青春の自覚1 | ナノ


※モブあり




 少ない蛍光灯の恩恵をわずかに受けられる上方へ向けて手を伸ばした宮田は、光に透ける文字を半分まで読んで、それ以上読むことを止めた。
 くだらない。なんでこんなことが書けるんだ。
 薄いピンク地に花柄の模様が差出人の知能指数の程度を表している。溢れんばかりの好意、恋慕、愛情。宮田に対する愛の言葉が延々と回りくどく書き綴られていた。途中まで真面目に読んでいたのが馬鹿らしい。どいつもこいつも、三年生にもなってどうしてこんなことしか考えられないのだろう。
 中学三年の冬といえば受験だ。どこの高校に進学できるか、進学校に行きたいならその準備は大学受験のように数年前から始めなければならない。お受験といわれる名門に幼稚園の頃から通うような奴もいるのだ。
 しかしこの辺りには塾という施設そのものが存在せず、家庭教師なんて口にしようものならとんだ金持ちだの、勉強ができることを鼻にかけているだの揶揄されるような土地だった。参考書を買うにもまずどこから手に入れるかと考えてしまうような田舎なのだ、ここは。
 分かってはいたけれど、そんな田舎から都会の、中でも偏差値の高い高校へ進学するような人間は宮田だけだった。初めは周りなんて構うかという気概と、とにかく合格するために猛勉強しなければならないという焦りで何かを考える暇もなかったのだが、夏休みに模試の合否判定でAをもらい、受験担当の教師にも太鼓判を押され―――受験担当とは言ってもせいぜい田舎教師であるから、信用には足らないのだが―――心に余裕ができ始めていた。そこに今のような感情が生まれたのだ。
 暢気な同級生たちは相変わらず中身の薄い会話をしていた。それに対してなぜこんなにも苛々するのだろうか。気がつけば自分だけがクラスから浮いていた孤独感からなのか。忘れていた勉強のストレスなのか。
 特に好きだの嫌いだのと言って机を固めては「男子あっちいって!」と話を始める女子や、暇さえあれば「どの女子が好き?」と言ってくる男子たちの様子が癇に障った。 もっと今しかできないことがあるだろう、そんなことにうつつを抜かしていいのか、と宮田は内心で呟いていた。いっそ怒鳴りたくなるくらいに強い呟きであった。



 もはやただの紙切れとなったそれを畳んで、トイレから出ようと思っていたところに騒がしい足音が近づいてきた。
 錆びついた蝶番が高い悲鳴をあげて誰かが入ってきたことを知らせた。学年も人数も分からないが四人以上はいるようだ。複数の足音が宮田のいる個室の手前で線でも引いたようにピタリと止まった。
「ほら、早く見せろよ」
 誰かが待ちきれんばかりに言った。その声には覚えがあった。宮田の脳裏に斜め向かいに座る男子生徒が浮かんでくる。なんだ、あの野球バカか。
 中学生の成長速度はまだ女子の方が早いのがふつうで、男子は誰もどんぐりの背比べである。その中でこの野球バカは頭一つ飛びぬけて成長していた。
 でも所詮でかいのはガタイばかりのくせに、こいつは気まで大きくなったつもりで態度も一緒にでかくなった。非常に残念な奴である。でかさの大半は横に伸びていることにいつになったら気づくのか。そんな奴の頭はもっと残念なのである。
「早くしないと時間なくなるだろ」
「そうだよ、早くしろよ」
 次いで聞こえてきたのはヒョロ松とメガネの声だった。
 ヒョロ松はヒョロヒョロして松みたいだから、メガネはアニメキャラみたいな間抜けなメガネを掛けているから。あだ名の理由はいつだって単純明快なものだが、このセンスはいささか小学生レベルだと思う。
 それはさておき、はっきり言ってこの二人は取り巻きだ。いつも誰かの後ろに付いて回って、そうだそうだと野次を飛ばすことしかできない。主体的に何かを為すことができないのだ。
 その点で言えば野球バカも同じ。奴も自分で物事を深く考えることができない。だからこんなところに誰かを連れ込んで何かを強要しようとすることも思いつかない。そんなずる賢いことを思いつくのはクラスでも自分を置けばただ一人だ。
「いいの?見せないと明日から仲間じゃないってことにするけど」
 何も考えてなさそうな呆けた声の三連続から、急にチクチクした棘の生えた科白が見えない空気を突き刺した。
「それでもいいなら無視すればいいよ。でも僕たち、みんなちゃんと見せたんだよ。一人だけしないって不公平じゃない」
「そうだ、天本の言う通りだぞ」
「フコーヘーなんだぞ」
 取り巻き共の頭の悪い科白は聞き流して、宮田はここへやって来る原因となったであろう生徒を思い出した。
 天本英夫。二年になって別の町から転校してきた生徒だ。
 今時期の転校生は珍しかったが羽生蛇村以外の人間という意味では普通だった。この中学校は三隅郡の中心に建っていて、どこの村や町からも生徒が通えるようになっている。
 羽生蛇村にあるのは全学年で二つの教室という小さな折戸分校までだから、村の子供は中学に進学すると村を出てバスで通学することになる。そうして通っているのは宮田とあと数名だった。
 人が増えれば色々な奴に出会う。そして無駄に増えすぎるとろくなことがない。奴らが休み時間にクラスの男子に限って、一人ずつ連れ出しているのは知っていたが、こんなことをやっていたのか。
 連れ出されたやつを助けようなんて気持ちはさらさらないが、わざわざこの中で出ていくのも面倒だなと思った。



