Too hot Christmas | ナノ




 ここ数日、日本全土を訪れている寒波は例年にない寒さだと街頭テレビに映るニュースキャスターが言う。
 しかし現在午後九時、その下を行き交う人々の顔はどこかほころんでいて、寒さに体を震わせながらも浮ついているように見える。
 いかにも幸せそうな恋人たちや家族連れだけではない、帰路を急ぐサラリーマンも学生も、浮浪者でさえ今日はいつもと違う雰囲気を感じ取っているに違いない。
 今日は一年で日本がもっとも色めき立つ瞬間ともいえるクリスマスの、中でもムードが最高潮に達するクリスマス・イブである。
 都内某所、街路樹を彩る黄金色のイルミネーションが駅から少し離れたこの場所にも光のカーテンを張り巡らせている。
 オフィス街として知られるこの地域も今年は最寄りの駅が大規模な改修を終えた直後ということもあって人通りがいつもより多めだ。イルミネーションの見物客と会社員やOLたちが交錯するビルの一角に夢魅の館はあった。
 一部のマニアなどには知られた夢魅という名の占い師が構える店は、本来この場での営業を常としているわけではない。人通りの多さを狙って出張営業にやってきていたのである。

 紫色の布で小さく覆われた空間に坐した喜代田の耳に、猛スピードで歩く靴音が聞こえてきた。
 音はあっという間に店の前を通り過ぎ、しかし音が遠ざかるより先に歩調が緩み始め、止まったかと思うと、くるりと引き返して再び猛スピードで店の方へと近づいてきた。
「あの……よろしいですか…?」
 やって来たのは喜代田と同年代くらいの男だった。
 古臭いタイプの格好だなと思った。今ではよほどの家柄の者か、テレビで見る皇居の人間くらいしかしないようなセンター分けに、真っ黒なコートを羽織っている。
「どうぞ、そちらにお掛けください」
 男は勧められた椅子に腰かける際、コートをの前を軽く開いた。
 その中までがやはり真っ黒だったのを見たとき、喜代田はクリスマスにお前はどれだけ陰気くさいんだ、葬式帰りかと立ち上がって突っ込む寸前だった。
 占い師という仕事をしているが、喜代田の元の性格は勝気で行動力のある姉御肌である。夢魅などというミステリアスとロマンチックを足して二で割ったような名前からは分からないが、中身は二十八歳のただの一般女性であった。
 ―――そんなことより、問題はこの男だと喜代田は思った。
 職業柄、喜代田は今まで様々な人間と接してきたが、この男はその誰とも異なる雰囲気を有していた。
 それを知らせるのは喜代田のもつ見えないものを感じ取る力である。ただそれはこうして眺めるだけでは真価は発揮されない。
 現段階で感じているのはただの勘だった。それが良いものか悪いものかもよくわからない。杞憂なのかもしれないし、その逆もあり得る。
 心の中で一応の警戒を言い聞かせ、喜代田はまずはいつも通りに振舞うことにした。
「ようこそいらっしゃいました、私は夢魅と申します。今日は何か気になることがあっておいでくださったのでしょうか」
「え……あ、はい……」
 男の瞳は不安な胸中を表してか波打っていた。
 座ってからももぞもぞと体を動かして落ち着かず、いかにもこういうところが初めですと言うように喜代田とその後ろに置かれたタロットや水晶などを見回している。
「どうか緊張なさらないでください。占いといっても軽い気持ちで受け流してくださっても結構ですので、まずはあなたがお知りになりたいことをお聞かせください」
 喜代田の言葉を受けて男はホッとした表情を見せ、小さく頷いた。
 パッと見た感じでは純朴で真面目だけが取り柄のような男だから、仕事かプライベートで何かしでかして勢いで飛び出してしまったという辺りではないかと予想する。
 だがそれはあくまでも男が普通の男で、これまでの経験に信用をおいて打ち出した仮説だ。
 得体のしれない憑き物や怨念積み重なった古の呪いなどが関係してくると、これまでの経験は役に立たない。
 常に何かに怯えて暮らしている知り合いの女性のことがふと思い出された。

