小説 | ナノ

離婚しようと思ったら…


※梵天軸


ウチの旦那、反社の幹部。彼の仕事の持ち物に、プライベート用とは別に用意されているスマホがある事は知っている。いつも忘れ物には抜かりない彼はなんと本日、出張にも関わらずこの社用スマホを忘れていった。家を出て2時間、もう流石に取りには帰って来ないだろう。見てはダメ、見てもプラスになる事なんか一つも無い。そんな事を思いながらも私の指は勝手にトークアプリを起動する。大事なスマホを忘れた方がそもそも悪いのだ。バクバクと口から心臓が飛び出そうなほど音を鳴らすと同時に、何人かの女の名前達が目に映るとひゅっと息を飲んだ。

"奥さんに内緒でまた遊んでね"
"今日は凄く楽しかった!蘭ちゃん寝かせてくれないから明日は寝不足だよ(口を尖らせた顔文字)"
"灰谷さん起きたらいないんだもん。寂しかったぁ"

「……ハン」

鼻で笑うも心は笑えない。
私の旦那の灰谷蘭はかなりの遊び人。取引先の女なのかキャバ嬢なのか知らないけれど、やっと掴めた証拠に怒りはフツフツと湧いてくる。でもその存在達はここにはいないので、心に留める変わりにとても大きなため息が口から漏れた。

「やっぱりね…」

思ったよりも自分の低い声が室内に響く。所詮、結婚と言っても籍を入れられない結婚である。それでも私は確かに蘭の事か好きだったし、蘭もちゃんと私の事を好きだと言ってくれていたから、勝手に大丈夫だよねと信じ込んでしまった結果がこうだ。幸いこのメッセージ達を見る限り、一人の女に絞れていない事から恋愛の真似事をしているだけのようにも思えるけれど、それでも浮気は浮気。

蘭と知り合ったのは居酒屋。弟と来ていた彼はその頃まだ黒と金を交えた三つ編みを結っていた。二人共この場に削ぐわないようなお洒落な服を身にまとっており、とにかくその場で一番目立つ存在だったのを覚えている。

「ねェ店員さん、この店でオススメってどれ?」
「…え?」
「この店初めて来たからさァ、どうせならうまいの食いてェじゃん?ね、教えて?」

当時バイトとして働いていた私は、まさかあの有名なイケメンに注文以外で声掛けられるとは思わず、声があからさまに裏返ってしまった。それを見た蘭に薄く笑われて、羞恥心でいっぱいになった私の顔は分かりやすく染まっていく。チョロい女だったと今でも思う。そこから料理や酒を持っていく度に蘭は私の事を聞いてくるものだから、慌ただしく心臓は加速して結局私は言うまでもなく蘭へと恋に落ち、そしていつの間にか付き合い結婚をした。

歳は蘭と同じ。元より私は同世代の彼を知ってはいたし、女癖も悪い噂も耐えない蘭だったけれど、とても優しかったのだ。そう、優しかった。会いたいと言えばどんなに遅くても会いに来てくれたし、「めんどくせェ」と言いつつ私の買い物に眠気眼で付き合ってくれたり、落ち込んでいる時にはぎゅうっと抱き締めて慰めてもくれた。大好きだったし愛されているという実感もあったから、私の事を彼なりに大事にしてくれたように、私も蘭を大事にしようと思えたのだ。

懐かしい思い出達は懐かしいままであり色褪せない。ただそれにプラスして真新しい思い出がまるで出来ない。

蘭は結婚してから放任主義。思えば束縛なんてされたのは結婚する前までだ。苗字が事実上でも同じになると私の事を余り構わなくなり、帰りは遅く連絡はまちまち。一生が手に入ったらこうですよ。付き合う際に「良い返事が聞けるまで絶対ェ帰してやれねぇ」と不安そうな子供のように眉を下げていた蘭は、いつの間にやら何処かへ消え去ってしまった。

