ホモが嫌いな女子はいないという例のアレ 世にオタクと呼ばれる人物と、オタクに関連したイベントは数あれど、年に二回という頻度で開催される大規模なイベントといえばこれしかない。 北は北海道から南は沖縄まで、今では世界中のオタクたちがこの日をめがけてやってくる、コミックマーケット、略して“コミケ”である。 日本全国津々浦々、あらゆるジャンルを己が萌えの頂点と叫ぶ猛者たちが、準備を重ね、今日という日を待ち焦がれてきた。会場であるここ東京ビッグサイトでは、朝陽が上りきる前だというのに、既に立ち並ぶ人の列ができている。 ちなみにこれは悪い例である。 良識ある真のオタクならば、徹夜は決してしてはいけない。変態、子供っぽい、頭がおかしいなどと揶揄され、時に蔑まれたとしても、オタクたちは己の趣味に誇りを持っている。 だから本来なら彼らの心の広辞苑の一ページ目に、まず清く正しくの項目が記されているはずだ。 美しくの文言は諸事情によって明記しないが、彼らの外見的特徴への追及は絶対にしないでもらいたい。 今回はコミケを訪れたある一行の話である。 その前に少々説明させていただくが、コミケいうのは基本的に観覧・購入を目的として訪れる一般参加者と、販売・PRを目的として訪れるサークル参加者に分かれている。彼らのように早朝から並ぶ者たちは何か目当ての物があっての行動なのである。 ―――頒布物といっても個人が作ったただの本でしょう? 確かにそうだ。 だがたとえ同人誌一冊といえど侮るなかれ、大手サークルの同人誌は瞬く間に完売し、並ばずして手に入れることは不可能なのである。企業であれ個人であれ、人気の物を手に入れるには某遊園地の人気アトラクション級の列に並ばなければならない。 君は生半可な気持ちで真夏の太陽照り付ける体感温度40度超えのアスファルトの上や、真冬の寒風吹きすさぶ身も千切れるような寒さの中で待ち続けることができるだろうか?彼らを駆り立てているのは買い手の信念だと思われる。 しかし必死なのは決して買う側だけの話ではない。サークル参加者も戦っている。 しかも彼らは一般参加者のもっと前からコミケの戦いを始めているのだ。 チケットの取得、頒布物の制作……印刷所の締切に追われる作家が月初めにどれくらいいたことか。 開催当日に既に次回開催の案内が設けられているのを見ても分かるだろう。コミケ以外のイベントを合わせると常にどこかでイベントは行われている。つまり参加するイベントが増えれば増えるほど、参加者にとっては心休まる暇がないのである。 だがそれを虚しいとか、なぜやっているの?と問うてはならない。彼らはそれによって言葉にできない何かを手にしているのだ。 ―――同時に言葉にならない何かを失ってはいないか? 邪推はやめていただこう。夢の国で「でも中に人が入ってるんですよね?」とは訊かないだろう、それと同じことだ。 今日はぜひ彼女たちと一緒にコミケを楽しむことだけを考えていただきたい。 「美奈ちゃん、美奈ちゃんったら」 「……はっ!」 「どうしたの、ボーっとして」 「あれ……あれ?」 辺りをきょろきょろと見回して、美奈は首を傾げた。 「さっきからずっと変なナレーションが聞こえてたんですけど……おかしいな、何だったんだろう……幸江さんも聞こえませんでした?」 「……章子姉さんたいへん、美奈ちゃんに幻聴が!」 「なにっ、幸江、すぐにこれを首に貼るのよ!」 手から手へと冷えピタリレーが行われ、美奈のうなじにジェルシートが貼られた。 「つめたっ!……あ、でも気持ちいいかも」 背筋が竦むような冷たさがあったのは一瞬で、篭った熱がそこから融けていくようにすぐにそれが丁度良くなってきた。 幾分かすっきりした頭で、あれはやはり幻聴だったんだな、と思い、美奈は頭にかぶったタオルの端をTシャツの襟もとに突っ込んだ。