小説 | ナノ

未来の旦那は三途様


※梵天軸






私は彼らが"梵天"を立ち上げた当初から働いている古参じみた者である。給料に惹かれ面接を受けに訪れたあの日がもう懐かしい。事務所に入って早々目に映るのは白髪男のこめかみに彫られた墨。え?来る所間違えた?とその場で石のように硬直するも束の間。目先のイスに座れと顎で指された私の面接場所は間違っていなかったらしい。

たじろいながらも質素なパイプ椅子に座らされ、そろりと白髪男へ目を向ければデスクで書類を漁る姿が目に映る。冷え込んだ室内に生唾を飲み込み、あの時ほど早く家に帰りたい!と思った日はないだろう。まぁその彼とは九井一君というのだが、今ではこの組織の中で一番の気苦労者で常に疲労しており、偶に相談を受ける仲になるとはまだこの時知る由もない。そしてそんな彼から「サインして」と書類とペンを持たされたことが運の尽き。ホラ早くと威圧感を表に出した彼は後に言う。

「あん時は人手が足んなくて正直誰でも良かった」

なんてこった!
しかし私はこういう場で上手く断ることが出来ない性格。その為、ろくに仕事内容も聞かず恐怖と焦りから「ひぇ…」とサインをしてしまった。これが凡人生活から反社の道へと足を突っ込んでしまった原因である。



この組織に入ってから、実家の父と母には顔向けが一生出来ないことを色々としてしまった。反社に向いているかどうかだなんて決める事自体が間違っているが、私には向いていない職種ということだけは明らかだ。

まだ入社して数日、頬に血をつけて帰って来た兄弟の片割れの兄、蘭君が「血がついちゃったァ、拭いてくんね?」とそれはもう笑顔で呑気に言ってきたあの日のことは忘れない。
常人よりも1つ2つと狂った思考の持ち主の彼らも流石に私を人殺しにさせることはしなかったけれど、警察のお縄につく仕事内容だったのは確かである。クスリの押収だとか、危ないおじ様たちの元へハニトラとして駆り出されるだとか。しかしどうにも上手くいかない。これは私が仕事をこなせないのではない。そういう場に慣れないだけだ。というか慣れる筈がない。だって私は生まれてこの方、死と隣り合わせだなんて言葉とは無縁な生活を送っていたのだから。

「色気ってのをもっと出せねェの?お前ほんっと向いてねェよなぁ」
「コイツ元が童顔だからキツいよな、胸も小さくて貧相だし。でもさ、辞めさせるにもウチの内情知ってんじゃん?普通に辞めさせること出来なくね?」
「あー…俺は貧乳でも可愛がれるけど竜胆巨乳好きだもんなぁ。っま、辞めさせんのについては同感だワ」
「らっ蘭くんも竜胆くんも酷いです!ってか体は関係ないじゃないっすか!セクハラですよ!」
「「あ?」」
「…すみませっ」

ニマニマと笑みを浮かべる兄弟に、私は本当に殺されるのかもしれないと真剣に怯えた。パンピーな人間の反応を楽しむ彼らは「かわいそうに」と口に手を当て揶揄うのだ。半泣き状態で遂に涙が零れ落ちそうになったとき、一番使えない奴を笑顔で排除しそうなウチの幹部のNO.2が口を開いた。

「まだ使えんだろソイツ」

あの時だけは三途君が神かと思った。どちらかと言うと地獄に住んでるような悪魔が似合うけど、神に見えた。

「う"ぅっ、しゃっしゃんずぐんっ!ありがとうございます!助かりましだっこの恩は必ず!」

まさか自分が彼に感謝する日が来ることになろうとは。
三途君の灰谷兄弟へと向けられていた目線が此方へゆっくりと移り私の元まで歩み寄ると、彼は覗き込むように屈んで私をじっと見つめた。その顔はこの世のものとは思えず、自分の発言をすぐ様後悔する。


