小説 | ナノ

わたしのお隣の竜胆さん




※梵天軸



薄明るくなった夜明けの時間、パチッと目が開いた。まだ眠っていたかったのに隣人の部屋から聞こえてくる話し声で目が覚めてしまった。話し声というか怒声だと思うけど。

『こんなに私が好きだって言っているのに何でよ!!』

全ての話し声は聞こえないがこれは修羅場だきっと。お陰で目覚ましが鳴る1時間も前に起きてしまった。隣人の部屋から聞こえてくる罵声をバックミュージックに、私は眠れなくなってしまった体をのそりと起こし会社へ行く支度を始める。今回の女性は新しい人なのかな。多分だけどこの間の女の人とは別な人のような気がする。前に聞こえてきた声はもっと感高い声でヒステリックに叫んでいたもん。

今日は時間に随分と余裕があるから軽い化粧を終えた私は、トースターでパンを焼きバターを塗る時間まであった。いつか食べようと思って買って置いたお値段の張るハチミツをかけて口へと運ぶと、甘くて美味しくてついつい顔が綻んでしまう。これで罵声が聞こえなければとても気持ちの良い幸せな朝活だと思える。暖かいカフェラテを飲み終えて、トーストも食べ終えた私はキッチンに皿を置き、出社する為玄関のドアを開けた。

「あ」

なんというバッドタイミング。隣人の部屋から出てきたのは先程声を荒らげていた本人だと思える女性。しかも私と目がバッチリ合ってしまった。

「お、おはようございますぅ…」
「……フンっ」

一応挨拶をしてみたけれど、女性はお目目を釣り上げたまま私の挨拶を無視しコツコツとヒールを鳴らして去って行ってしまった。今年二十歳を迎え大人という段階に足を踏み入れることになるが、あんな大人にはなりたくないなぁとそう思えた瞬間だった。





「今日は下着干してねェじゃん?」
「うわっ竜胆さんか!びっくりしたなぁ」

やって来た週末。今日は隣人の部屋から聞こえてくる声で目覚めた訳では無く、自分の意思で起きられたことに少しだけ気分が良い。天気も良いから洗濯物を外に干そうとベランダに出たのだが、声を掛けられ振り向けば隣人の竜胆さんだ。

「お久しぶりですね。下着は勿論室内に干してますっ」
「ん。学習したじゃん」

竜胆さんは私にクスクスと笑う。
お隣に住む彼とこうしてお話するようになったのは少し前に遡る。私が今日のように晴れたお日様の下で洗濯物を干していたときだ。

「黒」
「え?」

声が聞こえた先へ振り向けば、真横のベランダから男の人がこちらを向いて煙草に火をつけようとしていた。それが竜胆さんだ。一体なんの事だろうと思ってハテナを浮かべる私に、竜胆さんは小さく笑いながらと煙草を持った指でそっと指を指した。その指先の方向へと目を向ければ私が先程干したばかりの下着。

「あっ」
「ここ1階じゃねぇけど外から丸見えだから。下着は干さねェ方が良いと思うけど?」
「あ、みっ見ないで下さい!」
「見んなって言われても目に入んだもン」

竜胆さんは特別恥ずかしがる様子も無く、私だけが顔を真っ赤にして干した下着を急いで取り込む。慌てふためいている私を横目に、竜胆さんは更に私を羞恥心の穴へと落とし込んだ。

「オマエ顔幼ェのに黒とかつけんだね」
「えっはっ??」
「キョドり過ぎな?見られたくねェんならこれから気をつけろよ」

ぷしゅぅぅぅっと頭から音がなる程の恥ずかしさと自分の馬鹿さに固まり何も言い返せずにいると、彼は煙草を吸い終えたのか薄く笑って部屋へと戻って行ってしまった。それからは必ず下着は室内に干しているけれど、この日からベランダで竜胆さんと会えば今日のように揶揄われたり、帰宅時間がたまたま重なったときには軽い世間話をするようになったのだ。



「竜胆さん、この間もわたしお姉さんの怒った声で目が覚めたんですけどぉ」
「あ?あーワリイ。ちょいしつこくてさ」

ベランダに背を付ける竜胆さんに私はほんの少し睨みを効かせる。竜胆さんは私の睨みつけなんて気にもせず、煙をフゥっと宙へと吹かして笑うだけ。これは本当に悪いと思っていない顔のような気がする。それにいつも目に入る首元の刺青が目立つこと。こんな目立つ場所に刺青が入っていて働ける場所なんて限られていると思うけど、竜胆さんに聞いたらはぐらかされて教えてはくれなかった。そして今日はスウェットでは無くてスーツをピシッとキメているし仕事に行くのだろうか。ほんと、一体どんな仕事しているんだろう。