自分では戦いに完璧な格好と思っているが、幸江曰く農家のおばちゃんスタイルである。 ついでに美奈はショルダーバッグから凍らせたスポーツドリンクを取り出して、一口飲んだ。 ペットボトルを取り出す際に見たスマホの時刻は六時に二十五分が経過したところで、ひょいと首を伸ばして列の先を見わたすと、遥か先まで続く人の波はまだ動く気配がなかった。 体はもうギブアップ寸前なのに、まだあと一時間もあるなんて信じられない。近いようで遠いビッグサイトが蜃気楼で揺れている。 「美奈ちゃんは昨日仕事だったの?」 「ううん、新刊一冊だけなんて寂しいと思って、今朝まで無配のペーパー作ってたんで……」 「そら異界送りされるわ」 奥の喜代田が苦笑いして、幸江もうんうんと頷く。 「美奈ちゃん凄いねぇ、私なんて始めっからする気も起きないもん。創作意欲に体が付いてきてくれるのは若い証拠だよ〜」 「なんだね幸江くん、それは私に対する嫌味かね?」 「いえそんなぁ、姉さんのことは分かってますってば、今月の三日に三十路のお祝い一緒にしたじゃないですか」 「二十九だっつの!アンタ全然分かってないじゃない!」 「あれぇ、そうでしたっけ?」 もの覚えの悪い後輩(若干確信犯の気もある)に喜代田必殺のチョークスリーパーがお見舞いされる。 「いた〜い、ギブです姉さんギブギブぅ」 大して苦しそうな言い方でもないくせに、幸江はヘルプのサインを美奈に送る。が、ただでさえ暑苦しいのにさらに暑い思いをしたくないので美奈は華麗にスルーした。二人の後ろに座る男たちも黄色い声を聞かされて、よほど自分たちのHPをすり減らされた顔になっている。 「章子さん、今年は元気ですね」 言ってから「あ、いや、年齢の意味じゃなくて」と付け加えたが、喜代田はその質問を待っていたかのように不敵な笑みを浮かべた。 「ふっふっふ……よく気がついたわね恩田」 どういうこと?と首を傾げると、腕から抜け出した幸江が「それはねえ」教えてくれた。 「去年は忙しくて全部締切ギリギリになっちゃったじゃない?だから今回は『余裕入稿、余裕現地入り』って目標を壁に貼って、毎日叫んでから作業してたの」 「叫ぶんですか?読むんじゃなくて?」 「そう、叫ぶの。でも意外と効果あったよ、無駄話しなくなったし、いっつもそれが見えるからあーやらなきゃって気持ちになりましたもんね?姉さん」 「ね?って……無駄話の原因はほとんどアンタだったでしょうが。『●時です姉さん!アニメやってるから見ましょうよぉ〜』とか言って邪魔ばっかりするから、作業するために集まってるのに毎回2時3時になっちゃってさあ」 「だってぇ、その後のカプ語りがまた楽しいんですもん!」 美奈も今回は締め切りに追われてかなり冷や汗をかいたから、その苦労はよく分かるのだが、羽生蛇村では関東圏の癖に電波が届かなくて深夜アニメも見れないわ、近くで萌え語りをする仲間もいないわで、二人がちょっとうらやましく感じたのである。 「ところで美奈ちゃん。美奈ちゃんの彼氏さん、どうしてあんな遠くにいるの?」 幸江が指差したのは、ここから五人ほど挟んだ向こうの列にいる宮田であった。 「ああ…あれは、『俺は女の集団と一緒にいられる気がしない』だそうです。どうせ中入ったら女の集団に埋もれる癖にですよ」 「ええ〜彼氏さんもこっちに来ればよかったのに〜」 幸江は残念そうだが宮田が好きなのではなく、妄想チャンスを逃したと思っているのである。現実の男子に特に興味のない喜代田は、「まあ最近は女性向けスペースにいる男性も増えたけど、やっぱり居づらいっちゃ居づらいのかもね」と軽く首をすくめて終わった。 話題ついでに紹介でもしようかと、美奈は「先生」と呼んでみた。周りと同じくらい暑さにうんざりした顔が美奈たちを見た、かと思ったら宮田はすぐに視線を戻してしまった。 「あれれ、むこう向いちゃったね」 「暑いの嫌いだからへばってるんですよ。