「へぇ……んじゃ、誠心誠意しっかり役に立つよう働けや。ウチ、使えねェ奴はいらねぇの」


やっぱり悪魔だった。
ニタァと意味深に笑った顔は本当に同じ人間かと思う程、それはもう恐ろしい顔をしていた。しかしこれを機に私は単純なので、彼に対し気まぐれだろうが何だろうが命を助けて貰ったのは事実だと仕事に励むようになる。勿論魚のエサになりたく無いが大前提ではあるが。仕事内容は主に事務仕事で、たまにココ君の代わりに取引先について行ったりもする。わたし的にはその方が有難かったし、気持ちも幾分楽だった。


「三途くんっ!わたし頑張るから!」
「んな口開く暇あったらとっとと仕事しろや殺すぞ」


パワハラの鏡かよ、と思った瞬間だった。





ここに働き初めてもう時期7年が経とうとしている。未だに私は魚に食べられていない所か部下の方々には「〇〇さん!おはようございます!」と幹部同等の扱いを受ける立ち位置にいた。三途君含め皆は言う。「口開くとバカなんだよな」と。バカは余計だが今生きてることに感謝してる。

そして寂しいことに私は実家を離れて一人暮らし。周りは結婚していく友人も多く、まず予定も合わなきゃ誘い誘われも減るわけで休日も1人で過ごすことが多くなった。毎日帰宅してはテレビが友達という寂しい奴。27才、出会いがない。彼氏はこの組織に入って直ぐに別れて以来出来てはいない。というか、こんな反社で働いていて普通の男を彼氏に出来る気がしなかった。

そういえば、私が入社したのもこんな夏の暑い日だった。はぁ、と横にいる男に聞こえない程度にため息を吐く。私が元カレと別れたのは三途君がひとつの原因でもあったなぁと思い出しながら。

スラッとした長い指がタバコを挟みキンッとドュポンのライターの響いた音が私の耳へ届く。このライターは年季が入っており、昔の世話になった人に貰った物らしい。やる事なすこと極悪非道な彼がそんな大事にしている物だなんてと気になり聞いてはみたが、誰かは教えてくれなかったのでそれ以上は深く聞いてはいない。時期にメンソール特有の香りが鼻を掠め、私はスマホから顔を彼に向けると羨ましいくらいの長いまつ毛を揺らした瞳と視線が合わさった。

「なに見てんだアホ」
「は?アホじゃないし!ってか三途君の一服に何で私が着いて来なきゃいけないワケ?」
「あ?ンなもんこんなクソ暑ィ中俺が運転してやったからだろうが」

してやったとは実に三途君らしい物言いだ。俺様過ぎるんだよこの人。
コンビニ前の喫煙所。うだるような暑さに私の額には汗が滲むけど、ゲェッとした顔をする癖に汗を余りかかない三途君に疑問を覚える。

今日は珍しく三途君の商談に同行していた。"お前は俺が話し掛けるまで絶対に話すな"という彼の言葉にムッとしたが、悲しいことに私が取引先に出向いた所で役に立てない事はこの数年で痛感したので、言う通りにしていたお陰か今日の彼は機嫌がよろしい。

「わたし車で待ってたいんだけど。暑くて死んじゃいそうだから鍵かして」
「は?こんくれェ我慢しろ。たかが5分程度だろうが」
「その5分が長いんだってば。今日の商談に使った資料、私が全部作ったの忘れてない?」

チッ、と舌打ちをする彼に私はふふんと笑ってみせる。
この商談が決まったのは2日前。この短い期間プライベートの時間を削って資料を作った。まぁ彼は出来て当たり前人間なので、褒めてくれることはまず無いに等しいのだけれど。

夕方であってもこんな真夏日ではいくらクールビズに特化したスーツでも暑いものは暑い。手で顔を仰ぐも余り意味はなく、これではメイクもきっとよれている。スマホのインカメで顔を確かめるも「たいして変わんねェよ」と失礼極まりない言葉を吐かれムカついて睨んでやった。フン、と鼻で笑われただけだったけど。

結局三途君が煙草を吸い終わるまでの間わたしは文句を言いつつも暑い中大人しく待ち、茹で上がる寸前の体で車に乗り込み涼しい車内の中で息を吹き返したのだ。

「あー暑かった…ってか今日何で運転部下に頼まなかったの?」
「あー…べっつにィ。どうでもいいだろうが気分だわ気分」
「まぁ三途君が良いんなら良いけどさ。あ、もっと温度下げて」
「テメェがやれや」

