ややエロ やわらかい声音と共に俺を出迎えてくれた兄は、身体中に食べ物のいい匂いをまとわりつかせながら俺の肩口に顔を埋めた。 「おかえりなさい」 うなじから別のほのかな匂いがする。 「ずっと待ってました」 帰る前に見た時計は六時だった。早く帰れというから、今日は残業もしないで早々に帰宅した。兄がここへ来てからたぶん一時間も経っていない。それなのに兄はもう何時間も待たされていたように俺を抱きしめた。 「ケーキ食べましょう」 兄は俺の手を引いて連れていった。食卓には旨そうな夕食が並んでいたが、冷蔵庫から大きな丸いケーキを取り出して、居間の卓袱台に置いた。 べつに俺はケーキを食べたい気分じゃない。でも兄は刺身包丁で二人分を切り分けると、小皿に移した。チョコレートのプレートもない、ろうそくもない、シンプルな苺のケーキだった。 「ああ、やっぱり駄目」 そんな声が聞こえて顔をあげようとしたとき、俺の目の前が真っ暗になった。 触れたものには勢いがあった。マシュマロよりもやわらかいものが唇に触れて、中から生ぬるく濡れた生き物が飛び出してくる。それを素直に口中に受けて、俺は兄とはもう何回目かわからなくなったキスを交わした。 横から無粋な侵入者がやって来た。兄の指だ。 せっかく切ったケーキのクリームを指腹に乗せて、わずかに空いた顔の隙間にもぐり込ませてきた。俺はそれも黙って受け入れた。 ケーキなんて甘いだけで、大してうれしいものでも何でもない。 それでも兄は毎年この日にそれを作る。何もしない、何も食べない、とくべつなことは何もしてほしくないのに、そんなことを望んでいる俺の胸中を兄は知らない。 今日だけは言ってみようか、言えば兄は困るだろうが、一度も言わずに黙っているのも兄を助長させてしまう気がする。 初めは向かい合うだけで恥ずかしがって、触れるだけで飛び跳ねるような兄だった。家に連れてきたらおかしいくらいに緊張して、セックスをしたら朝布団から出てこなかった。 今の図々しいまでの兄は、兄が本当の兄になったからこそ見られる姿だ。それまでにどれくらいの時間がかかっただろうか。でもそれは俺が本当の弟になるまでの時間でもある。 今ようやく俺たちは対等だった。だから何を言っても、何もするのも許される。家族なら当然のことだから。 もはや唇を舐めているのか糖の塊を舐めているのかわからなくなった口を離す。兄は俺の口元ばかり見ていた。 「もう、ケーキは」 新たなクリームを掬おうとしていた指をつかんで卓の上に押し付ける。ケーキも、誕生日もたくさんだ。 「駄目」 しかし兄は俺よりさらに強い意志を持った言葉をぶつけてきた。 「今日だけは駄目」 手の中の手が反発して俺の指を握り返してきた。そして倒れる。畳の上へ、のしかかる兄を見上げながら。 「この日が好きじゃないんです」 猫のように指についたものを舐めとっている兄に向けて言う。 「誕生日だったとしても、俺はこんな祝われ方は好きじゃない」 ふだんと変わりなく過ごせばいい、何も知らない風をしていつものように過ごして、こんな日が幸せだと自分の中だけで思えればいい。 「駄目」 しかし兄は言った。 「誕生日はね、あなたのためのものじゃないんですよ」 シャツを脱いだ猫が俺の服まで奪いとって、上半身にキスを落とし始める。 「あなたを愛する者のものです」 首筋、肩、胸と、兄の唇が通った後に赤々とした印が残されていく。 「だから今日は、私のいいなりになってもらいます」 くぼんだ臍の横で唇が止まり、ピリッとした痛みが走る。兄が皮膚を口に含んで噛みついていた。 「私のために、祝われてください、司郎」 俺は兄の何なのか。所有物のような言われ方をされて、なお諾々と従っている理由はなんだ。 弟という事実以上に、兄が求めているものは独占欲だ。俺が嫌がっているのを知りつつ、兄は俺を支配したいのだ。 くつろげられた下腹の下着の中で、それが動いた。ふっと息をつく気配がして、兄が布地の上からそこにもキスを落す。 ああ、俺は今年も兄の言いなりになるのか。これから好きにされる自分を思い描いて溜息をつきたくなったが、何のことはない、これまでもずっとそうだった。 兄が直接的に俺を欲してきたからといって、実のところ形は変わらない。そしてそんな兄が、俺は嫌いではないのだ。 back 宮田さん今年も二十七歳おめでとうございます。 |