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誰にでも優しい。

イイ人。

博愛精神の持ち主。


そんな風に評されることの多い後輩に、初めて苛立ちを覚えた。






HRが終わり、いつものように部活へ行こうと廊下を歩いていると、跡部に会った。

いつもなら適当に挨拶して通り過ぎるだけだが、今日は跡部から使いっ走りを命じられた。

合同文化祭以降、男子テニス部のマネージャーとなった広瀬に、部室へ行く前に生徒会室へ来るように伝言しろと言われたのだ。

跡部によると、広瀬の携帯は電源が切られたままで繋がらないのだという。

広瀬が携帯の電源を入れ忘れたり、持ってくること自体を忘れることは過去にも何度かあったので、別に珍しいことではない。

それに、跡部には逆らうだけ無駄だ。

あの、人を無駄に威圧する男に逆らったところで、自分が疲れるだけで良いことは何もない。

だから俺は、部活へ行く前に広瀬の教室へ行くことを承諾した。




2年の教室へ向かう途中、多くの生徒とすれ違う。

各々が鞄を片手に、友達と楽しそうに喋りながら歩き去っていく。

部活に遅れると急いでいる連中や、帰りに寄り道をする店の相談をしている奴など実に様々だ。

一応、すれ違う生徒の顔には注意していたが、広瀬とすれ違うことはなかった。

時間的にはまだ教室にいる確率のほうが高いと思うが、一足違いで部室へ行っていたということになれば、それこそ無駄足になってしまう。

俺は、少し歩く速度を上げて広瀬の教室へと向かった。


「広瀬。おい、広瀬」


教室の後ろのドアから顔を覗かせると、幸いなことに広瀬はまだ自分の教室にいた。

教科書を鞄にしまいながら、どこか心ここにあらずといった様子だ。


「広瀬。広瀬ってば」


HR後で教室がガヤガヤと騒がしいせいもあり、ボーっとしている広瀬は俺の声に気が付かない。


(だあ〜もう!)


気づかない広瀬に痺れを切らし、思いっきり叫んでやろうかと息を大きく吸い込んだ瞬間。


「…はぁ…」


広瀬のため息が、俺の耳に届く。

ガヤガヤとした喧騒の中にも拘らず、妙にハッキリと広瀬のため息が俺の耳に。


「………」


おかげで、俺は大きく吸い込んだ息を声に変えるタイミングを逃してしまった。

聞いてはいけないものを聞いてしまったような感覚。

自分の中に焦燥感にも似た感情が生まれ、同時に心の奥深くに鈍痛を覚える。


(なんで、ため息なんか吐くんだよ)


ため息を吐きたいのは、俺のほうだぜと内心でボヤいたとき。


「――先輩。ここからじゃあいくら呼んでも、静気付きませんよ?」


背後から、唐突にかけられる声。

広瀬のため息に完全に気をとられていた俺は、その声に不覚にも驚き、バッと後ろを振り向く。


「こんにちは。私、静の親友の高遠陽菜子です」


そう礼儀正しく頭を下げた女子生徒は、頭を上げると俺のことをもう一度見て、宍戸先輩ですよね?と笑った。


「あ、ああ」

「静に用事なら、どうぞ入っちゃってください」


そう言って、高遠は俺を教室の中へと招き入れる。

広瀬は高遠の言ったとおり、相変わらず俺に気付く気配もなくボーっとしたままで、あろうことか再びため息を吐いた。


(だか、ら…なんで、お前が…)