女の勘は鋭いというが本当にそう思う。蘭はちょっとだけ抜けている所がある。月に数回、めちゃくちゃスパダリ蘭君に変貌するのでおかしいと思っていたのだ。いきなり何でもない日にブランド物のプレゼントを贈ってくれたり、始終くっついて来たり、「好き」やら「大好き」と愛でる言葉を沢山口にしてくれたり、洗い物をしてくれたりとエトセトラ。次の日の朝になればそんなこと無かったかのように仕事へ行くのだから、余っ程相手に溺れていなければ誰でもおかしいと気が付くと思う。

蘭の仕事は知っている。知ってはいるけれど余り仕事の話を家に持ち込むのが嫌いな蘭は話してはくれないから、いつもどんな事をしているのかは分からず終い。だから確信が欲しかった私は落ち込むのを承知でスマホを見てしまった。本当に仕事なのか、どうなのかって。でも後悔はしていない。家で一人、浮気されているのかどうか考えている方が頭がおかしくなりそうだったので。

私の気持ち、蘭に会いたくなくて堪らない。






"今日竜胆連れてくわ"

ピロンとスマホが鳴るもメッセージの相手は蘭である。出張と言ってはいたがこれも今となっては半信半疑だ。
そしてこのメッセージはご飯を作っとけって事だろうか。竜胆君が家に来るときは大体ご飯を三人で囲っていたから多分そう。いつもの私ならば部屋を掃除して、買い物にちゃんと行って、ご飯の用意をしてと出来た嫁を演じるが今日の私はそんな事は知らない。でも流石にやっぱり竜胆君が来るとなると部屋が汚いのは私が恥をかく為に掃除をする。でも私は家政婦でも何でもないので蘭の為にはしてやらない。どれもこれも自分の為である。一息着いた所で蘭には"分かった!待ってるね"と真顔で文字を打ち、スマホをソファへ無造作に投げ置いた。

一昨日沢山泣いたので、昨日と今日は涙が出て来なかった。婚姻届を出していない私たちだって両者認めれば夫婦は夫婦。答えは決まっている。


蘭の傍にはもういられないし、そもそも浮気している男なんていらない。





「ナマエ帰ったァ」
「義姉さん久しぶり、これあげる」
「竜胆君久しぶりっ良いの!?えっここのお店気になってたの!嬉しい」

帰って来た3日ぶりの旦那の顔より先に竜胆君へと視線を合わせると、竜胆君は少し驚いた瞳を重たい前髪から覗かせる。蘭は露骨に「ハ?」という顔を浮かべたけれど、それは無視。竜胆君から洋菓子店の箱を受け取りニコニコとした笑顔で私は彼等を出迎えると、蘭はまだ平常心でブランド物のショップバッグを私に手渡して来た。

「コレ、お前が欲しがってた新作のポーチ…」
「え?あぁ、ありがとう。今手が離せないからそこら辺に置いといてくれる?」
「へ??」

急激に低く発せられた声のトーンに蘭も竜胆君もタレ目な瞳は点になる。お菓子の箱はそんな大きなものでは無い。普通に蘭のプレゼントは受け取れる。でももういらないんだもん。若干あたふたしている竜胆君に、ごめんね巻き込んじゃってと心の中で謝罪する。

「竜胆君も出張だったの?あ、ここ座って」
「あ?いや、俺は違ェ…けど」

気まずそうに竜胆君は椅子に腰を降ろす。そろりと向けられた視線は蘭であり、兄が気になって仕方がないらしい。

「あー…俺着替えてくるワ」

パタンと閉められた寝室のドア。機嫌が悪くなった蘭の事は気にせずキッチンに立つと、竜胆君は気まずそうに口を開いた。

「義姉さん、兄貴と何かあったワケ?」
「あーえっと…」

寝室に行った蘭には聞こえないとは思うが、私は竜胆君の座っている所まで歩を進める。竜胆君は不思議そうに耳を傾けてきたから私は小さな声で口を開いた。

「…あのね、その…蘭と別れようと思って」
「ハァッ!?」

反射的に大きな声が発せられる。慌てて私が「シーッ!」と言えば彼は自身の片手で口を覆った。

「実は蘭が浮気してるの知っちゃって」
「あ?あー…」
「あっもしかして知ってた、かな?だから修羅場になっちゃったらってか私もう結構キてるから喧嘩になりそうだし、申し訳ないけど今からでも帰った方が良いかも」