「これからお仕事ですか?」
「ん、もう少ししたら行く。兄貴が迎えに来んの」
「お兄さんと同じ職場なんですか?ってか竜胆さんお兄さんいたんですね、なるほどっ」
「はぁ?成程ってなんだよ」

年下の私が言うのもなんだけれどこうして話をする度、竜胆さんて可愛いなと思うときがある。初めは見た目からして怖い人というイメージが大きくて、話すにも委縮してしまう事が多かったけれど案外彼はよく笑う。近くでまじまじ見てはないけれど、重たい前髪から覗く目はタレ目気味で笑うと可愛さが少しあるような感じ。家に連れ込んでいるお姉さんもいつも大人の"綺麗なオネエサン"って感じで美人を見かけるので、実は甘えん坊だったりするのかなと密かに私の脳内で竜胆さんという人物を勝手に描いていた。これは全て私の偏見だけれど。でも実際色んなお姉さんを怒らせているらしいので、女性関係は余り良くないのかもしれない。

そんな事を本人に言えるわけもない私は竜胆さんに何も答えずにいると、スマホの着信音が耳へと届く。すると竜胆さんは煙草を灰皿に押し付けた。

「あ、迎え来たワ。起こしちまったの今度詫びするから。それと戸締りちゃんとしろよ」
「あっお詫びなんていいんですけど、お仕事頑張って下さい」
「ん」

小さく口端を上げて竜胆さんは部屋へと戻って行く。竜胆さんが行ってしまって数秒、私は竜胆さんがいなくなったベランダをぼんやりと見ていた。お詫びなんてきっとこの場の流れで言ったのだろうけど、もし竜胆さんとまたお話出来たら嬉しいなとは思う。でも期待するだけ無駄かもしらないし余り深く考えるのはやめ、私は残りの洗濯物を干すことにした。







「此方の色味が今大変人気でして」
「ん〜〜」

休日、私は街へ繰り出していた。ボーナスも入った私は今年成人するし所謂デパコスと呼ばれる化粧品が欲しいと思い、お母さんの付き添いでしか着いて来たことのない海外ブランドのコスメショップを訪れていた。いつもはプチプラのコスメしか買わなかった私は少なからず店員のいる場の雰囲気に緊張してしまって、店員に言われるがまま様々な色味のリップを試供されるも自分にその色が本当に似合っているのか似合っていないのかよく分からない。

「…どうしよう」

迷うこと20分。2本に絞ったリップは大人めいた赤リップかオレンジベージュの可愛い色味のリップ。赤なんて普段まず付けない。けれど、そういえば竜胆さんのお家から出てくるお姉さんは皆こんな風な色をしたリップを付けていたなぁと思い出して手に取ってみたものだ。赤も可愛い。可愛いけどやっぱり私の顔には似合わない。そんな事を考えて、オレンジベージュにしようと店員に声をかける寸前、聞き覚えのある声に私は振り返った。

「ナマエにその赤は似合わねぇって。悪いこと言わねェからそっちにしとけ」
「えっりんどうさんっ!?」

何でこんな所に竜胆さんがいるのだと私は目をぱちくりさせ、私の喉から出た声は分かりやすく裏返ってしまった。

「驚き過ぎ。あー…オマエ童顔だし赤がいいんならもっと薄い色味の赤だな」
「えっちょっ」

竜胆さんは私に構わずリップが並んでいる棚から数本取り出す。固まっている私に竜胆さんが至近距離でリップを近付けるものだから、距離の近さと竜胆さんの香水が間近に香ってリップ所では無くなってしまった。

「あっいや!大丈夫ですから!」
「ンだよ。リップ選んでんじゃねェの?」
「ちがっ!いや?そうなんですけどっ!?」

私が言っているのは竜胆さんが私にリップを付けようとしている事を大丈夫ですと言っているのであって。オドオドしている私の様子を初めは不思議そうに見ていた竜胆さんは、リップを棚に戻すとぷっと柔らかく笑った。

