小説 | ナノ

セフレはここらで潮時なので、


※梵天軸


出会いは少し前に遡る。

キャバクラの元締めが竜胆さんで、当時そこでバイトをしていたのがわたしだった。

月に1回顔を出せば良い竜胆さんとは余り面識が無いのは当たり前。更に週2程度でしかバイトに訪れないわたしが彼とエンカウントをするのは稀であり、いつだって竜胆さんはナンバーのついた女の子達に囲まれていて、竜胆さんの瞳にわたしが映ることも、ましてやわたしのことを認知しているなんてことも、ある筈がなかった。

「竜胆さん!今日も帰っちゃうの?」
「あー…わり。人待たせてンだわ」
「それって蘭さんですかぁ?え最近来てくれないから寂しい
「兄貴も俺も忙しいの。また手が空いたら客として来てやるからガンバレー」
「もおっ!絶対ですよ?」

その棒読みに近いトーンは、女の子達をあしらっている事が傍から見ればよく分かる。それでも女の子たちは自分の体を竜胆さんに擦り寄せて、変わらず猫撫で声で甘えていた。そんな彼女たちには目をくれず、用が済んだらさっさと店を出て行ってしまう竜胆さん。モテる男はやっぱり違うんだなぁとバックヤードの椅子に座りよく思っていた。

わたしはその店で長い期間働いていた訳ではない。大学生のお小遣い稼ぎとしてバイトをしていたただのヘルプ要員みたいなものだった。それからも就職が決まり店を辞めるまでの間、竜胆さんとわたしが会話をする機会は一度だってなかった。

「お前、前に俺ンとこの店で働いてたヤツだろ?」

だから驚いた。髪型もメイクも当時と違うのに、飲み屋でバッタリ竜胆さんに会って話しかけられたときは死ぬほど驚いた。多分幽霊でも見たような顔になっていたと思う。

「よっよく覚えてますね?」
「ん?そりゃ覚えてんだろ。一応俺、偉い人だし。人のこと覚えんの得意なんだよな」

二カッと笑った彼はまるで初めから約束をしていたかのようにわたしの隣の席へと座り、酒を注文した。俺のこと覚えてる?なんて聞かない辺りが、彼が今まで女性に対して送って来た人生を物語っている気さえする。

それに竜胆さんの笑った顔がまるで店で見ていた彼とは打って違う。話し掛けにくいオーラが全くもって感じられない。そのせいで次に出た言葉が失礼ながらも本当に同一人物ですか、であった。

「はぁ?そりゃ仕事ンときとプライペートは違ェよ。仕事のときはアレくらいしなきゃアイツらしつけぇし、一々相手してらんねぇワ」
「あー…なるほど?」

多分、竜胆さんが言っていたのは店の女の子のことだろうと思う。確かにどのような対応をしたって女の子たちは竜胆さんに目を輝かせていたのだから、今のように笑顔を向けられようものなら余計と女の子達が離れてくれなそうにないもんな。

暫くそんな他愛もない話をして、ふとスマホで時間を確認すれば終電が近い。

「えっと…すみません、そろそろ帰ります。終電間に合わなくなっちゃうので」

バッグからお財布を取り出して、お札を1枚取り出そうとすればその手は彼の手によって阻止される。ゆっくり目線を財布から竜胆さんに移すと、思ったよりも随分と近いその距離に息を吸うことを一瞬忘れかけてしまった。

「…俺、人のこと覚えンの得意とか言ったけどさ、本当は得意じゃねぇんだよな」
「…はい?」
「お前のことは覚えてたんだけど。…その金しまって?」

頬杖ついた彼の口元は愉しげに口角を上げて、フリーズしたわたしの様子を伺っている。

「えっと、」

竜胆さんは、女性の扱いに長けている。まだ返事をしていないのにも関わらず、わたしが断れない事を分かっていたから。店のマスターに「チェック」と一言告げて、固まるわたしの手を引いたのだ。