苦笑を浮かべながらもそう告げると、竜胆君は机に肘付け数秒考えたかと思うと何処か楽しげに笑った。

「いや、いいよ。いても良いんならいるワ」
「いやでも悪いし」
「兄貴が義姉さんに殴るとかっつーことは絶対ェねぇけど、もしもの為にストッパーがいた方が安心じゃん?」

竜胆君ならば帰る、というか普通は皆そう言うかと思ったが、竜胆君は全く帰る気がないらしい。寧ろ嬉しそうに見えるのは何故だろう。程なくして蘭がこちらにやって来た為この話は強制終了してしまったが、蘭は戻って来てもやはり不機嫌である。
簡単に出来るビーフシチューを皿によそって運ぶも蘭は黙ったまま。竜胆君が話しかけても「ふぅん」とか「あっそォ」としか口にしない。やっぱり竜胆君、帰った方が良かったのかもしれないと申し訳なくなる程に。

しかし竜胆君、そんな兄を気にせず私の作ったビーフシチューを食べながら私へいつも通りに話しかける。「うまい」とか「今度はアレ作って」だとか。それに答えていた私に蘭は気に食わなかったのか低い声で口を開いた。


「お前さァ、竜胆のこと可愛がんのは良いけど旦那の俺には何で帰って来て早々ずっとクソな態度なワケ?俺お前に何かしたァ?」


その場の空気がピシッと凍り付いたのを感じる。蘭が私へ突き刺さるように睨んでいるのが目を合わせなくとも分かった。竜胆君はというと、スプーンを握って時が止まっている。
私に向けられた蘭の表情と声音は今まで初めて見て聞いたものであり、流石に怯みそうになった。自分が何をしたか気付かれていないと思っている蘭に嫌悪感は私を蝕む。席を立ちキャビネットを開けるとしまっていた蘭の社用のスマホを取り出し蘭へと手渡した。

「は?」
「このスマホ忘れてったでしょ。さっき着替えるとか言って中々戻らなかったのはもしかしてコレ探してた?」

蘭は私の手からスマホを受け取ると無言で中身を確認する。

「あー…中身見た?」
「うん。バッチリ見た」
「…これ全部仕事だから。つーか人のスマホ勝手に見るとか有り得ねぇんだけど。これ会社用のスマホな?世間に見せれねぇやつもあんの」
「そんな大事な会社用のスマホで女と連絡取ってる人に言われたくないんだけど。ってか仕事で女と寝まくるってどんな仕事?聞いたこと無い」
「…ハァ」

即答する私に蘭は眉間に皺を寄せると面倒くさそうに深い溜息を吐く。何で私がダルい女みたいになっているのか分からない。

「つかそれ竜胆の前で言う話?空気読めよ」
「そっそれは悪いと思ってるけど、原因は蘭じゃん」
「ハァ?今する話じゃねぇっつってンの。意味分かんねぇしお前バカなの?」
「ぎゃっ逆ギレされる意味が私には分からない!もう蘭とは離婚するつもりだから!」
「あ?」

離婚という言葉が出た瞬間、蘭の顔は分かりやすく引き攣る。

「離婚なんて認めるワケねェだろうが。さっきのも仕事だっつったろ?女に聞き出さなきゃならねェ仕事もあんの。お前に言ったら泣くと思ったから言わなかっただけで、」
「その仕事だからって女と関係を持つってのが私は許せないって言ってるの。泣くとかどうこう心配する位ならなんで断れなかったの?」
「それは」
「…結婚してから余り構ってくれなくなったのも仕事で疲れてるし仕方が無いって思えたから我慢が出来た。寂しかったけどね。でもさ、女と仲良くするのが仕事なら私は蘭の帰りをこれからも待つことは出来ないよ」