「なんとか言えよ」
「で……でも僕……」
 野球バカの後に聞こえてきた声で、宮田は吹き出しそうになった。思わず体が前のめりになる。
 牧野、牧野に間違いない。自分と似ているけれど少し高い、ひ弱なこの声。いったいあいつは何をしているんだ。
「ズボン下ろすだけでしょ?お坊ちゃんはそんなこともできないの」
「そ、そんな僕お坊ちゃんなんかじゃ……」
「じゃあ早くしろよ」
「しろよ」
 待て、待て待て。状況がつかめない。ズボンを下ろす?どうしてそんなことになっているんだ。宮田は薄いドアの向こうを凝視した。
「俺なんかよ、小学生の頃から剥けてたぜ」
 野球バカがムカつく声で自慢げに言った。
「君は体も大きいし、身長も高いから当然だろうね。でも遅くてももうみんなそうなんじゃないかな、こっちの二人だって、ねえ?」
「そうだよ」
「そうだぞ」
「で…でも、そんなの自分から人に見せるものじゃないと…思うんだけど……」
 そうだ牧野、言ってやれ。お前の言っていることは正しい。バカのいうことを真に受けるな。おおかたあの野球にしか能のない阿呆は特にコンプレックスがあって天本に入れ知恵されただけなのだ。
「牧野くんはさ、僕たちがこうして機会をつくってあげてることが優しさだって思わないわけ? 別にいいよ、今見せなくても。でもそしたらこれから毎日、学校にいる間中ずっと牧野くんがトイレに行くところ見せてもらうことになるけど」
「え……」
 うろたえる牧野の姿が見える。太い眉をめいっぱい下げて、困りましたの最上級の顔になっているのだろう。宮田には学ランの裾を掴んで気まずそうに首を振って助けを探している様子まで想像できた。
「分かるよ、最初は恥ずかしいよね。でもみんな初めはそうだから。下ろせないっていうだけなら手伝ってあげられるよ、ねえ?」
「おう、俺は力には自信あるからな」
「ま、待ってよ、僕いいなんて言ってない…!」
「往生際が悪いぞ、牧野、センター分けのくせに!」
「センター分け!」
 天本は意地が悪い。初めから数で圧倒して正しい知識も与えず、どんどん話を進めていく。押し売りか、もっと言えばやくざの脅迫スタイルだ。野球バカも怪力を利用されているだけのことに気づけ間抜けが。調子こいてる取り巻き二人は、とりあえず殺す。
「ほら昼休みなくなっちゃうよ、君のせいで」
「おら、そこの手離せよ」
「やっ、やだ、やめてよ!」
 裾を引っ張る牧野と、それをめくろうとする野球バカが押し合っている。そこに天本の手が伸ばされ硬いベルトが金属音を鳴らした。