温度を下げるよりも先にコンビニで買ったペットボトルの水を二口飲むと、三途君は私の手からひょいと取り上げまるで自分の物かのように水を口にした。涼しい顔してたけどやっぱり暑かったんだ。

「あ、そうだ」

時刻はもうすぐ18時を示す。蓋の閉められていないペットボトルを三途君は私に手渡すと、口角を上げて目を細めた。

「今日の商談ちゃんと大人しくしてやがったから飯連れてってやんよ」
「えっ!いいの!?」
「犬かテメェは」

途端に笑顔になる私に三途君は片口端を上げる。別に奢って貰えるからという図々しい考えから明るい声が出たのではない。…少し早いけどご飯時だし?なんなら今日の私の仕事は終わりだし。言われてみてお腹が急に減ってきただけだ。そんな私を三途君は見越していたかのように「現金なヤツ」と小馬鹿にするが、それについては否定が出来ずに羞恥心が少しばかり襲った。

「何食いてェの」
「パスタ!」
「却下。この間行ったばっかじゃねェか」
「あぁそっか。じゃあ最近出来たカフェは?」
「先月もそう言って行ったろうがよ。別んとこにしろ」
「んー…確かに。じゃラーメンとか?」
「ハァ?昨日食ったから無理」

意味わからん。
何食いたいか聞いてきたから行きたい所ピックアップしたのに尽く断るって矛盾してないか?

「三途君が何処行きたいって聞いてきたんじゃん」
「お前の言うとこ全部毎回同じで飽きた」
「はんっ!?」

わたし知ってる。彼は昔からこういう所があるのだ。でも確かに三途君の言う通り毎回同じようなものを食べに連れて行って貰っている。だって好きな物って早々変わらないし。じゃあ初めから三途君が決めてよ、と口を尖らせれば丁度車は赤信号で止まった。ウィンカーの音がカチカチ鳴る車内の中で三途君は少々考えると口を開く。

「焼肉行くかァ」
「いいね!行く!」


私はやっぱり現金なヤツである。





美味しいものを食べれるって幸せ。それが好物なら尚更だ。
ここのお給料は申し分ないのでお金には困っていないが、まずお高い所はそう行かない。たまぁに灰谷兄弟が連れ出してくれたり、たまぁにココ君の愚痴を聞く為に連れて行って貰うくらい。うそ、一番私をご飯へ連れ出してくれるのは三途君である。

「おい、焦げてんぞ」
「へ?あっヤバ!ってか三途君ももっと食べなよ」
「あ?俺ンな食えねェもん。早く食わねェと帰んぞ」
「え!?さっき来たばっかだけど!?」
「オメーと違って俺まだ仕事残ってんの。とっとと食えや」

目の前に置かれた見るだけで頬が緩む霜降りのお肉たち。これらほぼ三途君が頼んだものである。二人では食べきれ無い量の肉を目の前にし、自分は焼かずに私に焼かせる所まではいい。ただ時間が限られた中でこれを全て食えというのが問題な訳で。

「食えねェなら残せばいいだろうが」
「残すわけないじゃん!全部たべるよ」

くつくつ笑う彼は私の食べる所を見ているだけで毎度余り手をつけない。初めは食べてる所を見られるのは恥ずかしかったが今ではもう慣れた。

「そういえばさ、私が入社した当時彼氏がいたの覚えてる?」
「あん?誰がァ?」
「わたしに。でも三途君のお陰で別れちゃったんだよね」

焼いたばかりのお肉を頬張っていると、三途君は弄っていたスマホから顔を上げ眉を顰めた。

「なァんで俺のせいなんだよ」
「だって三途君のせいだもん」

あれは三途君と取引先に出向いていたときのこと。
取引も無事終わり、さぁ帰ろうとした矢先に外回りしていた元カレと出くわしたことがあった。どう見たって仕事の格好をしているのに、浮気か詰め寄る元彼と口論になってしまったのだ。