蘭は押し黙る。蘭とは付き合って今日まで数年の仲になるしそれなりに長い時間を共に過ごしてきた。 離婚と決めたのもちゃんと冷静に考えて出した結論だ。それでも私は後できっとまた泣くだろうけど、それは蘭が横に居なくなる寂しさなんかではない。

「…別れたくねェ。どうすりゃ許してくれんの?」

事の重大さに気付くのが遅すぎた蘭は頼りない声でそう呟いた。もし私がここで許してしまって仲直りしたとしても、また私は蘭の帰りが遅い度に不安に駆られるのだろう。いや、もう毎日疑って日々を過ごしてしまうに決まっている。例え本当に仕事関係で女と関係を持っていたとしても、それを許せるだけの器が私にはない。


「…ふ…ふは、」


この場に削ぐわない笑い声が私と蘭の耳へと通過する。声の主へと振り向くと、それまで黙っていた竜胆君が笑っていた。

「りんど…今笑い事じゃねェんだけど」
「ん、あぁわり。あー…俺からもちょっといい?」


眉間に皺を寄せる蘭とは対照的に、楽しそうにも嬉しそうにも聞こえる声のトーンで私に視線を合わせると、竜胆君は言ったのだ。





「兄貴と別れるンなら俺にしねェ?俺昔っから義姉さんのコト好きだったんだよね」




「…は??」


今なんて言ったの?
竜胆君以外、つまり私と蘭はポカンと口を開ける。私もそうだけど、蘭の方が驚いているのは確かだ。

「義姉さんが驚くのは分かっけどさァ、兄貴は知ってたろ?俺がコイツの事好きだったの」
「そ、そうなの…?」
「……」

竜胆君の言葉に蘭は分かりやすく顔を顰めた。頭の整理が追いつかなくて状況が飲み込めない私に、竜胆君は淡々と続ける。

「昔俺らが飲みに行った居酒屋で義姉さん働いてたろ?先に可愛いってお前のこと言ったの俺からだから」
「え?あっ待って、いっ意味分かんないんだけど」
「だから俺が先にお前のこと気になって好きになっちゃったの。でも俺が知らねェ間に兄貴と義姉さん付き合ってるし結婚までしちまってさァ。あん時かなり落ち込んでキツかったけど兄貴も大事だからって俺なりに祝福してやったのに」

軽々と言葉を口にしていくが、その声はもう笑っていなかった。竜胆君は席を立ち上がると私の前に立ち頭をそっと撫でる。固まって言葉にならない私に竜胆君は微笑みかけるのだ。

「竜胆…その手ェ離せ」
「なんで?兄貴とコイツ別れたんだからもう兄貴の女じゃねぇじゃン」
「まだ別れてねェよ。ってかお前俺の言う事聞けねェの?離せっつってんの」
「十分聞いてたろ。たまには俺だって我儘言いてェよ、もう我慢したくねェんだもん。それにコイツ可哀想じゃん。…泣かすなよ」

平行線並の会話に私はサァッと血の気が引いていく。竜胆君が私の事をそうやって思っていたことにも気が付かなかったし、蘭は蘭でかなり怒りに歪んだ顔をしているのが見て取れる。まさかこんな事態になるとは思わず頭は今にも真っ白になってしまいそうだ。


だから竜胆君は「ここにいる」って言ってたの?
だから竜胆君は何処となく嬉しそうにしていたの?
でも私を好きなんて素振り、知り合ってから1度も見せなかったのに?


蘭も竜胆君も私へ視線を注ぐ。こんな修羅場、誰が想像したであろうか。私の手を取り竜胆君は無理矢理玄関へと歩き出す。引き止める蘭に竜胆君は歩を止めると言ったのだ。






「兄貴は少し頭を冷やして反省した方が良いよ。それまでは俺がナマエを預かるから」





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