小説 | ナノ

彼女はそんな彼の狂気を知らない





「さっ三途さんのことがその、…好き、なんですけど」

自分で思う。わたしの声よりこのバクバクとした心臓の音の方が大きいのではないかと。口から出た告白は所々しどろもどろになってしまい、その姿はまるで中学生である。恥ずかしくて、余裕がなくて、頭の中がごっちゃになってしまい今すぐにでも沸騰しそうになっていた。

「つ、付き合ってくれませんか…?」

緊張し過ぎて陰キャのようになってしまった告白を、目先の彼は黙って最後まで聞いていた。ゆっくりと煙草を深く吸い込んで、それからふぅ、と白い煙を吐き宙へと浮かべる。それはきっと数秒単位の出来事だったけど、その一瞬で言わなきゃよかった、なんで口走ってしまったんだ大バカ野郎、誰オマエって笑われるかもしれないと自分をディスりにディスって泣きたくなった。煙草のメンソール特有の香りが間近で香れば自然と拳には力が入る。

パイプ椅子に座っていた彼が席を立つと、重心がなくなりギシ、と音を鳴らした。緑玉色の眼球だけを動かし下から上へとわたしを見つめている様は、たった今告白されてますという雰囲気にはとても見えない。傍から見ればきっと、わたしは叱られているような姿をしているに違いなかった。

「……」

この1秒1秒がとても長く感じて、自分から好きだと告白したくせにこの空気感に耐えられそうにもない。やっぱり冗談です!今のは忘れて下さいと口を開きかけたときだ。

「付き合ってやってもいーけど?」


「……へ」

わたしより背の高い彼に思わず顔を上げる。
長い睫毛を揺らした彼の瞳はちゃんとわたしを映していた。

「お前、俺のこと好きだったんだなァ?知らなかったワ」

煙草を灰皿に押し潰し、意味深に傷跡のある口端を上げた彼はわたしの肩をポンと叩いた。

「え…?え?」

仕事へ戻ると背を向けた彼を見つめ、わたしは真っ白になった頭から頑張って彼の言ったことを理解する。まさか告白を受け入れて貰えるなんて1パーセントも思っていなかったが為に、その場でバカみたいに誰もいないバックヤードをきょろきょろと見渡してしまった。





春千夜くんがわたしの告白に頷き最初は信じられなかった事実が現実味を帯びてくると、それはもう心の底から喜びが満ち溢れてきて、目に映る景色全てが鮮やかに見えた。

いま思えばわたしの告白に対しての春千夜くんの返事は至極簡単で、迷う素振りひとつも見せなかったことから単に気まぐれだったのではないかと伺える。お前のこと知らねぇけど別に暇だし?付き合ってやってもいっか。みたいな。だってわたしは春千夜くんの管轄下であるキャバクラの、しがないアルバイトだったので。

接点もなければ、目だって合うことはない。
2週間に1度程度しか顔を出さない春千夜くんの横には、いつもナンバーがついた看板嬢たちが着いていた。店のオーナーと話したらすぐ帰ってしまう彼だから、その短い時間の間でも隣の座をゲットすべく女の子達は必死だったのだ。甘ったるい声で、大きな胸をくっつけて、ハートの目を浮かべた彼女達は「三途さーん」と自分をアピールする。

「離れろ。寄ンな」

だけどそれらは何の意味もなさない。男の人なら思わず頬を緩めてしまいそうなシチュエーションでも春千夜くんは微動だにせず、いつもひっつく女の子をあしらっていた。それを遠目で見ていたのがわたしである。どんなに冷たくされようが女の子達も慣れているのか「えぇひどい」と言って気にもしない。そうしてまた、春千夜くんが顔を出したら同じことを繰り返すのだった。

いつもは裏で煙草を吸って客の悪口を言っている彼女達は、春千夜くんが帰ったあと上機嫌。今日も格好良いと口を並べ悪口なんて一切出てこない。あんな綺麗な彼女達を一蹴してしまうのも春千夜くんくらいしか出来ないし、許されてしまうのもきっと、春千夜くんだけだった。

