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誘拐されたけど私も望んでる


※梵天軸


「…はるちよ」
「あ?」
「その…今って何処に向かってるの?」

時速50キロ制限の車道を多分守らず車を走らせる彼は、長いまつ毛を揺らし目線だけを一瞬こちらに移すと即また前方へと視線を移し替えた。相変わらず運転が荒い彼のハンドル裁きに、前見て前!なんて言える雰囲気は無く、私も視線を春千夜から車窓へと向ける。

「何処ってユーカイだよ誘拐。黙って乗ってろや」

鼻で笑うかのようなトーンが私の耳を通過していく。逸らしていた目を再度春千夜へと向けると、春千夜は傷のある両口端をやっぱり上げていた。そのまま車は高速のインターチェンジへと続く道へ車線を変更し、私の返事も聞く間もなく車のスピードをぐぅんと上げていく。








私は今"元カレ"に誘拐されているらしい。













春千夜と私が付き合ったのは20歳を迎えた頃だった。中学生の頃から春千夜とは友人関係が続いており、それなりに仲は良かったと思う。ただ友人と謳ってはいたがそんなのは表向きで、自覚したのは遅いけれど私は春千夜のことが好きだった。いつも余り女子と話さない春千夜が笑顔で話しているのを見てしまったとき、胸にモヤモヤとした霧が掛かったのだ。それからの私はずっと変で、春千夜との距離がふとしたときに近いと心臓が音を立てあからさまに意識をしてしまって、たまぁに春千夜が優しくしてくれると顔が熱くなり、私に向けた笑みに自然と心を持っていかれて、春千夜に恋をしているのだと気付いてしまったのだ。それでも友人関係が続いていたせいで、気持ちを伝える勇気もキッカケも無くて月日は流れる。

友人から恋人へ発展したのはハタチを迎えた頃。成人式に出席しない春千夜を飲みに誘いカウンター席に座ること約2時間。当時お酒の飲み方を分かっていなかった私はそれなりに酔ってしまった。フワフワとした頭で、今ならもしフラれたとしても落ち込む事には変わりはないけれど、酒のせいにして冗談だって笑えると思ったのだ。つまりその場のノリと勢い、それとどうしても春千夜の"昔からの友達"という関係から"一人の女"として意識して貰いたくて。

「ねぇねぇ、お互いフリーだし付き合ってみたら私と春千夜、案外上手くいったりしてね?」
「あ?あー…まぁ悪くねぇかもな」
「んだよね、やっぱ友……は?えっ!?あ!?冗談?」
「ハァ?テメェは酒に酔うと冗談で男口説くのかよ」
「そっそんな訳ない!けど…」

春千夜は考える素振りも無く普段の会話をするかのように口を開いた。調子に乗んなくらいは言われてしまうのを覚悟していたから、驚いて声は大きくなるし目も見開いて春千夜を凝視する。

「…ンだよ。酔ってんなら水頼め」
「や、あ?ちがっ」

春千夜はくわえていた煙草の灰を灰皿へと落とし、店員にお冷を頼もうとするから大丈夫だと首を横に振る。今まで願って来たものがこんな急に叶う事が信じられなくて、フラれると思っての返答しか考えていなかった私の思考は急停止する。そんな私を見て、春千夜は頬杖付きながら私の前髪を覗くようにそっと払い除けると薄く笑った。

「仕方ねぇから寂しーナマエチャンの為に忙しい俺が付き合ってやんよ」
「はぅっ…!?」

悪戯するように笑った春千夜に最終的には語彙力まで失ってしまって、声にならない声が漏れてしまった。出会って数年、初めから呼び捨てで呼ばれていた私はチャン付けで呼ばれた事だって今までに1度も無かったし、明日の私は泣き腫らしているに違いない事まで想像しての事だったから。好きを隠して友人のフリをし続けていた私の片想いはこの日、簡単に実ってしまったのだ。

だけどこの告白は余りにもアッサリし過ぎている。私の一番近しい男は春千夜だったから、私が彼氏を何時までも作らないのを見て可哀想に思っての了承だったのかもしれない。春千夜に好きだとバレたら絶対に終わってしまうと思っていたから、気持ちを隠していつも接していた。春千夜が女にモテることも、セフレがいたという事実も知っていたけれど、それでも私は「モテ男は良いですね」とか言ってしまって気にしていないフリをしてしまう日々だったのだ。セフレ以外の固定の女を余り作りたがらない春千夜に、喜びと同時に直ぐに浮かんで来た思考は"いつか絶対に振られてしまうかも"という考えだ。未だ熱の下がらない顔をそろりと春千夜に向け私はつい可愛げのない言葉を口にしてしまった。

