小説 | ナノ

あの子を取られる前に


※梵天軸

※妹だと思って見ていた竜胆×主×1人の女としてちゃんと見ていた三途


私の好きな人は、私のことをいつも"妹"的な存在として見ている。


「じゃあさ、俺が話通してやろうか?」
「へ?」
「竜胆と離れたくねぇんだろ」


大事な幼馴染の1人である蘭ちゃんは、オーダーメイドのスーツに身を包んで煙草を一口深く吸い込んだ。しくしくと泣いていた顔をあげると、私の好きな人と良く似た目が困ったように私を見つめて笑っている。

「えっと、わたし…その、なんで?」
「んー?叶うかは別として健気なお前が可哀想。…つーか離れたくなきゃ今まで通り近くにいることぐれェはいいんじゃねぇの?」

竜胆、近い奴には疎いから、と私よりも3つ上の蘭ちゃんは片眉を下げた。蘭ちゃんは、私のことをよく知っている。私が幼い頃から竜胆の事を好きだったのも、また竜胆が私の事をそういう目で見ていないことも知ってる上で、言っているのだ。蘭ちゃんは煙草をガラスの灰皿に押し潰すと私の頭を一度だけ撫でる。蘭ちゃんの手首からふわりと香水の香りが香って、私は思わず息を飲んだ。


「3日やるからよく考えろ」


高校卒業したての春休み、私の人生はこの一言により、一変した。






今日は定時前というのにも関わらず珍しく一日の定められていた業務が終わってしまった。他に急ぎの仕事も無く、定時まで暇を持て余した私はパソコンのカーソルを意味も無く動かしながら、ぼんやりと入社した当時を思い出していた。

「ハ?お前何でここにいんの?」
「え…えっと」

本来いる筈のない私に竜胆は分かりやすく驚きを見せた時のこと。その顔つきがすぐ様怒りに顔を歪めた竜胆に、私は言葉を詰まらせた。早く言葉を探さなきゃと思うけど、そういう時に限って思い浮かばないものである。喃語しか出せない私の肩をポン、と軽く叩いたのは蘭ちゃんだ。

「ンなピリピリすることねぇだろ?いいじゃん、コイツ俺らと離れたくないんだってさ」
「離れたくねェって、」
「まぁ仕事内容はそこらの職場と変わんねェんだから大丈夫だろ。お前気にしすぎ、コイツはもうガキじゃねェよ」

蘭ちゃんが神様に見えた。
竜胆は蘭ちゃんの言葉に弱いから、まだ何か言いたげだったけれどそれ以上口にすることは無く口を閉じる。その代わり納得がいっていないと態度に凄く溢れていたけれど。

「蘭ちゃんごめんね、ありがとう」
「ん?良いよ別にこんくらい。まぁお前も竜胆と同じくらい大事だからさァ」

蘭ちゃんは「気にしない気にしない」といつもの口調で私を慰めてくれて、その優しさに涙がほんの少しだけ滲んだのを覚えている。

その日から暫くは竜胆と顔を合わすのが気まずかったけれど、月日が流れていく内に私たちは徐々に元の関係性へと戻っていったのだ。でも、ここまで追い掛けて来ておきながらあの頃から恋愛面に関しては何一つ進展していない。

「…はぁ」

誰も居ないことを良い事に、大きなため息を一つ零す。するとタイミング良く事務所のドアが勢い良く開き、振り向けばドアを開けた張本人が私の元へとズカズカ歩み寄って来た。

「おい、あん時の資料はもう出来てんのか」
「げっ……おっお疲れ様です。資料は出来てます。そこのファイルと一緒に置いてあるのがそうです」
「あ?その態度はなんだテメェ」

蘭ちゃんにこの職場を紹介して貰ってもう随分と時は経ち気付けば27才。あの時決まっていた就職を蹴ってまでこの世界に入ったことを今更後悔はしていないけれど、この桃色髪の上司である三途さんだけは数年働いている今でも苦手意識が耐えない。つい漏れてしまった心の声が三途さんの耳にはしっかりと届いており、眉をピクっとひくつかせると私の頭を容赦なくぐしゃぐしゃと回し撫でた。