『っだから仕事だってば!ッぅわ!?』
『どーもォ。いつもウチのナマエがお世話になってまぁす』

口論の最中、いきなりグイッと引き寄せられたかと思えば三途君はわたしの肩に手を掛けて飛び切りの笑顔を元彼に見せた。その意味深な言い方と距離の近さが仇となり元彼とはその場で破局。泣く私とは正反対に三途君は喜んでいるように見えた。流石は悪魔である。



「あの時一緒に働いてる同僚だって言ってくれれば良かったものの…」
「はぁ?どっちも一緒だろうがよ」
「そりゃ…そうなんだけど」

三途君は、長年一緒に働いていて何だかんだ一番話しやすい。いつの間にか「殺すぞ」と脅すような発言はされなくなったし、寧ろ時間が合えばこうして一緒に過ごすことも多くなった。多分私のことを組織の中で彼が一番よく知っているし、分かっていると思う。まぁ私がこんな感じの性格の為、扱いやすいからだろうけど。最近ではこんな自分の内情を話してしまえる仲になってしまった。

「つぅかまだンな奴のこと気にしてたワケェ?」
「そんな訳ないじゃん!ただの思い出話だよ。でもまぁ私も27だしさぁ、そろそろ結婚したいなとかって思うけど…こんな仕事してちゃお嫁になんて一生いけない」
「なにお前結婚してェの?」

ブハッと吹き出した彼に私の頬はぷぅっと膨らむ。でも私がムッと顔を歪めていたのはほんの数秒。彼はトングで肉を挟み私の皿に焼けた肉を乗せるとにこりと微笑んだ。


「俺が嫁に貰ってやろっか?」


「へ…」


聞き間違いかと思った。

だって普通にご飯を食べていて、普通にいつも通りの会話をして、普段通りの私たちだったから、聞き間違いだと思ったのだ。

「どっどういうこと…?」
「だぁから嫁に貰ってやるって言ってんの。何で分かんねぇんだお前。マジモンのバカだな」

私と三途君は言わばこの"梵天"ができた頃から一緒に仕事をしている同僚である(三途君が実際どう思っているかは知らない)。でもそれ以上の関係ではないことは確かだ。

「いや、でもその…え?」
「お前と俺、結構気ィ合うと思うけどォ?」
「…はい?」

私の脳内はアルコールが入っていないのにも関わらず、咄嗟の出来事に思考回路は上手く回らない。
だって三途君は私の事をバカにするし、からかわれることは日常茶飯事。大体いつも私が勝手に三途君へ話し掛けているだけである。確かに話の流れでその中に好きな物の共通点が幾つかあり、たまに頷いてくれる彼と話をするのは楽しいなと思うけど、まさかそれが結婚に繋がるとは誰が思うであろう。しかもこの長い期間の間、私と三途君は勿論仕事仲間であることが前提で、恋愛の話をすることは今までに一度もなかったから今の私は非常に驚いているし、どう返すのが正解なのか分からない。

「じょっ冗談はやめてよ。ははっ三途君らしくない」
「冗談に見えんの?」
「えっ!?」

動揺を隠せないわたしと、頬杖ついて小首を傾げる三途君。どういうこと思っての表情なのそれ。灰谷兄弟ならば"いつもの事"で済ますことが出来るのに、三途君にこんな事を言われるだなんて思っていなかった私はつい言葉に詰まる。

「…ほ、本気で言ってる?」
「さァ…どうでしょ」

どうでしょって何!?
三途君、時折訳の分からないことを言い出すときもあるが今日の今、この時が一番分からない。

「あ…え、と。その」
「ゲェ、もうこんな時間かよ。お前もうそれ残せ。送ってやっから帰んぞ」
「…は?」

スマホに目を移した彼は顔色1つ変えずに帰り支度をしだす。わたしのお目目は点である。

この状況で…は?帰る?
え?今の話は何だったの?