「わっわたし絶対フラれるじゃん?」と。

でも春千夜、キョトンと大きな瞳をぱちくりさせると私のおデコを軽く小突いて言ったのだ。

「い"っ!」
「付き合った初日に振られることなんか考えてんじゃねェよばぁか」

目元を細めた春千夜の顔は今でも忘れられない。綺麗で、格好良くて、それでいて私の心をやはり直ぐに掴んでいき、好きだと思う。きゅううと苦しくなった胸に心臓の音まで春千夜に聞こえてしまうのでは無いかと平然を装うけれど、春千夜には直ぐにバレてしまっていたみたい。


私を彼女にしてくれたこの日から春千夜は存外私を大事にしてくれていたと思う。不安であった「やっぱお前は友達の方が良い」だとか「別れる」という言葉は、春千夜の口からは聞くことは無かった。前より急激にもっと近くなった距離に私が毎度顔を染めてしまうから、春千夜はからかうように「ガキかよ」と笑ったけれどその通りだから否定する言葉は思い付かない。春千夜が初めて私を抱いてくれた日、片思いを続けていた私は勿論処女であり、大好きな人に裸を見られるのなんて恥ずかしく死んでしまいそうだった。そんな私に「かぁいなァ」と余り言ってはくれない言葉に涙が出そうにもなったっけ。春千夜の仕事柄外へのデートは余り出来なかったけれど、それでも私は春千夜と過ごせるだけで幸せだったので、お家デートばかりでも何にも不満は無かった。


春千夜は私が思っていた以上本当に大事にしてくれていたから、余計と別れを切り出す事が出来なくて"次会ったら言おう"を繰り返してしまったのだ。



私の父が経営している会社が不況により倒産寸前の間際、手を差し伸べて来た人物が父の会社の資金援助をするとの話が入り込んで来た。しかしやはり美味しい話にタダでという訳にはいかない。その家の息子が私と同じ歳であり嫁に来てくれないかという話を持ち込まれ、父は何としてでも会社の運営を守るべくその口約束を私抜きで乗ってしまったのだ。その後の家族関係は言うまでもなく最低最悪。元から子より仕事優先であった父の言う事を誰が聞くかと何度も怒鳴り合いの喧嘩をし、何方も首を縦には振らない。でも結局の所根負けしてしまったのは私だ。生涯かけて一番大事にしたいと思う彼氏に別れを告げなければならない私自身も最低だと思ったし、こんな時だけ頭を地面に着かせる勢いで頼み込んでくる父も最低だと思った。




「あ"?会って早々別れてぇってどういう事だよ」
「っだから、そのまんまの意味で…」
「ンな事聞いてねぇわ。理由を言えっつってんの」
「それは…」

口を濁してしまう私に春千夜はイラつきながら口を開くのを待つ。春千夜から深いため息が溢れると視界は瞬く間に滲み出す。

「何オマエ。俺の事嫌いになったワケ?」
「っ、嫌いになる訳がないじゃん…好きだもん」
「意味分かんねェわ。つかテメェから別れ切り出しといて泣いてンじゃねぇよ」
「っく、…け、結婚しなくちゃならなくなったの」
「は?」

春千夜の声が一等低くなる。伝えたくない事実を嗚咽に交えながらポツポツと口にすれば、更に別れなけらばならないという実感が嫌でも湧いて来てしまって、余計と涙は拭っても止まらない。話終えるまで春千夜が口を挟むことは無く、煙草の煙だけがゆらりと宙へと浮いていくのだ。それでも何とか話終えると春千夜は一度深く煙草を吸い込み煙を吐いた。

「…お前はそれで良いワケ?」
「…良くない…けどどうする事も私には出来ない…から」
「ふぅん。あっそォ。ンじゃ仕方ねェわな」

春千夜が灰皿に煙草を押し消したとき、私たちの関係も終わってしまった。それからの事は余り思い出したくない。最後に見た春千夜の顔は、今までに見たことも無かった冷たい顔だったように思える。春千夜はそれ以上引き止める事もせず、付き合った頃と同じようにアッサリと私たちは終わりを迎えてしまった。







大好きで堪らなかった彼氏、春千夜と別れて二週間。我ながら重いという自覚はあるけれど、私の人生に春千夜がいない日は無かったから他人という寂しいものになってしまった事に胸は酷く痛む。それでも最終的には自分で決めて別れを告げてしまった以上、何度も押し寄せる後悔を無理矢理これで良い、仕方が無かったと言い聞かせた。私には家族を捨てるという選択肢を選ぶことが出来なかったからだ。春千夜の電話番号をブロックし、消去する。そうすると私の着信履歴には名前の無い電話番号がどんどん下がっていき、その代わりに"父"の文字で埋まってくる。それを見る度に父への嫌悪感と春千夜に対する罪悪感と自分への憎悪感が膨れ上がる。