それから、こんな関係が続いてる。
連絡先を交換してしまったが最後。竜胆さんを知らない頃に戻れる訳がなかった。

桜が咲く季節も、こうして今日のように路面が凍ってしまいそうなほど寒い季節も、竜胆さんに呼ばれてしまえば余程残業等で疲れた体じゃなければ会いに行ってしまった。

世間でいう都合のいいオンナになってしまったのだ。









だから、少しカマをかけてみた。




「竜胆さんの香水、元カレと同じなんですよね」
「あ?」
「へへ、ちょっと思い出しちゃいました」

わたしの服にしゅるりと忍び込んだ指先がピタリと止まる。彼の綺麗なお顔の眉間に皺が寄った。

「…オマエって空気読めねェの?」

昔の話だし元カレに未練なんて何もないけれど、香りというものは厄介でふとした時に香れば当時の記憶が脳裏に浮かぶんだから、不思議だ。

「竜胆さんこそ電話が鳴ったら今!?っていうときでも電話に出ちゃうじゃないですか」
「……話の度合いが違ぇよバカ」

わたしを見下ろしながら明らか不機嫌になった声が振りかかってくる。それが少し不貞腐れた子供のように思えてわたしの口はへにょりと緩んでしまった。

「…竜胆さん、もしかしてヤキモ、」
「んなワケねぇじゃん。調子乗んな」
「いたっ」

軽くおでこを小突かれて、大して痛くもないのに反射的に声が漏れる。むぅ、と顔を歪ませると、重たい前髪から覗いた瞳が細まった。

「残念ながらオマエにヤキモチ妬くほど女に困ってねぇの。てかおい、暴れんなって」
「やっくすぐったい!」

竜胆さんの少しひんやりとした手がお腹に置かれるとそれがこそばゆくてつい身じろいしてしまう。先程まであったムードは吹き飛んで、ふはっと間抜けな声が漏れた。わたしがいくら彼の前から逃げようとしたって、大きな手で体を引き寄せられるといとも簡単に捕まってしまう。そうしてそのままキスを落とされてしまえば、数秒でわたしは大人しくなってしまうのだから、竜胆さんはわたしの扱いをちゃんと分かっているな、なんて毎度の如く、そう思うのだ。

でも、残念ながら期待させる言葉1つくれない竜胆さんにとってのわたしは、セフレはセフレであり、セフレ以上の何者ではないのだと改めて実感させられる。カマをかけてみたって切ない気持ちが胸に押し寄せるだけだった。

やっぱり、わたしってばこういう関係には向いていない。
それが分かっているのに、どうしても竜胆さんから連絡がくると浮き足立ってしまいこうして今日みたいに会いに来てしまう。

竜胆さんは毎回わたしがこんな風に思っているだなんて知らないのだから、狡いよなぁなんて彼の首に腕を回した。







情事を終えて、間接照明に照らされ目に映る彼の半身に彫られた刺青は、前にお兄さんと対で入れたものだと教えてくれたことがある。いつ見ても禍々しくて、そこに指を這わせば「えっち」とからかわれてしまい、わたしの頬は少し膨らんだ。