呆けている私を他所に三途君は私のバッグを持つと無理矢理手を掴み引き起こす。網に乗っかっていた高級肉は無惨にもまっ黒焦げだった。





あの日から数日。三途君は至って普通、私だけが平常心でいられない。

今日は取引先との会食に出席しなければならなかった。ウチが受け持っているキャバの綺麗な女の人達を寄せ集めご機嫌取りの会のようだが何故私まで…。でも仕方がない。私もその取引先との商談に出向いていた為に出席せざる追えなかったのだ。

「おせぇんだよノロマ」
「あっ!?待ってっ、すぐ行きます!」
「……九井が先に行って待ってっから早く行くぞ」

無駄に意識してしまって敬語を使ってしまう自分を何とかしたい。
あの日の発言から、私はずっと変だ。三途君といつものように顔を見てお話する事が出来ない。でも誰だってあんな事を言われてしまったら意識しない方がきっとおかしい。

"男の1人もいねェの?寂しいヤツ"みたいな意地悪からの慰めみたいなものだったのだろうか。いやでも泣く子も黙る梵天の三途君がそんな気を使う人間にはとても思えない。でもわざわざそんな人生一大イベントなる言葉を普通あの場でウソ言うか?私が本気にしたらどうしてたの?そもそも三途君って私が好きなのだろうか、とか色々考えてしまって気分は中学生の思春期。最近はよく眠れていない。

「お前体調でもわりぃの?」
「あっ?いやっ!?めちゃくちゃ元気ですがっ」
「…ふぅん、あっそ。まぁいいけどよォ、んなシケたツラ向こうに見せんじゃねぇぞ」

元気に両手を振ってみるも三途君は変な者を見る目付きで苦笑する。アンタが原因だよ!だなんて当然言えない。
スタスタと歩いて私の一歩二歩先へ歩く彼に、やっぱり三途君が私を好きだなんて有り得ないと思いながら、彼の後ろ背を足早で追った。





「きゃあ!三途さんとお話出来て嬉しいですぅ」
「最近お店に顔出してくれないからあたし寂しくってぇ」
「あー…わりーわりー。最近忙しくてよォ」
「もー!でも今日会えたから許しちゃう」
「許してくれんの?アリガトー」

な、なんじゃありゃ。
キラキラ輝いている女の子たちは三途君が現れた途端両腕に引っ付いて飛び切りの笑顔を見せる。隣にいた私は眼中にないようだった。ってかこれは偏見だけど、「くっつくな」とか言ってあしらいそうな三途君は何処にもいなくて、女の子にされるがままの彼に私は目を疑ってしまった。女の子たちがこぞって彼に話し掛けているのにも嫌がらずに答えていて、え?三途君てこんなに女の子たちに優しいの?と思えばなぜだか急に胸が息苦しい。

「おいナマエ」
「へ…あ、ココ君」
「分かってると思うけど、ここの取引先とは長ェ付き合いになる予定だから失礼な態度はくれぐれも取るなよ。なんかこのオッサン、お前のこと気に入ってるみてぇだからさ」
「え、そうなの?」

私の肩に手をポンと置いたココ君の目の下には真っ黒な隈が出来上がっていた。最近社で仮眠を取っているとは言っていたが、ふらふらとした足取りの彼を見るとそろそろ時期に倒れるんじゃないかと心配にもなってしまう。

そうして始まった会食は、普段こういう場には余り来ないせいもあってか気を使うものでしかない。

「前から可愛い子がいるなって思ってたんだよ」
「へへ、ありがとうございます」

隣に美女が着いているにも関わらず、私を隣に座らせたこのおじ様は距離が近い。なんならさっきから太腿辺りをベタベタ触ってきて気持ちが悪い。大事な取引相手なのだからと笑顔を作るも、こういう時のスキルは身につけておくべきだったと今一度反省した。やはり私にはこういうものは向いていない。

時間が過ぎるのがとても遅く感じる。
飲めと酒を注がれて、美味しいと思えない酒を何杯か飲み、愛想笑いを浮かべるなかでたまに三途君の方に目がいってしまう。彼が女の子に囲まれているのを目にすると、さっきから何だか胸の奥がむず痒いし、モヤモヤするし、つまらなくて、私は一体どうしちゃったんだろ。