 勢いよく開いたドアに一瞬、全員が驚いて動きを止め、ポケットに手を突っ込んでゆっくり出てきた宮田を見つめていた。
「宮田くん……?」
 牧野の声ではっとして天本が我に返る。
「どうして宮田くんがここにいるのさ」
「別に、どうでもいいだろ」
「お前、このことセンコーにチクるんじゃないだろうな」
 先公とかいちいち呼んでいる辺りが本当に頭が悪いなと思う。虚勢を張って悪ぶっているのがバレバレだ。まあ虚勢を張ることもできない取り巻きは、自分を見ただけで野球バカの後ろに退いたが。
 しかし天本は怯んだのもつかの間、一つ咳払いをして自分の正当性を主張するように胸を反らせた。
「あのさ、これは牧野くんのためにしてることだから、僕たちは少しも悪くないんだよ。だから先生に言っても無駄だよ。牧野くんだって本当に嫌なわけじゃないんだから」
 そうでしょ?訊かれた牧野は野球バカの太い腕からまだ逃げられずにいて、間を挟むように前に出た天本の振り返る視線を受けとめられなかった。
「ぼ、僕は……」
 怯えきった瞳が灰色のタイルに落ちる。自分できっぱり断れないのかと情けなく思ったが、だからこんなところに連れ込まれているのだ。
 そしてそれを勝手に肯定にした天本は「ほうら」と宮田を見返した。取り巻きがバカの影から「宮田出てけよ」「出てけよ」と言い始める。
「うるさいな」
 牧野の声が天使だとすれば、悪魔のような宮田の声がどす黒い怒りの炎を宿した瞳と共に向けられた。取り巻きは一瞬で固まって、野球バカも言葉を飲み込んだ。
「天本くんはさあ、知らないかもしれないけど」
 宮田の口調にはほとんど敵意が感じられなかった。あえてである。あくまで客観的に冷静に、宮田は用意していた反撃の言葉を弾丸のように撃ち出した。
「成長には個人差ってものがあるんだよ。身長や体重が人それぞれであるように、第二次性徴も個人差がある。声変わりがまだの奴らだっているだろ?そういう奴らにまだ変わっていないからおかしいっていうのは人種差別なんじゃないかな」
 天本は狐のように怖い顔で宮田をにらんでいる。
「だいたいさっきの小学生で剥けてたっていうのも、俺には信じられないな。そいつが今みたいに馬鹿でかくなったもの中学に入ってからだろ?身長と比べるつもりはないけど、入学前は俺より小さかったくせに、そこだけがでかかったなんて本当かな。なあ、どうなんだよ?」
 さっきまでの威勢はどこに行ったのか、野球バカはすっかり萎縮した表情になっていた。日焼けした肌でも顔が青いのが分かる。
「剥けてるか剥けてないかってことを重要視しているみたいだけど、一歩間違えばこれは性機能自体を失いかねない危険な行為だってことも知ってる? 皮を無理に剥いて裂けてばい菌が入ったら炎症を起こして腫れるし、ものすごく痛くなる。 それだけじゃなくて、皮の伸縮性が不十分な時に剥いて先端がうっ血して壊死―――つまりチンポが腐って切り落とさなきゃいけなくなった事例だってあるんだ」
 宮田以外の全員が思わず自分の股間に意識を集中させ、息を飲んだ。
「そんな危険な行為とも分からないで安易に強制しているなんて、俺には怖くてできないな。それとも天本くんには何か事情でもあるわけ?人のチンポを見て回りたい事情とか」
頬を一瞬で赤く染めた天本は「冗談じゃない!僕は変態じゃない!」と叫んだ。先ほどの強気は消え失せて、尊大な態度を取り繕う余裕もあちこちはがれかけていた。
「ふうん、じゃあ転校前の学校とかかな、何かそうしなきゃいけなくなるようなことがあったんじゃないの?」
 サッと天本の顔から血の気が引いた。後ろの三人と牧野はえ?え?と首を傾げているが宮田には心あたりがあった。おそらく、同じことをされたからこの中学で公開処刑の真似事を始めたのだ。いわゆる腹いせ目的でクラス全員の男子が餌食になっていたのだろう。
「お前らも知らないの?じゃあ本人に訊いてみればいいじゃん。それとも、変態じゃない天本くんがまだここにいるってことは、自分の口で今説明してくれるって解釈していいのかな?」
「ばっ、馬鹿言うなよ!僕はもう行くから!」
 近くにいた牧野の体を突き飛ばし、天本は傍目にもみっともないくらい慌ててトイレから出ていった。既に逃げ腰だった取り巻きの二人も後を追うようにいなくなる。残されたのは野球バカ一人だった。
 真の馬鹿は引き際も分からなかったらしい。さっきの宮田の言葉で何で天本が慌てたのかも分かっていない顔だった。
 宮田は牧野の隣に立ち、裾を持つだけになっていた野球バカの手をどけてやり、 「お前は、俺の見たことあるよな」と尋ねた。
「お、おう」
「俺と牧野は双子だから、そんぐらい分かるだろ」
 牧野の肩に手を回し、自分と隣り合う顔を指さした。ここまですれば、いくら脳みそまで筋肉が侵食しているお前でも分かるよな、と心の中で付け加えて。
 野球バカはアニメの小坊主が考えるような間をしばらく置いてから、閃いたとばかりに目と鼻の穴と口を大きく開いて、興奮気味に言った。
「そうか、じゃあ初めから見る必要なんてなかったんだな!」
「そうだよ、だから早く行けよ。昼休み終わるぞ」
「おう、あんがとな宮田!」
 来た時の足音の大半はこいつのせいだったのか、宮田は古くなった廊下の木板が踏み抜かれないように願いつつ最後の一人を見送った。



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