「そういえば、今日は珍しく電話が鳴らなかったですね?」
「んー…あ、マナーになってたワ」

上半身を怠そうに起こした竜胆さんは、煙草を口に咥えスマホに手を伸ばす。笑えば幼さが少し残るのに、こういう一仕草には色気があるの、悔しいけれどきゅんとしてしまう。

そのままスマホを離さず何か文字を打っている竜胆さん。すぐに画面からわたしへ視線を向けた彼はわたしの頭をふわりと撫でるとちゅう、と触れるだけのキスを落とした。

「わり、そろそろ行くわ」
「あ…いえ、全然。お仕事ですか?」
「んー…まぁそんなとこ」

曖昧な返事を返されるのはいつものことで、胸に鈍い痛みが襲うけれどそれ以上は聞けない。着ていたスーツへと手を伸ばす彼に寂しさを感じるのも、勿論わたしだけだ。

「今日もう遅せぇから泊まってけよ。また連絡すっから」

こくん、と首をたてに頷けば、竜胆さんは満足気に微笑んでわたしに布団をかけると広い客室を出て行ってしまった。



「……」



1人きりになった室内。
さっきまであったはずの温もりが1人分冷めたベッド。
まだほのかに残っている竜胆さんの香水の香り。


時刻を確認すれば終電はとっくに過ぎていた。

竜胆さんの言う通り、今日は泊まっていくしかなさそうだ。熱が冷めたからだに思考も覚め出す。のそりと起き上がりシャワーを浴びて、ガウンを羽織り、椅子に腰掛ける。



また、またわたしは、


「さよなら出来なかった…」

虚しい独り言が室内に響く。
はぁぁ、とそれはもう重たく深いため息が口から漏れた。
次会う時は、今日こそは、と心に決めてかなりの時間が過ぎてしまったように感じる。

竜胆さんのセフレになって1年と1ヶ月ちょっと。絶対好きになってはいけない人種だと頭では分かっていたのに、何度か逢瀬を繰り返せば普通に好きになってしまった。

竜胆さんはわたしを呼ぶもすぐにセックスには至らない。わたしは竜胆さんよりも5つ程年下である。彼よりうんと知識が浅いわたしの知らない話であったり、音楽の話であったりと、時間が許される限りは必ずわたしが笑顔になれる楽しい話を持ち掛けてくれるのだ。そうすれば頭の中の警戒心はすぐ解けてしまって、尚且つ時折見せる素で笑ってくれたような笑顔を見てしまったら、好きという感情を持たない訳がなかった。

でもわたしはもうすぐ26になる。
こんな関係がいつまでも続けていられる保証はない。今は可愛がってくれているけれど、いつわたしに飽きて捨てられてしまうかなんて分からないのが現実。

それに自分で思っておいて悲しいけれど、めちゃくちゃ寂しい。幸せだとか嬉しいだとかそういった感情で満たされることなんて、連絡が来たときと一緒にいられる数時間程度である。それが過ぎれば残っているものなんてやり場のない虚しさと寂しさだけだ。

この関係が続いてこれだけ可愛がって貰えても、竜胆さんの心だけは手に入らない。終わりにしなくちゃと何度も口にしようとするのに、言えなかった。

今日も言えなかったけれど、諦める決心はついた。
カマをかけてみても通常通りに流されてしまったので、結局のところ、そういうことなのだ。

竜胆さん本人の言う通り、女に困ってないってのも嘘ではないだろう。毎回仕事だと言うけれど、電話がかかってくればそちらを優先しているし。セフレに咎めることは出来ないので余り問いただすことは出来なかったが、ぶっちゃけ内心は醜い嫉妬でどうにかなりそうだった。それをバレないように隠すのも、慣れてきたようで疲れてきてしまった。

わたしがいようが関係なしに電話に出て時にはそのまま部屋を出て行ってしまう竜胆さん。お気に入りなのか彼女なのか分からないけど、絶対他にも女がいるのは確かだ。もしもその相手が竜胆さんの彼女であれば、わたしは最低な浮気女に成り下がる。見えない相手に何度もごめんなさいと謝ってはこうして約1年の期間を過ごしてしまった。


「…潮時だよなぁ」


もうじき26歳。このままずっと竜胆さんといたら一喜一憂ばかりして過ごすことになるだろう。嫌いになりたいのになれなくて抜け出せず、大泣きする最後が見えている。婚期だって逃すだろうし、きっとわたしにとってプラスなことはない。

面と向かってはやっぱり言えなかった。
絶対泣いてしまうもん。

"今までありがとうございました。今日でこの関係終わりにしましょう"