「ふはっ、意識し過ぎ。顔すっげぇ赤いんだけど?」
「あう…」

きっと軽く馬鹿にされているのだろうに竜胆さんに何も言い返す事が出来なかった。だって自分でも分かるほど顔が恥ずかしさで火照っていたから。





「何で買うの辞めちまったの?」

…そりゃあ竜胆さんに至近距離で近付いて来られて恥ずかしくなって選ぶ所じゃなくなってしまったからです、と素直には言えず。早々に店員に「また来ます!」と告げ去ろうとする私に、「時間あんならこの間の詫びするワ」と言われ入ったカフェ。たまたま会ったにしろ本当にお詫びをしてくれるとは思わず、しかも竜胆さんとこうして二人で何かをするなんて事なんて無かったから少なからず緊張してしまう。そんな私とは違い、竜胆さんは何食わぬ顔でコーヒーに口付けているけれど。

「またいつでも来れるし今度でいいかなぁって、へへへ。そんな事よりも竜胆さん、今日はお仕事じゃないんですか?」
「あ?んー今日は頼んでたヤツが届いたみてェだから取りに来ただけ」
「頼んでたやつ?あっ!この間のお姉さんとの仲直りプレゼントですか?」

店員さんがアイスが乗っているパンケーキを運んできて、私の目の前に皿が置かれる。竜胆さんはフォークとナイフを私に手渡してくれたが、ちょっと竜胆さんに見られながら食べるのは恥ずかしくて食べにくい。

「んーんちげぇ、俺が欲しかったヤツが取り寄せだったの。ってかあの女は、あー…気になる?」
「えっ!?」

別に、ただの話題の一環として聞いてみただけなのだ。別に竜胆さんがどうのこうのでは無くて。なのに目先の竜胆さんはにこにこと私に笑みを浮かべているからまるで私が知りたいと言っているかのような雰囲気になってしまっている気がする。

「べっ別に気になってはいませんけど!?ただ竜胆さんの部屋から出てくるお姉さんって綺麗な人ばっかりだけど毎回竜胆さん怒られているみたいだし女の人変わってるし何でかなって思っただけですよ!?」
「ハッ、めちゃくちゃ気になってンじゃん。つか何そんな声漏れてんの?」
「はうっ!!」

墓穴掘った私をどうか何方かこの場から連れ去って行って欲しい。竜胆さんにめちゃくちゃ笑われている。カァっと熱くなった頬を冷ますかのようにアイスミルクティーに口付けて、竜胆さんの質問には答えられず私は口を閉ざしてしまった。

「オマエ可愛いのな」
「えっ!?」

何なんだこの男の人は。平然と恥ずかしげも無く可愛いと言ってのけた。竜胆さんはきっと私の顔を可愛いと言ったわけでなく反応が面白くて言った言葉だとは思うけれど、可愛いなんて虚しく言われ慣れていない私は更に頬が冷めきる前にもっと熱く紅潮していく。竜胆さんは楽しそうに笑ってスプーンを取るとパンケーキに乗ったアイスを一口掬い口へと運んだ。

「その"おネーサン"は別に俺の彼女でも何でもねぇんだけど」
「……違うんですか?」
「ウン、ただ俺のコト可愛がってくれてるだけ。でも勝手に向こうが勘違いすんだよな、呼んでもねェのに家来たりするようになって、ンでそういうの俺嫌いだからさ、無理って言うと勝手に怒っちゃうんだワ」
「は、はぁ…?」

可愛がってくれているとは?え?
男と付き合った事が人生で無い訳ではないけれど、私と竜胆さんとでは根本的に恋愛とか大人の遊びみたいなものに酷く差があるんだなと思ってしまった。見た目は怖いけれど優しいし、モテない訳が無いだろうからあれか?男版小悪魔的な感じなのか?分かんない。恋愛なんて高校生のときから止まってしまっているから。

「り、竜胆さんてかっこいいですしね!モテるのも無理ないかぁ!」

自分から聞いたクセに何て返せば良いのか分からず語彙力が乏しい私は取り敢えず笑顔を向ける。すると竜胆さんはお目目をぱちくりさせたかと思うとほんの少しだけテーブルに体を前に出して口を開いた。

「…俺、かっこいい?」
「はっはい。かっ、かっこいいと思いますよ?」

可愛いのが勝っているとは思うけど、かっこいいのもまた本音だ。流石に私よりも年上の相手に可愛いは失礼かなと思い、口には出さないけれど。竜胆さんは瞬きを数回すると今度は子供のように笑ったのだ。

