紫ノ佳人


 例えるなら、高い空に浮かぶ綺麗な月。俺はそれを欲しいと思ってしまった。

 地に引き摺り落としてでも手に入れたかった、その感情は抑える事を知らない貪欲な望みとして自分の中で膨れ上がる。


 物心が付いた時から、身内ながらに兄の事を『綺麗』だと思った。家の名誉や存続にしか興味の無い二親や、媚びへつらう連中っていうのを見てきたからだろう。けど、華族としての振る舞いに準ずる冷たいはずの紫紺が、俺を見て柔らかく微笑んで溶けていくのを見た瞬間に悟った。

 俺はこの人を、実の兄に恋をしたのだと。

 頭では駄目だと考えても、心には逆らえない。もっと、ずっと一緒に居たくて。時間の有る限り兄の傍で、知って欲しいから好きだといい続ける。

「それは家族としての愛情で、恋じゃないよ」

 苦笑ながら頭を撫で、ちっとも本気にしてくれない。鈍いって言うのも、ある意味罪だろう? それでも諦められなくて、どこまでもその気持ちをぶつけ続けた。ほかのやり方なんて知らないふりして、子供の様を利用する。


「凪、本当に俺の事が好きなのかい?」

 やっぱり困った様に笑いながら、膝を折り少し屈んで俺の目線に合わせて聞いてきた。頭一つ分の身長や、俺の知らない兄の時間。決して埋まらない溝がすごく悔しい。

「始めからそう言ってるよ、俺は直兄が好きだって。ずっと一緒にいたい、傍にいたい。直兄に触れたいんだって」

 信じてくれない寂しさに、ムッとしながら言い終わった瞬間、柔らかいものがそっと唇に触れた。目に飛び込むのは、間近に迫った大好きな花菖蒲の色彩。

「……本当は勘違いとか、淡い気持ちのまま終わって欲しかったんだけどね、まして実の兄弟なんだし」

 それが何か分かった頃にはもう離れてしまっていて少し寂しく思う。直兄が俺に口付けを? はっきりと認識したら急に気恥ずかしくなり、頬がすごく熱い。嬉しさに顔が緩む。

 家の事を考えると結婚は自由に出来ないから、せめて恋愛くらいはと、直兄は告げる。それに凪、泣きながらしつこく迫るから、ついつい絆された、って。しつこく迫ったのは悪かったかもしれないけど、俺は泣いてない!

「でも、俺も知ってしまったから。自分の気持ちに……だから、凪を受け入れたい」

 さっきまでとは違い、本当にはにかみながら俺の頭を撫でている。今までは困らせてばかりだったから。直兄の純粋な笑みが嬉しくて、胸の中がくすぐったい感じだ。子ども扱いも今だけは気にならない、そうじゃ無い事も直に分かってもらえるしね?

『今晩、直兄の部屋にいってもいい?』

 驚いて俺以上に赤く染まった顔が、何だか可愛らしくて愛おしい。彷徨わせた視線を下に移し、一つだけ頷くのを確認して、別れる。後はただ、夜になるのを待つのみ。

 今までは普通に訪れていた部屋だけど、入るのにひどく緊張を覚える。これからの事に心臓が暴れ、鳴り止まない。

 扉をノックして入ると、所帯なさげに佇む兄貴の姿があった。月光の中に浮かぶ彼は儚く、今にも消えてしまうんじゃないかと、暗い不安が頭をよぎる。


 初めて入った兄の体内は狭くて蕩けそうなくらい熱い。背中から這い上がる抗いがたい衝動に、本当は早く動きたかった。けど、さっきから苦しそうな表情を浮かべて耐えているのを見るのは、胸が痛む。

「……辛い思いをさせてゴメン、泣かせてしまって本当にゴメン、直兄」

「謝ら、なくてい、い。……俺も望んだ事、だから。すぐに慣れ……から」

 向かい合わせの直兄は俺の首に腕を絡め、無理に笑顔を作って自分から腰を落とし少しずつ俺の物を受け入れる為、その身を沈めていく。どうしたらいい? どうやったら兄貴は気持ち良くなる?

「……凪、動い、て? このま、まの方が、俺も……ツラい」

 おそるおそる動かす中、ある一点を掠めた時に反応が違うのが分かった。声に、表情に甘さが滲みだす。誘うように高く響く嬌声が、禁忌と情欲に泣き濡れた顔が俺を煽ってもう止まらない。

「ここが……いい? ね、気持ち、い? 直兄……ううん、違……直、也?」

「んあ! ……や、そん、な、コト……聞くな……」

 淡い月の光を受けながら俺の上で跳ねる体、薄紅に染まる肌、瞬きをする度零れ落ちる涙や優しい色合いを湛える紫水晶の様な瞳。すごく淫らで、心は全て攫われてゆく。その媚態に後はただ夢中だった。

 高い空に浮かんでいた、綺麗な綺麗な俺だけの月。やっと。やっと、手に入れられた。だから、もう放さないよ。直也?


 ーーそう思っていたのに。
数年後、あんな形で永遠に失う事になるなんて、その時の俺は知る由もなかった。

2017/06/21
----------------------------
▲text page