スマホを手に取り呆気なさを感じる文字を打つ。
後は送信するだけなのに、そのメッセージを数分見ては中々送信ボタンをタップ出来ずに画面が薄らと滲み出す。ふぅ、と息を吐いて、微かに震える指で送信ボタンをタップした。

画面に送信され映し出された文字に今度こそ鼻の奥から鈍い痛みがわたしを襲う。これで本当に終わっちゃった。どうせかないっこない恋愛だったのだ。この選択肢は間違っていないと自分に無理矢理言い聞かせ、竜胆さんの連絡先をブロックし、削除した。

その日の夜は眠れる訳がなく、一頻り泣き終えて1時間程、眠れることが出来た。





「ねぇナマエ、今日の飲み会の話なんだけど」
「あっうん。行くよ。駅前の居酒屋だっけ?」
「えっ!?いいの?マジで!?」

にこりと笑ったわたしに同期は驚いた顔をして見せるとすぐに同期の表情が明るくなった。

「あーもう!いっつもアンタ行かないって断るからさ。今日営業部の人たちとの飲み会だからね!忘れないでよ?」
「ごめんね。うん、忘れないよ大丈夫」

嬉しそうな同期を見て少しばかり心が痛む。
竜胆さんと関係があった頃はこうした飲み会には行く気分になれず参加しなかったので、今回も断られると思ったのだろう。別に竜胆さんが知ったところでヤキモチなんかされないけど、わたしが単純に他の人との飲み会がつまらないと思ってしまうから、行けなかっただけなのだ。

いつものように仕事をして、いつものように業務が終了する。なんの気なしにスマホをつい見ては竜胆さんからのメッセージが届いていないかを確認してしまうクセ、今更気付いてしまって自虐めいた笑みが出た。自分から終わりにしたのにバカみたい。

同期と化粧直しを終えて外へと出る。街の木々はライトアップされていて、綺麗だけど寂しさを感じた。



着いた居酒屋ではもう何人か営業部の人が集まっていて、賑やかだった。「ここ座って」の言葉と同時に座らされるも、失礼だけどお酒が入ってもあまり楽しいものではなかった。

単なる会社の飲み会と言えばそれまでだけど、彼氏彼女がいない者同士が集まった合コンに似た飲み会の席。ウチの会社は社内恋愛が禁止されている訳ではないからか、たまにこうした飲み会が開かれている。

「えーっナマエもう帰っちゃうの?二次会行こうよにじかいーっ」
「あはは、ごめんね。明日ちょっと朝から用事があって」

酔っ払っている同期にありがちな断り文句を告げる。
随分とお酒に飲まれている同期とは違いわたしは寧ろ素面だった。

営業部のイケメンと言われているあの人も、仕事が早くて出世間近と噂されているあの人も、今日はウチの課で有名人が揃っていたからか始終同期はテンション上がっていた。

皆お酒が入り楽しんでいるのに、わたしだけが余り楽しめず、愛想笑いを浮かべることに手一杯。失恋1日目にして来るべき所じゃなかったんだ。

「次はちゃんと最後までいるから」
「絶対だよ?」

同期や他の人たちに軽く会釈をして駅へと向かう。寒すぎて早く家に帰りたかったわたしは足早で歩を進めていると、呼び止められた。

「ナマエさん!」
「え?」

振り返れば先程飲み会で隣に座っていた営業部の人だった。追い掛けて来たのか少々息が荒い。

「あ、わたし何か忘れ物でもしましたっけ?」
「ん?いや、はは。違うんだ。…その、駅まで送ってこうかなって」

1人じゃ危ないし、と鼻先が赤くなった彼は何処か照れくさそうにわたしから視線を逸らした。

「…でも二次会行くって言ってましたよね?駅もうすぐそこですし、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