「もう1回言って」
「えっ、何でですか!?」
「いーじゃん、もう1回聞きてェの。ホラ言って?」

何処か嬉しそうにする竜胆さんの顔を見るのは初めてで、やっぱり可愛いのが強いと思う。それにもう一回言えと言われてもさっきはノリ的な感じだったから言えたが、本人に言ってと言われると途端にまた私を恥ずかしさが襲う。それでも目先の竜胆さんはにこにこ私の言葉を待っているから、きっとまた私は顔が真っ赤なんだろうけど言わざるおえなかった。

「かっこいいと…思います」
「プハッ、何でお前が照れンの。でも嬉しいワ。兄貴はいつもかっこいいって言われんだけどさ、俺はいつも何故か可愛いって言われること多いんだよな」
「そっそうなんですかぁ」

竜胆さんのお兄さんは見たことがないけれど、竜胆さんは可愛い人だと思う。可愛いとかっこいいを両方持っている人だと思う。こんな長く話をした事は無かったし、竜胆さんのこんな笑った顔を見るのも初めてだし、今日だけでわたし、少しだけ色んな竜胆さんを見れてしまったのかもしれない。竜胆さんの笑った顔に心臓がキュッて掴まれるような気分になった。きっと竜胆さんのことを可愛がってくれると言ったお姉さん達もこんな感じだったのだろうか。これは危ない。





お詫びという名のカフェに連れて行ってもらった帰り、竜胆さんは私を車に乗せて送ってくれた。帰る部屋は違うけれど、同じ所に住んでいる事に何だか不思議な感じがする。可愛いが勝っていると思ってしまったけれど、車を運転している竜胆さんの横顔はかっこいいと思ってしまう事に自分でもよく分からない気持ちに駆られた。大人の人って感じがして、こんな近くにいるけれど別世界のような。

「竜胆さん今日はありがとうございました、楽しかったです。後、ご馳走様でした」

ぺこりと頭を下げて自分の部屋のカギを開けようとする私に、竜胆さんは自分の部屋のドアを開ける手を止め私を引き止めた。

「あー待って。連絡先交換しとこうぜ」
「いいんですか?竜胆さんが良ければ是非っ」
「嫌なら言わねェよ。はい」

お互いのスマホを取り出し交換して、おやすみなさいと私が言おうとした際、竜胆さんは私の頭にポンと軽く手を置くと口元を緩めた。

「おやすみ」
「えっあ、おっおやすみなさい」

竜胆さんが部屋へと入っていく。いつも帰宅時なんかで会ったときは私から彼に言っていた言葉を、初めて彼から言われた。おやすみなんて変哲も無い会話かもしれないけれどそれが嬉しくて。今日わたしは何回竜胆さんに顔を染めただろうか。きっと竜胆さんは私がこんな顔をしていることを絶対に全て気付いていたはずだ。それくらい私は今日初めてこんなに竜胆さんの前で心臓が忙しく感じていた。

部屋に入り明かりをつける。今日の一日を思い返せばお風呂にまだ入る気にもなれずに私はそのままベッドへと飛び込んだ。私って竜胆さんのことを好きになってしまったのだろうか。そう思えば胸はドキドキと脈打ち出す。しかしそれは直ぐに静まり返る。だって竜胆さんはきっと違う。竜胆さんは私みたいな童顔で綺麗でも何でもない私をそういう目で見ることは絶対に無いであろう。竜胆さんの傍にいる人達は付き合ってないと言っていたにしろ、綺麗で色めいた女の人達ばかりだ。ああいう女性がタイプなのだろうか。楽しかったはずなのに、恋をしてしまったかもしれないと思った矢先、私は失恋したかのような気分に陥ってしまった。





『今日仕事早く終わりそうだから飯行かね?』

連絡先を交換して初めてお誘いが来たのは会社の定時を知らせる30分前。疲れきった体は直ぐに元気を取り戻すくらいには竜胆さんからのメッセージで、私は心嬉しくつい顔がにぱっとにやけてしまった。そのせいで同期に「えっどうした?大丈夫?」と引き攣った顔で心配されてしまったけれど、大丈夫だとサラりと告げる。そして二つ返事で竜胆さんにメッセージを返すと『20時頃には終わると思うからまた連絡する』と返信が届いた。

こんなに嬉しい気持ちになるのだから私はきっと恋をしてしまっているのだと思う。気持ちが悪いと自覚しているけれど、竜胆さんのメッセージ何回も見返しちゃったもん。叶うことのない恋愛かもしれないけれど、勝手に好きでいることは悪い事では無いだろう。





ピンポーン、と私の部屋のインターフォンを鳴らしたのは私が帰宅して差程経っていない時間だった。竜胆さんからはまだ連絡が来ていないし、何か今日荷物届く予定だったかなと玄関のドアを開けるとそこに立っていた人物は、前に竜胆さんの部屋から出てきた女性だ。私が朝挨拶をして無視をされたあの女性。