「やっやめて下さい!ほっほらコレ、頑張って作りましたから!懇親の出来ですよ」
「ンなのパソコン使える奴なら誰だって出来んだろ。自惚れんなカス」
「はっはぁ?カスって酷くないですか!?二日で作れって言った資料を一日で作ったんですよ!?すげぇ急ぎって言うから!」
「あそォ、そりゃご苦労さん。ンじゃ褒めてやるよ。すげーすげー」

くっ、ムカつく。別に褒めて欲しい訳では無いけれど、残業してまで作った資料にありがとうぐらい言えないのだろうかこの人は。私はこのお陰で次の日寝坊して九井さんに軽く叱られたというのに。…これは自分の落ち度だけど。
棒読みで私に視線を合わさず渡したファイルと資料をペラペラと捲るこの男をバレないように睨みつけてみる。この人は出会った頃から物言いが斜めに上目線だったので、一々反応していたらキリがないことは分かっている。だから喉元まで出かけた三途さんへの文句をゴクリと飲み込んだ。わたし、大人なので。

「んだその顔は。お前いっつも不貞腐れた顔してんな」
「は?」
「ちっとはニコニコ笑えねェのかよ。シワ増えてババァになんぞ」

私の眉間には更に皺がぎゅうっと寄った。逆に三途さんの顔はみるみる内に楽しそうな顔に変わっていき、私の反応を見て楽しんでいるようにも思える。誰のせいでこんな顔になってると思っていやがるのだ。私は大人だと再度また頭の中で復唱したが、流石にちょっとカチンときた。

「上司が私にいつも突っかかってくるので泣きたくなっただけです」
「あ?誰のこと言ってんだ」
「さぁ分かりません。でも髪がピンクの人ですね」

三途さんが私を睨むから一瞬背筋が凍りかける。本来ならばこの組織の中で二番目に偉い方である三途さんに楯突く者なら明日の朝日は拝めないであろう。かくいう私も初めの頃は彼の雰囲気や態度に委縮され怖いと思っていたが、ほぼ毎日こうして顔を合わせ絡まれていく内に人は慣れていくものである。

「お前いい度胸してんじゃねェの」
「ひっ…」

前言撤回、やっぱり慣れない。
傷跡がある両口端をにんまりと上げ、少し声のトーンを落とした三途さんは顔をグッと近付け距離を寄せてきた。すると私の体はビクッと震え、数秒前の自分をひっぱたきたいぐらいに後悔が押し寄せる。三途さんのこの笑顔だけで人殺せるんじゃないかってぐらい今のこの顔は、こわい。

「ごっごめ、」
「余り虐めてくれんなよヤク中」
「あ"?」

度が過ぎましたと謝罪しようとしたとき、事務所のドアから聞き覚えのある声がした。声の主へと顔を向けると、そこには私の思い人である竜胆が呆れ口調で三途さんを見ていた。

「テメェ今日取引の筈だろうが。何でいんだよ」
「終わったからに決まってんだろヤク中。っつか離れろよ、コイツ怖がってんだろ」

チッと三途さんの舌打ちは私の耳には届かない。
自分でも分かるほど、きっと今の私は笑顔に違い無かった。

「竜胆さん、お疲れ様です」
「ん、お前もう上がり?」

定時で上がれるのなんて私くらいなものだが、この組織にも一応定時というものは定められている。壁に掛かっている時計へと目をやり見れば、あと残り数分でその時間を迎えることに気付いた。

「そうですね。もう今日のやる事はほぼ終わりなので上がれると思います」
「そ?じゃあ久々に飯行こうぜ。連れてってやるよ」
「えっ!いいんですか!?」

パァっと周りに花を咲かせるほど喜ぶと、クスクスと竜胆に笑われてしまった。気恥ずかしくなり口を閉じると竜胆は笑ったまま「下で車付けて待ってるワ」と言い残し事務所を出て行く。彼はきっと私が食事に対して喜んでいると思っているのだろうけど、私は彼と同じ時間を過ごせることが嬉しくて堪らないのだ。

「…犬みてェに尻尾振ってんじゃねぇよ」
「え?」
「お疲れェ」

竜胆が事務所を出て行ってすぐ、三途さんは心底つまらなそうに一言発すると、私が作成した資料を持って事務所を出て行ってしまった。







間も無く定時の時刻を迎えパソコンをシャットダウンする。三途さんに言われた言葉がモヤる。別に尻尾振ってるつもりなんてないけれど、好きな人に会えたら誰だって笑顔になってしまうものではないだろうか。まぁ、三途さんは私が竜胆の事を好きでいるのを知らないのだから仕方がない。