わたしの言葉に彼は息を飲む。そうして1、2秒程開けると口を開いた。

「その…すっ少しでも君と一緒にいたくて。…ダメ、かな」
「え…」

ドキン、と心臓が大きく鳴る。
彼の言葉は途中から耳には届かなかった。

目先だけを見て歩いていたから、全然気が付かなかったのだ。わたしの目の前にいる彼の右手側の、道沿いに止められた車を見て目を見開く。

「やっやっぱりこんな急じゃ気持ち悪いよね!ごめんね、またつぎ、」
「次なんかねェよ」

いつもの数倍低めに放った声のトーン。
ツートーンに染められたマッシュウルフ。

何度か乗った見覚えのある車から降りて私たちの前で止まったその人物は、紛れもなく昨日さよならを告げた竜胆さんだった。

「えっりんどうさ」

わたしの声に一瞬視線をこちらに向けた竜胆さんに背筋が凍ってしまったかのように動けなくなる。見たことないくらいの冷たい目付きに、わたしだけでなく初見の彼も同じく動けないでいた。

「コイツ、わりーけど俺のなんだワ。今日はちょーっとおいたが過ぎたみたいでそれが癪に障ンだけどさ、お前が口説いていいようなオンナじゃねぇの」
「えっ、と、」
「意味、分かる?」

目にハイライトを失くしたような竜胆さんの低い声音に、彼は語彙すら失って喃語のようなものしか口から出て来ない。それにイラついたのか竜胆さんは舌打ちをする。

「お前アタマわりぃの?」
「ひっ」
「コイツに近づくなっつってんだけど」
「すっすみませっ!」

彼の謝罪の言葉を聞く間もなく竜胆さんはわたしの手を引き車へと乗せる。

「りっりんどうさっわたし、」

やっと口から出た言葉は、竜胆さんがわたしを見下ろしながら口にした言葉により次に繋ぐ声は出せなかった。


「いいから黙って乗ってろって」


出会ってから初めて自分に向けられた冷たい視線と声のトーン、それに何でこの場に竜胆さんがいるのかと何故だか無性に泣きたくなった。







車内は無言のまま車を走らせている。煙草の煙を逃がす為に竜胆さんが開けた車窓から入る空気が冷たくて堪らない。

「お前、昨日のアレなんなの?」

やっと口を開いた竜胆さんはまだ不機嫌で、だけど少し冷静になったのか先程よりは幾分落ち着いているように思えた。

「…何って、そのまんま、です」
「まんまって終わりにするってマジで言ってんの?」
「は、い」
「…んだよそれ。意味分かんねぇんだけど」

意味が分からないのはわたしの方だ。
だけどそんなこと口に出来る雰囲気ではなく、車は赤信号により停車する。

「別に男が欲しくなったわけ?」
「え…」
「俺じゃ満足出来ねェから他の男に逃げようとしたんじゃねェの?」
「ちがっ」
「じゃあなんでだよ。こんだけ1年関係続けててあんな呆気ないメッセージ送られて来たこっちのことも考えて欲しいんだけど?」
「それは、ごめんなさ」

竜胆さんの問いに何故わたしが誤っているかも分からない。どうして今になって竜胆さんがこんな怒っているような嫉妬しているような態度をわたしに見せるのかも、分からないのだ。

「俺がいなきゃさっきの男と一緒に帰ってたわけ?」
「…そっそんなことないです。断ってるときに、竜胆さんが来たので」
「ハッ、どうだか」

簡易灰皿に煙草を押し潰し、車はまた青信号により動き出す。太腿に置いた手にギュッと力が込められ、目が潤む。
閉じていた口をそっと開いた。

「このままじゃ、いけないと思った、から」
「は?」
「竜胆さんのこと、好きになっちゃったんです。でもこんな関係だし、好きになっても竜胆さんにとっては迷惑だろうなって思って、捨てられる前にわたしから終わりにしなきゃなんて、」
「好き」
「え、」
「オレお前のこと好きなんだけど」