泣きたいのに、もう泣けない。別れたその日から少なくとも3日間は涙が枯れるほど泣いたけど、人間心はドン底まで陥っても寝て起きてお腹が空けばご飯も食べる。見た目はほんの少しやつれて目の下に隈が出来た程度である。ただ私の過ごす日常に春千夜という存在が過去になり、新しい未来が待ち受けているだけだ。その後の私は諦めという文字を無理矢理脳へと刻み、春千夜を思い出さないようにする事だけにとにかく必死だった。

私の結婚相手は東京には住んでは居なかった為に此方に来てくれと申し出があり、明日顔合わせの予定である私はホテルを予約して初めて訪れる県外に訪れていた。ずっとホテルに居るのは更に気が滅入ってしまうから外に出てみる。駅近のホテルだが、この周辺の施設は全く分からないしショッピングする元気も無ければ欲もない。ただ明日の事を考えると体が鉛のように重たくなるから外に出た。でも何処を歩いても気分が晴れる訳では無く地理も分からないからもうホテルに戻ろうとした時に、真横の道沿いからクラクションを勢い良く鳴らされたのだ。何事かと思って鳴った方角へ振り向くと、見慣れた私の大好きな人の顔が瞳に映る。

「…は、はるちよ?」
「よぉ。素通りしようとすんじゃねぇよこのクソアマ」
「え?あ、なっなんで?」
「はぁ?お前俺の顔まで忘れちまったのかよ」
「ごめ、忘れるわけないけど、へ?何でここに?」
「理由知りたきゃ早く乗れ。乗らねェとひでぇめに合わせちゃうかもなァ」
「…何それ」
「脅してんだよ。はよ乗れって言ってんだわ」

春千夜は私を急かすように車へと乗らせようとする。ここには居ないはずの、もう春千夜には会えないと思っていた私は慌てて助手席のドアを開けると、春千夜は満足気にアクセルを踏み込んだ。




そして冒頭のやり取りである。







高速に乗り、車に揺られて向かう先を聞いても春千夜は一向に答えない。車に乗ったら教えてくれると言ったここに来た理由も言いたがらないのだ。

「春千夜、何で私がここにいるって分かったの?」
「ンなのテメェの事だから直ぐ分かる」
「なっなにそれ。本当どこ行くの」
「言ったら誘拐の意味ねぇだろうが」

理由になっていないような気もするけれど、それでも何だか嬉しかった。いつも仕事着で着ているスーツに耳についたいくつものピアス、春千夜の香水の香りにセットされた髪の毛。別れて2週間しか経っていないのに、春千夜とはもう随分長い間会えなかったような気がして、心臓はハッキリ音を鳴らしている。春千夜に会えて嬉しくて堪らない、この言葉しか本当に思い付かない。

「…元気だった?」
「元気そうに見えんのかよ」
「いつも通りの春千夜で安心してる」
「……」

つい笑顔になってしまうと春千夜は黙り込み、追い越し車線を走っていたスピードを更に上げる。車を走らせている間の私たちは、別れた事なんて無かったかのように会話が出来てしまってまたその合間に現実を思い出すと胸は抉られるような感覚を味わう。

「煙草ねェから買うワ」

サービスエリアで車を停めると春千夜はお前も来いと私を車から降ろす。春千夜は歩くのが早いから置いていかれないように後を追うのも久しぶりな感じだ。今日は休日、もう時期夕方になるが駐車場にはそれなりに車が停められており、どこかへ行くのか帰るのか人が沢山歩いている。家族や友人、恋人達が休憩しているのがチラホラと目に映り、ご飯を食べていたりアイスを食べていたりとても楽しそうだけど、見ているとほんの少しだけ切なくも感じてしまう。

「何か欲しいモンねぇの?」
「ううん、ないよ」

春千夜が買い終わるまでの間、お土産コーナーなんか覗いていると数分もしない内に戻ってきた春千夜は「ホレ」と私に持たせたのはソフトクリーム。

「さっきそこらのガキが食ってたの見てたろ」
「…へ?」

春千夜ってね、昔からこういう所がある。何気にちゃんと人のことを見ている。そこにも惹かれたんだよなぁとまた少し切なくなった。春千夜からアイスを受け取って鼻がツンと痛んだからヤバいと思って笑顔を作る。

「誘拐犯なのに優しいね」
「餌やっとかねェと逃げられたら困んだよ」
「ここ高速だし逃げられないよ。春千夜おバカさんだなぁ」
「うっぜー」

ケラケラっと笑って見せると春千夜は若干不機嫌になる。子供扱いされるのが嫌いなのだ。それも分かっているけど、ついつい口にしてしまう。機嫌を取るようにソフトクリームをスプーンで掬って春千夜の口元へと持っていく。食べないと思ってたのに、黙って春千夜はアイスを口に含んだからちょっとだけびっくりしてしまった。