決まった客を捕まえられないわたしはこのキャバクラのヘルプ要因で、暇なときはバックヤードで携帯を弄るのがいつもの日課であった。週一か、多くても週二でしかシフトを入れないわたしにとって固定の客がつくこと自体まず難しい。それをやってのける人もいるんだろうけど、この世界はそんな甘っちょろくはないってことを知った。

初めて春千夜くんを目にしたのは、確か入店して3回目か4回目のシフトに入ったときだった。
襟足が長めのウルフカットは桃色で、耳には幾つものピアスがはめられている。皺ひとつないスーツを着こなしている彼の顔立ちは眉目秀麗で、まさに目を引く存在で女の子が話し掛けたくなっちゃうのも無理はない。わたしも皆と同じく初見で目を奪われてしまったが、それでもわたしが春千夜くんと会話をすることは叶わなかった。

「上々じゃねぇの。ご苦労さん」
「はっはい!お陰様でなんとかやってます!」
「この調子で頼むワ。アンタにこの店上がるかどうかかかってっからよォ」
「ヒィッ…っは、はい!」

オーナーがあまりにもペコペコしていたからお偉いさんなんだとすぐに気付いた。意外と低い声色で威圧感を表に出す彼にわたしも初めはビビっていたが、そんな心配もするだけ無駄で、目も合わないのだから意味もない。

わたしは春千夜くんが来る度に目で追っているだけの存在だった。きっとこのバイトを辞めるまでそれは変わらないのだと思っていた。だから本当にその日たまたま店の子達が出払って、わたしと春千夜くんが2人きりになった時には心臓が爆発するくらい緊張していたのだ。

ウチの店のバックヤードはそれほど広くはない。
広くはないから灰皿近くのパイプ椅子に座っていたわたしと春千夜くんの距離が近かった。

どこの角度から見ても綺麗という言葉がよく似合う。あまりに綺麗だから自然と視線が春千夜くんに向いてしまって、流石にキモイなとツッコめてしまえるくらいには、春千夜くんを見るたび格好良いと思うことはいつも一緒だった。


こういう人を虜にする女ってどんな人なんだろう。
こういう人に愛されたらどんな気持ちなんだろう。
そう思っていたのにまさか自分が彼女になれるとは。


とはいっても別に自惚れている訳じゃない。ちゃんとそこの所は弁えているから大丈夫。春千夜くんがわたしに虜になった訳では勿論なく、わたしが春千夜くんの虜になっているのは付き合ってからもずっと、変わらないままだった。

付き合ってからの毎日は、砂糖菓子みたく甘い月日を過ごしてるなんてことはなく、予想を遥かに上回った寂しい関係だった。付き合っているのか分からなくなる日々は不安の傘を増していき、わたしは彼のことをなんにも知らないのだと思い知らされる。

一応彼女だと思ってくれているのか春千夜くんは連絡先を教えてくれた。それだけでわたしは枕に顔を埋めてしまうほどのテンションの上がりようだったが、すぐにその熱はしゅん、と冷めていく。

なんてことのない日常を送ってみる。おはようとかおやすみだとか、一応カップルならば許されるであろうメッセージと共に。だけど春千夜くんから既読はつくものの、返信はまちまちだ。トータルすれば返って来ないときの方が多いと思う。

ただの日常日記をほぼ一方的に春千夜くんへ送っているだけで、時々顔を覆いたくなるくらい恥ずかしくなるし何やってんだろって虚しくなる。一言でも返ってくれば胸は高鳴って、会えると分かれば口元がふにゃりと緩み、そうして連絡も何も音沙汰なしだと眉は下がって気分は下降。春千夜くんの行動1つに一々一喜一憂してしまって、これじゃあ片想いしてるみたいって笑ってしまった。

春千夜くんの誘いはいつも唐突だ。"今日20時。時間あけとけ"というような誘い方が1番多い。出来ない約束はしたくないし、断わりの連絡を入れるのが面倒なんだと前に食事をした際に言っていた。その日お互い帰るのか、それともホテルに泊まるのか、わたしだけを置いて行ってしまうのか、全ては全部、春千夜くん次第だ。