目線を下に向けていたわたしは竜胆さんの方へと咄嗟に顔をあげる。車内は薄暗いけど、視線が一瞬合ったのが分かった。

「あ…やっ、今更気を使って頂けなくても!」
「なんで俺がお前に気を使わなきゃなんねぇんだよ。ずっと好きだったわ」
「…え」

車は住宅街に入ると1件のマンションの駐車場で止まる。ここが何処かは分かる。前に一度だけ連れて来てくれた、竜胆さんが住むマンションだ。

「で、でも竜胆さん他にも女の人とか彼女いるんじゃないんです、か?」
「はぁ?」
「だっだって一緒にいるときいつも電話が鳴るし、行っちゃうじゃないですか」
「…それ兄貴」

ぼそっとした声はわたしの耳にちゃんと届く。
お兄さん??
言いたくなかったのか竜胆さんは顔を歪め、わたしはポカンと口を開ける。わたしのその顔が不快だったのか竜胆さんは自身の頭をぐしゃっとかくと、口を開いた。

「あー…兄貴人使い荒いんだよ。時間も何も関係ねぇの。言うこと聞いとかねェとお前んとこに会いに行くとか言うし」
「それは流石にないんじゃ」
「お前が知らないだけ!兄貴は楽しいこと好きだから絶対ェお前を拉致って俺をからかうんだよ!」

大きくなった竜胆さんにわたしの目はぱちくりと瞬く。
竜胆さんのお兄さん。余り話は聞いたことがなかったが、確か蘭さんという人だと前に働いてた女の子達が言っていたような気がする。

「仲が、良いんですね?」
「仲は良いけど…あークソ。お前にはこんな情けねェとこ見られたくなかったのに」

わたしが見てきた竜胆さんよりも初めて素の竜胆さんを見たように思う。こんな子供らしい一面もあるだなんて知らなかった。

「情けなくなんかないです。可愛いなって、思います」
「可愛いってお前、」
「好きです。竜胆さんのこと」
「は?」
「もっと早く伝えられれば良かったんですけど、好きって彼女でもない体の関係で言うのはダメかなとか重いよなって色んなこと考えちゃったら言えなくて」
「…そんなの俺だって同じだワ。……俺だっていつも同じこと思ってたっての」

頭を引き寄せられて、唇が触れる。
目を閉じるのも忘れ寒い季節なのに顔には熱を帯びる。

竜胆さんも同じことを思ってくれていたなんて、微塵にも思わなかったから。

そんなわたしに竜胆さんはふっと笑みを浮かべると頭を撫でた。

「りんどうさん、大好きです」
「俺も。めちゃくちゃ好き」

もう一度、今度はどちらからでもなくキスをしようとしたタイミングで、竜胆さんの電話が鳴る。数秒経っても鳴り止まないコール音に、わたしは竜胆さんの胸に手を当てる。

「竜胆さん電話が鳴って、」

チッと舌打ちをした彼は不機嫌そうにスマホを確認すると、その着信を即切った。

「えっお兄さんじゃないんですか!?出ないとヤバいんじゃ」



「もーいい。お前のが大事だし、お前より優先すべきことじゃねェから」



その日初めて、竜胆さんはわたしを一番に優先してくれた。






−−−−−−−−


「あっねぇ、りんどうさん」
「あ?お前ほんっと空気読めねェのな…可愛いけど」

突如甘いセリフを吐く竜胆さんに心臓は爆発してしまうがの如く忙しない。だけど久しぶりの竜胆さんの家のベッドに寝かされて、肌を擦り寄せると先程まで気が付かなかったことに気付いてしまった。


「…香水、変えました?」


竜胆さんの表情が固まる。
数秒黙ってしまったかと思えばわたしの胸にこてん、と自分の頭を置いて、不貞腐れたように口を開いた。




「お前の過去の男と一緒なのめちゃくちゃ嫌だったから今日仕事中に新しいの買ってきた。俺がいんのに、他のヤツ思い出してンじゃねぇよばーか」



わたしのカマかけ作戦は思ったよりも効果は絶大だったらしい。


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