「どうした?酔っぱらっちゃった?」
「あぁ、いえ。お酒普段余り飲まないので」
「顔赤いもんなぁ、本当君可愛いねぇ」

猫なで声で囁くように言われ、場にいる人達にバレないように私の手を握ってきたこの男にゾッとした。耐性がまるでない私は上手くあしらうことが出来ずに体には嫌な汗がじとりと流れる。こういう時どうすれば良いんだっけ!?と数年前に数回ハニトラをした少ない経験を必死で思い出すも「えへへ…」と笑うことしか出来なかった。
間近にいるココ君に助けを求めようとすれば別の方と話をしている。どうしようと思っていると繋がれていた手は直ぐに離れて、その代わりに私の体は椅子からひょい、と起こされた。

「…あっ」
「あー…すんません。コイツもう結構酔っちまったみたいでェ、俺も仕事残ってますんでお先に失礼します」
「なっ、お前っ!」
「悪いっすけどコイツただのウチの雑用なんですよ。アンタの為に用意した女たっくさんいるでしょ?ソイツら使ってやって下さいよ」

ニッコリと笑い私を引き起こした彼は紛れもなく三途君だった。一瞬で場がざわつき始めるも何食わぬ顔で無視をし、私を連れて彼はその場を後にする。





「ちょっ、三途くっ、やばいよ!戻んなきゃ!」
「あ?別にヤバくねェけど?あそことはもう契約済んでるしウチに楯突くこともう出来ねェよ」
「やっそういう問題じゃなくて!」
「だから九井に任せときゃ大丈夫だって」

三途君は関係無いとばかりに私の手を繋いだままイラついているのか早足で歩を進める。これは絶対に100パーセント明日九井君に叱られるだろう。
焦るわたしと正反対に三途君は店を出ると歩いていた足をぴたりと止めた。

「つーかよォ」

三途君は私へと振り返るとわたしの体はビクッと反射的に飛び跳ねた。だって眉間に皺寄せた彼の顔はめちゃくちゃ怒っていたからだ。

「ベタベタ触らせてんじゃねェよ売女かテメェは!」
「ばっ売女!?違うよ!向こうが勝手に触ってきたんだもん!」
「触らせてたのはテメェだろうがよ」
「はっ、はぁ!?」

声を荒らげる三途君に一瞬怯みそうにもなる。
でも私よりもベタベタ触らせてのは三途君じゃん。
それなのに、何でそんな怒るの。

「さっ三途君だって女の子に触られても嫌な顔1つしてなかったじゃん!」
「あ?」

売り言葉に買い言葉のようなもので、言うつもりなんて無かったのについ言ってしまった。
あっ、と思ったときにはもう時既に遅し。彼の瞳は三日月型に細まり、私は思わず息を飲んだ。

「や、これは違く、て」
「へぇ…それってさぁ、ヤキモチってやつ?」





外で待機していた社有車に乗るも始終無言の私たち。車内の空気はいつもと違うし、なんて事を言ってしまったのだと脳内で自分を殴る。ちらっと横目で彼を盗み見ても、口を開くことがどうしても出来なかった。そうしている内に社有車が止まったのは一件のマンション。

「え…とここは」
「俺ンちに決まってんだろうが」
「あっですよねぇ。じゃっじゃあお疲れ様でぇす」

やっと口から声が出るも一刻も早く三途君から立ち去りたくて、平常心のフリをして見せる。だけど彼はそれを良しとはしない。

「ハァ?テメェも降りんだよ」
「えっ、ちょ!」

半場強引に私を降ろし運転手に「お疲れェ」と告げるとまた私の手を引いて歩き出す。運転手の子だって「えぇ!?」と驚いていたけれど、無理もないだろう。
この時点で心音は通常より遥かにキャパを超えて音を鳴らしていた。ドッドッと早る音と共に三途君を直視出来ない。自分が今になって三途君に対してこんな感情を持っていただなんて、何で今まで気が付かなかったのだろうか。

連れられるがまま三途君の部屋に着くと、彼は早々にジャケットを脱いでソファに座り、私の顔を見て口を開く。

「別にお前がいなくても仕事は回る」
「は、」
「バカなお前を辞めさせずに誰でも出来るような仕事をわざわざ回して、お前がこんなとこで呑気に生き延びれてんのがなんでか分かんねェの?」
「そ、れは…」
「全部俺がお前のこと好きだからだろうが」