本番はこれからなのに、ほんと愛想もないし……耳すま的に言うと、やなやつ!やなやつ!って感じですね」 「でもさあ、それって彼氏の欲目ってやつなんでしょ?」 「ち……違いますって!彼氏じゃなくて先生は先生、同人誌手伝ってくれる代わりにその三倍は文句を言ってくる、ただの冷やかし要員ですよ」 「またまたぁ、それだけで始発からコミケに参加したりしますかぁ?ねえ、姉さん」 瞳を輝かせた幸江に対して喜代田は「まあ、そうだねぇ」とさして興味のなさそうだ。 「だってそれは売り子でもありますから……」 「はいはい、分かった分かった。私も職場にカッコイイ先生いるからその気持ちよーく分かるよ。カプもいいけど、リアルも大好きだから、わたし!」 「もう、だから違いますってば!」 そうこうしている間に前の列が続々と立ち上がり始めたので、助かったとばかりに美奈は「あっ、ほら、そろそろ進むみたいですよ!」と知らせた。 入場前は今一度列を整理するために全員が立って前方に詰めることになっている。遠くから「もっと詰めてくださーい」というスタッフの声が聞こえてきた。 幸江はわくわくした様子で美奈に尋ねた。 「ねえねえ、今年はどんなスタッフさんの名言が聞けると思う?」 考える美奈より先に喜代田が答える。 「今年はあれでしょ、例の駆逐系の。ダッシュする奇行種はうなじを抉りますよー!とかなんとか」 「ああ、それですね絶対。むしろそれしかありせんよ、きっと」 少し前だと鬱系魔法少女アニメの台詞が多かったが、今年は爆発的人気を放ったその作品の台詞がもっとも多いだろう。 やがて近くに来たスタッフの指示を受けて三人は右側に詰める。が、その時彼女らは見てしまった。 暑苦しい長袖ジャケットに複雑なベルトを足に巻いたスタッフの姿である。美奈たちの三倍は汗を垂らして、彼らは必死に声を張り上げていた。だが肝心の台詞が頭に入ってこない。 そんなことより、まさかその服を着ているとは、真夏の東京、コンクリートジャングルで、まさかその姿で誘導しているとは―――三人は唖然として通り過ぎるスタッフを見送った。 誘導も頑張ってほしいが、熱中症でぶっ倒れて何の成果も得られないまま壁内に帰還することのないように頑張ってほしい、三人はそう思って、無意識に心の中で合掌するのだった。 西館のゲートをくぐれば、幸江・喜代田らとはここでお別れだ。あとは帰る時に合流することになっている。 西館・東館というのはその通り東西の棟に分かれた建物のことで、コミケはジャンルごとに場所、日時、机の配置までが細かく分かれている。 二人に手を振り終えた美奈は、頭にかぶせていたタオルを首にかけ直して、その端で汗を拭きつつ地図を取り出した。自分のスペースには赤マルをつけてある。美奈のサークルは列の中央、いわゆる島中(しまなか)に位置していた。 「えーっと……あ、ここだここだ」 左右は二つとも空席だった。隣のサークルの人たちはまだどちらも来ていないらしい。ここはあまり混むジャンルでもないし、逼迫した用件もなければ余裕をもって来るサークルも多い。 長机を下からくぐって、置かれていた二つのパイプ椅子を立てる。散らばったチラシは片付けて―――まずは気になる新刊の確認だ。 下に置いてあった茶色の紙包みを机に載せた。時間はあるのだからじっくり確認しよう。 表紙、色味、文字……印刷ミスや落丁も見当たらず、ざっと見て自分のページは問題ないようだ。 「こんなボロ教会が、いつまでこの街に必要だと思いますか?」 居丈高に言い放った男は、組んでいた足の爪先で、床にひざまずく牧師の顎をもちあげた。高級そうな革靴は汚れひとつ見当たらないが、地面を歩くそれで触れられた牧師は顔をゆがめた。 