「言うこと聞きすぎだって!絶対別れた方がいいよ」

親友に春千夜くんの話をすると、まぁ言われるだろうなっていう回答が即座に返ってくる。それにわたしはへへ、と愛想笑いを浮かべるのだ。

「好きとか1回も言われたことないとか信じられないんだけど!?そんなん都合のいい女と一緒じゃん。やめときな。ろくな事ないし泣くの目に見えてるから」
「でも優しいところもあるっていうか」
「はい出ました!それもうダメ男の象徴!絆されててアンタも駄目おんな!」
「えっ泣くんだけど」
「あんたが傷付くのが嫌だから言ってんの。…ってか真面目にその人、将来も一緒にいたいって思える人なの?ずっと自分の気持ち言えないような彼氏でいいわけ?」

付き合えるだけで夢のよう、だなんてものは付き合う前に感じることで、月日が経てば経つほどそれは貪欲なものに変わっていく。どうしたら春千夜くんとの距離をもっと近付けることが出来るのか知りたかった。少しずつでもいいから春千夜くんにとって必要とされる人になりたくて、いつかは春千夜くんがふとした時に思い浮かべてくれるような彼女になりたいと思って毎日過ごしてきた。

親友の助言は正直キツいがどれも正論で、わたしの胸に重石が乗っかる。このままじゃいけないよなぁと思う。思うけど、それ以上に春千夜くんと別れた先のことを考えると息が詰まりそうなくらい悲しくなる。もし春千夜くんに別れを切り出されたらわたしは泣いて縋ってしまいそうだが、わたしが逆に手放したら春千夜くんは繋ぎ止めることは絶対しないだろう。それが分かってしまうから、辛いのだ。


春千夜くんと付き合ってから寂しく思う気持ちは大きいけれど、好きだなって思う場面もたくさんあった。

例えば会話の最中でも食事の最中でも、その綺麗な緑玉色の瞳を細めた目つきだとか、抱かれているときにほんの少しだけ余裕のなさそうに眉を眉間に寄せるその仕草。たまぁにわたしの髪を掻き上げてくれる大きな手に胸は早鐘をついて、「早く寝ろ」と薄く笑った表情も、普段より幾分もの優しげな声音も、わたしはとっても大好きなのだ。急にわたしの家に来たと思えば子供のようにわたしの背中に手を回し、顔を肩に擦り寄せてきて甘える春千夜くんは、捨てられた子猫のように見えてしまうときもある。


「んな簡単に好きの安売りしてんじゃねェよ」

ひどいよなぁ。恥ずかしいのを押し殺して気持ちを伝えても、春千夜くんはこうして受け流すんだから。少し困ったような表情を浮かべて、なんて返したら良いのか分からない子供のように、「なんで俺なんかが好きなんかねェ。物好きな女だワ」と呟きながら鼻で笑うのだ。

春千夜くんと付き合い暫くしてからキャバクラのバイトは辞めたので、連絡が取れなければ春千夜くんと会えない。1日に何度かわたしは春千夜くんの事を思い出してしまうが、春千夜くんはどうなんだろう。

春千夜くんはわたしに干渉しない。
友達と飲みに行くって言っても、遊びに行くと言っても「あっそお」とか、既読無視だとか、無関心常習犯だ。気にもされてないんだと胸はちくちく痛むけど、春千夜くんの彼女になってから平気な素振りをすることがちょびっとだけ上手くなった。わたしが春千夜くんの立場だったら誰と行くのか気になってしまうけど、それだって思うだけでどの道春千夜くん本人に聞けない。

何より春千夜くんに面倒臭いと思われる女にはなりたくなくて、愛想をつかれるのが怖かった。


"友達と飲みに行ってくるね"

返って来ないだろうなと思っていた返信は、やっぱり既読止まりでもう2時間が経つ。

久しぶりに会う友人たちと酒を酌み交わすのはとても楽しいが、ちらちら鳴らないスマホが気になってしまってしょうがない。メッセージの通知が届いてなければ分かっているのに心は沈み、それを忘れるように酒をあおった。