車に戻り私がアイスを食べ終わるまでの間、春千夜は煙草を吸って待っていた。何だかデートをしているようだ。春千夜と私は遠出というものをした事がない。外に出掛けるということも余り出来なかったから当たり前かもしれないけれど。

「はるちよ」
「ンだよ」
「こうやってさ、外でデートみたいに出来るのなんて今まで無かったからなんか不思議な感じしない?」

別れちゃったけれど、この言葉は飲み込んでしまって言えなかった。春千夜は顔を此方に向けると、缶コーヒーに口付ける。やっぱり言わなきゃ良かったかなと後悔が生まれて、話題を変えようと思ったとき、春千夜は静かに口を開いた。

「…本当はお前みたいな奴は特に全うな奴と付き合った方が良いってのは前から思ってた…けど無理」
「…へ?」

春千夜は眺めるようにフロントガラスに目を向けながら嘲笑う。

「俺、お前いねェとダメになんの気づいちまったんだわ」
「は、はるちよ」
「…これじゃ意味分かんねェ?」

春千夜は私へ顔を向けると、顔の熱は上昇していきそれと同時に彼からつい目を逸らしてしまった。

「おい、こっち向け」
「わっちょっ」

逸らしてしまった事が気に入らなかったのかグイッと春千夜は車内の中で距離を近づけると、私の頬をムギュっと掴み無理矢理視線を合わす。何時に無く真剣な表情を見せる春千夜に、今度は視線を逸らす事なんて出来なかった。

「中学ン頃からぴーぴーぎゃあぎゃあ俺の横にいた奴がいねぇと寂しいっつってんの。…好きだからお前だけとは離れらんねぇし…別れてやれねェ」

声端が小さくなる春千夜は眉間にぎゅうっと皺を寄せてらしくない表情を私には向ける。気付いたときには私は春千夜の背を回ししがみつくように抱き締めてしまっていた。

「…ッごめん。別れるなんて言ってごめんね…ごめん」

春千夜はきっとこの事を言う為に私の所まで来てくれたのだろう。付き合ってから春千夜は大事にしてくれていたけれど、私は彼にいつも好きの一直線だったから私の方が春千夜の事を好きなんだろうなぁと感じたことも無かった訳じゃない。でも多分きっとそれは間違いで、春千夜は私が思っている以上に好きでいてくれていたのかもしれない。

春千夜は私の肩に顔を疼くめた後、顔を上げ抱き締めていた体が離れる。

「お前その男とは会ったワケ?」
「ううん。明日初めて顔合わせの予定だったから」

鼻でフンと笑った春千夜は車のエンジンを着けるとアクセルを踏み込む。え?このタイミングで運転するの?なんて思っていると春千夜は何処か楽しげに口を開いた。

「俺はさァ、お前の親が泣こうが会社が潰れようがお前以外の人間はどうなろうとどォでも良いワケ」
「…うん」
「大事にしてたモン奪う奴も死のうが喚こうが当然だろって笑って見れんの」
「…うん」

春千夜は横目で私を見る。春千夜は優しいのだ。家族を捨てられず踏み切れなかった私に、お前のせいじゃないって事を言いたいんだろうなって、私が自分から捨てる事を言わせないようにしている。

「…攫ってくれるの?」
「攫う?違ぇよバカ。誘拐って言ってんだろうが」

ふふっと笑ってしまった私も大概狂っているのかもしれない。だって今この時、隣に春千夜がいる事が嬉しくて幸せで仕方がない。

「ありがとう。はるちよ、好きだよ。昔から…本当にずっと大好き」
「…知ってるワ」

返事は一言それだけだったけれど、何処か照れくさそうに見える春千夜が愛しいと思った。

車窓から見える高速道路ならではの変わらぬつまらない景色を見ながら心の中で家族に別れを告げる。あと、一応見知らぬ仮の婚約者にも頭を下げておく。


「誘拐犯さん、わたし何処まで連れて行かれるんですか?」
「あ?あー…んなの俺ンちしかねェだろ」
「ぁ…」


その先の言葉が出てこなかった。
だって春千夜が、何処と無く泣きそうに笑っていたのが目に映ったから。そうしたら、今度は私が堪えきれなくて涙が出てしまった。


「泣いてんじゃねェよ」
「…う、嬉し泣きだもん」


この決断に後悔をする日は生涯かけて来ないと誓える。
日が沈んでいく中、そんな事を思った。



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