「権利書を出せばもっといいところを紹介してあげますと言っているのに、どうしてあなたはそう強情なんですか」 「ここは……先代の……私の父の代から守ってきた大切な教会です……土地も建物も、父の財産なのです……」 「でも実の父親じゃなかったのでしょう?いうなれば赤の他人じゃありませんか、つまりここはあなたのものでは、ない。そして、崇高な先代も今は死んでしまってこの世には、いない。 ああ、あなた方の言い方では天に召されるとか言うんでしたっけ?」 上品ぶった口ぶりだが、故人を軽んじているのが嫌というほど分かった。 自分ならいくら馬鹿にされても構わないが、義父のことを愚弄するなんて、牧師は男手ひとつで自らを育ててくれた義父を尊敬していたが、この男に死んだだの召される、など言われると、天上界にいる義父まで穢されたような気持ちになった。 けれどいけない、と牧師は己を律した。ここで感情に身を任せてしまっては、ここは神聖なる教会、神のおひざ元だ。十字に磔になったイエスがこの様子をご覧になっている。 男は地元の不動産会社を経営する社長という肩書きでやって来た。 だが地元では彼が暴力団の一員であることはとうに知れ渡っている。ショバ代だの用心棒代だのと言って手頃な土地を売りさばく、この男が若き二代目として会社を継いでから、その凶悪な振る舞いは激しくなったと聞いていた。 同じ二代目なのにどうしてこうなってしまったのだろう。でも彼を恨んではいけない。彼にも事情があったのかもしれない。こんな風に育ってしまったのは彼のせいではない。牧師は全ての罪を赦された大いなる父を思い出して目を伏せた。その様子が男の神経を逆なでした。 「こっちを……向くんだよ!」 激昂した男は牧師の頬を蹴り飛ばした。 牧師は取り囲む男たちの輪の中に倒れ込んだ。その頭上から複数の笑い声が降りそそぐ。 牧師の下敷きになった絨毯にはいくつも足跡がついていた。社長の男の身なりは糸くず一つ見当たらないくらいに完璧なものだったが、手下として連れてきた男たちはわざと汚らしい恰好で現れ、泥だらけの靴で椅子を蹴り飛ばし、絨毯を踏み荒らしたのである。 牧師を蹴り飛ばした男は、怒りに乱れた呼吸を整えた。 脅しに屈しない人間などいない、こんなところ真っ先に落とさなければならない。構成員が泣きついて来た時は牧師なんてただの弱者だと思っていたのに、ここまで手こずるなんて組員としてのプライドにかけて許さなかった。このことが他の組に知れたら、統率力不足という付け込まれる隙を作りかねない。 何とか自分の権威を誇示しなければならないという時に、脅しに屈するどころか目を閉じて祈りやがったのだ、この牧師は―――そんな余裕を与えてやった覚えはない。 しかし手下どもが無理やり引っ張り起こした牧師の顔を見ると、男はすぐに安心した。女のように膨らんだ形のいい唇から赤い筋が垂れていた。 その顔は良い。隠しきれない暴力への恐怖が、今にもこぼれそうな涙に表れている。赤くなった頬を押さえ、何かを堪える姿が男の欲する人間の象徴だった。 「あなたも痛いのは嫌でしょう?権利書さえ出してくれたら、もう怖い思いはしなくて済みますよ」 男は泰然と立ちあがり、歩み寄った。しゃがみ込んで、牧師が頬に添えていた右手を引き寄せる。 「この指が一本無くなったらどうなると思いますか?きっと聖書を読むのも大変でしょうね」 ひっと小さく息を飲む音が聞こえた。 「細い指だ……白くて、細くて……何の苦労もしたことのない人間の手だ……」 太くて骨ばった男の指が細指に絡められる。こうしてみると男と女のような差があると思った。 「どうです、失いたくないでしょう?」 従順にするならばどこまでも優しくしてやろうと思った時、牧師の唇がかすかに動いた。 「かまいません……指が…全部なくなっても……私が死んでも……権利書は渡しません…!」 「この腐れ野郎が!」 脱力した身体を支えていた手下の一人が手を離して殴りかかろうとするのを、男が「やめろ!」