二度目のため息に、俺はいたたまれない気持ちになって、


「何ため息吐いてんだ?」


背後から声をかけ、広瀬の頭を軽く小突いた。


「宍戸先輩!?」


突然、現実に引き戻されて明らかに驚いていますという顔のまま、振り返った広瀬。

そこに俺を認めると、今度は予想外の人物が立っていたことに驚いている。


「よう」


どことなく気まずい気持ちを誤魔化そうと、片手を挨拶代わりに軽く挙げて応じる。


「宍戸先輩が何度も静のこと呼んでるのに、静ってば、全然気づかないんだもん」

「あ、ごめんね。ありがと」


高遠の言葉に、困ったような笑顔を浮かべ、ちらりと俺を見る広瀬。


「先輩、どうしたんですか?ここ、長太郎くんのクラスじゃないですよ?」


お先にと帰っていく親友に手を振りつつ、広瀬は小首を傾げた。

その傾げ方が、いかにもキョトンとした様子で複雑な気持ちになる。


2年の教室に俺が来るときは、長太郎に用事のとき。


そういう発想しか広瀬にはないのだろう。

あながち間違っちゃいないが、俺がお前に用事があっちゃいけないかのようで複雑だ。


「違うっつーの。お前に用事だ。お前に」


お前のこと呼んでるのに、なんで長太郎に用事だって思うんだよ。…激ダサだぜ。

わざと呆れたようにため息をついてやると、広瀬はほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。


「まあ正確に言うと俺じゃなくて、跡部がお前に用事なんだけどな」

「…跡部先輩が、ですか?」


そう不思議そうに呟いた直後。

ハッとした表情で、広瀬は自分の鞄を漁り出す。

どうやら、ようやく気付いたらしい。


「す、すみませんっ!!朝のHR前に切ったままでした」


相当焦っているのか、何度も何度も「ごめんなさい」と繰り返す広瀬に、俺は思わず笑い声を漏らしそうになる。


「ったくお前は、激ダサだな。そのせいで、たまたま廊下ですれ違った俺が使いっ走りだぜ」


言葉だけでは少し冷たいと受け取られかねないが、笑ってしまうのを堪えている表情では、本気で怒っていると思われずに済むだろう。

その証拠に、広瀬は明らかにホッとした表情を浮かべた。

電源を入れ忘れるたびに、マネージャーが連絡つかなくてどうするって部員に怒られてるからな。

今回も覚悟を決めていたら、俺が予想外に笑っていたのでホッとしたんだろう。


「部活のことで話があるから、部室行く前に生徒会室に来いってよ」


ホッとした広瀬が小首を傾げて、跡部先輩のご用事って何でしょうか?と聞いてきたので、俺は跡部に言われたままのことを伝言する。


「分かりました。部活前にわざわざ、ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げて、そのまま教室を出て行こうとする広瀬。

俺はそんな広瀬の背中に、


「おい、広瀬」


8割以上条件反射で呼び止めていた。


「はい。何ですか?」


呼びかけに立ち止まり、振り返った広瀬のことを真剣に見つめる。


(なに呼び止めてんだよ…)


反射的に呼び止めたものの、その続きを言葉にすることを躊躇い、しばらく無言で広瀬と見つめ合う。


沈黙。

沈黙。

沈黙。


正確にはほんの一瞬だったのかもしれないが、俺が覚悟を決めて口を開くまでの僅かな時間、俺たちの間にはひたすら沈黙が流れた。

結果的に、俺はその沈黙に耐えられなくなる形で、ようやく覚悟を決める。


「お前、さっき何でため息吐いてたんだ?」


いつも明るい広瀬のため息が、今でも俺の耳に妙に生々しく残って離れない。


「………」


無言。

まあ、普通はそうだよな。

ため息吐いてるような人間が、理由を聞かれたからってそう簡単に喋り出すわけがない。

それくらいは、俺だって分かってる。

それに、聞かなくてもおおよその見当はつく。

基本的に明るく常に前向きな広瀬が、ここまで落ち込むなんて、アイツのことくらいだろ?


「ま、聞かなくてもだいたい分かるけどよ」


胸につかえる何かを吐き出すように呟くと、微かに広瀬の肩が揺れたような気がした。


「長太郎のことだろ?」


それに対する広瀬からの返事はない。

俺も、初めから返事は期待していなかった。

そもそも、こういう場合は何も言わないことが何よりの答えってやつだろ?


「独りで抱え込んでると、ロクなことになんねぇぞ?」


俯いて顔を上げない広瀬の頭を、励ますように慰めるように軽く叩く。


「ま、無理に話せとは言わねぇけどよ。あんま思い詰めんなよ」


それ以上は広瀬が泣き出すような気がするので、何も言わない。

だけど、心の中は複雑だった。

広瀬が落ち込んでいる原因らしい後輩に、初めて苛立ちを覚える。


誰にでも優しい。

イイ人。

博愛精神の持ち主。


そんな風に評されることが多いくせに、一番肝心な広瀬を落ち込ませてどうすんだっての!

どんな気持ちで、俺が…


(俺なら…)


思わずそんなことを考えそうになったが、それはあまりにも自分が惨めすぎるので、慌てて首を振って打ち消した。


「わりぃ。跡部が呼んでたんだよな。早いとこ行かねぇと、アイツの機嫌が悪くなってお前が怒られるな」


わざと出す明るい声。

今までの重苦しい空気を一気に吹き飛ばすように、大げさなくらい明るい声。


「激ダサだな」


いろんな意味を言外に含ませながら呟いた一言。

それを知ってか知らずか、泣きそうだった広瀬が釣られて笑ったので、俺の胸は少しだけ痛んだ。。

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2010.01.16 PC版初出。
Cache-cache→仏語でかくれんぼの意。

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