紅の戯事


 こんばんは、労いにきたぞ。と簡潔に述べて
私の部屋を訪れた主は、目の前で酒瓶を軽く持ち上げて見せると、月明かりの中でとぷんと鈍い水音が私の耳を打つ。

 夜も更け、特にする事もなくそろそろ床につこうかと考えていたが、他でもない主からの二人きりの酒宴の誘いを断れる程、私は清くも無ければ、好機を逃す臆病者でもない。くつりと内心で微笑むと、主を部屋の中へと招き入れる。

 いやはや、困った。事前に分かっていれば、酒の肴を用意して主を待っていたんだがと本音を告げると、そう思って乾物を少々持参した、気が利くだろ? と胸を張っている。さすがは私の主だねと幾分低い頭を撫でれば、今から酒盛りをするのに子供扱いはするなよと窘められた。

 盃を用意し、気を取り直して乾杯する。すっきりした味わいの飲みやすい酒で素直に旨いと伝えたら、お前と飲もうと思って奮発したんだと告げられた。そう言われると何やら面映ゆいが決して悪くは無い。口に含む度、爽やかな香りが鼻を抜けていく。酒の肴の乾物は干した杏子や薩摩芋の甘味から肉に小魚と思ったより種類があった。

「おや、私ばかりがいただいても良いのかな?」

 ふと気付いたら、主は自分が飲むよりも私が杯を空けるのを眺めているではないか。からかい半分に全部干してしまおうかと告げてみれば、構わないと返される。いつも呑んでいる酒豪な英傑達程ではないものの、主もかなり酒好きの筈が、おとなしいと言うか珍しいものだ。

「……済まないね、主。名残惜しいが明日も早い、そろそろお開きにしようか」

 私も気づかない内に随分酔いが回っていたのだろう。深酒からくらりと目眩を覚えた私は、みっともない所を主に見せ興醒めだけはさせまいと、早々に部屋に帰ってもらうべく声をかける。

「気にするなフツヌシ……というか、思ったより効きが悪いな。やっぱり神族だからか?」

 身体に力が入りづらく立っているのがやっとの状態だと言うのに、鬼人って兵種だからあまり関係ないのかなーと、いつもなら周囲を気遣い行動する筈の主が、今起きている事態に焦りと困惑が無いのが引っかかる。

 まさか、状況を作り出したのは主自身か。いつもと違ううっそりとした笑みを浮かべながら私に近づくと、押し倒して畳に縫い付け、顔に指をすべらせていく。頬を伝い顎を掬うと、唇が触れ合わんばかりの距離で囁いた。無慈悲で蠱惑に満ちた宣告を。

「フツヌシ、俺は今から……お前を犯す。綺麗なお前を汚したら、どんな表情を浮かべるんだろうな?」

 誰も知らない閨の声はどう囀るのか愉しみだ、そう告げた主は私の寝衣を剥がしていき、露わになった肌に手を這わせ、ため息を零しながら口付けを落とす。多分、盛られたものの所為だけでは無いだろう。まざまざとそれを見せつけられる事により、余計火照る身体に内心舌打ちをして、ただ犬のように浅い呼吸を繰り返すしか出来ない自分を謗る。


 自由がきけば、玩具みたいな扱いから逃れられるのに。今宵限りの虚ろで歪な形でなく、きちんと目を見て私だと。今主が抱こうとしてるのは体のいい抱き人形ではなく、このフツヌシなのだと叫びたかった。不思議と蹂躙される事自体に嫌悪は湧かない様だ、私が主を慕っているのは揺るぎない事実で。

 だからこそ、主が何も言わずに叶わぬのだと一方的に思い込み、今回この様な行動に移してしまった。ただそれだけが悔しかったのだと、気づいてしまう。

「……別に抱かれるのが汚されるとは思わぬ故、主の好きにすれば良い。ただ、曲がりなりにもこの私を、軍神フツヌシを屈服させてるのだ」

 目を見据え、身を捩りながら不敵に嘲笑う。婀娜と挑発を含んだ眼差しが返って焚き付けるだけと知りながら、私はさらに煽り続ける。

「主よ。一夜限りの火遊びで終われるとは、ゆめゆめ思わぬ事だーー」

 怯えからかそれとも興奮からかは分からぬが、組み敷いた私を見下ろす主はごくりと大きく喉を鳴らすと口を開く。本気なら許すのか。遊びで済ませないのなら、お前は俺に自身を委ねても構わない。そう告げるのか、と。

