作品-小説[ジョウト] | ナノ





(マツバとヤナギ)


 「そんな関係になってしまったからといって。」
 ヤナギは、乱れたコートの襟元を正し体裁を整えた。自然に立つ服を整える音は思いのほか鋭く、冷たかった。この説教じみた話をマツバへ一言添えて、逃げるように立ち去った。彼に女を扱うかのように丁重に抱きしめられたのだ。もはや自分の体は素直に喜べはしない。マツバを抗ったときについた彼の髪がヤナギのコートに付いていた。ヤナギは、それをつまみとり一本の髪の毛がマツバのものだと確認すれば、吐露された愛を回想するのだった。
 出会いなんて、覚えてはいない。しかし、一つ一つの出来事はなぜか鮮明に覚えていた。指先の末端まで上手く体温が循環してくれない自分の指先。それを、マツバがそっと触れた。
 「ヤナギさんの指って、冷たいんですね。氷タイプのジムって冷えやすいからかなあ…。いや、夜のエンジュは寒い…から?。」
 「勝手に触るんじゃない。君も冷え切ってしまうだろう?」
 「いいんです。こうやってヤナギさんの指の温度を覚えて。またヤナギさん思い出すんです。」
 「まるで、男女の関係みたいじゃないか。」
 「そうですねェ、これは内密にしないといけませんね。」
 最初は、マツバとこういう男女の関係じみた行為と羞恥感を隠すことを内密だと思っていた。しかし、今日この言葉の本当の意味を考えればきっと違うのだろう。それは、マツバがヤナギを愛していたことを隠し通していくことだったのかもしれない。人は、情愛を超えたものを抱えれば何かに押しつぶされる感覚をいつの間にか覚える。マツバはヤナギの指先の温度を覚えることで、何かに救われていたのだろうか。痛覚のない夢が恋だとすれば、覚えるものはない。ただ、楽しかったという思いがのこればいい方だろう。傷つくことのない、純粋なもので皆が欲しているものだろう。しかし、マツバはわざとお互いが傷つく方法を選んだのだ。
 そっと抱きしめられ、重力に身を委ねマツバの重さを感じ取る。華奢な体つきのようにみえて、意外と硬くずっしりと重い筋肉質なのだ。体つきに時代を感じるのは言うまでもない。差が大きすぎたのだ。まだ若いのに、人生を統合しようとしている立場の者を愛してしまったなんて、可哀相と言い罵ってやればよい。しかし、ヤナギ自身も恋の一つや二つを知らないわけではなかった。この後に、何があるかぐらい良く分かっていた。マツバはまだ何も知らない女を扱うようなそぶりを見せ、キスをされる。決して下手ではないが、あまりにも嫌味ったらしい口の付け方だ。拒否権を与えてはもらえなかったような気がする。
 「ヤナギさんは器用なんですね。落ち着いてるっていうか。」
 「何かあるのだろう?」
 「終わらないんです。こういうことすると、ね。」
 今夜というものは長いと覚悟するべきだろう。張り詰めたような緊張感と、重苦しさを意味する三日月だ。昔愛した人もきっと自分の愛を受け入れるのにこんなことを思っていたのだろうか。あの頃は若かったんだと言い訳もできる歳になったからか。彼の抱えていたものが大きいと理解した。ヤナギはこれから、良い子の仮面を被って生きていく。今、若造に寒さで血の通わなくなったような白く首筋を触られている。指を当てるときっとそこは脈打っている場所だ。噛みつくこともなくそっと唇をふんわりとあてられる。そこには、一方的に送られるやりきれない思いしか伝わってこなかった。ヤナギはここで、何らかの答えを出さざるを得ないのだ。一方的に与えられるキスと半ば強引な愛撫は、猶予でしか
ない。
 「ヤナギさんは僕をどう思ってます?」
 答えなど出せるはずもない。だから、急いでマツバに乱されたコートに手を取り襟元を正した。
 「そんな関係になったからといって、」
 逃げた道中にて首筋にふんわりとしたくすぐったい感触を思い出すために、改めて自分で触ってみた。ヤナギの指は冷たい。マツバの唇のように暖かくないので、自分で再認できない。現実を知ってより悲しくなった。
 「背を向けるべきだった、かもしれないなあ。」
 独り言をつぶやき、移り香をめいっぱい鼻で覚えるがほとんど覚えられない。お互いに傷ついたはずなのに、重すぎたマツバの愛を受けとめようとしたことだけしか感覚がなかったのだ。痛覚のない夢は恋なんて簡単に言ってみる。しかし、現実にふと相手の存在が消えれば、さっきのように抱きしめられたときの締めつけられたように感じるのだ。
 「え、ヤナギさん!?ずっと帰ってなかったんですか。」
 マツバの声が予想外に響いた。
 「もう君は私に会ってくれないと思うと…。」
 「おっしゃることの意味が分かりません。」
 ヤナギも昔、愛した人を唐突に抱きしめた。相手の気持ちを無視してそっと唇をつけ、無為に髪を梳いたのだ。さらさらとした黒髪の感触はヤナギの体温を冷えていた指先の暖をとるかのように。マツバと似たようなことをしていたのだ。愛した人を傷つけたことで、二度と触れる資格はない。重すぎた思いをぶつけた代償としてヤナギは恋を終わらせた。しかし相手は、次の日から何もなかったかのような生活を送っていたのだ。それが怖いのだとマツバに伝えた。
 「若かったころ、私も君と似ていた。愛が重荷になった、そうだろう?」
 「そうです。けど、ヤナギさんは優しい人だ。少しでも僕を受け入れようとしたでしょう?」
 「そうであってほしい。」
 「本当に大好きなんです。ヤナギさんは僕に抱かれたことを思いだして、どこからも僕が消えないように。」
 「もう、もう忘れてしまっているんだよ。首に触ってみても君が私につけた唇の感触なんて。」
 「そういうところは不器用ですね。僕はあなたが嫌がるまで何度だって。」
 マツバは、再びヤナギの指先を触った。「やっぱり、冷たいですね。」と言いマツバは唇を近付けふうと息をかけた。
 「君の手はやっぱり暖かい。」
 「ヤナギさんが僕を鮮明に思い出してくれますように。」
 「力のある大きな手だ。抱きしめられたときと同じだ。」
 「ヤナギさんに伝わりますように、痛み分けっていうやつです。」
 「ああ。ありがとう。」
 一時的に温もる指先がヤナギの胸を締めつけた。そう考えると、マツバを受け入れるように身を任せたのは正解だったのかもしれない。かつてヤナギが愛した人は、精いっぱい彼を嫌いにならない抱かれ方を選んだのだと仮定したとして。ヤナギは、非なる要素をもってマツバを理解するように抱かれたのか。だから今、もっと感覚を覚えていたいと思うのだろう。マツバから愛されたという思いをより受け入れるためにも。彼を残して死ぬにはまだ早い。だからこそもっと追いこんで欲しいと思うのは不埒だろうか。あの重く強い愛でがんじがらめにして、何もかもからめ取って欲しい。
 マツバはずっと黙ったままヤナギを見つめていた。それがヤナギにはあまりにも恥ずかしいことで、涙をこぼしてしまった。もちろん少し視線を逸らせながら。


 



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