肌融点 | ナノ


帰還ED妄想



 屋根を叩きつける激しい雨音で目が覚めた。
 室内は深い暗闇に包まれており、枕元の時計に目をやれば寝付いてからまだ二時間も経っていないことを示していた。一日降り続いていた雨が夜半に強さを増したのか、騒音ともいえる雨音が家中に鳴り響いている。このままでは眠れやしない―――牧野は気だるいからだを起こし、名残惜しい温もりを引き剥がしてベッドから降りた。
 影を頼りに窓に立ってカーテンを開けてみても外のほとんどは室内と同じ真暗闇であったが、ここから見える唯一の街灯の周囲だけはぼんやりと照らされていて、水浸しの地面が雨量の多さを物語っていた。蛇の首の辺りは大丈夫だろうか、あの付近は豪雨の度に土砂崩れを起こすからと寝る前も宮田さんと話していたことを思い出す。
 万が一何かあれば連絡がくることになっているが、求導師に連絡が来たところでできることといえばたかが知れている。毎年この時期の羽生蛇は雨に悩まされるので土砂崩れの危険性は村の人たちも重々承知しているはずだ。不用意に近づく者もいないだろう。
 護崖や治水工事が早く済めばいいのにとも思うが、こればかりは自治体の仕事なので仕方がない。とりあえず―――などと言っては不敬虔だが、せめてもの思いで日々村の平穏無事を願って祈りを捧げている。

 ひと時の間、蛇の首方面に向かって祈りを捧げた後、そのままでは寝巻が濡れてしまうので牧野は右手だけ肘まで捲りあげ、窓を少しだけ開けて雨戸に手を伸ばした。外に出した部分から冷たい雨が腕に次々伝っていく。手探りで目的の木戸を見つけ引っ張ると重い音を立ててゆっくりと閉まっていった。雨戸を閉め終わると内側のガラス窓も同じように閉め、鍵をかける。寝巻が少し濡れてしまった。思ったより雨戸の建てつけが悪かったことは後で家主に伝えなければならない、牧野は緩いため息を一つついて、一連の工程の間も全く目を覚ますことなく眠り続けている当人を振り返った。
 周囲は目を覚ました時と同じ暗闇に覆われており、闇に慣れた目にもわずかな影の差違としか視認できない程度だった。しかし確かにそこに横たわっている。己と全く同じ、因子をもった存在が。
 二人は先刻まで心身ともに一つになっていた。眠る片割れの隣に空いた隙間はそのことを表すかに未だ温もりをわだかまらせている。
 手探りでバスタオルを探し当てると濡れそぼつ腕をさっと拭いて、再びベッドにもぐり込んだ。ベッドを揺らす微動にもやはり目を覚まさない、よほど疲れているのだろうか……先の情交ではなく日中の仕事の話だ。

 牧野はこちら向きで側臥している宮田と顔と顔が触れあうほどの距離まで近づいてみた。聞こえないほど小さな寝息が感じられる。次には匂いが、胸に手を這わせれば鼓動が、五感の全てが目の前の存在を伝達する。
 宮田が身動いだので牧野はすぐに手を離した。ひんやりした手が不快だったのかもしれない。
 しかし牧野にはその動作が、側にいながら目を背け、関わりを拒絶し続けた過去の証左に感じられて何だかおかしかった。拒絶していたのは自分の方だったというのに。弟はいつでもこちらを見て助けを求めていたのに、何も分からないと言い聞かせ、耳を塞いでいた頃の自分を咎めているのか。牧野は離した手をもう一方の手でかばうように包み込んだ。
 忌むべき記憶はあれど今では誰よりも側にいられるようになり、理解できることも日に日に増えている。そうして近づけば近づくほど、一つの存在へと迫っていく感覚が強くなっていた。牧野にとってそれは唯一無二の存在と通じ合う至福と言えるだろう。宮田と床を共にする際、牧野はいつもその感覚を手繰り寄せては噛み締めていた。
 からだをいくらか下にずらして裸の胸に顔をぴったり触れさせると、鼻腔をくすぐる心地いい匂いに脳がしびれ、頬から伝わる生命の音に、からだの力が抜けていく。外気の影響で下がった体温が触れた部分から再び一つになろうとし始めていた。
 温もりが融け合い、肌と肌の境目がだんだんと分からなくなっていく感覚は懐かしい安らぎを思い起こさせる。

 元は一つだったというのなら、初めから別れなければ良かったと思うこともあった。そうでなければ恨まれることも拒絶することも殺されることもなかったのにと。
 牧野は宮田を見上げた。今は見えないが、精悍な顔つきが自分とは違う。少し頬もこけていて、からだの筋肉の付き方は明らかに異なっている。近づけば近づくほど一つになれそうなのに、重なってみると本当には一つになれないことが分かってしまう。
 つながり合った部分に孕まれる温度の異なる熱。もっとも感じる部分。手をからめ合いながら考えていること。自分と同じなのに同じではない、これはもっとも近くて遠い存在。
 真に一つになる瞬間はおそらく永遠に訪れないのだ。どれだけからだを重ねようとも細胞が一つになろうとも、魂までが重なることはできない。どこまでいっても完全に混じり合うことなどできないのに、二人は求めあっている―――なんという滑稽か――――――。
 吸いこまれるように唇に唇を押し当てる。触れただけのそこに温度はなく、ただやわらかな感触だけがある。焦点の合わない視界にも目を閉じることはしないで、牧野は唇から伝わる宮田を通して自身に問いかけた。
 本当にそうなのだろうか、この唇のようにこれ以上交わることはできないのか……。

 いや、そうではない。
 同一存在の矛盾に絶望した時、だからこそ近づこうとする命の欲求に気づいたではないか。悪夢のような出来事においてもそれだけは希望だった。
 だからこそできるのだ。愛することも慈しむことも憎み合うことさえも。二人で生き、互いに葛藤し傷付け合い、たとえ死ぬことになったとしても、この人と共に愛し合う未来を信じて自分は生まれたかったのだ。
 自らの使命とはこの魂に永久に近づき続けること―――
 牧野は確信していた。
 その感覚をもっとも感じられるのが融け合う時であった。永遠を垣間見せる刹那の交わり。
 気づけば二つの唇の境には温い熱が生まれていた。

 離れては融け、また離れては融け合う。私たちはきっと何度も繰り返すのだろう。何万回も何転生も―――。
 誰の目も届かない暗闇の中で、牧野は一人満足そうにほほ笑んで唇を離した。再び宮田の胸に顔をうずめ、安心したように瞳を閉じる。
 眠りに落ちるその瞬間まで、融解する境界線を名残惜しそうに牧野はいつまでもいつまでも確かめていた。
 やがて寝息が一つに重なり始めた頃、わずかに体温が異なる部分を抱き込むようにそこに宮田の両手が回された。自分と一つになるために些細な違いも許さないかのように。


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地味にパジャマを分け合って着ている二人。
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