「馬鹿な子ですね」
ボクの隣で煙草を吸ったインゴが、煙と一緒に吐き出した。煙たいな。喫煙室で吸ってきてよという思いは飲みこんだ。
インゴの言うその子が誰だっていうのは言わなくても分かった。だから僕は「ホントだよね」と少し苦笑いをしてそれに答える。また煙草の煙がボクの鼻から入ってきて、少し煙たかったけど決してそれに顔をゆがめたわけではない。
「ホントに馬鹿な子だと思う」
自分に言い聞かせるように、目を閉じてもう一度そう呟いた。それから少し嬉しくなってしまう。さっきボクに話しかけてくれた大好きな子は今どんな顔をしているだろうか。折角なまえの方から話しかけてくれてボクだって仕事なんかそっちのけで話していたかったけど、それを必死に我慢して出来るだけ冷たく、振り返らずにその場を離れてきた。振り返って彼女の顔を見ずに想像するのはとても楽しく、またボクを幸せな気分にさせることだ。それはすごく気になることだけれど、ボクはそれを見たいわけではなかった。想像だけで十分だ。だって、見てしまったらああそうなんだと納得しておしまい、つまらない。
彼女の顔を思い浮かべてはにやにやとして、その度にインゴに気持ち悪いと言われても仕方がないと思った。
だけどそのかわりに、少なからずなまえにひどいことをしているボクへの罰と言うべきか不安というのも当然襲いかかってくる。なまえはボクのことなんか気にも留めず何でもないように過ごしていたらどうしようっていう不安がね。たまにこれには頭を悩ませるほど苦しめられることもあるけど、それもなまえの顔を見れば幾分か吹き飛んだ。
しかし、ボクの思い描くなまえはいつもさびしそうだ。
「私は貴方も相当な馬鹿だと思いますよ」
「そう?」
「ええ、私には到底理解しえませんね」
「あはは!インゴが冷たくなくて甘いところとか想像できないんだけど!」
「黙りなさい、この愚弟が」
まだ火がついているっていうのに吸いかけの煙草をボクに投げつけてきて、それをとっさに避けたのも気に入らなかったのかぶすっとしたままインゴは去ってしまった。
だけど、インゴの一言は正確にボクのことを射抜いている。好きな子に優しくするのは当たり前。その反対のことをしているボクは馬鹿に決まっている。そりゃあボクだってなまえをべたべたに甘やかして誰の目にも触れさせないように監禁したいくらいに愛している。それでもその気持ちを抑え込んでこんなことをしているんだから、ボク自身も馬鹿だと思っている。
だって追われたら逃げたくなるだろう。
ボクが冷たく突き放して、それでもボクを求めて追ってきてくれたらそれはもう最高に幸せなことで、それだからやめられないんだ。端的に言ってしまえばボクは愛を感じたいだけで、その結果こういうことをしてしまったのだと思う。ボクなりの最大限の愛の感じ方。それは当然リスクも伴ってくるし、ボクにしか理解できないのは分かっている。なまえ側からしてみればボクが振り向いてくれないで心が潰されるような思いをしているかもしれない。だけど、ボクは何度も何度も彼女から逃げているということは彼女も相当ボクに惚れこんでいるということではないだろうか。
(でも、そろそろ)
「エメットさん」
ボクの方も我慢の限界で好きだと言う気持ちでなまえの心をつぶしてしまいたく思い始めてきた。逃げるのももう終わり。不安に駆られるのも少し疲れてきてしまっていた。
「なあに?なまえ」
「私のことうざったく思ってますか?」
「(まさか!)なんでそう思うの?」
「いえ、別にそうでもいいんです。ただポケモンのことを聞くならエメットさんに聞くのが一番早かったものなので何度もしつこかったかなって」
「(なにそれ)」
ボク、毎回頬っぺたを少し赤くしてボクの前に来るなまえを見てきた。それは全部ウソだったの?今もなまえは目の前で目を合わせてくれなくて、恥ずかしそうにしている。誰が見ても分かるようなものだった。恋する乙女っていうのはどうやらただならぬ特別な雰囲気を持っているらしい。
ボクはそんな女の子を何人も前にしてきて、今更間違うわけがなかった。相当な自惚れかもね。ほら、ボクは馬鹿だろう。
「(そんなわけないね)」
「ご迷惑なら、その、やめますから」
「何言ってるの!全然そんなことないから、ね?ボク、なまえのこと好きだから全然嬉しい!」
「え?」
「うん?」
ちょっと不安になって、つい口からこぼれてしまった。
一気に顔が赤くなって慌てはじめるなまえ。すごく分かりやすくてかわいい。でも、ちょうど僕も甘い気分に浸りたい気分だったし、これでボクの不安は消え去った。そして、また意地悪な心が顔を見せだした。
ボクは何でもないようなフリをして、ボクの一言に疑問に思った彼女をいたって冷静に、笑顔で見下ろしていた。
「それ本当ですか?」
「なにが?」
「さっきの好きっていう、やつです」
これに答える前に、一度目を閉じて考えてみる。
もし僕がもう一度好きだと言って抱きしめて、なまえをボクのものにしたら。彼女はボクに幸せと愛を感じさせてくれるに違いない。それは彼女も同じことで、ボクがこの我慢のひもをゆるめてしまったら途端に今までせき止めてきたものが一気にあふれ出すことになるだろう。そういった意味では彼女はまた潰れてしまうかもしれない。
「さあ、どうだろうね」
だけど、もう少しだけ追いかけっこを続けてこのあやふやな関係を続けていたいとボクは思った。きっとなまえにはボクの気持ちなんて分かっているのだと思う。ボクも相当分かりやすい性格のようだし、愛しているなんていうとびきり分かりやすくて大きい感情は隠すのが難しい。それが分かっていなければ、なまえもこうして何度もボクのところに訪れてくれないだろう。
結局のところ、お互い自惚れていたんだ。すっごく面白い。これだからやめられない。
ボクは自然と口端が吊り上るのを感じて、またなまえから逃げてしまった。
忽せのエスケープ
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