彼の瞳が、私の視線を捕らえる。

三途くんが、私を、すき。

頭の中で三途君が言った言葉を復唱すると、途端に顔はぶわぁっと分かりやすく熱を帯びていく。そんな私を楽しむかのように小さく笑った彼はどこか優しげで、艶やかに見えた。

「男なんてさァ、単純なの」

煙草を取り出した三途君は、あの思い入れのあるらしいライターを使い火をつける。

「好きなオンナに好きんなって貰いてェから、飯でもつまんねェ話でも何でも知りたくてお前と居れる口実作ってたんだワ」
「…じゃ、じゃあ私にいつも話合わせてくれてたの?」

三途くんはゆっくりと一口煙草を吸い込むと、少しだけ考え込むかのように煙を吐く。

「いや?お前の好きなモンは全部すき、つぅかお前が好きだから好き」

ほんっとおめぇは頭が鈍いな、と三途君は小馬鹿にする。でも、そんなことどうでも良かった。うるさいくらいに鳴り響く心臓の音と共に、嬉しいという心情が私を襲う。


「で、お前は俺の事どう思ってんの」

「わ、わたし…は」


三途くんは、私の返答を焦らず待つ。彼の煙草の香りは嫌いじゃない。ソファに座っている三途君の元へと近付いて、彼が咥えていた煙草を人差し指と親指で抜き取ると、彼は驚いたように目を見開いて睫毛が揺れた。

「いつも使ってるライター、誰に貰ったの?」
「あ?」
「ずっと大事にしてるみたいだし、もっ元カノとかに貰った物だったら嫌だなぁ、って」

三途くんは呆けた顔をする。三途くんでも、こんな顔をするんだって人間だから当たり前なのにそんな事を思ってしまった。

「仕事、だから仕方ないけど、今日みたいに女の子とくっついてる三途くんを見るの、嫌。……凄く、いやだった」

少しの沈黙につい伏し目がちになってしまうと、三途君は私の手から煙草を抜き取り灰皿へと押し潰す。

「お前めちゃくちゃ俺のこん好きだろ」
「はっ、はぁ!?それは三途くんでしょ!」
「その"三途君"てのやめろ。はるちよ、って呼べ」
「えっ」

彼は私を寝室へと連れて行く。優しくベッドに寝かされ私を見下ろすその目つきは見たこともないくらいに甘くて、色っぽくて、それでいて優しかった。

「安心しろよ、アレは昔世話になったチームの隊長から貰ったやつ」
「あっ、さんっ春千夜く、」
「でぇ他の女のこんだけど、お前に勝る要素一個もねぇから。これっぽっちも眼中にねぇわ」

もうこうなってしまっては三途君のペースに呑まれていくだけである。息を吸うのもやっとのキスをされ、唇が離れた私は緊張と恥ずかしさでどうにかなってしまいそう。そんな私を彼は妖艶な目付きで見下ろしながら私の頭をそっと撫でた。



「ずっとずーっと、お前見るたんびに好きって言いたかったよ」





−−−−−−−−


「結婚おめでとうナマエ」
「へ?」

次の日の朝、私が必死でココ君に昨日の件を謝罪していると我らのボスがココ君よりも酷い隈をこさえながら私の元へと現れた。

「けっ、けっこん?」
「するんだろ?三途と」
「えっっ!?」

いつの間にそんな話になっているのだとボスの後ろにいる三途君へと視線を移せば、めちゃくちゃ楽しげに口元に弧を描いていた。

「いっいや?えっと、結婚?」
「前に嫁に貰ってやるって言ったろうがよ」
「いや言ってたけど、え?」

それって付き合う為の話の流れで言ったんではなくて?へ?

「何か祝いにやるよ。何がいい?」

グイッと顔を寄せるボスにたじろぐ私と、とても嬉しそうな三途君。そしてココ君はというと、私の隣でキャパオーバーしたのか意識が飛んでいた。






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