「…けどそんな言い方しなくてもいいじゃん」

三途さんは度々こうして私に対して嫌味を言ってくる事がある。真に受けないように流そうと思ってもやっぱり嬉しくは無い。目を覚ますように頬を軽くペシンと叩く。いつもであったら九井さんがいるからここでは化粧直しなんてしないが、今日は朝から忙しそうでほぼデスクには居ない。この場をお借りして私は急いでメイクポーチを取り出しよれていた化粧を軽く整えていく。ほんの少しでも竜胆に可愛いと思って貰いたくて買ったばかりのリップを引き、竜胆が待つ車へと急いだ。




「お疲れ様です!お待たせしました」
「ん、いや早くね?別に置いてかねぇからンな焦んなくていいのに」

助手席のドアを開けるとスマホから顔を上げた竜胆が私を目に映す。柔らかく笑みを見せたその表情は、昔から何度も見ているのにいつまで経っても変わらず私の心臓を揺れ動かす。なんてことのない一表情。それに私だけが平常心ではいられないのだ。

「なんか食いてェとこある?」
「えっいえ!何処でも大丈夫です」
「ふはっ、ナマエ。今仕事じゃねェんだから敬語なんか使う必要ねェだろ。いつも通りでいいから」
「あっ!」

クスクス笑う竜胆に私の顔は染まっていく。
いくら幼馴染といえど仕事場では社員と上司の関係性の為に普段は敬語を使うようにしているせいで、こうして二人でいる間も敬語が抜けなくなってしまったのだ。

「…竜胆と話せるの久しぶりだったから」
「ん?あー…最近俺も忙しかったからな。っま、二人ン時は力抜けよ」
「うん、そっそうだね」

竜胆とする他愛もない話は私にとってはとても楽しい時間である。ご飯屋さんに着くまでの間、私はきっとずっと笑顔だった。

「本当はもっと良いとこ連れてってやりてェんだけど今度ちゃんと予約取っとくワ。だから今日はここで勘弁な?」
「ううん、わたしお高い所ちょっと緊張しちゃうからこういう所の方が安心するよ」

連れて行って貰ったご飯屋さんは急だった為に個室の飲み屋。店員から渡されたおしぼりで手を拭いていると、竜胆は目をぱちくりとさせる。彼のきょとん、とした表情に小首を傾げれば竜胆は面白そうに笑い出したのだ。

「どうしたの?」
「いや、こういうとこで喜ぶのが新鮮だっただけ」
「しんせん?」
「高ェもんで喜ぶ女ばっかり見て来たからさ、こういうの良いなって思っただけ」

私は竜胆と付き合ってる訳では無い。ただちょっとだけ幼い頃から一緒に過ごしていて、私が勝手に恋をし、幼馴染からその先を望むようになってしまっただけである。竜胆にとっては何ともない言葉でも、私にとってのその一言は大きいと、「お前は変わんなよ」とテーブルに肘を着いて笑う彼を見て、そんな事を思った。





久しぶりの竜胆との食事は本当に楽しくて、2時間ぐらいの食事だったけれど体感にしてとても早く過ぎ去った。家まで送ってもらいお風呂に入り、ベッドに入った後もふわふわと今日の余韻で竜胆が頭から抜けてくれない。

1年2年と月日を越して恋をし続けて反社の道にまで足を踏み入れてしまった私は我ながら重すぎて笑いたくもなる。竜胆と話す度に一喜一憂して、最後に残るのは結局毎回切ないという感情だ。

私が今日までの間にどれだけ竜胆の好みに寄せて好きになって貰えるように努力をしてきても、彼は一度だって私をそういう目では見てくれない事も、ちゃんと分かっている。

例えば「可愛いじゃん」と竜胆に言って貰えると私の心は飛ぶように跳ねる。でもその後は決まって「変な男に捕まんなよ」がお決まりなのだから、悶々とするのだ。竜胆にとっての私は妹的な存在が大前提にあるのが分かるから、"竜胆の為に可愛くしているんだよ"ってどうしても言えない。