と制する。 「死んでも構わないと仰いましたね。では別の方法があるのはご存じですか?あなたにはそちらの方が効果的のようだ」 ビリッビリッと法衣が引き裂かれた瞬間、堪えていた恐怖に打ちのめされる牧師の顔を見て、男はついに大声をあげて笑った。 「わぁああ……」 美奈は思わず読んでいた本で自らの顔を隠した。 (まだ二ページですよ、二ページ目でもうこうなっちゃいますか…!) モブ×牧師というテーマを伝えた時、驚くどころか「一度やってみたかったんですよね」と言っていた理由はこういうことだったのだ。 「求導師さまやるなぁ……」 美奈は相変わらず牧野と同人活動をしていた。それも最近は一緒の家で作業をするようになっていた。 言うまでもなくもちろん宮田の家で、である。 (この後は絶対、集団×牧師のレイプ展開だよね、ヤクザなんて盲点だったなぁ……信者とか普通のモブキャラで来ると思ってたのに……はっ、でも確か求導師さま、「淫乱設定って残ってますよね?」とか訊いてたよね!?ってことは、この後はクリ●ゾン的「悔しいっでも感じちゃう」になって、それに目をつけた若頭にAVデビューさせられるとか!?それともデリヘル的なことをさせられるとか!告解室でラッキーホール的な展開かもしれない!いやああ滾る!滾りまくります求導師さまああ!!) 「おい、なんつー顔してるんだ」 「へっ?」 気がつくと本の向こう側から、宮田が変態を見るような冷ややかな眼差しで見下ろしていた。否、見下していた。 「あ゙っ…なっ、なんですか、新刊チェックしてただけですけど」 「お前はただのチェックに鼻の下を伸ばしてアヘ顔を晒すのか、ダブルピースも終わって、肉奴隷宣言入ってる時の顔だったぞ」 「アヘ顔なんて晒してません!肉奴隷とか、求導師様にさせることしか考えてません!」 宮田の手刀がスイカ割りの勢いで美奈の頭頂部に直撃した。 「でかい声で言うな!」 「自分から言ったくせに……あっ、そんなことよりダメじゃないですか。先生ったら、ちゃんと白衣着てくれないと」 頭をさすっている美奈の横で、宮田はだるそうに机を跨いでパイプ椅子に腰を下ろす。 「いいだろ、まだ一般入場前なんだから。暑くて着たくないんだよ」 宮田は入場待ちの時に着ていた通気性の良いポロシャツから、Yシャツにネクタイという服装に着替えていた。白衣は椅子の背もたれに引っ掛けて、うら若き乙女(ただし腐っている)をアヘ顔にさせた新刊を自分も読もうとする。 「ああ先生、読む前に準備手伝ってくださいってば」 「お前な、俺はこんな恰好までさせられてるのに、新刊を読む自由も与えられないのか」 「先生は売り子兼コスプレ要員として来てるんですよ?お役目果たしてくださいよ、はいこれテーブルクロス、そこに敷いてください」 普段であれば宮田はもっと反論し、美奈のいうことを十割中五割は無視するのだが、ここは美奈たちオタク女性の聖地である。今や両隣も美奈と似た年頃の女性たちが準備を始め、時々興味あり気な視線を自分に向けていて、アウェー感が半端なかった。 「新刊、既刊、値札は付けたし、見本とPOPもオッケー、ポスターも貼った、位置番号も貼った、あとはおつりを出して、そうだペーパーも並べなきゃ」 「ペーパーは俺が出す」 「?……ありがとうございます」 バッグを受けとる動作の敏捷さに美奈は怪訝な顔をしたが、人の数もかなり増えて、時間もそろそろ押し迫っている。背を向けてペーパーを取り出す様子にも特に追及はなく、美奈は小銭の確認に回った。 『ただいまより、コミックマーケット二日目を開催いたします―――』 場内アナウンスが流れ、ホール全体から拍手が沸き起こる。 ということはもう十時か、意外と早かったですね、と言おうとしたら、宮田はようやく準備が終わったと安心して新刊を読み始めていた。 (人が来るのはこれからなのに〜!) → back |