「ちょっと!アンタ最近竜胆にちょっかい出してるでしょ!!」
「は!?えっ!?」
「知ってるのよ!この間アンタ竜胆と二人でデートだか何だか知らないけれど見たんだから!澄ました顔で私に挨拶してきて裏で笑ってたんでしょ!」
「いやそれは、」

女性は私の部屋に乗り込むが如く声を荒らげて私の言葉には全く聞く耳を持たない。目を釣りあげて睨みつけるように女性は私に大きな声で怒声を浴びさせる。

「アンタみたいなブスなガキに竜胆が本気になる訳ないでしょ!?このっっ」

ヤバいと思った時には時すでに遅し。
目をギュッと瞑った後にはパシンっ!っと乾いた音が狭い玄関に響き渡る。

「泥棒猫ッ!」

バタンっと音を鳴らし閉めたドアに私の頬は熱を帯び出してジンジンと鈍い痛みが襲い出す。






もう少しで20時を迎える。竜胆さんから連絡が来てしまう。
一応保冷剤を当ててみたけれど、勢い良く平手打ちされたからか赤くなってしまっている。今日はとても竜胆さんに会えるような状態では無くなってしまった。竜胆さんから連絡が来る前に私はメッセージを送る。"急用が出来たので今日無理になってしまいました"と。

ハァ、と溜息をつきながら天井を意味無く見上げる。竜胆さんは彼女では無いと言っていたけれど、あの女性は未だに竜胆さんの事を大好きだってことだけは分かった。それにしても怖いなぁ、何処で誰に見られているか分からないんだもん。



時計を見ればいつの間にか20時を過ぎていて、スマホを覗いてみるけれど竜胆さんから連絡は来ていなかった。こんな事があっても会いたかったなぁと思ってしまう自分が情けなく感じてしまう。あの女性に言われなくても竜胆さんが私に本気になるどころかそういう目で見ていないこともちゃんと分かってる。涙が出そうになるけれど、今泣いたら多分泣き疲れるまで泣いてしまう自信があった。それでも涙が出そうになったとき、私のスマホから着信を知らせ見れば竜胆さんだった。一瞬出ない方がいいかとも考えたけれど、鳴り止まない着信に私は通話ボタンを押してしまったのだ。

「…もしもし?」
『開けて』
「えっあ、私今出ちゃってて」
『ウソつけ。俺帰ってきたらお前の部屋電気着いてんの見えたけど?』
「……あ」

ここまで頭が回らなかった私を誰に謝れば良いか分からないが許して欲しい。保冷剤を机に置いて私は玄関へと進む。その短い距離ですら緊張してしまってドアを持つ手は微かに震えてしまった。

ガチャりと開けると同時に彼の手がグッとドアを引き私は思わず俯いていた顔を上げると、眉を顰めながら私を見下ろす竜胆さんの顔がすぐそこにいた。

「…体調ワリイの?」
「あ…い、え」
「……上がっていい?」
「それ、は」

竜胆さんは少しの間を置くと私に言った。中々返事をしない私に竜胆さんは伺うかのように私の顔を覗き込むと彼の目が見開いた。

「何でお前頬っぺ腫れてンの?」





言うつもりは無かったし、出来れば知られたく無かったのに竜胆さんは私の部屋へ上がり込むと勝手に冷蔵庫を開けて新しい保冷剤を私の頬へと当て再度私へ口にした。

「どうしたの?ソレ」
「……」
「誰かにやられたんだろ?」
「……」
「…俺には言えねェ?」

何てこの場を乗り切れば良いのか案なんて思い浮かばず私は黙り込んでしまう。竜胆さんは私の返答を待つ。すると竜胆さんは私の頭をそっと大きな手で撫でたから、私はついほんの少しだけ顔を上げ竜胆さんの瞳と目が合ってしまったのだ。

「教えてくれるよな?教えてくんねェと今日俺帰んないけどいい?」
「あ…えっと、その…」

私の口から出た先程の経緯を竜胆さんに少しずつ話す。話している際は竜胆さんは静かに聞いていたが、私が話し終えた瞬間彼の喉から出た声音はとびきり低く、そして私が知らない竜胆さんの顔つきだった。