「わたし……これからどうなるでしょうか……」
 男はつぶやくように言った。
「将来について知りたいのですか?」
「そう……なるんでしょうか。知りたいかどうかは分かりません。何だかもう、自分でも自分のことが分からなくなって……人を信用できないんです……」
 膝の上に置かれていた手を顔の前へ、口元を押し当てて男はうつむき加減になる。
「せっかく分かり合えたと思った人を、信じられなくなる自分がいて……」
 言葉はそこで止まり、それ以上は話せないようだ。
 これはもう視た方が早い、喜代田は左手を差し出した。
「失礼ですが、お手を拝借してもよろしいですか?」
「え……はい」
 手袋を脱いで差し出された男の手を取ると、それは外気で冷たくなっていた。自分の右手を男の手のひらに重ね、喜代田は閉眼して意識を集中させた。
 ザザッと砂嵐のノイズが真っ暗な視界を横切り、ある映像が映し出される。
 喜代田が“過去視”と呼んでいる能力である。名の通り触れた人やものからそこに宿る過去の記憶を視る力だ。


 映像は白い壁のアップから始まった。
 はぁはぁと苦しそうに吐かれる息はおそらく自分―――男の側から発せられている。
 視界がぐるりと周囲を見回すと狭い空間の中に内鍵のかかった扉と、タイル張りの床に投げ出されている自分の足が目に入る。大きく開かれた足の間にあるもう一つの足も。
『どうしてこんなことを…』
 くぐもった声がもう一人に問いかける。
『あなたが逃げようとするからでしょう、牧野さん』
 上を向いた視界がもう一人を捉える。その顔は夢魅の元を訪れた男と全く同じであった。冷たい瞳がこちらを見下ろしている。
『止めてください…外してくださいっ、こんなこと…してどうなるというんです…』
『別にあなたの意見は聞いていません』
 体が動かないのは何かで縛られているからだと察しがついた。そしてここはトイレの個室なのだ。
『うっとおしいんですよ、あなたのそれが。…邪魔なものは排除する、当然のことでしょう』
『排除って…何を考えてるんですか…?』
『まだ助かると思ってるんですか?あなたは本当に馬鹿ですね……そのうち、誰かに殺されてしまいますよ?』
 こんな風に、拳銃の形を真似た人差し指がこちらを向く。
 その瞬間、別の映像が割り込んできた。
 向けられたのは指の銃ではなく本物の拳銃であった。黒く光る銃口が自分の一点に照準を合わせて微動だにしない。
『さよなら、兄さん―――』
 まずい、死ぬ――――!!
 乾いた一発の銃声と共に喜代田の意識は現実へ引き戻された。
 強制的に帰されたのであるが、こんなことは初めてだった。こんな訳の分からない映像を見たことも。
「あの…大丈夫ですか…?」
「きゃあっ!」
 心配そうにかけられた声に喜代田は思わず叫んでしまった。
 瞳の裏にはまだあの映像がちらついている。
 この男と瓜二つの、銃口を向けてきた男。気味が悪かった。
 まるで影武者が主を乗っ取って自分が本体にすげ替わろうとしているように、あの男は自分を殺そうとした。いや、殺されたのだろうか?
 途中から別の意識に飛ばされた感覚があった。初めは間違いなくこの男の過去視から入ったはずなのに……もしや未来を見てしまったのか。だとするならば―――
「あなたっ、」
 両手に挟まれた男の手をがっしりと掴んで、喜代田は男を見つめた。
「その男は危険だわ、早く警察でもどこでも駆け込んで、保護してもらいなさい!」
「え…警察?男って、誰ですか?」
 突然激しく詰め寄られ、男は困惑した表情で聞き返す。
「あなたそっくりの短髪の男よ!」
「え…っ、宮田さん…?なぜ宮田さんのことを…?」
 やはりあの光景は過去に起きた事実だったのだ、知り合いだというのが何よりの証拠だ。
「宮田って言うのね、アイツ!あなた、アイツに暴力振るわれたんでしょう?私には見えたわ」
「なっ!なんでそんなことまで!?」
 男は慌てて喜代田に握られていた手をサッと引っ込めて、手首を指で覆った。
 それが拘束の痕をごまかす動作なのは確かめるまでもなかった。あの後ろ手の先はきっとトイレのタンクか何かに結わえつけられていたのだろう。
 無抵抗になった相手を中傷したあげく、暴力まで振るうなんて非人道的な―――
 喜代田は何としてもこの弱弱しい男を救ってやりたくなった。
「トイレに閉じ込められて暴力を振るわれてたじゃない、そのままいったら命に関わることになりかねないのよ!?」
「ええぇっ!あなた見て、いやそんな、嘘だ、だってあれは―――!!」
 男は顔を真っ赤にして違う、そんなんじゃない、と両手を顔の前で振り回した。否定を装ってはいるが本当は助けを求めている、と喜代田には見えた。
 可哀想に、弱みでも握られているのね―――!
「いいのよ、証拠なんてあとからいくらでも説明できるわ、とにかく早く警察へ―――」
「牧野さん!!」
 そこへ勢いよく入り口の布がめくられて、大量の冷たい外気とともに誰かが飛び込んできた。

