、なぜかここに居た。
なんてことはあるわけない、腹が空いてどうにも動けなかったところを、十四郎に拾われたのだ。
猫として生きてきた中で、人に飼われたのは、これが初めてではない。
頑是無いガキの頃は人が傍に居たような気がするから、きっと親は飼い猫だったのだろう。
貰われて捨てられて拾われまた捨てられ、うっかり迷子になったりで、飼い主は色々と変わった。
だから、十四郎が何人目の飼い主か、もう覚えてない。
だけど、わかる。
ここは、終の棲家だ。
十四郎は歴史小説家だ。
過去にも同じ職種の飼い主がいたが、その人は十四郎のように本に囲まれたりはしなかった。
居間の卓袱台の前にどっかり座って煙草をふかしつつ、ぶんむくれたようにしていた。
オレにも大して興味がなかったらしく、近づいても睨まれるように見られるだけ。
他の人が面倒見てくれたし、その方がこちらとしても楽だから良かった、十四郎はそこそこオレを構う。
傍に寄れば、柔らかくふと笑って、こうやって膝の上に乗っけて、時折撫でてくれる。
その手がとても気持ち良いから、好き。
本を読み耽っている時もあれば、変な箱みたいなのに向かって何かしている時もある。
今は後者、さっきからずっとカタカタとかカチカチとか、そんな音を出している。
十四郎の体温と時折撫でてくれる手、淡々と聞こえるカタカタ、強い煙草のにおい。
「十四郎」
呼んでみたくなる、きっと十四郎には猫の鳴き声としか聞こえていない。
「んだ、ギン」
呼応する優しい声音と、連動する暖かな手。
ずっと傍にいたい誘惑、限りがある時間。
なんて穏やかな。
猫は20年生きると、人になれるんだぜ。
オレが人になったら、お前は驚くかな
こんなふうに、撫でてくれる?触れてくれる?
驚いても撫でてくれなくても触ってくれなくても、いいから。
それとも虹の橋を渡って、毛皮を変えて来ようか。
オレも頑張ってここまで来るから、そしたら見つけてくれる?
それでまた傍においてくれる?
ガキのオレはきっと悪戯しまくるけれど、それでも。
頭を撫でて…撫で、てなんか痛い、痛い、ミシミシって、いてえぇぇぇぇ!!
「ちょ、やめ、いたたたいたいいたい、ミリミリって何この音!頭蓋骨粉砕ィィィ!!」
覚醒したようにはっと開けた現実の視界に、さっき書き上げた原稿と卓袱台、それで。
「夢の世界から帰ってこいや、クソ天パ」
頭を鷲掴みしていた手を払って振り返れば、そこに鬼がいましたよ。
オレの頭を掴んでいたであろう手をガキゴキ言わせながら、その背後にどす黒い怒りの炎。
「原稿、できてんだよな?夢の世界に飛び立てるくらいお暇な作家様?」
「ちょっと添削したいかなーって思ってるところですぅ。土方くん、目が笑ってないから、怖いから!」
怖い怖いマジ怖い、鬼の副編集長様であり、そして、オレの担当。
副編集長が作家の担当なんて、普通の出版社ではないだろうが、あまりにもオレがズボラなための処置。
宥めすかしてエサでつろうとも、いつも締め切りギリギリの超ギリ、1時間あったらいい方、なんて担当泣かせ。
何人も担当が替わり、最後に出てきたのは、やっぱり鬼。
若くして副編集長の座に座る土方は、実力が語りに語って優秀でスタイル抜群、ついでに顔も良しと来ている。
「まぁ出来て当然だよなぁ。出来るって言った締め日だからなぁ?」
でも鬼です、マジ怖いです、この人。
上着を脱いで隣に座り、手書きに拘るオレの原稿をパラパラとめくる。
歴史もの小説一択で刊行している雑誌はたった一誌の、本当に小さな出版社だが、業績は安定している。
読書離れが激しく、大手出版社ですら廃刊で辛うじて倒産を免れている昨今、業績安定は全てこの鬼の采配。
本名が土方十四郎だから、幕末の有名人の渾名を真似て『鬼の副長』なんて呼ばれている。
「添削ならやっとく。お前は寝てろ、徹夜したんだろ?」
さっきオレの頭を力いっぱい鷲掴みにした同じ手で、今度は優しく撫でてくれる。
オレの担当をして大分経つ、だから鞭と飴の使いどころを心得ている。
ま、それだけじゃないけどねー。
「土方、一緒に寝よ?」
煙草の味がする薄い唇に軽くキス。
こういう甘いお誘いをかけられるくらいの関係、出版社の連中にはヒミツの。
男同士だろうとなんだろうと、愛し愛されてますよ、でも公にできる事じゃない。
「添削して社に原稿持って行ったらな」
ちょっとだけ見せた鬼の仮面の下は甘く、オレを即効で解かすから。
ついさっき夢で見た猫みたいに。
「銀、寝るならベッドいけ」
土方の胡坐をかいた足に頭を乗っけて横になるオレを、口ではそうでもしょうがねぇなと許容する。
卓袱台に間違ってぶつけないように体勢を変えて、片手は原稿、もう片手はオレの髪を撫で梳く。
徹夜明けで原稿が上がった気の緩みから、かっくりと眠ってしまって見た夢みたい。
パサリと腹に掛けられたのは、土方の上着。
添削が終わるまで寝て待っていよう、土方が社に帰る時に起こしてくれるから、そしたらご飯作って…。
そこでオレの記憶は途切れる。
「ったく、寝言がでけぇんだよ。全部駄々漏れだっての」
電池切れの子供みたいに、パタリと眠ってしまった銀髪をくしゃくしゃに撫でてやる。
原稿が上がる頃合を見計らって来てみれば、物語の音読をしているようで実は見ている夢で。
これが作家脳ってやつかねぇ、なんて思ったりしたけれど。
聞いてたら恥ずかしくなって慌てて起こした訳だが、内容から察せられる、そこまでぼんやりではない。
集中の為に佳境に入る1ヶ月前から顔をあわせないし、そうでなくても土方は忙しい。
罪滅ぼしはどうしようか、この一生ものの恋愛をくれた恋人に、絶対離してなんかやらない愛しい存在に。
「遅くならないうちに帰るよ」
ちょっとだけ細くなった白い頬にそっとキスを落とした。
2011.08.14 紅炉上の雪@あまき
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