 これ以上言葉を紡ぐのは無意味だと、私は拘束の緩んだ腕を主の首に絡め、続きを促す。首筋や鎖骨の辺りをきつく吸われる痛みにほくそ笑むと、衣ごと押し上げる主の陽物に手を這わせた。

「私一人裸でいるのは恥ずかしいのでね、主も早く脱いでくれないか?」
「……絶対嘘だろ。まぁ、俺も服を汚すのは嫌だし」

 互いに身に纏う衣を脱ぎ捨てて、貪るという様しか浮かばない口吸いをする。互いの舌を絡め、唾液を啜り、飲み下す。どうせ今からあらゆる箇所がべた付くのだ、口の端を伝う分くらいなら手の甲で拭えばいい。

 胸の尖りを舐め、吸われ、摘まれると溢れるのは微かな歓びの音。鍛えた脚を抱えられ、自身でも普段目にしない窄まりを他の誰でもない主の眼前に晒している。それを改めて意識するのは、酒精以上の酔いになろう。指で丹念に解されるのに焦れたのは、私自身。後生だから早く入れふて欲しいと、強請る姿をはしたないと思う間もなく身体を貫かれる。迸る汗と涙と快感に我が身を振り乱し、聞くに耐えない高く甘ったるい声色が繰り返し耳を打つ。

「厭らし、いな、フツヌシ。だが、悪……ないっ、んっ」

 体位を変え、今は腰を高く抱えられた姿で後ろから何度も胎内に穿たれている。ぬちゃりぐちゃりと粘着質な水音が耳朶を打ち、腸を抉られんばかりに擦られる度、愉悦に震える体躯。獣と変わらぬ粗野な交わりに高まるのは、鼓動だけでは無かった。思考も矜持も、主が与える熱で溶けてゆく。私は壊れたようにただ、啼いた。

 黒い爪紅を塗った爪甲が畳を掻く、己が手を主の掌が上からそっと触れるのをぼんやりと濡れた瞳に写すと、俺以外がお前を傷付けるのは我慢出来ないなと、剥き出しの独占欲をぶつけてくる姿に頭に浮かぶのは歓喜しかない。

 今更かも知れないが、この行動だけなく、私の身体の至る箇所に主が付けた鬱血痕が散らばっている。今も背中に唇を落とされると、ぴりっとした微かな痛みが走り抜け、つい中をきつく締め付けた。短く呻いた主の一物から溢れた物が内側を叩く。戯れを終えるにはもういい頃合いだろう。

「主。い……、加減、んっ離れ、ろ」

 私を明日の討伐の編成に組み込んだのは主自身だろうと、何とか振り返って睨んだら丸い目をして動きを止める。気のせいか、まだ胎内に厚かましく居座る厄介者が力を取り戻す。これ以上、無体を許す道理も無かろう。

「フツヌシ。お前、そんな泣き濡れた目で睨んでも可愛いだけだぞ? 赤い目元とか、正直色気だだ漏れだし」
「……呆れたものだな」

 主で無ければとうに捻り潰しているところだと告げたら、そうか俺だから許してくれたんだな、済まない。そしてありがとうと微笑まれる。主の笑った顔は出来ればずっと見ていたいが、今は本当に私からさっさと出て行ってくれないものだろうか。

「感動に打ち震えるのは、中の物を抜いてからでも遅くはない」

 だから早々に出して貰おうかと言う私の発言は、重なった口の内に儚く消える。

 ちゃんと好きだし、遊びでは済まさない。始めは無理矢理にして、本当に済まなかった。勝手な言い分だけどフツヌシ、改めてお前を抱かせてくれと宣告された。一瞬だけ胸が高鳴り頷きそうになったが、違う、そうではなかろう。

「戯けが……全く、本当に呆れたものだな」

 欲と想いを隠さない主にか、それとも絆されてしまった自分自身にか。どちらに対してなのかは、最早関係無いのだろう。私はそう嘯きつつ、主の背中に腕を回す。

 せめてもの意趣返しに、ほんの少しだけ指に力を込め、私を暴く事を辞めない主の肌にかりりと爪を立てる。


 ーー忘れるな、主よ。私を抱いた事を。他の誰でも無いこのフツヌシを選んだ事を、決してな。

2018/01/09
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