「宮田さん!」
 牧野と同時に顔を上げた喜代田の眼前には、過去視で見たあの男が立っていた。
 肩で息をしているその男の後ろに、いつの間にか長い列ができている。いきなり割り込んできた男客に、次に待つサラリーマンや若いカップルたちは不機嫌顔だ。
 ――出たな暴力男!
 喜代田はすっかり牧野の姉気分だった。か弱い弟をいじめる輩は、身内だろうがそっくりだろうが容赦はしないと勇猛果敢の心中である。
「ちょっとお客さん、まだこの方の番が終わっていませんので」
「俺は客じゃない、それより牧野さん、何やってるんですかこんなところで。探しましたよ」
 男は牧野の肩を掴み、牧野は男の顔を見つめているが、その表情は驚きと戸惑いに揺れている。
「宮田さん……どうしてここが…?」
「あなたに持たせた携帯電話のGPS機能ですよ、どこに行っても分かるようになってるんです」
 GPSですって―――!?
 喜代田の堪忍袋の緒が切れた。いい歳の男性のプライベートまで侵害する行動管理までしていたとは、怒りはついに最高潮に達し、DVを理由に警察に突き出すしかないと喜代田は立ち上がった。
 いたいけな彼を連れて行こうとする不遜な手を振り払おうと進み出たとき、
「いい加減にしてください!!」
 宮田も喜代田も周囲の客も、牧野の大声に驚いて動きを止めた。
「牧野さん……」
 喜代田が手を伸べる前に、牧野は自分の力で宮田の手を振り払っていた。

「どうして……どうして、いつも宮田さんはそうなんですか……」
 牧野はゆっくりと立ち上がり、宮田を振り返った。
「私の話なんてちっとも聞いてくれない……そんなに私は信用ないんですか…?私の意思なんてどうでもいいんですか…!」
「そ……んなわけないじゃないですか、ただ俺はこうするのがいいと思って―――」
「いいと思って!?いいと思って、いっつも無視じゃないですか!」
「無視なんかしてないでしょう!?」
「無視してます!じゃあなんで、私が財布を探すって言ったときに『そんなの必要ない』って言ったんですか!」
「だってあれは俺が買ったやつだから―――別に牧野さんが悩む必要なんかないでしょう、俺があげたやつなんですから」
「ほらまたそうやって!自分があげたやつだから自分のものなんですか、もらった相手の気持ちはどうでもいいんですか!どれだけ私が大切に思ってたか……あれじゃなきゃダメだから探すって言ったんです!」

 …何かが違う、と喜代田は思い始めた。
 この二人は本当に暴力を振るう男とそれに傷ついている男なのか?
 それにしてはだんだんと会話の内容がそれとは正反対のものに感じられてくる。
 もしかして自分は全く無用の心配をしているのではないか?
 過去の経験が言い始めた。
 その経験とは占い師としてでも悩み相談を受ける人のいい姉御としてでもない、はた迷惑なバカップルの騒動に巻き込まれた際の自分である。

「だいたい…っ、前から宮田さんはそうなんですよ…!」
「前から…?それはそっちだって同じじゃないか!」
 形勢が変わって、今度は宮田が声を張り上げた。
「『もの』が…形がそんなに大切ですか!俺があげたのは財布でも、牧野さんへの気持ちを渡したものと思ってましたよ!それなのにあなたは財布ばかりを気にして、俺のことを気にしようともしていませんよね!?」
 顔は同じでも雰囲気に凄みのあるこの男が怒鳴ると迫力は段違いだった。傍観している喜代田も見えない拳銃を向けられたかのように一瞬気圧される。
 しかし牧野は一歩も譲らなかった。そして宮田も牧野の反撃に対して同じである。
「何言ってるんですか、宮田さんが大切だからこそ、頂いたものも大切に思って言ってるんじゃないんですか、そんなこと当然でしょう!」
「隣でいつまでも『これがない、あれがない』と言われる気持ち、あなたこそ考えてみたらどうなんですか?傍にいるのに無視されて、気にしているのは『もの』ばかり……無視しているのはあなたの方でしょう!」
「何ですって…!?私だって言ってくれればちゃんと理解しましたよ!あなたが素直に言わないから分からなかっただけです!」
「俺だってそうですよ、あなたが言わないからです!」
 もはや水掛け論だった。この論争の終着点は第三者の知るところではないが、言った言わない、気づく気づかないを繰り返しても結論など出ようはずもない。
 そもそもなぜ自分たちはこんなところで双子の痴話げんかを聞かされているのだろう、二人を取り囲む人々の胸の内に疑問が湧き始めていた。