「おいテメェ聞いてんのか」
「っあ、すみません」
「何度も呼ばすんじゃねェよアホ」

この間はカスと言われ、今日はアホと言われた。私の名称は毎回三途さんの気分によって変わる。

「…すみません」
「ちっ」

素直に謝った事を珍しく思ったのか三途さんは大きな舌打ちをすると私の横の空いているデスクチェアに腰を掛ける。

「えっ!何で座るんですか!?」
「あ?ンでそんなこんテメェに言われなきゃいけねェんだよ。はよ仕事しろや仕事ォ。会食の予約取れるまでお前今日帰んなよ」

この鬼畜め。三途さんは事務所に訪れたかと思うと速攻で明後日の取引で使う食事処を予約しろと言って来た。仕事だから仕方が無いが急すぎる。しかもここの取引先のおじ様は食べ物に気を使っている為に予め指定された場所でしか食事しないお方らしい。適当なお高い所なら直ぐにでも予約は取れると思うが、指定された少ない箇所だと結構難儀なときもある。

…三途さんがこちらを見ている。それもチェアを動かし体ごと私に向けて。目を合わせてはいけないとパソコンから食事処の電話張を開く。その間も三途さんは黙って私を見続けるものだから、仕事がやりにくいったらない。

「…お前さァ」
「え?あ、はい?」
「……あー…この間竜胆と飯行ったワケ?」
「…へ」

電話の受話器を持つ手が止まり、私は思わず三途さんへと顔を向けてしまった。我ながら突っ込まれてもおかしくない位に間抜けな声が出たと思う。

「…行きました、けど何故?」
「べっつにィ…」

ふいっとそっぽを向いた三途さんは何かを言いたそうな顔をしているけれどそれ以上何も口を開こうとしない。腕を組みムスッとしている三途さん(大体いつも)に首を傾げていると、彼は顔を歪ませる。

「何見てんだよ。とっとと仕事しろっつったろうが」
「さっ三途さんから聞いて来たんじゃないですか!」
「ンだおめェ」

少しだけつまらなさそうに見えたのはどうやら勘違いだったらしい。うん、だって三途さんは私のことをきっと働く玩具くらいにしか思ってないし。プンプン怒り出した三途さんに私も同じく少しムスッとした態度を見せる。

「んっとにテメェは可愛くねェ女だなァ」
「…別に三途さんに可愛く思われなくても良いですもん」
「あ?お前マジでさァ、」

売り言葉に買い言葉。前回反省したのにも関わらずまた三途さんをイラつかせてしまう言葉を発してしまい、口を片手で覆う。今日こそ死ぬ!東京湾に沈められる!そう思ったのに、三途さんは小さなため息を吐くと席を立った。

「はぁ……もういいワ」
「へ?何がですか?」
「馬鹿には構ってやれねェってことォ。それ、今日中に予約しとけよ」
「あ、はっはい」

私が、悪かったのだろうか。三途さんの珍しく覇気の無い口調に、胸の奥が分からないけど痛んだ気がする。いつもだったら「生意気言うな」とか言って私の頭を軽くはたいたり、私の頬を摘んで怒る癖に調子が狂う。

数分私はパソコンの画面を見つめるも、三途さんの事を考えてしまっていた。調子に乗り過ぎてしまっていたかもしれない。謝らなくちゃなんて思ったとき、事務所のドアが開いた。

「さっさんずさ……竜胆」
「よ、お疲れ様」

先程出ていったばかりだったから、三途さんだと思ってしまった。しかし竜胆はそんな事気にする素振りも無く、三途さんが座っていたチェアに座る。

「まだ仕事終わんねェの?」
「あ、なんか明後日の取引に使うお店を用意しなくちゃいけなくて」
「あー、三途がンなこと言ってたな。彼処のジジィ話長ぇし良い年して好き嫌い多いんだよな」

