電車を何回も乗り継ぎ、バスに乗って、その上また歩くこと数十分。
女からもらった紙に書かれていたのは、そんな田舎町だった。
包み込まれるような緑のに普段なら自然と心が休まる筈なのだが、今はそんな気分には到底なれない。理由は明白で、俺がここに来た理由があのクソノミ蟲だからだ。
しかしさすがにこんな空気のよい場所で煙草を吸う気も起きないので、地面にぽとりと落としてぐりぐりと潰す。むき出しの地面には少し悪いことをしたかもしれない。
とにかく、これ以上うかうかしていられる程今の俺に余裕なんてものはなかった。
住所を手掛かりに、誰か人に聞こうと歩き出す。

歩き出した、のだが。
俺は、この地をなめていたのかもしれない。
かれこれ一時間近く歩いたのだが、未だ会ったのは人ではなく鳥や猫などの動物ばかり。人っ子一人いないようながらんとした道がぼんやりと先へ続くだけであった。
「…くそ、」
いい加減しびれを切らしてまたいらつきがよみがえってくる。咄嗟に煙草に手を伸ばしそうになるが、不味いと慌てて腕をとめた。
これからどうするか。俺は行く先もなくうろうろととにかく勘で人がいそうなところへ再び歩き出した。

ようやく人に会えたのはそれからまた一時間ちかく後のことで、それもえらく腰の曲がった婆さんであった。割烹着を着た上品さの残るその人は、俺を見てバーテン服だと気がつかなかったらしい、背広か何かだと思っているようだ。
「東京からの人ですか?」
「…あの、」
「はい?」
「ここに、折原ってやついませんかね?」
人の少ないこの土地だ。新しく来たやつがいたら嫌でもわかるだろう。そんな期待を込めて尋ねてみる。
婆さんは「おりはら…」と少し考え込むようにつぶやいた後、あぁ、と思いだしたように顔をあげた。
「いざやくんですかね?」
「イザヤ…」
折原イザヤ。そんな珍しい名前のやつが、こう都合よくいるわけがない。
ポケットからノミ蟲が町で歩いている時の写真を取り出す。行くならこれを持って行きなさい、と女に言われたのだ。どうやってこれを撮ったのかとかはこの際気にしない。
婆さんはあぁイザヤくん。と言ってから、
「いますよ、最近はあんまり見てないけれど」
確信が事実に変わる。
いた。この町にいたのだ。あの女に騙されたとか、そういうわけではなかったのだ。
「すんません、家とかわかりますか?」
「えっと、確か…ここをまっすぐ行って、次の角で曲がったところにあったと思いますよ」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言って足早に立ち去る俺。急いだつもりなんてなかったつもりなのに、自然と動いてしまうのだ。
別に早く会いたいわけではない。むしろ会いたくないと思っている筈なのに。
婆さんに言われた通りに歩くと、赤めの屋根の、しっかりとした空気が漂う小さい造りの家が見えてくる。近づいて表札の文字を見てみれば、はっきりと「折原」。
安堵と共に、脳内で何かがひっかかる違和感がした。

『まだ、生きてるわよ』
『最近はあんまり見ていないけれど』
「…、」

あの女の言葉と先ほどの言葉を思い出した。女は臨也が生きているのを「まだ」であるといい、婆さんは最近は見ていないと言った。
俺の思い違いかもしれない、いやむしろそうであってほしい。そうでなければ困る。
一つ突き当たったある予測に、背筋が凍るという感触を味わった。
恐る恐る、ある一つの願望を込めて、安っぽいインターフォンを指の腹で押す。
しばらく待ってみても、出ない。風の音が響くだけだ。先ほどまではそれなりに心地よかったその感触が、今では心を騒ぎ立てる要素としかなりえない。
もう一度、確かめるように押してみるが。やはり無言。
血流が、逆流したように感じた。

まさか、ないだろないだろ。それはない。だってあのノミ蟲だぞ、臨也だぞ、殺してもなかなか死なないような奴が、そんな、ありえねえ。
脳内でぐるぐると回る言葉の羅列。それがたまりにたまって、とうとう俺は。

きれた。
「臨也!!」

ふっ飛ばされる引き戸。だがそんなものに気を使う時間さえ今は惜しい。
玄関に一つしか置かれていない靴は間違いなく奴のもので、同時にそれはこの家にあいつ以外がいないことを示す。
廊下をどたどたと進んで、自らの勘を頼りにあいつのいる部屋を探した。
どこだ、どこにいる。先ほどまで会いたくないとか言っていたことはもう、忘れていた。
その時、からりと軽い音がして、近くの引き戸が開かれる。
「…え?」
出てきたのは身近な黒髪に、細い華奢な体に浴衣のような和服を纏った、赤い瞳の。
「しず、ちゃん?」
居  た

手から、ぐしゃぐしゃになったメモが落ちた。

 臨也。


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あの、笑ってくださって大丈夫です…
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