「私は!いつだって宮田さんのこと……あ、愛してますよ!宮田さんさえいればあとは何もいりません!」
 牧野はやけくそにだった。半ば叫びと化した台詞を、どうだという顔で顎をしゃくる。
「宮田さんはどうなんですか」
 その場にいる全員の視線が宮田に集中する。
「お……俺だって、牧野さんさえいれば医者も何もかも辞めて、駆け落ちして海外逃亡したっていいくらいに愛してますよ、世界中の誰よりもね!!」
 おお……と周囲からどよめきが漏れた。
 口論を聞きつけて集まったやじ馬も含めて、一帯は十数人の人々に取り囲まれている。が、その全員が二人が男性同士であることも忘れて、ただただ彼らには幸せになってほしいと純粋な気持ちで見守っていた。
 ゲイカップルの世紀の大告白が終わった後、静まり返った周囲からどこからともなく拍手が聞こえ始めた。歓声と相まって最後は割れんばかりの喝采になる。
 ヒューヒュー、熱いねー!と、囃し立てる声に二人もようやく我に返る。
 牧野はゆでだこのように真っ赤になり、宮田はばつの悪そうな顔だ。二人の間にはもう暴力どころか嫌悪のけの字も見当たらなかった。
 寒風が吹きすさぶ丸の内の夜空の下、不景気に沈んだとあるビルの一角は、今宵少しだけ温度を上げたようだった。


 喜代田は、いまだに展開についていけないどころか、己の心を数分前のどこかに置き忘れたまま、今も呆然と椅子に座り込んでいた。
 恥ずかしさで早くこの場から退散したかった牧野が、まったく反応しない喜代田に困ってしまって後ろを振り返る。
「一件三千円だよお兄さん、そこ置いときな」
 訳を察した誰かが言い、牧野は有り難い助言に倣って三枚の千円札を小さなカウンターテーブルに置いた。
「なんだ、財布見つかったんですか?」
「ええ、駅の交番に届けられていました。ありがたいことにお金も保険証も無事でした」
「そいつはラッキーでしたね。あ、もしかしたらこれが聖夜の奇跡ってやつですか」
「もう、何クサいこと言ってるんですか」
 二人の声はだんだん遠ざかっていく。
「あのー……夢魅さん?」
 次に入ってきたサラリーマンの声で、喜代田はハッと顔を上げた。
「あ、ああ、すみません!今準備をしますので―――」
 背後の小型金庫に金を仕舞おうと置かれた千円札を手にした。けれど喜代田は腑に落ちなかった。
 おかしい。本当にあの二人の間には何もないんだろうか?
 程度の大小はあれど、喜代田の力は本物である。過去視を違えたこともない。
 その力が牧野と宮田に人ならざるものを予感させた、友人の柳子のときのように。
 何もないならいいけれど、二人の未来にもし何かがあるとしたら―――
 喜代田は最後にもう一度だけ、千円札から牧野の過去視を試みた。


 覚えのある白い壁、白いタイル。苦しそうな声に何かが軋む音。
 軋む音―――?
「いやっ、あ、宮田さんっ」
「そんな声出して、人気のないところを選んだとは言っても、誰か来るかもしれませんよ?」
「じゃあこれっ、外して、ください…っ」
 ギチギチと不快な音が背後から鳴っている。
「ダメです、多少不自由な方が良い反応するじゃないですか、牧野さん」
「だって、あ―――」
 視界がぐるんと天井を向き、一瞬意地悪な笑みを浮かべた宮田の顔が横切る。
「すご…、キッツ…い、こういうところでやるの、たまにはいいですね…っ」
「や、いやです、だって…」
「だって、何?」
「感じ、すぎちゃ、からぁっ」
「―――!!」

 バン!と思い切り金庫を閉めた音でサラリーマンが飛び上がった。
「ゆ、夢魅、さん…?」
「あの……め…」
「はい…?」
「あのリア充たちめ……爆発しろ!!!!」
 その声は海を越え山を越え、フィンランドのサンタクロース村にまで届きそうなくらい、強い怨念がこもった叫びだった。


「宮田さん大変です!」
「どうしたんですか」
「鍋焼きうどんが爆発しました!レンジに入れたら!」
「何で鍋焼きうどんをレンジに入れたんですか、普通コンロでしょう……」
「だってこれ、レンジでできるって書いてあったから…ちゃんと卵も入れたのに……」
「ここ、卵は別にって書いてありますよ」
「……あ」

 本当に爆発していた。


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