思い出したように竜胆は面倒くさそうにゲェッと舌を出した。それが面白くてつい笑ってしまうと、竜胆はやけに真剣な顔つきで私の方へとチェアを寄せた。

「どうしました…?」
「ん?んー…お前ってさ、最近三途と仲良いワケ?」
「へ?」
「お前三途といる時いつも楽しそうじゃん」

竜胆が一瞬何を言っているのか分からなかった。分からなくてつい語彙を失いそうになってしまう前に、私は慌てて弁解する。

「なっ仲良くないよ!三途さんがいつもからかって来るだけで私が直ぐ挑発に乗るから楽しんでるだけだよ!」
「そ?俺にはそう見えねェけど?」

竜胆の薄紫の瞳が私を見つめる。それは別に怒っている訳でもなく、喜んでいるようにも見えないから、私は言葉を口にする事が出来なかった。

「…えっと」
「三途は辞めとけよ」
「……は?」

竜胆は私の頭をゆるりと撫でる。昔と同じように、私に何かがあって、慰めてくれたときのように、そっと優しく撫でたのだ。

「りんど、」
「お前が此処に来ちまったとき、俺最初許せなかったの。何でか分かる?」
「分かんない…」

竜胆はふっと柔らかく笑う。
分かる、本当は分かっているけれど、私は知らぬフリをしてしまったのだ。多分竜胆はその事に気付いているけれど、それに咎めることはなかった。

「ナマエにはさ、普通の女として生活して欲しかったんだわ。普通に過ごして、普通の奴と出会って結婚して、幸せになって欲しいつーかさ。だから辞めとけ…俺らみたいな男を選ぶのは」

心臓を抉られたような気分だった。今わたしはちゃんと息を吸えているのかも怪しいぐらいに胸は苦しさを覚える。

「まだ間に合うから。俺がもしならボスに」
「違うよ竜胆」
「ん?」

これだけ私が頑張っても彼女になれなかった理由が分かってしまった。竜胆は私の事を"妹的な存在"ではなく"大事な家族"として見ているのだ。絶対に竜胆の前では泣いてはダメだと事務服のスカートをぎゅっと握る。

「私はね、ずっと竜胆が好きだったの」
「は?」
「一生懸命お洒落して、可愛いって思って貰いたくて、竜胆の一番の女の子になりたかったから頑張って来たんだよ」

やっぱりそうだ。竜胆は全く気付かなかったと言わんばかりに目を見開き固まっている。竜胆のそんな顔を見たくなかったけれど、今更後には戻れない。

「ずっとずーっと竜胆の事が好きでここまで追い掛けて来ちゃった」
「ナマエ、」
「私は竜胆の事をお兄ちゃんだと思ったことは1度もなかったよ」

どうしたら良いか分からないと竜胆が顔に出すから、私は泣きたいのを我慢して、最後に良い女を演じるのだ。

「でも今日で諦めるよ。沢山好きってアピールし続けて来たけど、竜胆何にも気付いてくれないんだもん」
「…わりい」

あぁ、やっぱり泣きたい今すぐに。生理的涙を止めるにはどうすれば良いのだろうか。暫しの沈黙の中、竜胆は俯いていた顔をゆっくりと上げた。

「俺…」
「おいナマエ」
「は?」

私の背後から三途さんの声がした。顔を顰めた竜胆に、私が振り向くと同時に彼は私の腕を掴んで無理矢理席を立たせる。

「ちょ、なっ何ですか!?」
「あ"?テメェに用事に決まってんだろ。ちょっと来い」
「今!?」
「おーそうだよ今ァ。クソクラゲ、こいつ借りてくわァ」

竜胆が返事をする間もなく、三途さんは私の腕をグイグイと引っ張り事務所を出て行く。何が起こっているのか分からずに、足早で歩く三途さんに連れて行かれたのは使用していない小さな個室であった。

「…何ですか?私まだ予約取らなきゃなんです、けど」
「はぁ?んなもん明日で良いワ。ノー残だよノー残」

いつもは絶対にそんな事言わない癖に、さっきまで予約取れるまで帰るなと言っていた癖に、急にそんなこと言い出す三途さんが分からない。彼は個室の椅子に座るとお前も座れと顎をクイッと向ける。