「あークソだな。頭悪ぃ女だワほんと」
「…え?」

ビクッと体が小さく跳ねて背筋が凍るような感覚。竜胆さんの目付きは据わっているかのように鋭い目付きでいつもの垂れ目な感じはまるで無かった。別世界の竜胆さんを見ているような感覚。しかし竜胆さんはまるで無かったかのように私へと視線を合わせると私の頬をそっと撫でるのだ。

「ゴメン、怖かったろ。俺のせいで本当にゴメン」
「いっいえ!竜胆さんのせいじゃないですよ!私、大丈夫です」
「…強がってんの丸分かりだから。マジでごめん」

笑顔を作ってみたけれど直ぐにバレてしまった。竜胆さんにそんな謝られると困ってしまう。どうすれば良いのか分からなくて竜胆さんの顔を見たらとても悲しそうに曇っていたから、私の目からは知らない間に涙が流れてしまっていたらしい。泣きたくなんかないのに、思考とは別に出てきてしまう涙に必死で泣き止もうと両手で涙を拭くと竜胆さんは私を抱き締めたのだ。

「嫌な思いさせてゴメンな。俺、お前以外に興味無くなっちゃってさ。しつこかった女とかそういうの全部無理矢理切ったんだワ。その当てつけにお前ンとこ俺がいないの見計らって来たんだろうな」
「りっりんどうさん!?」
「…好きな女は今までいなかったし遊んでたっていうのは変わりねェけど。好きな女が出来たら別じゃん。お前の男になりたくなっちまって、そしたら他の女とかほんとどうでも良くなっちゃってさ」
「えっあっちょっ」

情報過多過ぎて私の頭はキャパオーバーしていく。竜胆さんは軽く息苦しさを感じる程の強さで私をきつく抱きしめる。

「でっでも竜胆さんって綺麗なお姉さんが好きなんじゃなかったんです、か?」
「…誰もそれがタイプだとは言ってねェじゃん。俺的に可愛くて直ぐに顔赤くするお前がどタイプなんだけど?」

竜胆さんの言葉が耳に届いた瞬間、私の目からは今日一番の涙が溢れ出した。嗚咽を漏らす私に竜胆さんはギョッとしたのか驚いて抱き締めていた腕を緩めた。

「わっ私だって竜胆さんが好きなんですよお〜!ヒック。りんどっさんが好きでっ…で、でもッ、ガキだし絶対りんどおさん私のこと、そっそんな目で見てくれないと思ってたからッ、」
「ンなことねェよ。好きじゃねぇオンナ飯誘うほど俺優しくないから」
「いっ行きたかったんですっ、きょ、今日のご飯も私すっごい楽しみにしてて、うぇ」
「うん、これからお前の好きな所沢山連れてってやるから」

私の背中をポンポンと優しく叩く竜胆さんに私は暫くひっくひっく、と涙が止まらなかった。それでも竜胆さんは迷惑がらず泣き止むまでずっと撫でてくれ抱き締めてくれていたのだ。





涙が落ち着きを取り戻しても心臓は未だ爆発一歩手前ぐらいに音を鳴らしていたのにも関わらず、竜胆さんは私へサラりと言った。

「なぁお前ここより広いとこ引っ越さねェ?」
「…広いとこ、ですか?」
「あー、ここ狭ェしセキュリティもなってねェしさ」
「でも私お金が…」

私の返答が面白かったのか竜胆さんは一瞬の間を開けると小さく吹き出し私のおデコにコツンと指を当てた。

「バーカ。お前と暮らしたいって言ってんの。それに女に払わすワケねェじゃん」
「えっっ」
「…甘えて欲しいんだけど、ムリ?」

にやあっと悪戯っぽく笑いながら問う竜胆さんは私の反応を見て楽しんでいるようにも見える。ポッポッと泣き腫らした顔を染めると竜胆さんは目を細めて更に続け様に言うのだ。

「オマエ俺が何でこんなとこ引っ越さずにずっと暮らしてたか分かる?」
「あ、思ったことはありますけど…分かんないです」
「教えてやるよ」

竜胆さんはちょいちょいと軽く手招きするから顔を近付けると、私の耳元で囁くように耳打ちする。その言葉を聞いた私の表情に、竜胆さんは両口端を三日月のように上げた。






「俺のお隣さんが前からずっと可愛いなって思ってたんだワ」





−−−−−−

竜胆が好きだったモブ女

竜胆にすぐナマエに手を出したことがバレて見つかってしまい、泣き叫ぶ女だが竜胆は何にも動じず笑って手を下す

「俺の好きなオンナに手ェあげて無事でいられるワケないじゃん」

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