「ねぇ!今からモブ君達も合流したいって言ってるんだけど呼んでもいい?」
「おっけー」
「えっちょい待って。メイク直すから」
「ってか○○は?確か彼氏いるって言ってたよね。呼んでも大丈夫そ?」

「あ…わたしは、」

脳裏に春千夜くんの顔が過ぎる。
春千夜くんと付き合ってから他の男の人と飲むなんてことがなかったので少し戸惑ってしまったのだ。

友達はどうするかとスマホを片手に小首を傾げる。
早く返事をしなきゃと深く考える余裕もなく、わたしは慌てて口を開いた。


「うん。大丈夫だよ」







どうせ言ったところで嫉妬なんてされやしないだろう。何せ春千夜くんはわたしに興味がないし、わざわざ"今から男の子たちも合流するんだけど"なんて断りを入れたところで、結局返信はないか返ってきても一言だろうから。もし知らねぇよだとか、好きにすれば?みたいな返事が返って来たら、死んでしまうくらい落ち込む自信もある。

「なぁ、朝までやってる知り合いの店あるんだけどさ、今からそこ行かね?」
「えー行く!」

時間は着々と過ぎていく。
気付けばもうすぐ日を跨ぐ時間になっていた。お酒を飲んで、話をして、またお酒を飲んでは盛り上がって。場の空気はとても明るいものだったが、わたしだけが何処か馴染めずにいる。やっぱり帰れば良かったと後悔なんかしちゃっても時既に遅し。

「ナマエはー?行く?」
「行こうよ。俺もっとナマエちゃんと話たいなぁなんて」
「あ…わたしは、」

会計が済み店の外へ出た瞬間、目を見開いた。

店先に路駐している黒の車体。
そして店の外のガードレールに軽く体重を寄せていた目先の男は、紛れもなくここにいるはずの無い春千夜くんだった。

「は、春千夜くん?」
「おー。遅かったじゃねェの」

春千夜くんはわたしを見つけると吸っていた煙草を地面に落とし、チェルシーブーツで踏み潰した。そしてコツコツと音を鳴らしてわたしの目の前で足を止めた春千夜くんに、息を飲む。


「おっかしいなァ。俺、男いるなんて一言も聞いてねェんだけど?」


わたし含むその場にいた全員が凍る。
春千夜くんのわたしを見下ろした瞳の色は消え失せて、傷跡のある両口端だけが上がっていた。







人一人殺しそうな空気を醸し出していた春千夜くんは、あれからわたしを無理やり車に押し込むように助手席に乗せてエンジンをかけた。

「はるちよくん」
「……」

終始無言の車内の中でわたしは彼の名前を呼んだけど、春千夜くんは返事さえしてくれない。怒っていると言わんばかりのその圧にシートベルトを握っていた手に力が込められる。

「…降りろ」
「こっここは?」
「俺の家」

暫く車を走らせて、やっと口を開いてくれた春千夜くんとの空気は険悪なままだった。マンションの一室。付き合ってから初めて春千夜くんの家に上がったわたしは、こんな状況でなければ喜んでいたはずだろう。

スタスタとリビングへ向かう春千夜くんの後ろをそっと着いていく。酔いも覚めた頭の中で春千夜くんが何故怒っているのかを必死に考えていた。

今までにも友達と飲みに行くことはあっても、こうして迎えに来てくれたという事は今までに1度もない。確かに男がいるとは言ってなかったけれど、今までの春千夜くんの対応を知っているとどうにもヤキモチを妬いているとは思えなくて。

春千夜くんはスーツのジャケットを脱ぎソファに置いた。いつまでも俯いているわたしに対し頭上から舌打ちが聞こえてくると、肩は思わずビクッと跳ねる。

「ハッ、俺が怖ェの?」
「あ…」
「ンな怯えんなって。俺がわりーみてぇだろうがよ」
「ごっごめんなさ、」
「んーん?何に謝ってンのか分かんねぇからその理由を言えよ。聞いてやっからさァ」