「んでェ?お前なに、竜胆の奴に振られたの?」
「っ、」


容赦ないその言葉に私の涙腺は我慢の限界を迎え、気持ちとは正反対に涙が溢れた。

「さ、んずさんには関係ないじゃないですかぁ」
「あ?」
「わっ私が振られたの聞いてたんですか?」
「…聞いてたっつーか、あー…」

笑われるかと思っていた。馬鹿な女だとか言われていつものようにからかわれると思っていたのだ。

だけど、ちがった。

三途さんは私をそっと引き寄せると優しく抱き締めて来たのだ。

「あっ、さんずさっ!?」
「お前と竜胆が二人でいるとこ気に食わなかった」
「…へ」

三途さんが今どのような顔をしているのか分からない。でも、からかってこんな事をするような人ではないことぐらいは、分かる。固まるわたしに、三途さんは言いずらそうに口を開いた。

「…お前のこと好きなんだけど」
「え、いや待って下さ、え?」
「いつまで経ってもお前が俺なんかよりあんな奴のことなんか見てっからいつもムカついてたわ」

三途さんは抱き締めながら私の頭を撫でて、いつもの彼とは似合わず自信のない声を放つ。急なことでまさか彼が私の事を好きだと思わなかったから頭は既に真っ白になり掛けている。

「…竜胆のこと好きなの知ってたんですか?」
「知ってた。ずっと見てたから分かんだよ。好きな女が俺以外に泣くのなんて良い気しねぇだろ」

三途さんのスーツの首元から香水の香りがする。当たり前だけど、竜胆とは違う香りだ。

「…おめェがアイツの前でニコニコしてんのがすげぇ嫌。俺の前ではあんな風に笑わねェくせによォ」
「そ、れは」
「お前が振られれば良いのにっていつも思ってたわ」

三途さんは、わたしをぎゅううっときつく抱き締める。細いのに、こんな力が何処にあるのかと思うほど抱き締めてくるから、本当に彼は私のことを思ってくれているんだな、と思ってしまった。


「…俺の女になって欲しいんだけど。お前のこと本気で好き。すげぇ好きなの」


初めて、こんな不安そうになっている三途さんを見た。私の知っている彼はいつも自信家で、横暴で、口調が荒いけれど、今の三途さんはまるで別人のよう。こんな彼を見て不覚にも胸はドキンと動いた。


「…振られた女に今言うの狡くないですか?」
「あ?別に良くねェ?どの道言うつもりだったしそれに俺、アイツより良い男の自信あっからよ」
「何、それ」
「まんまだわ。分かれやバカ」

何の涙か分からないけれど泣きながら笑ってしまった。こういう所はいつもの三途さんなのだから、本当に困る。少しの時間泣いてしまうも、いつもだったらブスとか何とか言う癖に、三途さんは泣いた私の顔を見ても笑わずに私が泣き止むまで一緒に居てくれたのだ。

長い間竜胆に恋をしていた私はきっと直ぐに立ち直れるかはまだ分からない。けれど、きっと近い将来私は笑顔になれているのかもしれない、と三途さんを見てそんな事を思った。

「…三途さん」
「あ?あー…それだけどさァ、テメェと俺はタメなんだからその三途さんての辞めろ」
「そ、ですけど…場は弁えた方が良いかと思いまして」
「今は違ぇだろうが。後その敬語も辞めろや、好きじゃねェ」

ほら早く呼べとでも言いたそうに私へと三途さんは眉を顰めて少しムスッとするから、三途さんに対しまだ慣れないけれど名を小さく呼んだ。


「…はるちよ、君?」
「ん」

ゆっくりと私の名前に返事をする彼に、私は唾を飲み込み彼の瞳と視線を合わせた。

「えっと…そのご飯、一緒に食べに行きませんか?」
「飯?」
「うん。はっ春千夜君のことを先ずはもっと、知りたいなって」

三途さんのスーツの袖をキュッと握る。すると一瞬固まり見たこともないくらいに柔和な笑みを見せた。





「お前の好きなとこ教えろ。飯でも買いもんでも、テメェが行きてェとこ何処にでも付き合ってやっからよォ」







−−−−−−−



ナマエと三途が話している部屋の前、男が立っていた事に彼女は気が付かなかった。


「あー…まじかァ」


思っていたよりも小さな声が廊下に響き、ドアノブに手をやっていた手が力なく下げられる。


「今になって気付いちまうなんてなー…」


彼の脳内に、先程涙を溜めて必死に思いを伝えていた彼女が脳裏に過ぎる。そうしてどうする事も出来ない感情に、彼はキュッと口を閉じると小さく笑ってその場を後にした。





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