今までわたしに対して一度だって聞いたことのない声音が耳へと伝う。前にキャバクラのバイトをしていたとき、オーナーがやらかして春千夜くんを怒らせたときを見てしまったことが一度だけある。その時の春千夜くんはオーナーの言い訳を聞く訳でもなくひどく冷たい罵声を浴びせていたが、その時の状況と今がよく似てる。

「…間違ってたら、申し訳ない、んだけど…男の人も一緒にいた、から?」
「分かってんじゃん。つかお前浮気すんならLINEに店の場所なんて堂々と送んなよなァ。んっとに救えねぇバカだなアバズレかよ」
「うっ浮気なんてっ」
「あ"?俺がそうっつったらそうなんだよ」

ピシャリと言い切った春千夜くんに言葉を飲み込んだ。鼻先が触れ合うくらいのその距離で春千夜くんはわたしに向けて言葉を放つ。

どうしようどうしよう。どうすればいい。
謝っても聞いてくれない。わたしの話を聞く耳を持ってくれない。そんな春千夜くんにどうすれば良いのか答えが見つからない。

「っ、」
「あーあー。泣くなや。泣かれっと萎えんだわ」
「ごっごめっ」

春千夜くんは深いため息を吐く。泣いちゃダメだと思うのに押し寄せてくるのは今日の後悔とどうしたら許して貰えるのかでいっぱいで、涙は止まってくれない。

「泣いてもテメェがわりーんだろうが」
「っごめん、本当にごめんね。はっはるちょくん…わっわたしの事どうでも良いのかと思ってたから、」
「は?」
「うっ浮気するつもりなんてほ、ほんとに全然なくて…いつも返事とか返って来ない、し、っわたしが好きって言っても安売りするなとか言って流しちゃぅしっ…信じてくれないし、っく、はるちよくんはわたしに興味ないんだろうなってずっと…思ってて、」
「あ?あー…あ?」
「だから今日のことも言おうか悩んだ、けど、言っても無視されたらって思うと…ごめんね」

わたしは今日確定して振られるのだろう。
だったら最後に今まで言えなかったことを全部言ってしまってお別れした方がずっといい。結果、良くない方向に進んでしまったし、後悔するのだろうが、それでも春千夜くんと付き合えた事は後悔してない。

「ごめんね。…嫌な思いさせたなら謝る、から。っむかえ、来てくれたのに、本当にごめんね」
「……」
「春千夜くんが、わっわたしに対して妬くとかしないと思って、」

春千夜くんは黙り込む。こんな泣き顔なんて見せたくなかったけど、鼻を啜りながら溢れてくる涙は未だ止まらず袖で拭った。その腕を春千夜くんが引っ張って、わたしは思わずよろけそうになってしまう。手を急に引かれたことに驚いて「ぅあ」と声を出したわたしを、春千夜くんは黙って少し荒くベッドの上に寝かせた。

「…妬くよ」
「……へ」
「普通に妬くワ」

涙でメイクが拠れたわたしの瞳が大きく見開く。
春千夜くんの言葉と、わたしを組み敷いて見下ろしている彼の表情が、拗ねた小さな子みたいで信じられなかったのだ。

「俺、こんでも結構お前に尽くして来たつもりだったんだけど」
「えっ…え?」
「飯行ったり誰かと長時間過ごしたりっての、正直苦手でそんなん今まであんましして来なかったんだわ。…人は信用したって裏切る生きモンだからよォ」

わたしは春千夜くんの過去を知らない。わたしと出会う前の春千夜くんのことを全く知らないし、聞いてもはぐらかされるばかりだったから。

「俺、マトモに人好きんなったのお前が初めてだからさぁ、お前のことちゃんと考えてやれてなかったんだな。…もっとお前の気持ち、考えるべきだったわ」
「はるちよくん…」
「…悪かった」

ぽそ、と呟いた彼に涙はまた再度溢れ出す。
春千夜くんはもう泣くなとわたしを責めることはしなかった。そうしてわたしの胸元にコトン、と自身の頭を置いたのだ。

「…心臓の音ってこんな安心するんだな。知らなかった」
「…おと?」
「生きてっか死んでっか分かんねェような生き方してるとさァ、俺みたいな奴はお前みてェな普通の人間に安心すんの」
「…ふつうの、にんげん」
「意味分かんねぇ?」

つい復唱してしまったわたしに対し、春千夜くんは薄く笑ってわたしをキツく抱き締めた。一緒に過ごす時間が短いわたしにとってはこの至近距離に未だ慣れず、バクバクと音を鳴らしているこの心臓の音はきっと春千夜くんに聞こえてしまっているのだろう。

そうしてゆっくり春千夜くんの顔が近付いてきて、触れ合うキスから深いキスに変わると、わたしの息は勝手に荒くなる。

「お前、責任取れよ」
「へ?」

春千夜くんはわたしの目元に「可愛いなぁ」とキスを落とす。そうして繋がれた左手の薬指をかぷ、と噛むと、わたしの口から小さく声が漏れた。



「俺をここまで落とした責任。今日の件は許してやるけどよォ、次同じことしたらオメェのことマジで殺しちゃうかもな」



バクン、と1回胸が大きく脈打った。
それは今、とても恐ろしい筈の事を投げ掛けられているのにも関わらず、その緑玉色の瞳を三日月のように細めた彼がとても色めいて見えた瞬間だったからだ。







−−−−−




「っふふ…クク」

疲れ果てた彼女を横に寝かせたまま、三途は煙草に一本火をつけた。何も面白い場面はなかったはずなのに、三途にとっては面白くて仕方がなかった。面白いというよりも、幸せで仕方がなかったという言葉の方が近いかもしれない。

「あー…最高」

三途は煙草を灰皿に置くとサイドデスクに置いてあった錠剤を1粒ゴクリと飲み込んだ。いつにも増して、最高に気分が晴れやかだった。

ずっとずっと、あの店で一目見たときから良い女だと思っていた女がいる。周りはいつも媚び売り声で引っ付いてくる顔と金しか興味がない女ばかりだ。三途はこれにうんざりしていた。罵って黙らせるのは簡単だが、店を辞められては梵天の収益に繋がらない。ウザくとも仕事をしてくれないと意味がないと思った三途は適当にいつも近付いてくる女をあしらっていた。これでも我慢していた方だ。三途は興味の欠片もない女にベタベタ触られるのは好きではなかったので。それを遠目で見ていた女に三途は目を奪われたのだ。気付かれないように、それでも三途に興味のある瞳で、彼女が三途を見ていたのは当初から気付いていた。

『さっ三途さんのことがその、…好き、なんですけど』

そんな女がまさか自分から告白してくるだなんて。

思った通り彼女は良い女だった。三途の嫌がることをしない。仕事へ向かう三途に我儘を言う訳でもなく、引き止める訳でもなく、笑顔で見送る。その瞳がいつも寂しいと思う気持ちを隠して笑顔を作っていたことも三途は知っていた。

人より並外れた思考の持ち主の三途は、どうすれば自分のことしか考えて生きていけなくなるかを考えた。家に連れ込んでそのまま外に出さなきゃいい話だが、どうせなら今よりもっと、もっともっと好きになってもらいたいじゃない。俺のことで悩んで、俺以外のことしか考えられなくしちゃえば問題なくね?

だから適当な飴と鞭を使い分けるような男を演じていた訳だ。興味のない素振りをしてみては、たまに甘えて距離を寄せる。
結果、彼女にはこれがひどく効いたらしい。効果てきめん。万々歳。

今日の飲み会に男がいたのは大誤算だったがソイツらの話は明日考えるとして、だ。

「……あーあ。お前もう俺なしで生きていけねェじゃん」

灰皿に置いた煙草がジリ、と燃えて灰になる。
そんなことには目もくれず、三途はすやすや幸せそうに眠っている彼女の頭をそっと撫でた。



「俺なんかに本気になって捕まって、本当にお前は世界一憐れでクソ可愛い女だよ」


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